第19話: 『決戦 - 借金取りとの最終交渉』
ついに訪れる、最初の借金返済の日。
ミレーヌたちは、限られた資金と知恵、そして仲間たちの絆だけを武器に、男爵家の圧力へ立ち向かう――。
商人ルフィンとの出会い、悪徳ヴァルゴとの一件を経て、
彼女はもう“何も知らない領主の娘”ではない。
学んだ知恵と人の想いを胸に、いざ決戦へ。
オルターナ領の命運を懸けた「最初の戦い」が、いま始まる。
ついに、その日は訪れた。最初の借金返済期限の当日である。朝から領内の空気は張り詰め、誰もがそわそわと落ち着かなかった。ミレーヌは書斎で、ルフィンから得た代金――かつてないほど高額ではあるが、返済総額にはわずかに足りない金貨の袋――をじっと見つめていた。ヴァルゴの件以来、彼女の表情には以前の純粋な希望に代わり、覚悟と警戒心が刻まれていた。
「……来ました」ゴドウィンの低い声が報告する。窓の外を見やると、例のラントフ男爵の手下である借金取りたちが、以前より数も多く、より武装を強化して、威圧的に邸へと向かってくるのが見えた。先頭の男は、前回以上に尊大な笑みを浮かべている。
「さあ、お嬢様。覚悟を」ゴドウィンが静かに言う。
ミレーヌは深く息を吸い、金貨の袋をしっかりと握りしめると、応接間へと向かった。ゴドウィンとガルムが、影のように彼女の後ろに付く。
応接間のドアが乱暴に開かれ、借金取りたちがずかずかと入り込んでくる。皮革と鉄の匂いが室内に充満した。
“やあ、お嬢様。ご機嫌よう?”先頭の男が嘲るように言う。“さて、約束の日だ。金は準備できたのかい?五千ゴールドの、最初の分割金のな?”
ミレーヌは平静を装い、金貨の袋をテーブルの上に置いた。
“こちらです。今回お支払いできる分です”
男は袋をひっつかむと、ざっと中身を確認した。そして、すぐに顔をしかめ、袋を乱暴にテーブルに叩きつけた。
“なんだこれはっ!?足りないじゃないか! は? ふざけるな! これっぽっちで済むと思っているのか!?”
“現在、オルターナ領で支払えるのは、この金額だけです”
“現在だと?ふん……! ならば、約束通りだ! 領地を明け渡せ!”男は傍らにいた部下に合図する。“さあ、始めろ! 差し押さえの証文を――”
“お待ちください”
ゴドウィンが静かに、しかし鋭く口を開いた。彼の声は、甲高い罵声の中にあって、冷たい水のように響いた。
“その『約束』……すなわち、契約の内容について、改めて確認させていただきたい”
男はゴドウィンを邪険な目で睨む。“なんだ、老いぼれ執事。また妙な知恵を絞る気か?”
“ただ、公正を願うまでです”ゴドウィンは微動だにしない。“お手元の契約書と、元本の借用書を、今一度ご覧いただけますかな?”
男は訝しげな顔をしたが、威嚇するように書類を広げた。“どうだ? 何か文句が――”
“そこです”ゴドウィンの細い指が、金利の計算式の部分を指さした。“この複利計算の部分、利率と計算期間に、明らかな不自然な点がございますな。本来ならば、この返済額は……三割ほど少なくなる計算ですが?”
室内の空気が一変した。借金取りの男の顔から嘲笑が消え、狼狽と怒りが走る。
“な、なにを言い出すんだ!?この計算は男爵様の会計担当が――”
“たとえ男爵様のご家臣であろうと、法と計算は誰にでも等しく適用されます”ゴドウィンの声は冷徹を極めた。“この利率は、王国法で定められた上限利率を明らかに超過しております。この契約、法的に無効となる可能性さえございますよ?”
“黙れっ!”男が怒鳴り散らす。“ええい、面倒な真似はよせ! 力ずくで取り立ててしまえ!”
男たちが一斉に前に詰め寄ろうとしたその瞬間――。
応接間のドアがゆっくりと開いた。そこには、ガルム率いる防衛班の男たちと、リナ率いる女性たちが、無言で立ちはだかっていた。男たちは鍬や棍棒を、女性たちは包丁や農具を、それぞれしっかりと握りしめている。その数は、借金取りたちを明らかに上回っていた。そして、その一人一人の目には、もはや恐怖や諦めはなく、自分たちの家と未来を守るという静かなる決意が燃えていた。
“……な、なんだ……お前たち……?”借金取りの男がたじろぐ。
ガルムが一歩前に出る。その足は不自由でも、背筋はピンと伸びている。
“ふん……我々如きが、何をできると思うてか?だがな……ここは我々の家だ。ここで家族を養うための希望の芽を、てめえらのような金の亡者に、ただで差し出すつもりはねえ”
リナも、震える声ながらもはっきと言った。
“……ミレーヌ様は……私たちに、再び生きる希望と誇りを与えてくださいました。あなた方が、それを奪うことは……させません”
ミレーヌは、背後にいる領民たちの熱い想いを感じ、胸が熱くなった。彼女はゆっくりと前に進み出た。彼女の目は、借金取りの男をしっかりと見据えている。
“お聞きください。これが、オルターナ領が現在支払える正当な金額です”
彼女の声は凜としていた。
“私は約束を守ります。父が残した借金は、必ずや全額返済してみせます。しかし……!”
彼女の声に力がこもる。
“それは、あなたたちのような者たちの搾取のためではなく、この領地と、ここに生きる人々の未来のためです!不当な金利での取り立ては、これ以上、一厘たりとも認めません!”
借金取りの男は、ミレーヌの強硬な態度と、それを支える領民たちの結束力に、明らかに動揺していた。もはや、力ずくで強行すれば、自分たちが返り討ちに遭うことは明らかだ。
“くっ……この……小娘が……!”
彼は歯ぎしりし、ゴドウィンが指摘した契約書を睨みつけ、そして背後に並ぶ領民たちの決意に満ちた顔を見渡した。
“……ふん…………今日のところは…………見逃してやる……”
彼はしぶしぶながらも、テーブルの上の金貨の袋をひったくると、捨て台詞を吐いた。
“だが……忘れるな!ラントフ男爵様のご意向は変わらん! 次に来る時は……もっと……大勢で来てやるぜえ!”
そう言い残すと、男は部下たちを促し、不貞腐れたように邸を後にする。その背中は、最初の威圧的な態度とは打って変わり、どこか惨めに見えた。
ドアが閉じられ、重い沈黙が一時を支配した。そして、その静寂を破るように、誰からともなく、安堵の息が漏れ、そしてそれが割れるような拍手と歓声へと変わった。
“やったぞおおお!”
“ミレーヌ様万歳!”
“俺たちの勝ちだっ!”
領民たちがミレーヌのもとに殺到し、彼女を胴上げした。ミレーヌは、突然の出来事に驚きながらも、溢れ出す笑顔を抑えきれなかった。ゴドウィンはそれを温かく見守り、ガルムは満足げに頷き、リナは嬉し涙をぬぐっていた。
彼らは、ただ借金の返済ができたからではなく、強大な敵に対して、自分たちの意志を通せたこと、結束して一つの目標を成し遂げたことを、心から祝っていたのだ。
ミレーヌは胴上げされながら、思った。
(……ひとまず……最初の関門は……超えられた……!)
(これも……みんながいてくれたから……!)
ここまでお読みいただきありがとうございます!
第19話では、これまで積み上げてきた努力と成長が一気に花開く、いわば「第一の勝利」の回でした。
商売の知恵と法の理屈、そして人々の結束――
どれか一つ欠けても、勝てなかったでしょう。
最初は震えていたミレーヌが、堂々と借金取りを前に立ち上がる姿、
作者としても書いていて胸が熱くなりました。
とはいえ、ラントフ男爵との戦いはまだ序章。
次は、より大きな“報復”が動き出します――。
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豆知識:「複利は人を滅ぼす?」
今回のゴドウィンの指摘、「複利計算の罠」は現実でも非常に重要な概念です。
たとえば年利10%で借りた100万円を放置すると、単利なら10年後に110万円ですが――
複利(利子にも利子がつく仕組み)だと、なんと約259万円になります。
古代メソポタミアでもすでに“利息の奴隷化”が社会問題になっており、
多くの国で**上限金利の法律(利息制限法)**が定められたのです。
つまり今回のゴドウィンの冷静な突っ込み、
実は「人間社会の進歩を守る知恵」と言っても過言ではありません。




