第17話: 『誠実な行商人、ルフィンの登場』
領地を救う希望を託した野菜が、市場で無惨に踏みにじられたミレーヌたち。
絶望の影がオルターナ邸を覆う中、思いもよらぬ訪問者が現れる。
彼の名は――誠実な行商人ルフィン。
彼の言葉は、ミレーヌに新たな道を指し示すが、それはまた新たな試練の始まりでもあった……。
ハーベストンの市場での屈辱的な敗北から一夜が明けた。オルターナ邸の庭には、売れ残った最高品質の野菜が山積みになり、それはもはや希望の象徴ではなく、無力さの証のように重苦しく存在感を放っていた。ミレーヌは書斎の窓辺にうつろに佇み、外のその光景を見つめながら、どうすればいいのか答えの出ない思考を巡らせていた。ゴドウィンが差し出した温かいハーブティーも、彼女の冷え切った心を温めるには至らない。
「……どうすればいいのですか、ゴドウィン? あと数日で期限が……。あの野菜を、あの侮辱的な値段で売り払うしかないのでしょうか?」
彼女の声は弱々しく、疲れ切っていた。
“ミレーヌ様、焦りは禁物です”ゴドウィンは静かに、しかし強く言った。“あの値段は受け入れるべきではありません。それでは、領民の努力を愚弄することになります。……別の道を探りましょう。もっと遠くの町へ――”
その時、邸宅の玄関先で何やら騒がしい声が聞こえた。ガルムらしき怒鳴り声と、見知らぬ、飄々としたしかしどこか粘り強い男の声が混ざり合っている。
“おい! てめえはどこの誰だ! 用がなければさっさと帰れ!”
“おっとおっと、お怒りはごもっとも。でもねえ、じいさん。あの裏庭に山積みの野菜……あれはどうしたんだい?もったいないじゃないか”
ミレーヌとゴドウィンは顔を見合わせ、急いで玄関へと向かった。
そこには、ガルムたち数名の男たちが、一人の男を取り囲んでいる光景があった。その男――ルフィンと名乗る行商人は、いかにも旅慣れたという風体で、少しくたびれたが上質な旅行服を着込み、顔には人懐っこい、しかし鋭い観察眼を光らせる笑みを浮かべていた。彼の荷車は質素だが、きちんと手入れされている。
“何だ何だ? またラントフの回し者か?”ガルムが詰め寄る。
“まさかまさか”ルフィンは涼しい顔で両手を上げる。“僕はね、ただの通りすがりの行商人さ。フリーランスでな。で、あの野菜がどうしても気になってねえ。あんなに輝いている野菜、見たことないよ”
その言葉に、ミレーヌははっとした。彼は、野菜の「輝き」に気づいたのか?
“……あなたは……あの野菜の……品質がわかるのですか?”ミレーヌが慎重に前に出て尋ねた。
ルフィンの視線がミレーヌに向けられる。彼の目は一瞬、ミレーヌの貴族的な面影と、そのやつれた表情、そして労働で汚れた服の対比に興味を引かれたように輝いた。
“おや、これがご領主様ですかい?ルフィンと申します。ええ、わかりますとも。僕の目はね、長年の商売で本物の価値を見極めるように鍛えられてますからね”
彼は悪びれず近づき、山積みの野菜の中から一本のにんじんをひょいと取り上げた。
“見てごらんよ、この色の濃さ、この張り。そして……ほら、よく見ればわかるさ、ほのかな蒼い輝きが繊細に走っている。これは……並の作物じゃない。どこで、どうやって育てたんだい?”
ミレーヌはためらった。信用していいのだろうか? しかし、もう打つ手はない。彼女は覚悟を決めて、できる範囲のことを話した。
“……これは、オルターナ家に伝わる……特殊な農法で育てました。土地の力を引き出し、作物の持つ本来の力を最大限に引き出すのです。味も、香りも、栄養価も……通常のものとは段違いです”
“ふむ……ふむふむ……”ルフィンはにんじんをひねり、香りを嗅ぎ、そして……かじった。
“っ!?”
ガルムたちが声を上げるが、ルフィンは無視してじっと味わっている。その表情がみるみるうちに変わっていく。驚き、そして深い感嘆へ。
“…………す、すごいな……これは……”彼は唸るように言った。“香り高くて、甘みが強くて……そして食べた後、なんだか……体の芯から力が湧いてくるような……?これは、魔力でも込められているのかい?”
ミレーヌはうなずいた。“ええ、ある意味では……そうです”
ルフィンはしばらく黙考し、そして顔を上げると、飄々とした笑みは消え、真剣な商人的な顔つきになっていた。
“……買おう。あの山全部だ。適正な値段でな”
彼は即座に、市場で提示された侮辱的な値段の十倍に近い金額を提示した。
ミレーヌもガルムも、息をのんだ。
“だ、だが……お前さん、ラントフ男爵の――”ガルムが言いかける。
“ああ、知ってるよ”ルフィンはさっさと言った。“だから僕が買うんだ。僕はラントフの支配下にはない。王都の商人ギルドにも属していない独立系だ。好きなものと取引できる自由がある”
彼はミレーヌを見つめ、目を細めた。
“で、領主さん。これだけの品質のものを、持続的に作れるんだね?”
“……ええ。できれば、もっと規模を拡大したいと思っています”
“ふむ……ならばだ”ルフィンは声を潜めた。“今回の量じゃ、僕が払える額には限界がある。せいぜい、借金の最初の返済分を賄える程度だろ。だが――”
彼は一際輝く目で続けた。
“もし、これをもっと大量に、そして定期的に供給できるなら……話は別だ。奴隷商人やら悪徳貴族やらが跋扈するこの辺境の市場じゃなく、王都へ持っていくんだ。そこには、美味いものと魔力を帯びた珍しいものに目がない貴族や、魔法薬の原料を探している魔術師連中がうようよしている。奴らなら、喜んで僕の提示するさらに倍以上の値段を払うぜ?”
王都。その言葉は、ミレーヌの胸に、新しい希望の光を灯した。しかし同時に、それはあまりにも遠く、未知の世界だった。
“ですが……王都は……”
“ああ、危険だよ。ラントフどころじゃない、もっと大きな狡猾な敵が待ち構えている”ルフィンはあっけらかんと言い、にやりと笑った。“でもさ、領主さん。ここでじっとしていても、ラントフ男爵に食い尽くされるだけだろ?だったら、大きく賭けてみる価値は、十二分にあると思うぜ?”
ミレーヌは、ルフィンの目をじっと見つめた。そこには、打算だけでなく、本物の価値を見いだした者としての純粋な興奮と、少しばかりの冒険心のようなものが見えた。
“……わかりました”ミレーヌは深く息を吸い、決意を込めて言った。“ルフィンさん。この取引、成立です。今回は、この野菜を全てお任せします。そして……次回の収穫までに、より多くの量を準備してみせます”
“よし、決まりだ!”ルフィンはぱんと手を打ち、笑顔を戻した。“では、さっそく代金を――”
その瞬間である。邸宅の裏手から、けたたましい女性の悲鳴が聞こえた。
“きゃあっ!? 誰か! 野菜が――!”
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
今回は「誠実な行商人、ルフィンの登場」という形で、物語に新しい展開を持ち込ませていただきました。
市場での敗北から一転、ルフィンの出現によって未来の可能性がぐっと広がっていく……そんなターニングポイントの回となっています。
ただ、少しだけお知らせがあります。
事情により10月15日まで投稿ができません。
続きを楽しみにしてくださっている方には大変申し訳ありませんが、その分、再開後はさらに熱を込めて執筆していきますので、ぜひお待ちいただければ幸いです。
それでは、次回もどうぞよろしくお願いします!




