第16話: 『資金化への壁 – 商人たちの冷淡な反応』
前回、オルターナ領は「希望の実り」を手にしました。
しかし――それを資金へと変える第一歩、市場での挑戦は、思いがけない冷淡な壁に阻まれます。
魔導農法の結晶は、果たして人々に受け入れられるのか……。
収穫祭の熱狂と自信は、隣接するラントフ男爵領の最寄りの町、ハーベストンの市場に足を踏み入れた瞬間、冷や水をぶっかけられたように消し飛んだ。
ミレーヌは、ゴドウィンと護衛兼荷運びのガルムを含む数名の領民と共に、最高品質の作物を載せた荷車を引いて市場へと向かった。彼女は、魔導農法で育てた野菜の品質には絶対的な自信があった。きっと、どの商人も目を輝かせて飛びついてくるに違いない――少なくとも、彼女はそう信じていた。
最初のターゲットは、市場で一番大きく見えた食料品店だった。威勢の良そうな店主が店先で客と談笑している。
「失礼します」ミレーヌは緊張しながらも、代表として前に出た。「オルターナ領で採れた、特別な野菜をお持ちしたのですが――」
彼女が藁を少しめくり、中から輝くようなにんじんとずっしりとした大根を見せた瞬間、店主の笑顔が一瞬で凍りついた。
“オルターナ……領?”店主の声が明らかに冷たくなる。“……ふん。で、その……変な色の野菜ってのは、いったいどういうつもりだ?”
「変な色……? いいえ、これは魔力を帯びて――」
“魔力?”店主は嘲るように鼻で笑った。“ふん……つまり、魔術でもかけやがったってわけか?ふざけるなよ、小娘。そんな怪しいもん、誰が買うもんかよ。うちの店の信用が台無しだ! さっさと失せろ!”
そう言うと、店主はぶんと手を振り、店の中へと消えてしまった。ミレーヌは言いようのない屈辱と困惑で立ち尽くすしかなかった。
次の商人は、少し物静かな老商人だった。彼はミレーヌの話をじっと聞き、野菜を手に取って慎重に観察した。
“……ふむ……。確かに、見た目は申し分ない。香りも良い……。”老商人は興味深そうにうなずいた。ミレーヌの胸にわずかな希望が灯る。
“だが……残念ながらな、お嬢さん”彼は静かに、しかし残酷な言葉を続けた。“オルターナ領の作物を買い取ることは……できん”
「……なぜです?」
“ラントフ男爵様からな……。オルターナ領の者とは、一切取引するな……と、お達しがでておるのだ”老商人は申し訳なさそうに目を伏せた。“逆らえる身分ではない……。どうか、わかってくれ”
ミレーヌは言葉を失った。政治的圧力。それは、彼女の専門外の、そして最も苦手とする分野の現実だった。
三件目、四件目――反応は同じだった。品質に興味を示す者さえも、「オルターナ領」という名と「ラントフ男爵」という重圧の前には、首を縦に振ることはできなかった。あるいは、露骨に不当な値段を提示してきた。
“そんな変な野菜、危なくて買えんわい。……まあ、捨てるようなもんやから、これだけやるわ。文句あるか?”
提示された金額は、路傍の雑草を売るような、侮辱的な額だった。
“てめえ……っ!”ガルムが怒りで前に出ようとするが、ゴドウィンに静かに制される。
“ガルム、ここで騒いではいかん”
“だがゴドウィン爺さん!この俺が、この目で見た! あの野菜の値段は、もっと――”
“わかっておる。だが、力ずくで解決できる問題ではない”
ミレーヌは荷車の傍らでうつむいていた。彼女の自信は粉々に打ち砕かれ、無力感が襲ってきた。
(……どうすればいいの?)
(品質が良くても……売る場所がなければ……ただの野菜だ)
(生物学の知識も、魔導農法の理論も、商人の心を動かすことはできない……)
(私は……なんて無力なんだろう……)
彼女は、自分が領地経営というものの何も知らなかったことを痛感した。作物を育てることはできても、それを金銭という現実的な価値に変換し、領地を運営していく力が、彼女には決定的に欠けていた。
“ミレーヌ様”ゴドウィンが静かに声をかける。“ここではどうにもなりません。一旦、引き上げましょう”
“でも……! 借金返済の期限まで――”
“期限は明日ではありません。まだ時間はあります。ここで無理に売り払い、侮辱的な値段を受け入れることは、領民の努力とこの作物そのものへの冒涜です”
ゴドウィンの冷静な言葉が、ミレーヌの焦りを少し鎮めた。彼女は深く息を吸い、顔を上げた。市場の喧騒が、嘲笑っているように聞こえた。
“……わかりました。引き上げましょう”
彼女たちが落胆し、重い足取りで荷車を引いて市場を後にするその背中を、物陰から一人の男がじっと見つめていた。ラントフ男爵の密偵である。男は満足げに笑い、すぐに主人の元へ報告に向かった。
帰路の道中、沈黙が支配した。ガルムは悔しさで唇を噛みしめ、他の領民も俯き加減だ。せっかくの希望の実りが、現実の壁の前で無力な「ただの野菜」に戻ってしまったように感じられた。
ミレーヌは、揺れる荷車の上の野菜を見つめた。朝採れのにんじんは、まだ鮮やかな橙色を輝かせている。しかし、その輝きは、市場での冷たい拒絶によって、どこか悲しげにさえ見えた。
(……ごめんなさい)
(皆がこんなに頑張って育てたのに……売る場所も見つけられなくて……)
彼女の頭の中は、生物学の方程式ではなく、どうしようもない絶望と自責の念でいっぱいだった。領主としての最初の試練は、彼女の最も不得意な分野で、容赦なく襲いかかってきたのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
収穫した作物を「売る」という当たり前の行為が、領主にとって最初の大きな難関でした。品質がいくら優れていても、政治や利害に押し潰される現実……。ミレーヌの無力感は痛いほど伝わったのではないでしょうか。
それでは恒例の《きのこ豆知識》を一つ。
マツタケが高価なのは、「人工栽培がほぼ不可能」だからです。
マツタケはアカマツの根と共生して育つ「菌根菌」で、条件が非常に複雑。海外では代用となる近縁種があるものの、本場のマツタケは希少性ゆえに高値で取引されているんです。
この先、ミレーヌは「作ること」だけでなく「売ること」とも戦っていくことになります。
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