第10話: 『最初の試練 – 天候と魔物』
領地再生がようやく形になってきた――そう思った矢先、自然と魔性が一体となって牙を剥きます。
「腐蝕の雨」と、それに群がる魔物「土喰い虫」。
ミレーヌと領民たちの努力は、この試練を乗り越えられるのか……!?
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順調に見え始めた領地の再生は、自然の猛威と、それに呼応するかのような魔性の脅威によって、突然、暗転した。
それはある午後のことだった。それまで穏やかだった空が、みるみるうちに不気味な紫黑色に染まり始めた。雷雲とは明らかに異なる、粘り気のあるような重苦しい雲が垂れ込め、冷たい風が吹き荒れ始める。
「これは……やはり来ましたか」ゴドウィンが空を見上げ、厳しい表情で呟いた。「魔性の濃い土地では時折起こる現象です……『腐蝕の雨』とでも呼ぶべきものが……」
彼の言葉が終わらないうちに、大粒の雨が降り始めた。その雨は、無色ではなく、かすかに紫色を帯びており、地面や植物に当たると、白くけむるような細かい泡を立てた。
「うわっ!? 雨が……しみる……!」共有地で作業をしていたテオが悲鳴を上げた。雨に当たった肌が軽い灼熱感を感じたのだ。
「みんな、急いで! 小屋に避難を!」ミレーヌは叫んだ。
領民たちは慌てて道具を放り出し、近くの物置小屋へと駆け込んだ。外では、紫の雨が魔導キノコや、育ち始めた作物を容赦なく打ち付け、白い煙を上げさせた。せっかく浄化されつつあった土地が、再び汚染の色に戻っていくように見えた。
「なんてこった……俺たちの苦労が……!」老兵ガルムが歯ぎしりしながら唸る。
ミレーヌは心痛めたが、諦めてはいなかった。「大丈夫……! 菌糸ネットワークは地中深くまで張り巡らされている。表面の土が多少傷んでも、再生は可能だ……!」彼女の声は、自分自身への鼓舞でもあった。
しかし、試練は一つでは終わらなかった。
雨が小やみになった頃、物陰から不気味な気配が漂ってきた。そして、カサカサという、無数の足で這うような嫌な音が聞こえ始める。
「な、なんだ……あれは……!?」リナが恐怖で震える声を上げた。
小屋の窓から外を覗くと、そこには無数の黒くて小さな、甲虫のような魔物が這い回っていた。彼らは腐蝕の雨で弱った魔導キノコや輝く作物を貪り食い、荒らし回っているのだ。『土喰い虫』――土地の魔力を糧とするごく弱い魔物だが、その数は圧倒的だった。
「あの魔物……! 浄化の波動か、魔力を帯びた作物に誘われたのだ!」ゴドウィンが叫ぶ。「このままでは実験区画が全滅する!」
「防がなければ……!」ミレーヌは思わず外へ飛び出そうとした。
「待たれい、お嬢様!」ガルムが彼女の腕を掴んだ。「無茶はするな! 奴らは弱いとはいえ魔物だ! お前さん如きがやられる!」
その時、ゴドウィンが冷静に、しかし迅速に動いた。彼は小屋の隅にあった、魔導キノコの培養に使っていた余剰の菌糸ブロックを数個抱え、入り口へと走った。
“ミレーヌ様!キノコは彼らにとっては『強力な魔力源』に過ぎん! ならば、囮を作りましょう!”
彼は菌糸ブロックを遠くの方へ力一杯投げつけた。ブロックが地面で割れ、濃厚な魔力を放つ。
すると、土喰い虫の群れは、こちらの作物よりもその囮の方へと殺到した。
「今だ! 囮が効いているうちに、魔導キノコの周囲に……菌糸で結界を作れ!」ゴドウィンの指示は的確無比だった。
「魔導キノコ同士は地中で繋がっている!そのネットワークを通じて、微弱な魔力の波動を流せば、魔物除けの結界が張れるかもしれん!」
「わ、わかった!」ミレーヌは応えた。「みんな! 鍬で菌糸の周りの土を盛り上げ、キノコを囲むようにして! キノコ同士が繋がっているのを切らないように!」
最初は戸惑っていた領民たちも、危機に直面し、明確な指示が出ると動き出した。ガルムは足を引きずりながらも鍬を振るい、リナは手で土を盛り上げ、テオは小さい体で菌糸を傷つけないように注意深く動いた。
ミレーヌとゴドウィンは中心に立ち、魔導キノコに手を触れ、意識を集中させる。
「……ゴドウィン、魔力の流れを……!」
「任せよ……!貴女は菌糸の生物的なネットワークを感知し、私は魔力的な流れを誘導する……!」
二人の共同作業により、魔導キノコの群落からかすかな蒼い光の波動が放射され始めた。それは肉眼ではほとんど見えないほど微かだったが、土喰い虫たちはその波動を嫌うように、じりじりと後ずさり始めた。
「効いてる……! だが、囮がすぐになくなる……!」ガルムが叫ぶ。
「全員、武器になるものを持て! 最後は力ずくで追い払うのだ!」老兵としての血が滾る。
やがて囮の菌糸ブロックが食い尽くされ、魔物の群れが再びこちらに向き始めた。その時、領民たちは鍬や棍棒を握りしめ、魔導キノコを囲むようにして立ちはだかった。その表情には、もはや恐怖ではなく、自分たちの希望を守るという決意が刻まれていた。
「来いっ! てめえら如きに、せっかくの畑を荒らさせるかっ!」
ガルムの雄叫びを合図に、最後の防衛戦が始まった――。
数分間、しかし永遠のように感じられる戦いの末、魔物の群れは去っていった。領民たちは皆、息を切らし、泥だらけになりながらも、無事だった。
被害は確かにあった。腐蝕の雨で作物の一部は傷み、魔物に囮を奪われた。しかし、魔導キノコの本体と、主要な作物は守り切った。
ミレーヌはぱったりとその場に座り込んだ。安堵と疲労が一気に押し寄せてきた。
「……皆さん……ありがとう……ございました……」
すると、ガルムが彼女の前に歩み出ると、無言でうなずいた。その頬には、魔物と戦った時の泥とは別の、汗の線が走っていた。
“……お前さん……なかなかやるな。……ただの箱入り令嬢じゃないようだ”
その言葉は、最大級の賛辞だった。
ミレーヌは涙ながらに笑った。
「……次に備えて、魔除けの結界を恒久的にできるよう、研究を重ねないと……ですね、ゴドウィン」
“かしこまりました”
この試練は、彼らに痛みと損失をもたらした。しかし、それ以上に、共に戦い、危機を乗り越えたという強固な絆と、魔導農法を守り抜くという確かな意志をもたらしたのだった。それは、平穏な日々だけでは決して得られない、貴重な財産となった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
今回は初めて「自然災害+魔物」という形での試練でした。
ただの農業改革ではなく、命がけで畑を守る戦いに、ミレーヌたち自身の絆が強く描けた回になったと思います。
そしてお待ちかね(?)の豆知識コーナー
きのこの菌糸は、実際に「自然のネットワーク」として働きます。
「ウッド・ワイド・ウェブ(Wood Wide Web)」と呼ばれる現象で、菌糸が森の木々を繋ぎ、養分や情報をやり取りしていることが知られています。
今回のお話で出てきた「菌糸を通じて結界を張る」という発想も、この現実の仕組みをちょっとアレンジしたものなんですよ。
次回もぜひお楽しみに!




