第9話: 『説得と協力 – 懐疑的な領民たち』
信頼を得るためにミレーヌが挑むのは、知識でも理論でもなく――人の心。
けれど、荒れ果てた領民たちの心はそう簡単には動きません。
そんな中、最も悲観的だったはずの家から、思いがけない突破口が……?
それでは本編をどうぞ!
共有地での成功は確かな光だった。しかし、その光は、長い闇に慣らされた者たちにとっては、むしろまぶしすぎ、疑わしいものに映った。
ミレーヌは、エイランやテオ以外の領民、特にオルターナ家に最後まで残っているが故に深く傷ついた者たちを説得しなければならないと悟った。まずは、かつて領地の警備隊長を務め、今は足を悪くして鬱屈した日々を送る老兵、ガルムの家を訪ねた。
「魔導農法? ふん……またぞろ綺麗事を」
ガルムは戸口にも立てず、ミレーヌを中に入れようともせずに吐き捨てた。その目は、過去の失望ですり切れ、鋭い猜疑心の刃となっていた。
「領主様も同じようなことをおっしゃっていた。新しい農法だ、領地を豊かにするだと。だが、結果はどうだ?借金と、この荒れ地だ! お嬢様に何ができるというのか!」
ミレーヌは、共有地で採れた、ほのかに蒼く輝く豆の入った籠を差し出した。
「見てください、ガルムさん。これは、数週間前まで魔性に侵されていた土地で育ったものです――」
「見たくない!」
ガルムは荒々しく手を振り、籠を払いのけようとした。豆がいくつか地面に散らばった。
「そんな色をした作物が、本当に食えるとでも?奇妙な魔術の所業に違いない! お嬢様は、我々をまた騙そうとしている! いい加減にしてもらいたいものだ!」
ミレーヌは地面に散らばった豆を見つめ、胸が締め付けられるのを感じた。知識や理論、成果を見せるだけではダメなのだ。彼らは、言葉そのものをもはや信じていない。
次の標的は、夫を魔物の襲撃で亡くし、幼い子を抱えて悲観に暮れている未亡人、リナだった。彼女の家は、もはや生きる気力すら失っているかのように荒んでいた。
「……どうぞ、お引き取りください、お嬢様」
リナは虚ろな目で、そう言うだけだった。彼女にとって、未来などというものは存在せず、ただ目の前の苦しみを耐え忍ぶことだけが生きる意味だった。
「どんなに綺麗事を並べられても……死んだ夫は戻りません。失った時間は戻りません。……もう、何も信じたくないのです」
ミレーヌは、リナの幼い子供がやつれた顔でこっちを見ているのを目にした。その子は、明らかに栄養状態が悪かった。
説得は完全に行き詰まった。ミレーヌは邸に戻り、書斎でぐったりと椅子に座り込んだ。ノートに記された魔導農法の理論は完璧に見えた。しかし、それは人心を動かす理論ではなかった。
「……どうすればいいのですか、ゴドウィン? 彼らは、私の言葉そのものを信じようとしない。成果さえも、疑わしい魔術の所業と決めつける」
ゴドウィンは静かに答えた。
“ミレーヌ様。彼らは『領地の再生』といった大きな物語など、もう信じる力すら残っていないのです。彼らが欲しているのは、壮大な未来などではなく……明日、家族が飢え死にしないかという、今日の、目の前の安心なのではないでしょうか」
その言葉が、ミレーヌの頭の中で閃光のように走った。
(そうか……!私は大きな理想ばかり語っていた。でも、彼らが必要としているのは、もっと小さく、切実な、すぐそこにある希望なんだ!)
突破口は、予想外の形で、しかも最も悲観的だったリナの家から開かれた。
リナの幼い子供が、ひどく咳き込んで熱を出したのだ。薬などあるはずもなく、リナはただ祈るしかなかった。そこへ、たまたま様子を見に来ていたミレーヌとゴドウィンが遭遇する。
「魔導キノコで育てたハーブに、鎮静と解熱の効果があるとデータに出ていました!」ミレーヌはゴドウィンと laboratory へ走り、培養したばかりのハーブを急いで煎じた。
「でも……薬効が強すぎたり、変異による副作用が出たりする可能性も……!まずは私が――」
「私がいただきましょう」ゴドウィンが遮り、少しだけ煎じ汁を口にした。「……問題ありません。むしろ、体が温まりますな」
覚悟を決めて、ミレーヌはその煎じ茶をリナに渡した。リナはためらったが、我が子の苦しそうな姿に、すがる思いでほんの少しだけ飲ませた。
すると――数時間後、子供の激しい咳が驚くほど収まり、熱も少し下がったのである。たまたま季節の変わり目の風邪だったのかもしれない。しかし、絶望的な状況では、たまたまですら奇跡に等しい。
「……ありがとう……ございます……」
リナは震える声でそう言い、涙を浮かべてミレーヌに頭を下げた。それは、領主への敬礼ではなく、一個の人間から一個の人間へ向けられた、心からの感謝だった。
この出来事は、領内に瞬く間に広まった。「お嬢様の変なキノコで、リナの子の熱が下がった」という単純な噂が。
次の日、ガルムの家の前で、ミレーヌは足を止めた。すると、彼は無言で、小さな袋を差し出した。中には、傷んだがまだ使えそうな農具が入っていた。
“…………わしのところにも、あのハーブ……分けてくれんか?孫の娘が、同じように咳をしておってな……”
その言葉は、依然として棘を含んでいたが、そこにはほんの少しの頼るような感情が混じっていた。
ミレーヌは深く肯くと、最高品質のハーブの束をガルムに手渡した。
「ええ、もちろんです!そして、もしよろしければ、このハーブの育て方も……ご一緒に?」
ガルムは黙ってうなずいた。完全な信頼ではなかった。しかし、ほんの小さな、しかし確かな協力の糸口が、ようやく掴めたのだった。
ミレーヌは悟った。信頼は、巨大な跳躍で得られるものではない。小さな、確かな実績の積み重ねでしか、築き上げることはできないのだと。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
だんだん領民たちの心に、小さな信頼の芽が出てきましたね。
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それでは恒例のきのこ豆知識をどうぞ。
実は「霊芝」というきのこは、古来より“不老長寿の妙薬”と呼ばれてきました。
現代の研究でも免疫力を整える成分が含まれていることがわかっていて、薬用きのことして使われることもあります。
……今回のミレーヌたちが扱った“魔導キノコ”も、もしかすると霊芝に近い存在なのかもしれませんね。
次回もぜひお楽しみに!




