第4話 声にならない痛み
—峰原和樹視点—
2026年1月1日
「あけましておめでとうございます」
年越しして数秒後に、眠そうに垂れた目をこすりがなら言い合った。
澄晴のアパートで、こじんまりとした年越しパーティーを開催していた。
もちろん、参加メンバーはいつもの4人。
これは恒例行事ではないが、今年は澄晴がやりたいと言ったため集まった。
しかし、誘った本人が1番眠そうな顔をしている。徹夜慣れてないんだなと感じる、ふにゃふにゃの目だった。
「年越しって、こんなに眠いんだな」
「お前知らずに誘ったのかよ」
「流石に眠気には抗えない…」
ふわーっとあくびをして腕を伸ばす澄晴を恭弥が仏のような顔で見ていた。
凌太はいつも眠そうなくりくりの目をしているから分かりにくいけど、今は退屈な講義を聞いている時と同じ目だ。
「……一旦寝るか」
恭弥がそう言うと、澄晴と凌太は一瞬で眠りに落ちた。
やっぱり早いなぁと恭弥と話してから、俺たちも目を閉じた。
それから約10時間後に目覚めて、朝食の時間となった。
澄晴が冷蔵庫から取り出したのは、かまぼこと田作り、数の子、栗きんとんだ。
どんな基準で選んだのか分からないメンツだったけど、後から冷凍庫にあったという唐揚げを解凍して少し豪華さが出た。
「珍しい組み合わせだね」
ぽろっと恭弥が呟いた。
「これ全部食感が良いから」
満面の笑みで澄晴が言った時、俺は急に思ってしまった。
澄晴って、あんなに顎シュッとしてたっけ?
それは一瞬浮かんで、すぐに沈んだ。
2026年1月31日
朝の教室は、澄晴がいないだけで、少し静かだった。
いつもなら、どこかで聞こえる澄晴の笑い声や、くだらない冗談に乗っかるツッコミが、当たり前のように空気を和らげてくれる。
でも今日は、そのどれもがなかった。
「……既読、つかないな」
恭弥がポツリとつぶやく。
凌太も、机に肘をついてスマホを眺めながら、小さく眉をひそめていた。
もちろん、俺も連絡はしていた。
でも、既読は一向につかない。
こんなこと、今までなかった。
「寝坊じゃないよな……」
誰もが口にしなかったその不安が、じわじわと教室に広がっていく。
そして、講義が終わり、席を立とうとしたそのとき。
「……あ、澄晴からだ」
凌太のスマホから通知音が鳴った。
俺と恭弥は反射的に隣へ寄り、画面を覗き込む。
《ごめん びょういん いってた》
ひらがなで書かれた短いメッセージ。
まるで幼い子どもが初めて打ったLINEみたいで、そこにはいつもの澄晴らしさは一切なかった。
「やばいな、こいつ……」
凌太の口調は、いつもと同じように笑っているようで、その目はまったく笑っていなかった。
「……お見舞い、行こうか」
俺が言うと、恭弥も小さく頷いた。
「チョコケーキでも買って行くか」
澄晴の好物。少しでも元気になるようにと、それぞれがそう願っていた。
澄晴のアパートに着いて、俺がチャイムを押すと、しばらくして「いてて……」という小さな声とともに、扉が開いた。
目の前に立っていた澄晴を見た瞬間、思わず言葉を失った。
細くなった頬。
うっすら浮かんだ目の下のクマ。
肌は青白くて、まるで光を吸い込んでしまったかのように、沈んでいた。
あの太陽みたいだった澄晴が、こんなにもやつれて、弱々しく立っているなんて。
「……皆、朝から連絡してくれてたのに、ごめんな」
そう言う声さえも、どこかかすれていた。
恭弥がすぐに手を伸ばし、支えようとしたその時だった。
「触らないで!」
澄晴が叫んだ。
一瞬、空気が凍りつく。
「……今、風が当たるだけでも痛いから。ごめん」
恭弥は驚きながらも、小さく「そうなんだ」とだけ返した。
軽く冗談でも言えたら、きっと少しは和らいだのかもしれない。
でも、それができないほどの異常さが、今の澄晴にはあった。
「……病院行って、痛みを抑える注射してもらったから、今はマシだけど……ほんと、ごめんな」
「病人が謝んなよ。匠海は何も悪くないんだから」
凌太の言葉は短くて、優しかった。
それが、逆に刺さる。
澄晴は、立っている方が楽なのか、ずっと壁に手を置いていた。
何も言えずにいる俺は、ふと手に持っていたケーキの箱の存在を思い出す。
「……これ、チョコケーキ買ってきたから。調子良くなったら、食べてよ」
そう言って、無理にでも明るく微笑んでみた。
澄晴は少しだけ目を見開いて、それから小さく微笑んだ。
「……ありがとう」
でも、その「ありがとう」は、重かった。
まるで、何かに怯えているような響きがあった。
「……冷蔵庫、借りてもいい?」
「うん」
澄晴の許可を得て、俺はそっと冷蔵庫を開ける。
その瞬間、思わず息を呑んだ。
中には、大量の水のペットボトルと、栄養ドリンクだけが整然と並べられていた。
何の彩りもない。生活の匂いもない。
生きるためだけに、そこに置かれているものばかりだった。
「……」
俺は、見なかったふりをした。何も言わずに、そっとチョコケーキを空いているスペースに入れる。
でも、ドアを閉めたとき、ほんの少し手が震えた。
今の澄晴は、触れたら消えてしまいそうなくらい、透けて見えた。
澄晴の体に、いったい何が起きているんだろう。
その答えはまだ聞けなかったけど、俺の中で、静かに何かが崩れていく音がした。




