第12話 心が求めるもの
―峰原和樹視点―
2026年7月1日
数日ぶりに澄晴の病室を訪ねた俺たちは、扉を開けた瞬間、目を疑った。
澄晴が、ベッドに腰かけてにこにこしていたのだ。まるで遠足を前にテンションが上がった子どものように、足をぶらぶらさせながらこっちを見ている。
「あ! あのときのおにいさんだ!」
そして突然、恭弥に飛びついた。
あまりに自然な仕草に、俺と凌太は一歩引いてしまったけど、恭弥はちょっと驚きつつも優しく受け止めていた。
目覚めた日は赤ちゃんみたいだったと聞いていたけど、今はもう小学生くらいの会話ができそうな感じだ。
凌太と俺を見て、澄晴は恭弥の肩から顔をひょこっとのぞかせて言った。
「ふたりもあいにきてくれたの?」
その瞳には、俺たちを知っていたころの記憶はなかった。
澄んだ目。汚れのない、まっすぐな目。俺たちのことを”知らない目”だった。
それでも俺は、にこっと笑って答えた。
「そうだよ」
凌太は照れ隠しみたいに少しツンとした態度をとってたけど、澄晴は「やったー!」と、全身で喜んでくれた。
次の瞬間、澄晴はベッドの方に戻り、その横にある机の上からノートとペンを持ってきた。
「ぼくは、たかなしすばる!みんなのなまえ、おしえて!」
「……え、文字読めんの?」
「うん! きのうおぼえた!ひらがなならよめるよ!」
もう文字を覚えていたなんて、人間は成長が早いなぁと思った。
嬉しそうに言うその姿が眩しくて、俺たちは順番にペンを取って名前を書いていった。
「みやべ きょうや」
「さの りょうた」
「みねはら かずき」
澄晴はそれを見て、声に出して呼んでくれた。
「ありがと! きょうや、りょうた、かずき!」
久々に名前を呼ばれたのに、どこか初対面のような距離感があった。
嬉しい反面、本当に全部忘れてしまったんだなと実感した。
2026年7月7日
また1週間後、病室を訪ねた。
澄晴は、さらに成長していた。話し方も落ち着いていて、受け答えもちゃんとしている。どこか大人びたような雰囲気すら漂っていた。
「来てくれてありがとう」
その言葉に、俺は思わず驚いて言った。
「なんか、急に大人になったね」
澄晴は肩をすくめて、少し得意げに言った。
「まあ、人って成長しかしないから」
それを聞いて、凌太が眉をひそめる。
「うわ、その言い方いらつくわぁ」
まるで昔みたいな空気が戻ってきた。
でも、澄晴は思いのほか、シンプルにしょんぼりしてしまった。
「あ、凌ちゃんが澄晴の悪口言ったー」
「ひどーい」
それに合わせて、澄晴がくすっと笑った。
「お前今、笑ったな?」
「わー凌ちゃんこわーい」
「こわーい」
「おいおい! 澄晴からの印象悪くなるだろうが!」
澄晴はお腹を抱えて笑っていた。
楽しそうに。心から、嬉しそうに。
それは、俺たちがいちばん見たい笑顔だった。
こんなふうにまた笑ってくれるなんて、本当はどこかでもう二度と見られないと思っていた。だから、それ以上に嬉しいことなんてない。
2026年7月25日
澄晴はものすごい速さで成長していて、改めて人間ってすごいんだなと感じる。
まだ目覚めて1ヶ月しか経っていないのに、ひらがな・カタカナ・漢字・ローマ字を習得し、敬語も使えるようになった。身の回りの物の名前もスラスラ言えるし、簡単な計算もできる。
最近は歌にハマっているようで、英語が出てくるたびに「これはなんて読むの?どういう意味?」と英語が得意な恭弥に聞いていた。
こうやって見ていると楽しそうに見えるが、本人は戸惑っている部分もあるはずだ。
何も分からない世界で、いきなり大人になっていて、知らない人が自分のことを”澄晴”と呼ぶ。
こんなの、怖いに決まっている。
そんな思考にふけっていると、澄晴の口から突然予想外の名前が出てきた。
「ねえ、”タカナシコウヘイさん”って知ってる?」
タカナシコウヘイ、それは澄晴のお父さんの名前だ。
その名が出てきた途端、3人は同時に固まってしまった。だって、”絶対に会わせないで”と言われている人の名前だから。
何も答えられずにいると、凌太が言った。
「……知ってるけど、その人がどうしたの?」
澄晴は手に持っていたスマートフォンを見ながら険しい顔をした。
「これ……あの、銀行?……ここに毎月5万円入金されるんだ。タカナシコウヘイさんから」
「毎月5万円って、すげえな」
「うん。それでね」
スマートフォンを膝の上に乗せてから3人の目を見て、澄晴は言った。
「もしかして、タカナシコウヘイさんって____俺の家族?」
苗字が同じで毎月お金を送ってくる人なんて、同姓の親しい人か家族しかありえない。こう考えるのは当然だ。
だが、誰も何も答えられなかった。
もし会いたいと言われたら、俺たちはどう返せばいいのか分からないから。
そんな俺たちの考えを見透かしたかのように、澄晴は口を開いた。
「ああ、困らせてごめん。会いたいってわけじゃないんだ。ただ、確認したくて。俺には家族がいるのかどうか」
そして、続けてこう言った。
「俺に会いに来てくれるのは、凌太と恭弥と和樹だけだから、もしかしたら家族には捨てられちゃったのかなって思ってた。……でも、ずっとお金を送ってくれるってことは、今でも俺を大切に思ってくれてる。そう考えてみてもいいのかなって」
澄晴は目を潤ませながら、必死に俺たちに伝えてくれた。
「……小鳥遊浩平さん、澄晴のお父さんだよ。とっても、優しい人。だから、そう考えていいと思う」
考える間もなく、俺はそんなことを言っていた。
「そっか……教えてくれてありがとう」
澄晴は、泣きながら笑って、そう返した。




