第9話 この世界が終わるまで
―小鳥遊澄晴視点―
2026年6月13日
大学も辞めて、ベッドの上で過ごす毎日。
やっぱり、両親は来ない。
俺の病気を恐れ、未来に絶望したから。
この病気が分かったのは、乳児検診の時だった。
生まれて間もない俺に、”20年周期型人生リセット症候群”という現実味のない病気があることを知った時、両親はきっとこう思っただろう。
まるで、何度も”死ね”と言ってるみたいじゃないか。
五感が消えること、つまり、ひとりで生きられなくなるということ。
記憶が消えること、つまり、これまでに形成された人格を消すこと。
命をかけて産んだ子にこんな残酷なことを言われて、苦しくないわけがない。それくらい、ふたりは優しい人たちだから。
俺は物心ついた時には言われていた。
「高校を卒業したら大人だから、もうここには帰ってこないでね」
そう言ったのがこの病気のせいだったって気がついたのは、つい最近だ。両親は俺のこんな姿を見たくなかったから、追い出したのだと。
俺がふたりの立場だとしても、同じように考えると思う。だって、介護が必要な上に、大切な人に忘れられてしまうのだ。跡形無く。そんな悲しいこと、他にない。
だから、俺もふたりに会いたくない。
こんな状況だけど、3人は毎日のように会いに来てくれる。
俺はただ寝てるだけ。
でも、彼らの声がするだけで、安心する。
「凌ちゃん昨日バイト嫌がってたんだよね。澄晴と会う時間が減っちゃうよ……って」
「おま、それは言うなって言っただろ!」
「またまた〜ほんとは言ってほしかったくせに〜」
「ああ、うるせぇ……おい、澄晴も何か言えよ!」
「凌太は寂しがり屋さんだもんなぁ」
「は?違うし!」
何も見えない。
何も触れられない。
何も匂わない。
何も味がしない。
でも、音だけが、俺のすべてだった。
誰がどこで笑ったのか。
誰が今、何を考えてるか。
そんなことまで聞こえてきそうなくらい、耳だけが異様に冴えていた。
でも、それももうすぐ終わる。そう思うと、眠るのが怖かった。
目を閉じて、朝を迎えて、何も聞こえなかったらどうしようって。
耳元に少しでも音がすると、「まだ大丈夫だ」って思える。
音が、今を生きている証だった。
「小鳥遊さん、目閉じますね」
夜の静かな部屋に、男性看護師の落ち着いた低い声が、今日も耳に届いた。
「ありがとうございます……あの」
「はい。どうしましたか?」
「明日って……14日ですよね」
「そうですよ」
「……1つ、お願いがあるんですけど」
俺は、1人ではできないことを看護師さんに頼んでから眠りについた。
2026年6月14日
衣擦れの音。
カートの車輪が床を転がる音。
誰かが微かに咳払いする音。
心拍計のリズム、看護師さんの呼吸。
誰かの心音。
今日はいつも以上に耳が冴えている。その音の全てで、朝が来たんだなって分かった。
「小鳥遊さん、おはようございます!」
「おはようございます」
声がかすれていたけど、ちゃんと返せた。
「じゃあ、着替えましょうか。体、起こしますね」
看護師さんに支えてもらって、去年3人からもらったTシャツを着せてもらった。
一番大事にしてた服。
今日が、着るタイミングだと思った。
そう、今日は___。
看護師さんが病室を出て行った直後、遠くの方から、聞きなれた3人の声が聞こえてきた。
歩く足音、笑い声、少し息を切らしたような声。何も見えなくても分かる。あの3人が今日も来てくれた。
病室の前で、誰かがノックした。
「どうぞ!」
ドアが開く音。ドアノブの微かなきしみ。足音がこちらに向かってくる。そして、
「これ誕生日にあげたやつじゃん!」
和樹の元気な声。
「やっぱ似合うな」
恭弥の穏やかな声。
「それ着てるのあんまり見たことなかったから捨てたのかと思った」
凌太のちょっと拗ねたような声。今日は素直に言ってくれる日のようだ。
俺は、病室で出せる最大の声で返した。
「捨てるわけないでしょ? ただ、汚したくないなって思って、なかなか着れなかったの!」
すると、凌太が笑いながら返す。
「じゃ、今日は汚したい気分なんだ」
「違う違う! そういうことじゃないから!」
みんな、笑った。
……いつもの、あの空気だった。
くだらない小競り合い。
心の中では、出会ったばかりの頃みたいに笑い合っている4人のシルエットが見えた。
本当にしょうもないけど、俺にとって、大切な時間。大事な思い出。
今朝、担当医には「おそらく、20歳になった”瞬間”に聴覚もなくなるでしょう」と言われた。
こうして、“終わりの日”が始まった。
神様、あと少し、少しでいいから、俺に時間をください。
この尊い世界の音を体中に響かせたいから。




