4・任務と箱と~商店街のお茶、超越のお茶
夏の暑さを乗り越えて、なんとか4つめのエピソードです。
どの話も基本的には一話完結なので、適当にピックアップして読んで楽しんで頂ければ幸いです。
相変わらず、自分だけ楽しめればいい、のスタンスですが、読んだ方が楽しんで頂ければ、とても嬉しい……
※(改)とある場合のほとんどは、誤字脱字、読み難さ部分の修正です。内容に影響のある変更が行われた場合は、ここに加えて、活動記録などでも報告します。投稿後、一週間ほどは、誤字脱字、読みやすさ等の修正が多く発生しますが、内容の変更はほぼありませんので、ご安心下さい。
今のコウガには、成さねばならぬ事があった。
それは、万難を排して成就させねばならぬ主からの下命。
宿願にも似たそれは、今のコウガにとって、最も重要な義務であった。
首から下げられた、大ぶりのエコバッグ。小さなベルトで、体の前に抱えるように、たすき掛けに着けられた、財布の入ったポーチ。
そして手には、ぶっきーより渡された、手書きのメモ…
コウガは、このメモを手渡された時の事を思い返す。
「ええ?、お母さん、帰るの遅れちゃうんだ。なんで!?」
さくらは驚いて、机の上の古いスマホに聞き返す。
充電スタンドに立てかけられたスマホの画面には、母親の顔も写っている。
パート先らしく、少し殺風景な廊下の端、窓の近くにいるようだ。
『そうなのよ、次のシフトに遅れてくる人が出て…お子さんが風邪引いちゃったとかで…それでお母さん、もうちょっと残らないとダメで…でね、さくら、買い物行っておいてくれる?、メモとお財布は、いつものところに置いてあるから。』
さくらは驚いて、スマホの中の母親に答える。
「ええー!?、でも私も学校に忘れ物しちゃって、取りに行かないとマズいの!、お買い物、遅れちゃうけど、いい?」
『うーん、いいけど、それだとお夕飯、遅くなっちゃうよ?』
「うえー」
画面の中の母親と二人、下を向いて、どうしようか考えていたさくらだったが、ふと気がついたようにコウガの方を向く。
「そうだ!、コーちゃん、お買い物頼める?、私、学校で忘れ物取って、すぐ、コーちゃんの所に行くから!」
「我が…買い物に?」
「コーちゃん、時々買い物の荷物持ってくれるでしょ?、今日は買ってくるもの多くないし、それくらいで済むと思う。私も忘れ物取ったら、すぐに行くから!」
「主命とあらば」
さくらは苦笑いを浮かべる。
「そんな大したもんじゃないよー。大丈夫だって。」
『コーちゃんに、お願いするの?、大丈夫?』
スマホの画面に、母親の心配そうな顔が見える
「私も忘れ物取ったら、すぐにコーちゃん追いかけるから」
『そう…そろそろ時間だから切るけど、とにかく買い物お願いね!』
母親の顔が画面から消え、通話終了の文字と、通話時間が表示される。
さくらは「ぷぅ」と息をついて、続ける。
「さぁ!、急ごっか!」
そう言いながら、小走りに部屋を出て、階段を降りる。学校に忘れ物を取りに行くだけだから、カバンも降ろして身一つだけだ。
コウガもさくらの後から着いていく。
台所でエコバックと財布、メモを取ると、それを読む。
コウガだけで運ぶのは…無理ではないだろう、が、ギリギリのところ。
とにかく、できるだけ急いでコウガと合流して、買い物するか運ぶかして、手伝わなければならないのは、間違いない。
ふと、何かに気がついたさくらは、そのメモに幾つか書き加えた。
苦笑するような笑顔を浮かべ、振り返って、コウガの首にエコバッグを掛けると、メモを渡した。
「カレールーは、今日使うわけじゃないけど、今日は特売で安いから買っておいた方が、良いよね。
あと、玉ねぎとか重いから、最後に買う方が良いよ!、私もコーちゃんと合流できるから、運ぶの手伝えるし!」
冷蔵庫の脇のフックから、小さな青いポーチを手に取る。
コウガと買い物に行くときの小物入れだ。
さくらは、そのポーチに、財布と、コウガ用の小さな折りたたみの携帯電話を入れ、いつものように、コウガの肩から、ポーチを掛ける。
「大丈夫かな?」
コウガは首にかけられたエコバッグと、肩のポーチの位置を調整する。
「万全だ。」
コウガに忘れ物が無い事を確認したさくらは、「さぁ!」と掛け声を出すと、今度は玄関に向かう。
「それじゃ、コーちゃん…お願いね。重かったら無理しないで、そこで待ってて!、できるだけ早く行くから!」
「心得た」
玄関のフックに掛かっている、通風孔の多い自転車用のヘルメットを手に取ると、コウガとともに外に出る。
さくらは、ふと、コウガが鍵を持っていないことに気がつく。
「そっかー、コーちゃんカギ無いもんね…でも、あとで合流するから大丈夫だよね?」
コウガが頷く。もっとも、コウガは、鍵が無くとも呪を使って、自由に家の中に出入りすることが、できるのだが。
さくらは玄関の鍵を掛け、玄関の脇…門扉と塀の間に置いてある自転車を引き出す。
ヘルメットを被って、改めてコウガに声をかける。
「じゃ…ごめんね!、コーちゃん…お願いね!!」
さくらは自転車にまたがり、立ちこぎで学校に向かっていった。
コウガはぶっきーの姿を見届けると、自分は振り返って、駅の方へと向かう。
子供の小走り程度の速さで飛び進みつつ、ぶっきーから手渡された買い物メモを見た。
ぶっきーの母上の文字で書かれたメモ
・カレールー(いつもの、週末!)
・玉ねぎ…1パック
・キャベツ…1玉
・豚肉…切り落とし400グラム
・チキンカツ4枚
その下に、ぶっきーの文字。さっき書き加えたものだろう。
・つぶアンパンかクロックムッシュ(はるもに屋!、最後!)
はるもに屋…コウガは、南口商店街の中程にある、店を思い出した。
ぶっきーと共に買い物に行ったときに、何度か立ち寄ったことがある。甘い匂いや、チーズ、ベーコン、それに小麦が焼ける匂いが漂ってくるところだ。
お小遣いの日の当日や翌日も、ここに寄って、一つ二つのパンを買うことが多い。
確かに、ここの焼きたてのパンは、美味だ。
メモにわざわざ「最後!」と但し書きされているところを見ると、ぶっきーは、自分と合流した後に、最後に、はるもに屋に寄るつもりなのだろう。
コウガは買い物のルートを検討する。
まずカレールーだ。これは、今回の買い物の中で一番軽い。それにカレールーはぶっきーが、今日、安売りしている事に言及していた。
これはつまり、駅前の南口商店街の、駅前側にあるスーパーで買う事を、指定されているに等しい。
特売品であるカレールーが売り切れている可能性を低くするためには、最初に行くべきは、ここだろう。
次は玉ねぎとキャベツ…これは大物だ。それに、野菜や果物が置いてある店…青果店は商店街の手前側…駅から遠い所にある。
スーパーで買う事も考えたが、青果店で買ったほうが大ぶりだったり、安く買える機会が多い。
それに、重い荷物となる事を考慮すると、ぶっきーの協力を得て運んだほうが得策だ。後回しにしてよい。
残りは、肉と惣菜…これもスーパーで扱いはしているが、ぶっきーも母上も、スーパーよりも商店街の中の店で買うことが多い。
とすれば、それに習うべきだろう……
ルートは決まった。
まず駅前のスーパーに向かいカレールーを確保する。その後、南口商店街を戻りながら、それぞれの店に寄って、指示されたものを買い揃えていく。最後に、青果店でキャベツと玉ねぎを買う…その頃には、ぶっきーと合流も出来ていよう。
コウガは南口商店街に続くペドデッキの傾斜路を登る。
南口商店街は、文字通り駅の南口にあるペデストリアンデッキにそのまま繋がる、屋根…アーケードのある商店街だ。
どの店も、道路の上、歩く人間と自転車のみが通れる通路…ベドデッキに面している。
一階部分は、倉庫や通用門だ。
ぶっきーの言うには、こうした『二階にある商店街』は珍しいらしい。
その商店街の、一番駅側にあるのがスーパーマーケットだ。
幾何学的なデザインのマークが付いた店で、正式な名前もあるが、ぶっきーも母上も、もっぱら『駅前スーパー』や『南口のスーパー』と呼んでいる。
この街はそこそこ大きい。そのおかげで、商店街と、スーパーの両方があるが、更に人の居ない街になると、何かを買うにもスーパーか、コンビニエンスストアしか無くなるという。
様々な買い物をするのにも、一箇所で済むのは、便利かもしれないが、選択肢がないのは、面白みがないに違いない。
コウガは、そう思いつつ、スーパーの商店街側の入口から店内に入った。
細長い棚が並び、周囲には商品を冷やすための箱などが連なっている。
その細長い棚の中から、カレールーや袋に入った、温めるだけで食べられる…レトルトカレーの並んだ棚に一直線に向かう。
安売りしている商品は売り切れやすい。
ぶっきーが、そうしたお目当ての商品の売り切れで、残念な思いをしているのを何度か見ている…
カレールーを見つけたコウガは、目的の特売のカレールーを、無事手にしたものの、入れるための買い物カゴを持っていないことに気が付く。カゴを取るために、再度出入り口に向かう。
冷蔵ケースなどが並んだ外周の売り場に近づくと、えも言われぬ甘美な…いつものカレーよりも、より刺激的で蠱惑的なスパイスの香りが漂ってくる。
今はカゴを手にするほうが優先すべきだが、コウガは耐えきれずに、その、匂いの強い方にフラフラと近寄っていく……
と、商品棚の端の通路に、普段見ないテーブルが置かれており、その上には、鍋や皿、炊飯器が置いてある。
そして、そのテーブルと棚の間に1人の男が居た…見覚えがある。
ぶっきーや、母上と共に買い物に来たときに、時々見かける男だ。男はコウガに気がつくなり、声をかけてきた。
「ありゃ?!、天外さんのところの!」
背は高いが、中肉中背。ヒゲを綺麗にあたった中年の男は、胸にエプロンを掛け、頭に紙製の帽子を被っている。
この店の店員が、常に被っているものだ。
こう言うときに、どうするか。
コウガは、まずぶっきーに倣って、頭を下げた。
礼節を弁えることは、ぶっきーの名誉にも関わることだ。
「いやー、今日はありがとうね!、助かったよ!…子供が急に熱出しちゃって…天外さんのお母さんが来てくれなかったら、病院連れて行くのが大変だったところだよ!」
申し訳無さそうな男の話を聞いて、コウガは改めて納得した。
なるほど、母上がパートから帰れなくなった理由は、これか。
男はコウガの後を見て、ぶっきーや母上が居ないことに気がつく。
「あれ!?、今日は一人かい…?」
コウガはうなずいた。
「うむ…今日は我一人だけだ。」
男は、ちょっと残念そうに、テーブルの上に置いてある、レトルトのパウチが入った鍋を見た。
「お母さんか、ご家族が居ないと、試食させてあげられないんだよなぁ…アレルギーとか難しいし」
少し残念そうな顔をした男は、何かに気がついたかのように、手に持った皿をテーブルの上に戻し、しゃがみ込むと、テーブルの下から、何か取り出す。
男はコウガに近寄ると顔を寄せ、少し小声で話しかける。
「今日は、すごいお世話になったし、お礼もあるし、これ持っていってよ、試供品…!」
そう言うと、コウガの方に、レトルトカレーの箱を4つほど渡そうとする。が、コウガが店内用の買い物カゴを持っていない事に気がついた。
「おっと、それじゃ持ちにくいね」
男はもう一度しゃがむと、テーブルの下から薄手のポリ袋を一枚取り出し、カレーの箱を四つ入れて、口を赤いテープで閉じるて、コウガに渡した。
「試供品だし、お買い上げテープ貼ったし、このままレジを通れるから、大丈夫だよ!、美味しいから皆で食べておくれ!…次は買ってね!」
「これは…誠に、ありがたい」
コウガの言葉を聞いて男は苦笑する。
「カタッ苦しいね!、お互い様だから、気にしないで!」
別の客が現れ、試食に興味を示す。男はその方に振り向きつつ、コウガに改めて手を振って挨拶すると、客に試食を振る舞う。
男の後ろ姿に会釈したコウガは、カゴを取るために再度出入り口に向かった。
スーパーでの目的を果たした後、コウガは今度は南口商店街へと戻る。
今回の買い物は、ここがメインだ。
商店街の屋根の下に入ると、それまでの暑いに近かった体感がスッと涼しい方に傾く。
コウガはぶっきーの言葉を思い出す。
『お母さん子供の頃は、暑い季節がずーっと続いてて大変だったんだって、信じらんないよね?』
それがどの様な暑さだったのか、コウガには想像できないが、記憶に残るほどなのだから、余程だったのだろう。
今は暑さは、まだ心地よい程度で、それがつらい季節でもない。
商店街の中を見渡す。
ぶっきーの家の前の道路と同じ程度…車という乗り物がギリギリすれ違う事ができるだろう広さの通路が、奥の方に伸びていく。
通路は明るい色の四角いタイルを中心に、褐色と白のタイルが模様を作り、ときどき置いてある青いタイルがアクセントになっている。
通路の両脇に商店が並んでいるが、多くの店が道に少しはみ出す形で、看板を出したり商品の入った台を置いているため、通路として使える広さは八割程度だ。
店内に入れない客が待つための、あるいは店の外で飲食を楽しむために、椅子やテーブルを置いてある飲食店もある。
真ん中には、基本的には何もないが、時々、街灯と長椅子があり、それに小さな花壇が置いてある。
歩くのに疲れた人や、買い物途中で話し込む人たちが、そこに座っている。
商店街の途中の何箇所かには、店ではなく両脇に伸びる通路があり、そこにはやはり長椅子や花壇、硬貨を使って買い物ができる自動販売機、下の道路に降りるための階段やスロープがある。
駅側から最も離れた行き止まりには、小さな花壇があり、その両脇からやはりスロープ。それとは別にエレベータもある。
さて…コウガは、買うべきものを頭の中で思い返し、改めて考えた。
ここ、駅側の入り口からの距離から考えれば、チキンカツを買うつもりの惣菜店が一番近いが、最初の計画通り、豚肉を買うために精肉店を目指す事にした。
商店街の中を進む。
通行人や買い物客は、コウガを見て微笑んだり、子供がコウガを見上げて喜んだりする。
コウガは、こうした視線に、自分の今の体の利点を見出していた。
まず小さくて目立たない。それに、現界は、こうした小さな体…「かわいい」と表現される存在に対する忌避感が薄い。
それ故に、周囲にコウガのぬいぐるみの体を違和感なく受け入れさせる術で使う「力」も最小限に抑えられる…のだが、ここに、一つ問題があった。
それは、ぶっきーとの契約で得られた力が、コウガの予想を遥かに越えていたのだ。
現界の者…ぶっきーとの契約が、これほどの力を齎すとは。
溢れんばかりの力ではあるが、加減が分からない。
外界獣を封じるために封呪界を展開した時は、公園か、せいぜい街の一角を封じられれば充分だったのに、街の半分を封じてしまった。
審美眼を討った時は、コウガ自身の怒りのあまり、意識しないままに咒の力が暴走しかけた。
結果、時間軸に沿って…過去にさかのぼって、彼らの存在を消し去ってしまったのだ。
今、感情に任せて力を振り回そうものなら、ぶっきーに危険が及ぶ事すらあり得る…
コウガはそれ故に、自分の力の殆どを契約体…本体に封じ、この体…縫いぐるみのような体には、ごく最低限の力だけを滴らせていた。
まるで、溢れそうなほど水を湛えたコップの縁から、一滴二滴の水を零すように。
なにか良い手を考えねばな…そう考えながら、コウガは精肉店の前にたどり着く。
精肉店は、だいたいは混んでいる。
特に混雑した時などは伸びた行列が、店外まで伸びていて、立って待つのが大変な客のために、店外には、簡素だが椅子も何脚か用意されている。
だが、今日はそうした混雑する夕方の時間帯からは、少し早めだったせいか、そうした行列はない。
それに、入り口の自動ドアが開きっぱなしになっている。
これは、コウガにはありがたかった。
今のぬいぐるみのような体で、自動ドアを開けるのは困難で、いつも苦労するのだ。
入り口のエアカーテンに押され、少し高度を落として店内に入ると、奥に、接客しやすい高さの…カウンターのような、肉や惣菜の入った冷蔵ケース。その上には計量器とホットケースが乗っている。
店内の脇には別に冷凍と冷蔵の背の高い商品ケースがあり、ここには真空パックされた肉やソーセージ、焼肉用のソースやタレなどが入っている。
冷蔵ケース越しにお客さんと話していた店員が、こちらに声をかけてきた
「あら?、コーちゃんじゃない!、今日はどうしたん?」
長い髪をまとめて衛生帽を被った店員…ときどき、こうして店の手伝いをしている、店主の娘だという。
ぶっきーより何歳か年上という話で、背も高く年相応の落ち着きがある。
「豚の切り落としを、400グラム欲しいのだが…」
コウガが答えると、その娘は、微笑んで軽く手を叩いた。
「そっか、おつかいね!、ちょっと待ってて、いま計るから!」
娘は、薄手の手袋をはめると、冷蔵ケースの裏でしゃがみ込む。と、店の奥の方から声がする。店主、この娘の父親の声だ。
「おい、天外さんのところの子だろ?、あれ渡しといてくれよ!」
「ああ、あれ?!、分かった!」
娘は、ケースの裏から肉をとって、計量器で計りながら答える。
だいたい400グラム…少しおまけをしてくれた…になったところで、娘は、豚肉とは別に、冷蔵ケースの端の方に置いてある、ポリ袋を取り出す。
「はい、豚の切り落とし、400グラム。それでね、こっちがオマケのお肉。天外さん、よく来てくれるから、そのお礼」
「それは…」
「冷凍庫の奥にあった端肉だから、あんまり期待しないでね!、部位も適当だし。でも牛肉だよ!」
そこでさっきまで娘と話していた別の客…年重の女性が声をかけてきた。
「貰っちゃいなよ!、私も今、頂いちゃったところだよ!」
そう言って、買い物カゴから、コウガの貰ったものと同じポリ袋を持ち上げてみせた。
肉の代金を支払うと、多少苦労しながらポーチに財布を戻す。
「…かたじけない。ありがとう。」
コウガは頭を下げ、エコバッグに肉を入れた。
「じゃあ、また来てね!、お母さんにもよろしくね!」
精肉店から出ると、コウガは商店街の駅側を見る。
先程スーパーに行くとき、商店街の中を通ったときより、少し人が増え、賑やかさが増している。
「次は…」
肉を買うのを優先したが、次に買うべきチキンカツは、精肉店よりも駅側にある惣菜店で買うつもりだった。
もちろん、いま出てきた精肉店やスーパーにもチキンカツはあったが、その惣菜店のチキンカツは、スーパーのそれに比べると、少し大ぶりで厚い、ぶっきーの大のお気に入りだ。
店の前にたどり着くと、入口から、揚げ物の美味しそうな匂いが漂ってくる。
中には客は居なかったが、夕方のかきいれ時に備えて、店の奥では忙しく揚げ物を作っている。
店の作りは、肉屋に似ていて、店外には客用の椅子、店の奥にカウンターのような商品ケースがある。
店内の脇にはやはり冷凍ケース。自宅で揚げる客のための、まだ揚げられていない冷凍の揚げ物類などが用意されている。
「お!、いらっしゃい!」
店の奥で、揚げ物を揚げている若い店員の様子を見て、渋い厳つい表情を浮かべていた高齢の男が、コウガに気がついて声をかけてくる。この店の店主だ。
「おーおー、天外さんところの、おチビちゃんかい?、今日は一人でお使いかな?」
「いかにも…チキンカツを4枚頂きたいのだが」
先程までの厳つい表情はどこに行ったのか、店の奥から出てきて、目尻を下げられるだけ下げた店主は、手につけていた薄手のポリ手袋を外すと、コウガの頭を撫でる。
「いやいや、うちにも、こんな売り子さんが居ればねぇ…」
心底嬉しそうな店主は、コウガをかなり念入りに撫でた後、名残惜しそうに店の奥に戻ると、手を洗って、新しいポリ手袋をつける。
それから、商品ケースから、チキンカツを4枚取り出し、店の奥に行って、フライヤーの奥の揚げ物トレイから、さらに別に何か揚げ物を持ってきた。
「これ、チキンカツ4枚と…こっちは、若いのが揚げたトンカツ。」
4枚のチキンカツの横に置かれているのは、形が崩れて、少しばかり焦げたような、色の濃いトンカツが…4枚。
合計8枚。ボリュームたっぷりの揚げ物を、手早く耐油紙で包んで、ポリ袋に収めると、レジの横に置く。
「店主よ、さすがにそれは……」
「若いのが、ちょっと失敗しちゃってな。
揚げたは良いけど、揚げすぎの上に、形が崩れて商品にならない奴だよ。おまけおまけ。」
見ると店の奥で若い店員が、コウガの方を見て、恥ずかしさを隠すような苦笑いしながら、何度も頭を下げている。
「気にすんない。
このまま店にも置けないで、自分で持って帰って寂しく食うより、お客さんに美味しく食べてもらったほうが、よっぽど良いんだから。」
店主は、そう言って笑う。
コウガは、会計を済ませると、改めて礼を言って、店を後にした。
さて次は…一番の大物、キャベツと玉ねぎだ。コウガは商店街の出口…駅から遠い方を見る。
キャベツも玉ねぎも、やはりスーパーに置いてあるが、特売日は別にして、ぶっきーも母上も、普段は青果店で買っている。
青果店は、店先の通路に少しはみ出るくらいに棚を伸ばし、野菜を並べている。
奥には冷蔵ケースがあり、色とりどりの果物や、もやしなどの冷蔵の必要な野菜が並べられ、漬物も置いてある。
いつも威勢の良い店主が、コウガに声をかけてきた。
「オゥ!、天外さんところの!」
コウガは、店先に並べられたキャベツを見る。大ぶりでしっかりしていそうだ。
ぶっきーや母上のように手にとって、重さを確かめられれば良いのだが、今のコウガの体では、それは少し無理な話だ。
「キャベツを一玉と、玉ねぎが一袋欲しいのだが…」
若いはずだが、勢いと言葉遣いのせいで、古き良き時代を感じさせる店主は、威勢よく手を叩きながら答えた。
「オゥ!、キャベツと玉ねぎかい?、一人でお使いたぁ、殊勝だねえ…」
コウガに劣らぬ古臭い言葉を使いだ。
それから、口は止まることなく、並べられた野菜の素晴らしさを語りながら、振り向いてキャベツを幾つか手に取り、コウガから見ても一番大きな物を選ぶと、底の切り口を確かめ、コウガの方に見せた。
「ホレ、重さもバッチリ、切り口も綺麗だろ?、いいキャベツってのは、ここ!、根の切り口を見ると分かるんだよ!」
それから、玉ねぎも、長い口上とともに、しっかりと締まった、重そうなものを選んでくれた。
土は付いているが、収穫して間もない、新鮮なのものだからだ、と分かる。
そして店の奥の店にある小さなバスケットから、赤くて小さい何かをポリ袋に入れて持ってくる。
「さぁ、こいつァ、オマケだ。ハバネロ。すっごい辛いよ!!
天外さんのお母さんは、何回か買ってるから、言えば分かるから。こいつは、カレーにぴったりだよ!!」
コウガが、断ろうにも店主の勢いに圧されて、何も言えないまま、会計を済ませる。
店主がエコバッグに手早くキャベツと玉ねぎ、それにハバネロを入れてくれた。
エコバッグを首にかけたコウガは、店主にお礼を言おうとしたが、店主はすでに次の客に、仕入れた長ネギの頼もしさを説明しているところだった。
コウガは店主の後ろ姿に会釈すると、店を辞する…が、コウガはここで気がついた、いや、先に気がつくべきだったのだ。
重い…予想よりも遥かに…
エコバッグの重さで、思ったように高く飛べない。大人の腰辺りの高さをフラフラする。
縫いぐるみのようなこの体ではなく、封印体…本体になれば、苦にもならないが、買い物程度でそれは、無駄がすぎるし、そのために使うのは役不足。公園の砂場で砂山を作るのに、超新星爆発を起こすようなものだ。
しかし、この体にとっては、どうしようもないくらい荷物が重い。
思い返せば、本来の買い物に加えて、カレーが4箱、牛肉がポリ袋一つ分、トンカツが4枚、ハバネロが増えている。
そのうえキャベツも玉ねぎも、コウガが感心するくらい大ぶりのものだ。
首に食い込むエコバッグ。
そう言えば、ぶっきーとも、まだ合流できていない。時間を考えると、そろそろ到着してもいい頃だが。
コウガは家に先に帰ることも考えたが、その前にまず一休みすることにした。
商店街を少し戻れば、ベンチがある。
そこで一息ついて、ぶっきーと、どう合流すべきか、考えることにしよう。
フラフラと商店街の中を飛び進むコウガ。スーパーに行くために通り過ぎたときよりも、だいぶ人が増え、賑わいが増している。
そのおかげで、荷物を人にぶつけないように注意しなければならず、エコバッグの重さも相まって、ヘトヘトになって長椅子にたどり着いた。
あのまま家への帰路についたら、途中の横断歩道を、青信号の間に渡りきる事ができなかったかも知れない。
何とかベンチに座る。一息つくと、目の前がちょうど「はるもに屋」である事に気がついた。
これならぶっきーと合流するのにも便利だ…はるもに屋は、コウガ一人では買い物ができない店の一つだ。
店の入口の重い扉を開けるのも大変だが、さらにこの縫いぐるみのような体では、パン屋のトングとトレイを持てないのだ。
と、その「はるもに屋」から、一人の女性店員…いや、店長が首を出し、そしてコウガの方に歩いてきた。
「天外さんところのコーちゃん?、だよね?、だよね?」
急に声をかけられて、コウガも少し驚いた。
「いかにも」
店長、ぶっきーの母上と比べると多少年下に見えるその女性は、胸の前で両手を合わせて、周囲を不安げに見回して言う。
「ねぇ、コーちゃん…ちょっとお願いがあるんだけど、いい?」
急に「お願い」と言われて、さらに驚くコウガ。
「如何な?、お願いと?」
「5分でいいから、うちのお店でお茶していかない?5分でいいから!」
うちの店で、休んで欲しい、とはどういう事か?、それにコウガには、買い物のためのお金はあっても、自分で飲み物を買うためのお金は持っていない。
「いや、我には持ち合わせが……」
店員は胸の前で合わせた手を振って、コウガに頭を下げる。
「お金なんかいいから!、お茶も、パンも出すから!、大丈夫!!、お願いします!!」
理由は分からないが。コウガには彼女に悪意がない事は、すぐに分かった。
それに、お金は要らない言われ、拝まれまでしたコウガは、さすがに断ることも出来ない。
そしてぶっきーと合流するまで、ベンチで待つよりはマシだろう。
「ならば、お言葉に甘えさせて頂こう…」
「わ!、わ!、ありがと!、ありがと!、これ荷物ね!、私持っていくから!!、大丈夫!!」
店長はコウガのエコバッグを手にして「重?!」と、漏らしつつ、コウガの背中を押すようにして、店内に招いた。
店内は広く、明るい雰囲気だが、今はまだ客の姿はない。美味しそうなパンの匂いが漂い、買い物はともかく重い荷物を運んできた、コウガの食欲を刺激した。
「みんなー!、コーちゃん来てくれたよ!」
店主は店に入るなり、店員たちにコウガのことを大声で伝えると、店の奥から店員たちが出てきて、歓喜の声で迎えた。
「え!?、ホント?、ほんとだ!」
「うっわー、嬉しい!」
「かわいー!!」
店員が集まって、コウガを囲む。
製パン担当らしき店員は、マスクも手袋も外せないようで、コウガを見るだけだが、接客担当らしき店員の中には、手袋を外して、撫でるものも居た。
「じゃあ、コーちゃん、コーちゃん!、ここで、ここで!」
店長は、窓際の見晴らしの良い席を、コウガに勧める。その席の椅子の上に、エコバッグを置いてくれた。
コウガが、その席につく、というかテーブルの上に座る。椅子に座ってしまうと、もうテーブルが頭か目の高さになってしまうためだ。
もちろん、赤ちゃん用の補助椅子、という手もあったが、さすがにそれは、コウガも使うのに躊躇する。
「コーちゃん、カフェオレで良かったよね?、今、パンも持ってくるね!」
店長は、もうコウガを下にも置かぬ扱いだ。
なぜ、ここまで饗されるのであろう?
コウガは、店長の行動に疑念を持ったが、今は尋ねても仕方のないことだろう。それに本当に知りたいのなら、少し「覗けば」いいだけだ。
少なくとも今のコウガには、店長に微塵の悪意もない事が感じられる。それで十分だ。それどころか、本当に「喜び」や「感謝」といった感情が渦巻いている…不可思議極まりない。
そして店長が、直々にカフェオレの入った小さめのカップと、小さく切り分けられたパン…アンパンを持ってきてくれた。
「じゃ!、ゆっくりね!、ごゆっくり!!」
カップと皿をテーブルの上においた、店長は、まるで念を押す様に言って、店の奥に戻っていった。
コウガは、細かいことは後で考えることにした。
ぶっきーと合流できるまで、この店で待つと決める。
まずは、カフェオレの香りと味を楽しむ。
ぶっきーは、コーヒーやカフェオレに、スプーン何杯かの砂糖を入れて楽しむこともあったが、コウガは砂糖を入れるのは、あまり好きではない。
それに…コウガは、切り分けられたアンパンを一切れ、手にして口に運ぶ。
甘さは控え目だが、小豆と甘みのバランス。生地は薄めだが、しっかり美味しい。ここ「はるもに屋」のアンパンは、ぶっきーはもちろん、コウガも大好きなパンの一つだ。
一息ついて、窓から外を見ると、学校帰りの学生や、買い物客が行き交い、通路の向こう側の店頭が見えなくなる時がある程に、人が増えている。
こうした、行き交う人達を見るのは、コウガの好きなことの一つだ。
色とりどりの服、それぞれの歩調、それぞれの目的、それぞれの方法、そうしたバラバラの流れが、この街路の中で一つになり、人の営みを形作っていく。
現界の面白さだ。
ふと、二人の女性…ぶっきーより年上だが、学校帰りの学生のようだ…が、コウガを見て足を止める。
それから何か二人で話すと、店の中に入ってきた。
店内では、コウガの方をチラチラと見ながら、店内に並べられたパンを選び、そして買っていった。
そうしている間に、別の客が店に来た。
今度は店内でパンを選び、会計を済ませると、コウガの座っているテーブルの近くの席に陣取り、注文したコーヒーを啜りながら、パンを口にする。
窓の外で子供が手を振っている。それに気がついて振り返ったコウガを見て、指を指し、手を引いている母親に何かを訴える。
母親は、子供に微笑んで返すとそのまま、店内に入ってきた。
子供が相変わらずコウガの方を見て手を振り、母親はトングとトレイを持って、店内のパンを選び始める…
気がつけば、店内には多くの客がパンを求め、イートインの席は満席に近くなっていた。
店内の客をすり抜けるようにして、店員が売り場にパンを補充する。
店の奥では、新しく焼けたパンを取り出すためにオーブンが開き、そこから焼けた小麦や、惣菜パンの香りが漂ってくる。
楽しげなざわめきが店内に満ちた頃、ポーチに入った携帯が着信を知らせる曲を奏で始めた。
コウガはハッと気がついた。
携帯だ。最初に渡されていたのだから、ぶっきーと連絡を取るのに、これを使えばよかったのだ。
普段、呪に頼り切っている分、コウガは呪が使えない時の対処や、こうした携帯などの、人間の道具を使うことや、それを思いつくのが苦手だった。
ポーチから、携帯を取るのに少し手間取ったが、応答した携帯からぶっきーの声が聞こえてきた。
よほど急いだのだろう、息が切れている。
『いま、商店街に付いたところ、コーちゃん、今どこ?』
「ぶっきーよ、今、我は、はるもに屋に居る。」
『はるもに屋?、前のベンチかな?』
商店街の中を歩きながら通話しているようで、携帯からは、ぶっきーの声と合わせて、呼吸の音と、商店街の中のざわめきが聞こえてくる。
「否、店の中の…イートインの席だ」
『え!?、どうしたの?!、コーちゃん、お金持ってたの?』
「店の人に招かれた故……。委細は、着いたときに話そう。」
『そだね!、じゃあ、すぐ着くから、待ってて!!』
通話を切って、ほどなく、ぶっきーが店に着いた。
店内に入った途端、それに気がついた店主が、ぶっきーに抱きついてきた。
「うわー!、さくらちゃーん!、ありがとー!!、助かったわー!!、ホント助かったわー!!」
「え?、え!?、なんで?!、どうしたんです?!」
ぶっきーは、店主に抱きしめられ、訳も分からず混乱している。
店主は、ぶっきーの両肩を両手で持って、右に左に振り回す。
「今日はね、朝からお客さんの入りが悪くて、大丈夫かな?って心配してたのよー。
で、ダメかなーって思ってたら、目の前のベンチに、コーちゃんが来てくれたのよ!
だから、うちに来て!って入ってもらったの!
そしたらホラ!」
店主はぶっきーに店内を見せる。店内は客で一杯で、カフェテリア兼用のイートインには、もう空き席がない。
先程コウガが座っていた、店外のベンチにまで、パンを持った客が居る。
「コーちゃん効果さまさま!、ホンッとにありがと!!」
「こ、コーちゃん効果?」
ぶっきーは、困惑して聞き返す。
「あら、さくらちゃん、知らないの?、ウチの商店街には『天外さんのところの、コーちゃんが来ると、その店はお客さんが一杯来てもらえる』って話があるのよ?、験担ぎみたいだけど!」
「えええ!?」
目を丸くしたぶっきーは、コウガの方を向く。コウガは、慌てて首を振った。そんな呪を仕掛けた記憶はないし、するつもりもない。
「あの、コーヒー代…」
ぶっきーが会計しようとすると、店長は両手でそれを止めた。
「いいのよ、さくらちゃん、今日はいいの。だって、私が無理やりコーちゃんをお店に連れてきたようなもんだし、お客さんにも、一杯来て頂けたし!」
「ええ…」
少し不満…というより、不安を見せたぶっきーに、店長は自分の頬に指を当てて、言う。
「そうね、それなら…飲み物代とかは要らないから、代わりにカレーパン買っていかない?、コーちゃん、カレー大好きでしょ?!、今回の新作に大辛カレーパンがあるの!、それに大納言あんぱん!」
「カレ…!」
カレーと聞いて、コウガは思わず反応したが、なんとか耐えて口を閉じた…が、店長とぶっきーは、コウガの方を見て、吹き出した。
「大丈夫、買っていくから!」
ぶっきーは、コウガにそう言って、トレイとトングを取った。
「驚いたなぁ。商店街で、あんな話が出てるなんて……」
「はるもに屋」でアンパンとカレーパンを買い、コウガとぶっきーは、荷物を自転車に乗せて、家へと向かっていた。
コウガは前カゴに収まり、荷物は後のバケットに乗せてある。
「まったく、我の預かり知らぬところで、その様な…」
「でも、コーちゃん、本当に術とか使ってないの?」
コウガは、前カゴで身をひねってぶっきーの方を見て首を横に振る。
「それはない。我もまた、驚いたほどだ。」
「そっかー!。それなら、悪いことじゃないからいいや!」
要するに、ぶっきーは「コウガが、ズルして得するために、商店街やそこに来る人たちに、術を掛けたのではないか?」と心配していたのだ。
ただ、契約を交わしたぶっきーには、コウガの嘘偽りは、すぐ分かってしまう。だから、本気で疑っていたわけでもない。
「そうだ、コーちゃん、あとでちょと見てほしいものがあるんだ!」
「見てほしいもの?」
「うん、後で話すから!、さあ、早く帰ろ!、お腹空いてきたし!」
ぶっきーは、そう言って、早く家にたどり着くべく、立ち漕ぎを始めた。
翌日、ぶっきーの部屋には、おーちゃんも訪れ、三人で、テーブルの上に置かれた『それ』を見つめていた。
コウガが、問いかける。
「それで、おーちゃんよ、これは、どこで手に入れたものなのだ?」
「ん?、これは駅前通りの方にあるお店。
あの、昔のスピーカーとか、楽器とか一杯置いてある古道具屋さん。」
『それ』は、学校に忘れ物を取りに行ったぶっきーが、学童保育に行く途中のおーちゃんから預かったもの。古めかしい、控え目に、だが荘重に見える装飾が施された、黒い金属の箱だった。
大きさは、文庫本ほど。厚さも、厚めの文庫本程度だ。
金属の様に見える、光沢のある箱だったが、中は空っぽらしく、見た目よりだいぶ軽い。しかし、頑丈そうで、ちょっとやそっとで壊れるような気配はない。
箱の装飾の端や奥まった部分に緑青のような緑色の錆のようなものが浮いている。
「それでね、店の人も何だか良く分からないって言うし、見てて何か怪しいし、でも何も分からないの。で、何だか分からないから、文鎮扱いで、スゴい安かったから買ってきてみたの。」
コウガは、昨日の夜、この箱をぶっきーから見せられ、すぐさま現界の物ではない事を見て取った。
しかし、それは気配というものを感じさせない、現界の物ではない、というだけの『ただの物』…外界物だった。
大した危険もない、という事で、ぶっきーに頼み、おーちゃんを呼んで、三人で確かめよう、という事になったのだ。
「これって、結局、ただの箱なの?」
ぶっきーの問いかけに、コウガは頷いて答えた。
「ほぼ、間違かろう。」
その答えに、おーちゃんは、さも残念そうにため息をつく。
「はぁー、なーんだ。つまんなーい」
「おーちゃんよ。そうとも限らないぞ。これは、ほぼ間違いなく『ただの箱』だ。
が、外界物である事は変わらない。現界の物ではないのだ。」
コウガは続ける
「わざわざ呼んだのは、そのためだ。」
ぶっきーが、恐るおそる、箱に顔を近づける。
「それで…コーちゃん、どうするの、これ?」
「開けてみようではないか」
ニヤリと笑うコウガ。
「中に何が収められているのか、お楽しみ、という訳だ…全くのハズレ…空であっても、後で、その話題で盛り上がることはできよう。」
「わ!、面白そう!、やってやって!」
おーちゃんは、手を叩いて喜ぶ。ぶっきーの方は、ちょっと心配そうだが。
「そこでぶっきーよ、万が一、という事もありうる。万全を期すために、全力を以って臨みたいのだ。」
ぶっきーは少し心配そうだった顔に笑みを浮かべる。
「そだねー、良いよ!、全力で!」
「畏まる!」
コウガは、元の体を喚び出すと、箱に対峙する。
「さて……」
左手を伸ばし、箱に翳すと、神妙な面持ちで凝視する。
「…お…これは…」
おーちゃんの方を向く。
「おーちゃんよ、これは予想以上…想像以上の大物かも知れぬぞ?」
「え!?、なにそれ、どうしたの!?」
驚くおーちゃん。
コウガは続ける。
「全力を以て臨んだのは正解だったようだ。この箱に掛けられた封印は、恐ろしく強固だ…我を縛り付けていた封印を越えるやも知れぬ。」
「えええ!?」
「そんなに!?」
驚く二人。
コウガは引続き箱を調べる…手に強く呪を込めて、ゆっくりと探る。左手だけでなく右手も翳す。
封印を崩さぬように…中に何かが『在る』なら、それを刺激しないように……
箱の中に、何かが『在る』。コウガは、それを感じとった。
「ふむ……」
翳した手を放し、コウガは二人に向かって言った。
「箱の中に誰かが『在る』…それは間違いない。だが、それは外に全く興味を持っていない…外に出ようとしていない。」
「誰か居るの!?」
「えー!?、大丈夫なの?」
コウガは2人に答えた。
「間違いなく、この箱の中には、誰かが『在る』。何者かは分からぬ。ただ、外に全く興味を持っていない以上、こちらに害をなすとも思いにくいが…保証はできぬ」
おーちゃんの方に向き直って続ける。
「おーちゃんよ、この箱をそのままにするか、さらに中を調べるか。選んで欲しい。ただ、我が危険であると判断すれば、すぐに止める。」
その問いかけにビックリしたおーちゃんだったが、ものの数秒も考えたのか、何も考えず、ただ反射的でそう言ったのか分からないが「調べて!」と景気良く答えた。
「コーちゃんが居るなら、絶対大丈夫だもん!」
コウガは苦笑し、今度はぶっきーの方を向く。
「さて、ぶっきーよ、このまま続けてよいか?、おーちゃんの答えはともかく、これはぶっきーの判断が優先する…」
ぶっきーは、座ったまま、起き上がりこぼしの様に、床に俯いたり、天井を見上げたりを繰り返して、しばらくして答えた。
「よし!、やってみよ!」
コウガは畏まった様に会釈すると、二人に言う。
「では、二人共、腕を挙げてくれぬか?」
二人は顔を見合わせて、右手を挙げた。おそらく教室で見せる挙手よりも控え目に。
「あげるの?」
「これでいいの?」
コウガは、指先に強い呪を込め、二人の腕に向かって薙ぐ様に振る。
二人の右腕…手首の少し下に、青緑に輝くリボンが幾重にも巻き付き、そして見えなくなった。
「わ、なにこれ!?なにこれ!?」
おーちゃんの問いかけに答える。
「どう説明すれば良いのか…如何なる場所、如何なる危機に於いても、二人を守り、安全な場所に導く強力な呪だ…
緊急脱出装置、と呼べば、近しいか?。」
「この箱、そんな危ないものなの?!」
ぶっきーが驚いて言う。
「そうではないが、万が一という事は何にでもありうる。さて。」
コウガは部屋の床に片膝をつくと、左の拳を軽くフローリングの床に当てる。
ぶっきーの部屋全体が、封呪界となり、視界が青白く染まる。
元の色で残っているのは、コウガとぶっきー、おーちゃんと、例の謎めいた箱だけ。
「さて、いよいよだ!、我が背後に!」
ぶっきーとおーちゃんがコウガの後に付く。
コウガは指先が輝くほどに強く呪を込めて、箱に向ける。
「…ふむ…結界を崩さぬように、穴を開けることも出来るか…ならば…」
両手を伸ばし、手のひらを合わせたコウガは、両手に強く呪を込める。
その輝く両手をゆっくりと箱の方に突き出す。
見えない壁に刺さるように、突き出した両手の指先が消えていく。
「む…!」
コウガは真剣な面持ちで、両手を返し、両腕をゆっくりと広げる。まるで扉を開くように。
その広げた両手に引き伸ばされるように、光の輪が広がる。
やがて、コウガが両腕を開ききると、そこには人の背丈ほどもある、光の輪が現れた。
その向こう側は…封呪界ではない……
「ど、どうなったの…?」
ぶっきーの問いかけに、コウガが答える。
「箱の封印を解かずに、箱の中に入れるようにした。」
中は、ほの明るい光に満ちているが、何があるのかは、ハッキリ見えない。
コウガは、振り返って二人を見る。
二人は息を呑み、胸の前で両手を組んで『箱の中』を見つめている。
そして二人とも、ゆっくりと頷く。
それを見たコウガもまた頷いた。
「では、行こう…。」
三人は『箱の中』に、足を踏み入れた。
『箱の中』に入った三人がまず驚いたのは、中の広さだった。どれくらいの広さか、ハッキリしない。地面と空のようなものが、ほの明るい光に照らされている。
「これ…箱の中なの…?、こんなに広いの…?」
ぶっきーの驚きに、コウガが答える。
「何事も、見た目通りとは限らぬ…この箱の中は、独立した一つの宇宙だ。我が、私有空間のように…その独立した宇宙の出入り口が箱と繋がっているに過ぎぬ。」
封呪界の中の、曇ったの空の下の様な、方向が分からない光。
足もとには、ぼんやりとした影が落ちている。
足もとでも空でもなく、『箱の中』の周囲、地平線の方を見回していたおーちゃんが、前の方を指差した。
「あ!、あれ!」
その先には、なにか巨大なものと、その下…そばに小さな人影のようなものが見える。
「ふむ…あれが、ここの住人のようだな…敵意…害意は感じられぬ。近づいてみるか……」
コウガは二人を改めて見る。二人は、やはり頷いて答えた。
「では」
三人は、その何者かに向かって歩きだした。
『箱の中』の巨大なものは、機械のようにも、芸術作品のようにも見えるが、埋立地に積み上がったゴミの山のようにも見える。
一体何なのか得体のしれない。
そして、そのすぐそばで、ときに動かず、ときに忙しなく動く人影のようなものがいる。
しわくちゃで黒ずみ焼けただれたようにも見える、垂れ下がった皮膚。毛がポツリポツリと生えている。顔らしきものはない。あってもシワの隙間にあるようで、見ることができない。
その人の様な、崩れた円錐形の様な何かが、右に左にズルズルと動き、何か訳のわからないの動きを続けている。
…それは、どうやらその巨大なものに手を入れているようだ…作っているか、弄っているかしている様に見える。
やがて三人が、その人影に近づくと、人影は振り向きもせずに怒鳴り散らした。
「何じゃ!!、星辰が揃うのは、まだまだ先じゃろうが!?、約束を違えたか!?」
野太い、脅すような老人の声。ゴワゴワした、しわくちゃの頭のような部分から響いていて、聞こえにくい。
それから振り向いて三人を見て…しばらく身動きしなかったが、やがて顎のような部分に、不自然にゴワゴワとした手をかけて、引っ張り上げた。
すると、しわくちゃの皮膚の塊のようなものが外れ、中から子供の顔が現れた。
10歳程度の子供の顔。黒髪で、くせっ毛、短く雑に刈られている。男の子にも女の子にも見えるが、多分、男の子だろう。
「…うむ…?、お主ら…ああ、なるほど喃」
顔は子供だが、やはり老人の声だ。だが、頭の被り物が外れたせいか、今度はよく聞こえる。
「突然現れた非礼はお詫びしたい。初めてお目にかかる…我らは、この箱に興味を持った者たちだ。
貴公が、この箱の住人か?」
コウガの謝罪に、老人声の子供は、三人を驚いたような顔で順番に見た後、大きくため息を付いた。
「まったく…約束を違えたか、予定が変わったのかと思ったわ…いきなり現れよって」
ぶっきーが申し訳無さそうに謝る。
「ご、ごめんなさい…」
「中に誰が居るのか知りたくて、入ってきたの。ごめんね!」
おーちゃんも、本当に謝っているのか怪しいが、少なくとも両手を合わせて謝る姿勢だけは見せている。
老人声の子供は、頭を振った。動きが老人のそれだが、その顔はどう見ても子供だ。
「まあよかろ。
お主らが、何者かは知らん。調べん。知ったところで、わしに意味はない。
名乗らんでも良い。儂も名乗らん、好きに呼べ。『名前が大事だ』と抜かす連中も、居るがな。」
それを聞いてぶっきーとおーちゃんが変な顔をしてコウガを見た。コウガは不満そうに鼻を鳴らす。
「分かっていたことじゃが、予定外なのは変わらん、星辰の揃うに至るまでは、二度とない来客じゃ。少しは寄ってけ。」
老人声の『少年』は、自分の指先を掴んで引っ張る。ゴワゴワした手だと思っていたものが、ズルリと抜ける。
両手に嵌っていた巨大なグローブのようなそれを無造作に投げると、それは、さっきまで無かったはずの作業台の上にばさりと乗る。
作業台の上には、得体のしれない黒い球体や、稜線が時々赤く輝く多面体、銀色の大きな奇妙な鍵。何だか良く分からない形の石、鎖で繋がれた本といったものが並んでいる。
これをどう使ったらいいのか、これで何が作れるのか、想像もつかない。
それに、目を一瞬でも離すと、別のものに変わっていたり、消えていたり、他の場所に現れたりして、果たしてそこにちゃんと在るのか、不安になってくる。
目の前の巨大なものすら、一瞬目を離すと形や大きさが変化している。
『少年』が、鞣して汚れきった様な、皮のマントのようなものを、ズルズルと引きずって歩く。
先には、今まで無かった、小屋のようなものが現れていた。
粗末な板作りの、低い屋根の小屋。入り口も板切れを打ち付けただけに見える。
隙間だらけだが、その隙間から見えるのは内壁らしき別の板で、中をうかがい知ることは出来ない。
ぶっきーもおーちゃんも呆然として、それを見つめた。
小屋の扉は、『少年』が近づくと勝手に開いた。『少年』は三人の方に振り向く。
「入ってこい。取って食うわけじゃない。お前らに、そんな価値はない。儂は、無駄は嫌いじゃ。
じゃが、お前らにも、一応の礼を示しておかんとな」
コウガは『少年』について、小屋の中に入り、後からついてきた二人も、恐るおそる小屋に入り…驚いた。
小屋の中は、月の表面のような砂の床、遠くには本当に月にしか見えないクレーターのようなものや山がある。
そして小屋の中…は壁があるはずなのに、宇宙にしか見えない、真っ黒い星空が広がっている。
星は瞬くこともなく、ただ光の点として輝き、その色のない星空に、太陽が直視できないような明るさで輝いている。
その、月の表面のような床の真ん中にテーブルがあり、四脚の椅子も用意されていた。
振り返って入ってきた入口を見ると、扉の木の枠だけが宙に浮いて、開いた扉の向こう側には、さっきまで居た『箱の中』がそのまま見える。
「まあ、座る気があるなら座れ。無理強いはせん。」
『少年』は、椅子に腰掛けて三人に言う。コウガはすんなり座ったが、残る二人は、周囲を眺めつつ、おっかなびっくり、椅子に座った。
三人が座るなり、『少年』は口を開いた。
「さて、お主らは『儂が此処で何をしているか』を聞くじゃろう。
それをお主らから尋ねられるのも、面倒くさい。だから、先に答えておこう。
星辰の揃えば、災厄…お主らが災厄と感じるような数多の出来事の鎌首を擡げる事になる。
故に儂は、ここで『抗う存在』を鋳っておる。
もっとも、抗う、と言うのは名ばかりじゃ。
あれは、全知じゃろうが白痴じゃろうが、『全』じゃろうが『一』じゃろうが、その根幹から、必ず消し去るだけじゃがの。
そう言う風になっておる。完成すればそうなる。
儂が、ここに自ら封じられておるのは、鋳り上げるまで、邪魔されたくはないからじゃ。
お主らのような、邪魔する存在の無いようにな。」
「あ…あの、お邪魔してごめんなさい…」
ぶっきーの言葉に、『少年』はため息を付いた。
「何じゃ?…ふむ、いくらなんでも、稚拙も過ぎる。雑でもある。
…じゃが、お主らにとっては、それが反省と謝罪である事に間違いはあるまい。ならば、仕方ない。
咎立ては、すまい。愚さや無知、無能に起因する過ちを罰することはできん」
おーちゃんが声を荒げて『少年』に反論した。
「さっきから、無知とか愚かとか酷いよ!、邪魔しちゃいけないなら、ちゃんと分かるように書いておくとかしておいてよ!
こっちは分からないから、箱の中身が見たい!って来ただけなのに!」
ぶっきーが、ビックリして謝る。
「おーちゃん、だめだよ!、こっちが勝手に入ってきてお邪魔しちゃったのに!」
「そうだけど、ヒドい言われ方じゃん!?」
反論に目を丸くして驚いた『少年』は、おーちゃんとぶっきーを見つめて、それからコウガの方を見た。
「なるほど、なかなか…驚かせてくれる喃、多少興味が湧いたわい。」
突然テーブルの上に、ティーカップと、皿が現れた。
ティーカップからは湯気が登り、皿の上には、何かよくわからないが、四角い白く、わずかに黄色い箱のようなものが乗っている。フォークまで用意されていた。
「お茶?か、そういうものだ。飲んでいけ。毒ではない。幾分の滋養にもなろ。」
それからコウガの方を改めて見る。
「…お主は…なるほど。そういう事か。この未成熟…お嬢ちゃんが、主人という事か…なるほど喃。
もう一人が、なんじゃこりゃ…?、半端?、こんなのは、予定外じゃ。わしゃ知らんぞ?」
「半端ってヒド…」
言いかけたところで、ぶっきーに口を塞がれた。
「ダメーッ!」
小声でおーちゃんに注意する。
「気にせんで良い。些末に気を取られるほど暇じゃないわい。」
『少年』はそう言うと、カップの中の飲み物を口にする。
それを見て、ぶっきーも、恐るおそる口にした。
コウガもそれに続く。
カップの中の液体は、コーヒーのようで、確かにそれらしい香りが立ち上ってくるが、その気品溢れる香り、そこから立ち上る湯気が、まるで紫色に見えるほどの高貴な…香気と表現したほうがよいものだ。
味もコーヒーのようだったが、コーヒーにしては爽やかで澄みすぎている。
そして飲んだ後に、喉と鼻にしっかりと余韻が残り、しかも全身が洗われるような爽快感があった。
「わ!?、なにこれ!、美味しい!!」
コーヒーより先に皿の上の四角い何かを、フォークで少し切り取って食べたおーちゃんは、その味に驚いた。
「甘いんだけど、甘いだけじゃなくて…スッキリしてて…果物みたいで…香りがスッキリしてて…
それに歯ごたえが不思議!、中はフワフワしているけど、歯ごたえはあって、軽いお餅みたいな?!
外はカリッとしてて、ポテトチップスみたいで……不思議!!」
二人が不思議な飲み物とお菓子の味に驚いていると、『少年』は鼻を鳴らした。
「ふん。味覚嗅覚触覚聴覚視覚…浅く、貧弱で、窮屈極まりない。
じゃが、それで必要十分であるなら、それ以上を望むのは無駄じゃの。
その、限定的な有限の立場においては、優れている、と表現できるかもしれん喃。」
ぶっきーとおーちゃんは、馬鹿にされているのか褒められているのか分からず、複雑な顔をする。
「さて、お主じゃ」
『少年』は、二人の反応に、さして反応もせず興味も持たず、そのままコウガの方を見る。
「…なるほど。幾分でも、儂の興味を惹くだけの事はある。記憶に留める価値を認めよう。既知であったとしても。」
それから三人を改めて見る。
「つまらんなりに、面白かった。そう言ってよかろ。
謝罪と反省のあった以上、突然現れた無礼は不問じゃ。ついでに、興味を持てた分、助言もしといてやろう。」
コウガの方を見て続ける。
「騒動の根は『狂乱の堕天使』にある。
お主らにとっては、大事になるやもしれん。
まあ、些末の戯事にも至らんが喃。
元から断つには、選ばねばならんじゃろ。
お主らから見た結論から言えば、なるようになる。なるようにしかならぬ。
じゃが、それが分かったところで、どうにかなる訳でもあるまいて。
ついでに、お主のために言っておこう。
そこの二人は安泰じゃ。お主が違わぬ限り、お主が選ぶ限り喃」
それから、ぶっきーとおーちゃんの方を向いて続ける。
「お主らは…まあ、違うほどの道も…んん?…うむ…お主らの主観に於いて、また辿り着くやも知れん喃…お主らにとっては…いや、今は…まだ、よかろ。」
そこまで言うと『少年』は突然立ち上がった。
「さあ、ここまでじゃ!、出てけ、出てけ。忙しいんじゃ儂は!」
と、三人は、いつの間にか小屋を出て、巨大な何かのそばに『少年』と共に立っていた。
「さぁ!、行け、行け!、邪魔じゃ!、出てけ!」
次の瞬間には、何か感じる間もなく、封呪場すら解除されて、ぶっきーの部屋の中に戻される。
三人の目の前の丸い光の輪、『箱の中』との繋がりが絶たれる直前、その向こう側に立っていた『少年』が、突然何かに気がついたかのように目を見開いて、コウガたちを見て、驚き、そして何か言いかけた。
「!…ほう…こりゃ…なるほど喃…興」
繋がりは絶たれ、光の輪は閉じた。
そして三人は、箱の周囲に立ち、呆然としてそれを見つめていた。
「それで…あの後、例の箱、どうしたの?」
ぶっきーがおーちゃんに尋ねる。
「うーん、あれじゃ、もう中に入ったり出来ないだろうし…もう、ただの文鎮。
『絶対壊れない』って思うけど、壊れいないから何かの役に立つわけじゃないしー…」
ぶっきーが「ぷぅ」と溜息をつく。
「そだねー」
「でも、めっちゃ美味しいお茶出来たからいいかな!、お菓子もすっごい美味しかったし!、中の変な子には驚いたけど…」
三人のテーブルの前には、たっぷりはいったコーヒー牛乳のカップと、「はるもに屋」の新作、大納言あんぱん。
コウガは先にイートインで頂いていたのだが、改めて食べても、やはり美味しい。
「コーちゃん、あの子、一体なんだったの?」
振り向いたぶっきーの問いかけに答えるため、コウガはコーヒー牛乳を一口飲んで、口の中のアンパンを流し込む。
そして、すこしの間、考え込む。
「…ふむ、正直なところ、我にも、あの箱の中の『子供』…外界人の正体は分からぬ…計り知れぬ…と言ったほうが正しいだろう。」
「計り知れぬって、どういう事?」
おーちゃんが、空かさず聞いてくる。
「ハッキリ言えば、あの外界人…いや、もはや『人』と表現してよいのか分からぬが、『あれ』は、間違いなく、超越の顕現、さもなくは超越に使役する眷属であろう。しかも相当な上位の。」
コウガは溜息をつく。
「我の封呪界を歯牙にも掛けぬどころか、気がついた様子すらないままに解き、我の事もまた、ぶっきーやおーちゃんと同程度として扱っていた…我らの力の差は、あの外界人にとっては、ドングリの背比べにも満たぬのであろう……
とすれば、『あれ』は、本来は、我の如きが、見えることもない、超越の一。」
「ちょうえつのけんげん?」
コウガはすこし考えてから、おーちゃんの問いに答えた。
「そうだな…あの『少年』から見れば、我らは等しく『実験室の中で培養皿で飼われている、何かの菌程度のもの』だと思えば良い。
たった一つの大腸菌が、研究者の事を考えることなど不可能…逆もまた然り…それほどに計り知れぬ存在だ。
もしかすると、あの『少年』自身、『研究者が大腸菌を調べるために使う、ピンの先端』程度でしかないのかも…」
おーちゃんもぶっきーも、コウガの説明の半分も分からなかったが、実際にあの『少年』から感じた、計り知れない何らかの力の差、有無を言わせぬ畏怖のようなものは、二人の記憶にも残っていた。
「コーちゃんよりもスゴい『何か』って、いるんだね……」
ぶっきーが溜息をつくように言う。
「我ごときは、超越にも及ばぬ、半端な存在ではある。
普段は、超越の活動は、我らに感じ取ることすら出来ぬ。
今回は、偶然…偶然と思わせる何かかも知れぬが、そうしたものがあって、邂逅できたようなものだが…しかし、あれは、いささか上位が過ぎる…」
「そういえば、最後の方、あの子?が、コーちゃんに色々言ってたけど、あれ、何だったの?」
「そうそう、『きょうのだてんし』とか言ってたよね!」
2人の問に、腕を組み、思案顔になってコウガは答える
「あれは、超越の予言、のようなものであろう。
あるいは、時間線の先を見て、それを話したのかも知れぬ。
だが、予言とは、得てしてあまりに抽象的で、実際にそれが起きるまで、真意の掴めぬもの…
あの言葉も、あまりに難解すぎる。我にもその真意を掴む事は、困難であった…」
それを聞いた二人は、コウガと同じ様にため息を付き、後ろ手を付いて体重を支える。
「なんだー、残念」
おーちゃんは、本当に残念そうだ。ぶっきーも、さらに首を後に擡げて、口から「ぷぅ」と息を吐く。
「…占いみたいなんだねえ」
と、おーちゃんの腕時計から、アラームが鳴り始める。
「あ、やば!、学校に戻らないと!」
「え?、今日は学童保育の日だっけ?」
「そうなの!、あっちゃん休むから、代わりに行かないと!」
少ないながらも、散った荷物を手早くまとめたおーちゃんは、カバンにそれを詰め込むと、ドアに向かう。
「じゃあ、また明日!!」
「気をつけて!」
三人は部屋を出て、階段を降りて玄関に向かう。
「あら?、おーちゃん、帰っちゃうの?」
ぶっきーの母親の声。
「ごめんなさい!、今日、学童保育の日なんです、戻ってみんな見に行かないと!」
「あらー残念。また来てね!」
「ありがとうございます!、お邪魔しました!、さよならー!、コーちゃん、ぶっきーまた明日ねー!」
おーちゃんは玄関の外でもう一度手を振って、学校の方に走っていく。
玄関先で見送った二人は、玄関の扉を締めると、三和土のところで、リビングの方から漂ってくる香りに心を奪われた。
「こ、これは…!」
コウガは思わず驚きを口から漏らす。
この香りは記憶にある。コウガは買い物に行ったとき、スーパーの中で漂っていた刺激的な香りだ。
「二人共、ごはんよ!、今日は前にコーちゃんが貰ってきてくれたカシミールカレー!、カツも入ってるわよ!」
母親の呼びかけに、ぶっきーが、嬉しそうに答える。
「わ!、今行く!」
コウガは、口の中に満ちる期待…唾液を飲み込む。
あの、スーパーで試食できなかった、カシミールカレー…いかなる歓喜が待ち受けているのか…
ぶっきーの後から、しずしずと付いていくコウガ。もう飛び出して行きたい程の期待。
あと数分で、食べられる。
その期待が、感情が、『超越』の予言の中に潜んでいた不安…『狂乱の堕天使』を押し隠していった。
(続)
今回は、どちらかと言うと、コウガが振り回される流れになっていました。次回はどうかなー
毎回だんだん長くなってきて、今後どうなるかちょっと不安なのですが、なるべく短く読めるように書いていければいいなと。
あと、涼しくなってきたので、次回はもう少し期間を短くできたらいいなと。
それなりに重なって、数も増えてきたM2TRHですが、そのいずれかの話が、読者の皆様の心の琴線に触れれば僥倖です。
次回を楽しみにして頂ければ良い感じ。ではでは。




