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3・収奪

 今回も、もう、自分だけ楽しめりゃ良いやって感じです。

 書いてる自分は、とても楽しめました。


 お読み頂いた皆様も、お楽しみ頂ければ、とても嬉しい。


※(改)とある場合のほとんどは、誤字脱字、読み難さ部分の修正です。内容に影響のある変更が行われた場合は、ここに加えて、活動記録などでも報告します。投稿後、一週間ほどは、誤字脱字、読みやすさ等の修正が多く発生しますが、内容の変更はほぼありませんので、ご安心下さい。

「ふむぅ……」

 おーちゃんは、その決断をまだ下せずにいた。

 左手を握り、開き…しかし下に降ろしてはいない。

 コウガは文字通り手に汗を握り、さくらの後ろから見つめている。

 その決断で、結果が決まり、コウガの運命も決まるからだ…

「こっち!」

 おーちゃんの指が、一枚のカードの上に置かれる。

 身を乗り出して確認するさくら。

「本当にそれでいい?」

 さくらは緊張気味だ。

 とはいえ、おーちゃんもさくらも、そのカードが何なのかは知らない。

 「こう言うのが面白いの!」と、おーちゃんは残ったさくらのカードを床に置かせ、シャッフルしてしまった。

 おーちゃんの言うには「ぶっきーは手札が顔に出るから」らしい。

 結果、どれがどのカードなのか、二人には分からなくなっている。

 カードの上に指を置いたまま、おーちゃんは頷く。

 息を呑むさくら。

 さすがに、おーちゃんも、緊張してるのが分かる。

「えいッ!」

 選んだカードを裏返す。

 そこには……

「やったああああああああ!」

「あああー」

 おーちゃんの歓喜と、さくらの落胆が交差する。

 さくらは振り返って、なにか訴えかけるように涙目でコウガを見る。

「…致し方あるまい…二人には何の不正いかさまも無かった…お互い、最後まで己の知と読みだけで戦ったのだ」

 コウガも小さな縫いぐるみのような肩を落とす。

「人事を尽くしたのちの、最後の敵は運であったか…」

 一方の、おーちゃんの方は歓喜で包まれ、部屋の中でも飛び跳ねそうな勢いだ。

「ひゃっはああ!、コーちゃんといっしょー!」

 さくらの方は、すっかり涙目である。

「ババ抜き嫌いー」

 これまでも、何回か、おーちゃんは「コウガを一日借りる権利」を賭けて、さくらに様々な勝負を挑んできた。

 将棋や五目並べ、対戦ゲーム、その勝負は実にバラエティに富んでいたが、毎回…ギリギリの勝負も幾つもあったが…さくらに返り討ちにされ、賭けたものを失っていた。

 もっとも、おーちゃんが、賭けに出したのは、アゾマンやゴスバーガーのギフトカード、各種割引クーポン、お小遣い日の直後には、さくらが欲しがっていた本が一冊といったように、非対称の過ぎるものばかりだったが。

 …そして飽くなき挑戦の末に、遂に勝負の方法が半分運任せの『二人ババ抜き』となり、やっとのことで勝利を得たのだ。

「ゴーぢゃん、ごめんー…」

 涙目で両手を合わせ、拝むようにしてさくら(あるじ)に謝罪され、コウガは落胆し、床に落ちんばかりに高度を落としながらも、己の宿命を甘受することにした。

「約束は、約束ゆえ。」

 その声には、深い諦観(ていかん)が滲み出していた。


♪あの夢に届かない あの空に届かない

 僕の両足は この大地に縛られ

 あの時に届かない あの明日に届かない

 そして僕は ただ立ち尽くす

 コウガの前を歩く、おーちゃんは、流行りの歌を口ずさみ、足取りも軽い。

 その後からついていく、コウガは、飛んでいるのに、どこかしら動きが重く、いつもの自信に溢れた様子はない。

 一日借受られる事になったコウガの首には、さくらが昔使っていた、古い携帯電話がぶら下がっている。

 おーちゃんが、帰る時、コウガの事情を聞いたさくらの母親が、万が一のために、と、渡してくれたのだ。

「ほーらー、コーちゃん、元気ないぞ!」

 おーちゃんは、コウガの後ろに回ると背中を押して進む。

「それそれー!」

 コウガを押して走り出す、おーちゃん。

おーちゃん(我が災厄)よ…我と一日…いや、翌朝までか、それまで共にあるのが、そこまでの歓喜を伴うものなのか?」

 コウガを押していた両手を放して腰に当てたおーちゃんは、胸を張って答える。

「あったりまえだよ!、嬉しいし、楽しいに決まってるじゃん!、さあ、行こ!行こ!」

 コウガを振り返らせて、さらに背中を背中を押す。

 心を無にして、受け流す覚悟を決めたコウガだが、ふと、今行く道が、学校への通学路であることに気がついた。

「ところで、おーちゃん(我が災厄)よ、この道は、学校へと行く道ではないか?」

「そだよ?。学校に戻ってるんだよ?」

 驚いて尋ねるコウガ。

「今、学校に行っても、部活も授業も無いのではないか?」

 おーちゃんは、笑って、コウガの背中を押し続ける。

「そっかー。コーちゃんは、知らないんだもんね。行くと分かるから、行ってみよう!、おー!」

 日の暮れ掛けた街を、コウガはおーちゃんに押され、引っぱられ、普段さくらと共に通学するときよりも遥かに短い時間で、学校へとたどり着く。

 校舎に入ったおーちゃんは、『下駄箱』と呼ばれる靴を交換するための小部屋を抜けると、教室という部屋に入るために登る階段ではなく、その反対側の廊下に入る。

 置かれた、衝立を避け、それほど長くない廊下を行き止まりまで進むと、明かりのついた部屋。

 その部屋の、教室と同じ、横に開く扉を開ける。

 すると、中からおーちゃんや、さくらよりも幼い子供たちの声が聞こえてきた。

「あー、おーちゃんだ!」

 中から、教室で何度か聞いたことのある少女の声。

「おはよー!」

 おーちゃんは、勢いよく手を上げて挨拶しつつ部屋に入る。コウガもそれに続いた。

 コウガは部屋の様子を眺める。教室と似ているが、より広く、入った扉から見て奥の方に、淡桃のマットのようなものが引いてある。

 その上で、靴を脱いだ子供たちが遊び、あるいは絵本を読んだり。

 部屋の真ん中あたりには、おーちゃんと同じ年頃に見える少女や少年たちが、いつもは授業を受けるために使う机を並べて、ノートや教科書と呼ばれる本を開き、宿題に苦悶する子も居れば、本を読んだり。

…さきほどのマットの上でスマホと呼ばれる機械を操作している子も居る。

 全部で10人程度だろうか。

「これは?」

「この部屋はね……」

 そこまで言ったおーちゃんは、部屋の中にいる一番の年長の男を見つけると、面白いおもちゃを見つけたように呼ぶ。

「あ、おいちゃんだ!、おいちゃーん!」

 男は見た目、さくらの父親くらいの歳。年相応の反応で振り返るが、少し疲れているように見える。

「おいちゃーん、じゃないだろ?、鹿条ろくじょうさんだろ?」

 ため息交じりの男の答え。いつものやり取りなのだろう。

「でも、鹿条ろくじょうさんって呼びにくいじゃん?、気がついてくれるの遅くなるじゃん?」

「大きな声で呼ばないからでしょ?、小樹奈(おきな)さんが、僕のことを、おいちゃん、おいちゃんって呼ぶから、みんな僕のことを『おいちゃん』って呼ぶようになっちゃったじゃないか…」

 どうやら、おーちゃん(あの災厄)は、誰に対しても等しく失礼らしい。

 このやり取りを、後ろで見ていたコウガは、そう思った。

「ああ!、おいちゃん!、これこれ!、コーちゃん!」

 おーちゃんは、突然コウガの両脇を引っ掴むと、おいちゃん…鹿条ろくじょうに突き出す。

「え?、あ、いやどうも。鹿条ろくじょうです。ここで、学童保育指導員やってます…よろしく。」

 急にコウガを突き出され、妙に生真面目な挨拶をする鹿条おいちゃん

 コウガの存在は、コウガの手によって、周囲に『違和感のないもの』として認識させられているが、それでも突然知らない人を連れてきて、突き出されたのと同じなのだから、鹿条が驚くのは仕方ない。

「私は…おーちゃん(あの災厄)から、コーちゃんと呼ばれている。今日は、あるじの命で、おーちゃん(我が災厄)小樹奈おきなに従っている」

 コウガの答えを聞いて、鹿条が笑う。

「あー、小樹奈おきなさんと一緒にいるのは…ちょっと大変でしょ?」

「…如何いかにも」

 鹿条は、笑顔を浮かべながら、コウガからおーちゃんの方を向く。

「…いい子なんだけどねぇ、小樹奈おきなさん…

 率直すぎるっていうか、相手で言葉を選んだりしない。それで、同情してないように聞こえるから、誤解されちゃうんだよね。」

 おーちゃんは、早速、空いている席に陣取り、教科書やノートを開いて、宿題に挑む。

 が、その横には、下の学年の子がとっかえひっかえやってきていた。

 見れば、その子が持ってきた、絵本や物語の読めない漢字を教えたり、問題の解き方を教えたりしている。

「世話好きだし、面倒見は結構良いし、そのくせ意外と自分の要求を口にしないんだよね…」

 なるほど、おーちゃん(あの災厄)は、間違いなく失礼だが、そうした失礼の向こう側をみ取って、理解してくれる者も、頼ってくれる人も居るわけか。

 コウガは、鹿条を見る。疲れた様子で、元気はないが、子供たちに目を配り、過不足の無いように気をつけて世話をしているのは分かる。人間としては大変な仕事であろう。

 コウガは、おーちゃんが答えてくれなかった疑問を鹿条に聞いてみた。

「ところで、なぜ授業でも部活でもないのに、ここに子供たちが集まっているのだ?、ここではなく小学校に行くべき子も、この部屋にいる。」

 鹿条は笑って答える。

「この部屋は、学童保育のために開放されてるんだ。

 学童保育って分かるかい?、授業や部活が終わって、家に帰っても共働きとかで、家に親がまだ帰ってきていないとか、家が狭いとかで、宿題や勉強する場所がなかったり、ここで友達と一緒にやっていたほうが良いって子たちを預かってるんだ。

 まあ、色々あって、宵の口だけだけどね」

「なるほど」

 コウガはうなずいたが、なぜ親が家に居ないと、子供たちが家に帰れないのかは、理解できなかった。

 家をの扉を開けるのは、カギがあれば可能なことは知っていたし、毎日夕方になると、子供たちに帰宅を促す通告を流す程なのだから。

 『共働き』が何なのかも、分からない。

 だが、これらは、おーちゃん(あの災厄)から開放された後、ぶっきー(あるじ)に聞けばよいだろう。

 ふと、コウガは自分の方に向けられた視線に気がついた。

 見ると、下から、みらいよりは少し年齢が上らしい子が、こちらを見ている。

 先日出会った子…みらいと同じように、イタズラをする気は無いのが分かる。

 例によって「抱っこしていい?」と聞かれたコウガが、それを許すと、女の子は、おっかなびっくりコウガを抱きしめ、壁を背にして淡桃のマットの上に座った。

 気がついたおーちゃん(我が災厄)が声をかけてきた。

「まりちゃーん、コーちゃんは、ぶっきーから預かってきたんだから、イタズラしちゃダメだよ!、大切にしないとダメだよ?!」

 まりと呼ばれた女の子は驚いて、おーちゃん(あの災厄)に聞く。

「えー!?、この子、ぶっきーおねーちゃんの子なのー!?」

「ちがうよ!、ぶっきーの子じゃないって!、ぶっきーのおうちの子!」

「そっかー!、そうなんだー!」

 元気よく答えたが、分かったのか分かってないのか。まりは、コウガを抱きしめて呟いた。

「いいなー、ぶっきーおねーちゃん、いいなー」

 これは本音だろう。

 コウガが子供やぶっきー(あるじ)の友達に捕まっては、撫でられ、抱っこされ、『持ち主』であるぶっきー(あるじ)が羨ましがられる。そんなパターンは、これまでも幾度となく繰り返されてきた。

 まりちゃんに抱かれながら、コウガは学童保育の部屋を観察した。

 さっきから気になることがあった。

 それぞれの子供は、勉強したり遊んだりは、していたが、どこかしら集中に欠いている。

 遊んでいる子供すら、自分の遊びに集中できていない。

 コウガは、これまで公園や教室、スーパーなどの店舗の中、駅、あるいは路上といった様々な場所で人間を観察してきたが、ここまで集中に掛ける人間が集まっているのは、見たことがない。

 学びや宿題と言われるもの取り組む者、仕事というものに取り組む者が、集中を欠くのはよく見るが、遊びに対しても集中を欠くのは珍しい。

 それが、同じこの場所で同時に起きるのであれば、それはここという『場』に理由があると考えてよいだろう。

 学童保育というものは、それほどまでに集中を奪うものなのだろうか?

 やがて、まりちゃんが、穏やかな吐息を立て始める。疲れからか寝てしまったようだ。

 まりちゃんが寝ていることを確かめると、コウガはその腕をそっと抜け出し、おーちゃんの方にふわふわと飛んでいく。

おーちゃん(我が災厄)よ。」

 いつもの、飛びつくような反応ではなく、少しだけ気怠けだるい感じでコウガの方を見る、おーちゃん。

「ん?、どうしたの、コーちゃん?」

「この場にいる者たちは、いつもこの様に集中を欠いているものなのか…?

 おーちゃん(わが災厄)自身、いま取り組んでいる宿題というものに、集中して取り組めているようには見えぬが。」

 それを聞いて、両手を伸ばして蹴伸びしたおーちゃんは、自分の頬を叩いて、コウガの方に向き直す。

「うーん、みんなちょっと元気ないのは、ここしばらくかな?、以前は、遊んでる子はうるさいくらいだったし、私ももう少し宿題とか進んだんだけど、最近ちょっとねー」

「なるほど。」

 コウガは、おーちゃんのそばを離れ、今度は鹿条ろくじょうの方に向かう。

 腕組みをして、宿題をしている子たちの様子を見ていた鹿条は、近づいてくるコウガに気がつく。

「おお、きみ…コーちゃんだっけ?、どうしたの?」

 コウガはさっきと同じ様に、この部屋にいる者たちが集中を欠いている事を尋ねた。

 鹿条は頭をかく。

「うーん、そうなんだよね。みんな、今ひとつ元気無くてねえ。

 かく言う僕も、最近疲れが溜まってるみたいで、ここでは集中力がちょっと…ってなっちゃうんだ。なんでだろうね?

 不思議なことに、ここを出ると多少元気が戻ってくるんだけどね。」

「なるほど、ありがとう。」

 例を言って、鹿条から離れたコウガは、もう一度、部屋の中を見渡す。

 やはり奇妙だ。

 誰もが集中を欠いている、不注意に至るほどでないが。だが、そこには何かしら違和感を感じる。

 …コウガは目を閉じ、意識を凝らす。

 明確に掴めるわけではないが、何者か…自らを巧妙に隠している者がいる。

 その存在は、コウガがこの部屋の中で彼らを探している事に、気がついているだろう。

 『学童保育室』ごと封呪界ふうじゅかいに収めてしまえば、その『何者か』を捉えられるかもしれないが、その場合、おーちゃん(わが災厄)以外の者たちも巻きこまねばならない。

 今の、全力を出すには手間がかかる、縫いぐるみの様な体でそれは避けたい。それに、封呪界の展開を察知して、先に逃げられてしまうかもしれない。

 さて、隠れた者が居るとして、炙り出すためにはどうするか。コウガは思案しあんを巡らす。

 まずは、隠れたものども、ごと封呪界に収めてしまうこと。これはさっき考えた。

 次に、隠れている者共が、何らかの動きを見せた時に、それを捉えること。

 だがこれは、今のように、隠れているものがこちらを警戒している間は難しいだろう。やはり逃げられてしまう可能性もある。

 相手を油断させる……こちらが、相手にとって脅威でない、と思わせるという方法もある、が…これは、相手がこちらを、どれほどの脅威だ、と評価しているかが分からなければ、難しい。

 …では、こちらが身を隠すのはどうか。

 隠れた者たちが居るとして、それが警戒を解いて、姿を表すのにどれくらい時間が掛かるか分からないが、一番楽な方法だ。

 それに…コウガは考えた。

 もし今日、見つけ出すことができなくてもいい。その時は、ここに監視のためのじゅを置いておけばよいだけの話だ。

 まだ寝ているまりちゃんの腕の中に戻ったコウガは、常時展開しているじゅを、最小限にまで減らし、自分の意識を現界うつしよの隙間に滑り込ませる。コウガの体は、柔らかく力を失い、文字通りの縫いぐるみのようになる。

 この状態では、コウガの意識からは部屋全体を見渡すことはできないが、視界にはおーちゃん(あの災厄)や鹿条の姿が見える。『隙間』から部屋を覗き込んでいるようなものだ。

 何者か居るなら、そしてそれが警戒を解き…油断して、姿を表すなら、飛び出してとらえればいい。

 そう…隙間に潜み、何者かの通り過ぎれば突然襲いかかる猫の様に。

 コウガは、待った。

 …やがて、低学年の子供たちを、親が迎えに来る時間となった。

 一人、また一人と、子供たちが親に連れられて帰っていく。

 やがて、まりちゃんの母親が訪れる。鹿条に起こされ、お母さんに立たせてもらった、まりちゃんは、抱いていたコウガを、名残惜しそうに、おーちゃんに返す。

 おーちゃんの座っている机の上に置かれたコウガは、教室の天井、真上を見る形となる。

「おーねーちゃん、またねー!、コーちゃんまた抱っこさせてねー!、おいちゃんせんせー、またあしたー!」

「ほーい、気をつけてね」

「気をつけて」

 教室の出口で、迎えに来た母親に手を引かれ、やっとお母さんに会えた安心も加わり、ひときわ大きな声で、おーちゃんやみんなに挨拶をして帰る。

 コウガは、縫いぐるみのように動かない。

 何も言わず、ただ、横たわっているだけのコウガを不思議に思ったのだろう、おーちゃんが声をかけてきた。

「…コーちゃん、どしたの?」

 その瞬間。


 コウガは己の主観速度を、10万倍程度まで加速させていた。

 現界うつしよの一秒が、コウガにとっての一日と少しに相当する程度だ。その時間ときの流れの中で、コウガはおーちゃんの頭上に現れた、『存在』…超多面体を捉えた。

 おーちゃん(災厄)の頭上の超多面体の虚軸方向への移動を阻塞そさい…つまりは現界うつしよから逃れられぬように出口をふさいだ。超多面体は、虚軸を含めて様々な方向に回転するものの、移動できなくなっている。

 空気抵抗や光など、加速に関わる幾つかのじゅを展開し、起き上がると、おーちゃんの頭上に浮かぶ超多面体に並んだ。

 この加速空間の中にあって、超多面体はコウガと同等の加速を保っている様に見える。空気抵抗の影響も受けていない。おそらく重力もだろう。

 こうした幾つもの呪を併用するのは、外界獣げかいじゅうには不可能だ。コウガは目の前の、異界の存在に、何らかの、高度な知性があると仮定する。

 ならばこちらからの問いかけにも、答えるに違いない。その真偽や真意は別にして。

「貴様は…何者だ?」

 超多面体は、変形回転しながら、奇妙な点滅と、なんとも言えないノイズのような不協和音のような、奇妙な音をたてる。

 それは、超多面体全体を彩る色彩になったり、空気の様に透過したり、様々な角度の反射を起こしたり、落ち着かない色とリズムの光点の瞬きになったりを繰り返した。音もそれに合わせて、あるいは、無関係に無数の音の集合やノイズ、上から下まで様々な周波数の単調な正弦波や変調を繰り返す…

 そしてある瞬間、相手が言葉で意思疎通する存在である事に気がついたかのように、まだ意味のわかる声のような思考を発し、色彩と輝点と回転を変化させる。

審美眼われわれは、審美眼われわれである。』

「ここで何をしている?」

審美眼われわれは、《美》を蒐集しゅうしゅうしている。」

 意味は分かるが、訳が分からない。

 この超多面体は、おそらく自分たちの目的のために特化し、それ以外の事象に関して、まったく興味を持っていないのだろう。

 それだけに扱いが厄介だ。

「ナニコレ?!、コーちゃん、なにこれ?!」

 突然の声。

 コウガは状況を把握し、眉根を揉んだ。

 10万倍の加速は、どうやらおーちゃん(この災厄)にも等しく働いたらしい。コウガ自身だけに働くはずの、加速空間でも問題なく動くためのじゅもだ。

 事態がややこしくなるのを避けるために、わざわざおーちゃん(この災厄)は加速空間に巻き込まないようにしたのだが、真名を聞かれた影響は、コウガの思っているより、大きいらしい…

おーちゃん(わが災厄)よ、これは、現界うつしよの外に在るモノだ。」

 仕方なく一応説明する。

「えー!?、ぶっきーに聞いた時は、この世界の外側から来たのは、怪獣みたいだったって聞いたよ!?」

「外側の世界にも、色々ある、という事だ」

 おーちゃんは、超多面体をじっと見る。

「見てると、クラクラするー!」

 黙っててくれないだろうか?、コウガは切実に思ったが、おーちゃん(この災厄)は、お構いなしに続ける。

「で、審美眼あなたどうして、こんなところにいるの?、ここ貴方の世界じゃないんでしょ?」

 超多面体…審美眼は、クルクルと奇妙な回転と点滅を繰り返して、答える。

審美眼われわれは、《美》を探求する。全ての可能性宇宙(オムニバース)の《美》を探査、収集、評価し、それらを保護する。』

 回転速度を上げ、点滅を強くして続ける。

審美眼われわれは、それ以外の行動を持たない。』

 怪訝な顔で、回転と点滅を続ける審美眼を見る、おーちゃん。

「《美》って何よ。キレイなものだったら、こんな所に居ないで、美術館とかに行けばいいでしょ?!」

審美眼われわれは、それらを知らない。』

 その答えを聞いて、おーちゃんは、コウガの方を見る。

「ねえ、コーちゃん、こいつらに、絵とか彫刻とかって、美術館にある奴、見せられないの?、出せない?」

 コウガは深く頭を垂れて、眉根を揉んだ。ついでに、頭も抱えた。

 これだから、巻き込みたくなかったのだッ!…声に出さぬように叫ぶ。

 心底、この場では黙っていてほしかったが、呪の効果が、どうなるのか分からないおーちゃん(この災厄)を、加速空間から追い出すことは難しい。

 おそらくできないだろう。

 げんなりしつつ、コウガは指先にじゅを込めて振る。

 コウガ自身、この現界うつしよの「美しいもの」に対しての理解は深くない。だが、美術館の場所は、知っている。

 そこでコウガは、美術館の主たる展示を、この場に映し出した。

 彫像や、絵画など、様々な美術品が、審美眼とコウガ、そしておーちゃんの周囲に浮かび上がる。

「わ!……すごい…!!、すごーい……」

 有名な絵画や彫像を前に、おーちゃんの手が止まり。ため息が漏れる。

 なるほど、この様な『美術品』を見て感嘆するとは、意外な一面もあるものだ。コウガは、おーちゃん(あの災厄)の意外な一面を見て感心する。

 数秒の間の後、おーちゃんは、浮かび上がった美術品を指して審美眼に言う。

「こういうのが、キレイなやつだよ!、なんでこう言うのを見たりしないの?」

 審美眼は回転と点滅の速度を落とし、しばらく美術品を見ているような様子を見せる。

『《否》。審美眼われわれは、これらを《美》の基準を満たさないと判断する。」

「なによそれー、キレイなものが、分からないの?」

『これらは、《美》の結果である。しかし、《美》ではない。』

「どゆこと?」

 ここまでおーちゃん(災厄)と審美眼のやり取りを見ていたコウガだが、《美》の結果である、という言葉に引っかかりを覚えた。多分、おーちゃん(あの災厄)も同じ様に感じたのだろう。

「では、聞こう。お前の言う《美》とは、何なのだ?」

 コウガも問う。

 審美眼は、ほんの少し躊躇うように回転を落とし、点滅を緩やかにしたが、やがて急に速度を上げた。

 『《美》とは、これらである。』

 突然、コウガとおーちゃんの前に、壮麗な光景が現れた。

 全ての色彩を散りばめた、曲線、直線、平面、局面。

 その一つ一つが、繊細なガラス細工の様にしなやかに柔らかく…そして、何かあれば崩れ消え去ってしまいそうな、そんな危うさを秘めている。

 現代美術の作品ような抽象的に見えるが、それはおそらく、コウガとおーちゃんの「今の感覚」には、そうとしか捉えられないだけなのだろう。

 それらは確かに《美》としか表現し得ないものだった。美術品や風景といった、「美しさ」を感じられる、あらゆるものから、そのエッセンスだけを抽出したような。

 コウガは言葉を失った。おーちゃんも、その《美》に圧倒され、言葉も出ない。

 審美眼は…彼らは、これほどの《美》を探し出し、集め、保護しているのか。

「これは……」

 やっと、ため息のような言葉がコウガの口から漏れた。

『彼らは、《美》を感知できる。《美》を理解している。』

 二人の様子を見て、審美眼は思考を響かせる。

審美眼われわれ同様に《美》を理解できる存在は、希少である。極めて希少である。』

 審美眼の多面体が、人の目では目で追えぬような点滅と回転を繰り返す。

 ふと、おーちゃんが、目の離せない《美》の近くに、ひときわ目を引く、小さなものがある事に気がついた。

「コーちゃん…これ…」

 おーちゃんは、コウガを呼ぶ。

 眼前に広がる《美》から目が離せなかったコウガだったが、おーちゃん(この災厄)の声で、ようやく振り向く。

 まるで、呪縛から解かれたように。

 だが、振り向いたコウガが、おーちゃん(この災厄)の指した先にあるものを見て、再び圧倒された。

「…こ…これは…」

 燃えるような輝きと、優しげな暖かさ、脈打つような色彩、切り出したばかりの燦然と輝く水晶の原石、あるいは誰時たれどきの空の青さを、そのまま切り出したかのような…夜の星の光を集めたかのような…

 しかしコウガは、その《美》に、違和感も感じた。目にすることすら畏れ多いのではないか、と思わせる。

 それは、コウガの如き存在であっても、触れてはならぬ『何か』を感じさせた…そして、目の前の《美》は、その禁忌を犯して、ここにあると。

 コウガは、その禁忌の《美》を見渡す……息を呑むような《美》の、その中に、輝きと…活き活きとした伸びやかさを減じた…いや、失いかけた、力ない《美》のあることに気がついた。

 …あってはならぬ事が起きている。コウガは確信した。

「おい…これは…何だ?!」

 審美眼に向かって叫ぶ。

『これらは、審美眼われわれの探査、収集、評価し、保護した《美》の中にあって、極めて貴重な《美》のいつである。』 それまで、ほとんど動かず、回転とその内部の点滅と反射を変化させるだけだった審美眼は、様々な場所に直線的に慣性を無視した挙動で飛び回り、移動するを繰り返し始める。

『これらは『可能性』である。』

「かの…!?」

 この審美眼の答えに、コウガですら驚愕した。審美眼は、この《美》は『可能性』だというのだ。しかし…

「このすっごいキレイなの…『可能性』って言うけどさ、何の『可能性』なの?」

 言いたい事を、言葉も選ばずストレートに問い放つおーちゃん(この災厄)の傍若無人さが、この時ばかりは、コウガにもありがたかった。

 審美眼は、クルクルと回転し、輝き、瞬間的な移動を繰り返し…興奮したかのようにも見える。

『これらは『人間の可能性』である。』

 おーちゃんは、答えを聞いて、眉根を寄せ、頭を傾げる。

「…どういう事?」

『これらは『人間の可能性』を収集、保管したものである。』

 コウガは、先程、人間の美術品を見た時の審美眼の言葉を思い出した…「これらは、《美》の結果である」、と…つまり…

 審美眼は続ける。

『しかし、これらの《美》は、永続的ではない。

 貴重であるにも関わらず、収集した瞬間より、劣化衰萎れっかすいいする。

 この現象は、不可逆であり、審美眼われわれには停止させることができない。』

「…れっかすいい?」

 知らない単語でおーちゃん(この災厄)が、さらに混乱しないように、コウガは助け船を出す。

 ここで更に問題をややこしくされては困る。

「衰えて萎びていくことだ。水も光も与えられぬ草木が、やがて萎びて枯れるように。」

「花を詰んだら、枯れちゃった、みたいな?」

しかり。」

 それで何かに気がついたかのように、おーちゃんが叫ぶ。

「…そ、それじゃ、このキレイなの、いつかダメになっちゃうじゃん!!、『人間の可能性』なんでしょ?!、大変なことなんじゃないの?!」

 おーちゃんが審美眼の方を見ると、審美眼は、おーちゃんの目の前で停まる。目まぐるしかった回転も少し遅くなる。ただ、中の点滅は収まらない。

『その指摘は《是》である。全く《是》である。この現象について、審美眼われわれは、対策を講じなければならない、と、判断した。直ちに有効な対策を講じなければならない。

 《美》は、審美眼われわれの手によって収集、評価し、保護されなければ、いずれ消滅してしまう。必ず消滅してしまう。』

 審美眼の超多面体は、突然回転と点滅を早めると、それまでにも増して素早く飛び回る。

『《美》の消滅、逸失は、審美眼われわれの存在意義に関わる。審美眼われわれの至上命題を否定する。

 それ故に、審美眼われわれは、これらの《美》を収集し、保管し続けなければならない。』

「…よく分かんないけど、『収集し』…って、ずっと集め続けなきゃダメってこと?」

 おーちゃんが、審美眼に怪訝そうに問いかける…とはいえ、審美眼は飛び回っている。それを、追い駆けながら問いかけているせいで、まるで鳥が周囲を見回している様にも見える。

『《是》。』

 コウガは眉根を寄せて問いかける。

「それでは、貴様らは、現界うつしよの『人の可能性』を集め続けねばならぬ、という事か?」

『《是》。』

 コウガの顔が一段と険しくなる。うつむき、縫いぐるみの様な顔の眉根を寄せ、三白眼のような上目遣いで審美眼をめつける。

「故に、貴様らは、この部屋にいる現界うつしよの者に取り付き、《美》を収集している…と、いう訳か?」

『《是》。それらは、《美》の保全のために必須である。』

「えー!?、それじゃ私達、審美眼あんたらに『可能性』取られっぱなしってこと?!」

 おーちゃんの言葉を聞いたか、その前で止まった審美眼は、くるりと回転する。

審美眼われわれは、極めて貴重な《美》を作り出す『人間』たちの、衰退を望まない。その保全に務めている。』

 そこで審美眼は、今度はコウガの前に飛ぶ。

『しかし、我等の収集保管した《美》の劣化衰萎れっかすいいは、未だ回避の方法が存在しない。故に、『人間』のごく少数から、《美》を収集し続けねばならない。『人間』と呼ばれる個体の生存…『健康』と呼ばれる状態に、影響を与えない程度に。

 これらは、いずれも必須である。』

 コウガが唸る。

「つまり…貴様らは、山頂にある花を摘んで飾り、しかし根葉の残れば、それで良いと言い放つ訳だな……?」

『《是》。『人間』の一部から、《美》の収集は続けねばならぬ。

 しかし、『人間』の全体に影響は与えぬ。『人間』の衰萎は、これは、《美》の保全に極めて重大な不都合をもたらす。

 故に、十全に保全されなければならない。』

 おーちゃんが、コウガの方を見て驚いた…いや、ビビったと言ったほうが良いかも知れない。

「コーちゃ…」

「気に食わぬ。」

 掛けられた声を遮って唸るコウガ。

 頭を上げて審美眼を見る。その顔には、平静さすら感じられるが、その縫いぐるみのような体の全体から、鬼気…一触即発の怒りがあふれんばかりに満ちている。

「気に食わぬ!、気に食わぬ!!、貴様らの如きモノが、現界あらわよの人の『可能性』を収奪するとは!

 まったもって気に食わぬ!!!

 何たる下賤げせん!、何たる卑劣!

 貴様らの所業、外界のけだものにも劣るわ!」

 審美眼を指差して続ける。

「貴様らに正義など、烏滸おこがましい!

 我が気に食わぬ!、我が気に入らぬ!!、それだけで充分だ!

 既知の!、未知の!、到達不可能の!、全ての可能性世界(オムニバース)より根こそぎ消し去ってくれるわ!」

 コウガは指先にじゅを込める。人にはつぶやくことの不可能な(できない)じゅを、つぶやく。

 と、審美眼が、回転を止めたかと思うと、突然周囲に幾つもの審美眼が現れた。

「《危険》。脱出。」

 審美眼はそれだけ思考を響かせると、一斉にくるりと回転する。何かにヒビが入るような音が響く。

 と…周囲の空気が一変する。

「うっわ!?」

 鹿条ろくじょうが声を上げる。

「なんだこりゃ?!」

 突然部屋中に現れた、超多面体…審美眼に驚いている。

「きゃぁ!?」

 他の子らも、驚いて叫び声を上げる。

 審美眼が、どうやってか、コウガの展開した加速空間を打ち破ったのだ。

「ふむ、なかなか…だが逃げられまい。」

 自分のじゅが破られたことに、さほど驚く様子もなく、コウガは指に込めたじゅを、審美眼に放つ。

 じゅを食らった審美眼は、破裂音と共に中から大量の立方体を飛び散らせた…そして、飛び散った立方体も共に消える。

「うひゃ!?」

 審美眼の破裂に驚くおーちゃん。

 だが審美眼は次々と増えていく。

 逃げようとする子も居たが、もがくだけでまともに動けない。

 コウガは子供たちを見た。その頭の上には、審美眼が浮いている。彼らが、何らかの力で子供たちを捕らえているのだろう。

 一方のおーちゃんの頭上には審美眼はいない。加速空間の中に居ることができたおーちゃんは、審美眼たちも警戒しているようだ。

 一気にカタをつけたいが、この体では全力を出すには手間が掛かる。

 だが、容赦しようとは、思えない。

 コウガは、自らの冷徹と怒りを、どう形にすべきか考えた。

 審美眼が次々と破裂し飛び散るのを見て、おーちゃんは、自分のスマホを取り出し、コウガの方にカメラを向けて、通話を始める。

「ぶっきー、ぶっきー!、聞こえる?!、見える?!、すッごいよ!、コーちゃんすごい!!、実況実況!!」

 スマホから、さくらの「うわー!」という、驚愕と感嘆の声が聞こえる。

 おーちゃんは、通話で何か話している。さくらに状況を説明しているのだろう。

 その間も、コウガは審美眼たちにじゅを放ち続ける。やがて、審美眼は、その超多面体の形を変えた。

 何か、理由があるはずだ……コウガは警戒したが、が、今はまだ形を変えた理由が何なのか、分からない。

 だが逃すまい、赦すまい。その意思は、揺るがない。

 やがて、おーちゃんの持つスマホ越しに、コウガを呼び出す、さくらの声が聞こえてきた。

「コーちゃん!、コーちゃん!、聞こえる?、見える?!」

 コウガはその声を聞き、スマホのそばに近寄る。

ぶっきー(あるじ)よ、よく聞こえるぞ。」

「コーちゃん、そいつ、本ッ当に悪い奴ら?!」

「口にするも不快な、真なる下衆共げすどもだ!」

 さくらは、今度はスマホを構えるおーちゃんに呼びかける。

「おーちゃん、おーちゃん!、そいつら、悪い?!」

「もっちろん!、極悪ごっくあくぅー!」

「…じゃあ、コーちゃん!、全開フルアクセルでいいよ!!

 構わないから、思いっきりやっちゃって!」

「御意ッ!!」

 その、さくらの言葉を待っていたかのように、コウガの背中に、魔法陣のような、回路図のような、象形文字と平行線と幾何学図形がぜになった光の円盤が現れる。

 そして、コウガの背後の地面にも同じものが現れた。

 誰かが歌うような、響き渡る高い歓喜の音…そして、地面の光の円盤から、長身のコウガが現れた。

 縫いぐるみのような体は、背後の円盤に吸い込まれ、長身のコウガが目を見開く。

 黒い全身に巻き付き、螺旋や平行線を描き、幾重にも重なる光の帯が、金色に輝く。

われ、我がわがの命のままに…」

 右目に掛かる前髪をかきあげると、全身に走る金色の帯が、鮮やかなブルーグリーンの輝きを放ち、金色の瞳が、さらに明るく輝く。

 コウガは、審美眼を改めて指差す。

「我と我が主の怒りを知るがいい。」

 淡々とした物言い。

 しかし、その言葉の背後には、ただ、まだ起爆していないだけの、安全装置の外れた膨大な爆薬…怒りが満ちている。

 コウガは両手を前に突き出し、扉を押し開くように両方に振る。

 と、周囲の色が失せ、音が大伽藍だいガランの中に居るかのように響き渡り始めた。

「なにこれ!?、なにこれ!?」

 おーちゃんが、手に構えたスマホを振りながら周囲を見渡して驚く。

封呪界ふうじゅかいだ。この教室を、現界うつしよから切り離した…此処ここは、もはや我が空間、我が世界。

 ここでは、我等と、審美眼あれ以外の全ては、見せかけだ。」

 コウガは顎で審美眼を指す。

 教室の中を数十もの審美眼が飛び交っている。子供たちは、皆、審美眼の下で、力なくしゃがみ込むか座っている。鹿条もだ。

 審美眼を除けば、まともに動けるのは、コウガとおーちゃんだけだ。

「さて、どうしてくれよう…」

 指先のじゅで、軽く宙を薙ぐ。コウガが薙いだ側を飛び回っていた審美眼が、一斉にぜる。

 しかし、審美眼はそれに反応せず、それまでと同じ様に教室の中を飛び回り…いつの間にか元の数に戻っている。

 なるほど。コウガは、審美眼が、幾つもの虚数軸方向に、折りたたまれている事を把握した。

 審美眼は、現界うつしよ…今はコウガの封呪界から、審美眼が元いた異界…その可能性宇宙の一つに戻ることはできないが、現界うつしよの虚軸方向には自在に動くことができる。

 そして、ここに見えている審美眼は、おそらく巨大な審美眼のごく一部。

 虚空間という海から顔を出している氷山の一角、あるいは、彼らの爪の先の様なものなのだろう。いくら潰しても、潰したぶんだけ、虚空間から次々と浮かび上がってくる訳だ。

 それに…

 コウガは審美眼の一部が、人の目には見えぬ虚軸方向に集まり、何かをはじめている事に気がついていた。

 おそらくはこの封呪界を打ち破り、自分の世界に戻ろうとしているのだ。

 相手も決して愚かではない。それに、コウガの加速空間を破るほどの力も持っている。

 そして審美眼は、コウガはもちろん、おーちゃんにすら攻撃しようとはしなかった。

 あくまで審美眼かれらの目的は、審美眼かれらの基準での《美》を探査、収集、評価し、審美眼かれらの方法で保護する事。

 そのために最も重要なのは、審美眼かれら自身の維持保全…つまり、この封呪界からの脱出…逃走なのだ。

 ここから脱出さえできれば、あとは、今回の反省を活かし、コウガやそれに近い力を持つものから、自らを隠して、美の収集に当たれば良い。

 戦う事に意味も価値も感じる事がなく、今の判断と行動は、自らの保全のために、逃げる事だけ。

 それだけに、油断はできない。

 だがコウガは、審美眼を打ち破る手段もまた見出していた。

 浮かび上がった、断片のような審美眼…あの超多面体を潰していったのではキリがない。しかし、あの超多面体の『内側』からなら…

 そのための下準備は既に終わっている。

 あとは上手く行けば楽ができるのだが…意識を封呪界(教室)に戻すと、子供たちが消えている事に気がつく。鹿条ろくじょうもだ。

 と、視界の脇で何か動くものがある。コウガは、振り向いて、それを確かめる…おーちゃんだ。

 おーちゃん(あの災厄)が、皆を危険と思える場所から引っ張り出し、背中を押して、多少は安全そうな隅っこに集めているのだ。

 何ともはや!。

 コウガは、おーちゃん(あの災厄)が、自らの危険を顧みず、皆を助けようとしている事に驚き、感心した。

 |ぶっきー(我が主)もだが、こういう時の判断と決断、そして行動は、真似して出来るものではない。

 おーちゃん(あの災厄)は、コウガの視線に気がついて叫ぶ。

「コーちゃん!、みんな変だよ!、ボーッとしてて、なんか変!」

 コウガは、おーちゃん(その災厄)の言葉にニヤリと笑う。

「安心しろ!、今はそれで問題ない!」

 じゅを放ち、あるいは、じゅで薙ぎ、審美眼を次々と潰すコウガ。

 そして突然、封呪界(教室)の様相が、一変した。

 それまで、白と青黒いモノトーンだった教室が、突然、青空と白と淡いピンクの空が広がる場所へ変わる。

 心の落ち着く日差しのような光りに包まれ…おーちゃんもコウガも子供たちも、そして審美眼も、まるで天上の雲の上のような、優しい空間。

 審美眼たちは、封呪界を打ち破ることは出来なかったが、それでも中を書き換える事に成功したのだ。

 コウガは呆れたように笑った。

「ふむ、人の可能性を収奪する、人の力を剽窃するのは貴様らの得意とする事のようだな?」

 審美眼に、もう一度、じゅを放つべく構えると、おーちゃん(災厄)が「きゃ?!」と叫ぶ。

 振り返ると、おーちゃん(災厄)は転んだのか、雲のように柔らかく見える…教室の床だったはずの所に倒れ、起き上がるところだった。

「コーちゃん!、みんなが!、みんなが!!」

 見ると、おーちゃん(あの災厄)が、苦労して教室の隅に集めた子供たちが、消えている。鹿条も、だ。

 視線を上げると、あの審美眼の超多面体の中に、子供たちが一人づつ取り込まれ…閉じ込められている。

 体を起こした、おーちゃんが叫ぶ。

「み、みんな!?、あんたら、何するつもり!?」

審美眼われわれは、《美》の保全のために、これら個体を収集しなければならない。収集しなければならない。

 《美》の保護のために、これら個体を回収し、次に、この次元を訪れるまでの間、これらを利用して《美》の保全に努めねばならない。保全しなければならない。』

 おーちゃんは、目を丸くして叫ぶ。

「それじゃ、みんな……だ、ダメだよそんな!、コーちゃん!?」

 コウガは、おーちゃん(あの災厄)の慌てっぷりに、少し胸のすく思いだったが、同時に、その皆への思いやりに、感服もした。

 そして、指先にじゅを込め、大きく横に薙ぐ。指先から、象形文字と平行線の入り乱れた帯が流れ、今は雲上の世界にも見える封呪界に広がる。

『!』

 今まで動き回っていた、あるいは回転していた審美眼が凍りついたように動きを止める。内部の光の点滅だけが続く。

 そして審美眼の中に取り込まれた子供たちから、色が消え…白と青黒のモノトーンになっている。

『これらは違う。これらは、仕掛けられたものである。

 これらは我々を内破させる。

 審美眼われわれは、これらを排除しなければならない。審美眼われわれから除去しなければならない。』

「そのとおり、その子らは『見せかけ(デコイ)』だ!

 残念だったな。審美眼よ。」

 コウガは、静かな怒りを込めて言う。

「貴様らの如き卑劣なら、必ずそうしてくれるであろうと。

 自らの持つ《美》を維持するために、子供たちを人質のごとく奪い、そして去るであろう、と。そう信じていた。

 それ故に、わざわざ封呪界ここに用意したのだ」

 審美眼の中に取り込まれていた子供たちは、色だけでなく、いまは元の人の形から、方形の立体的なモザイクと変化し、審美眼の中で、少しづつ広がっていった。

審美眼われわれは、ここから脱出しなければならない。審美眼われわれは、維持されなければならない。

 《美》を探査、収集、評価し、保護保全に努めねばならない。』

 幾つにも分裂した審美眼は、それぞれ行き場もなく逃げるように動き回るが、その分裂したものの中にも、青黒い方形が現れ、そして広がっていった。

審美眼われわれは、維持されなければならない。《美》を保護保全しなければならない。』

 コウガは静かな怒りを湛えて、努めて平静を保ちながら審美眼に言う。

「貴様らが《美》の保護保全を、勝手に行っていたのであれば、我もまた、勝手に行おう。

 貴様らの全ての可能性世界(オムニバース)からの根絶を!!」

 コウガの手にじゅが満ちる。左の手が金色に光り始める。

 そして、人間には不協和音にしか聞こえない呪をつぶやくと、左手を縦に振り下ろした。まるで何かを断ち斬るかの様に。

審美眼われわれ……』

 封呪場の中の審美眼が、次々と崩壊し、そこから正多面体が飛び出してはバラバラになって消える。

『《美》…《美》…ならない…喪失…回避…保全…』

 審美眼の断末魔のような思考の破片は、やはり、己の目的に忠実で、ただ己の判ずる《美》の収集と保全のみに向けられていた。

 そして、無限とも一瞬とも思える時間の後、審美眼は消え、カラッポ…いや、コウガとおーちゃんだけが残った封呪界が残された。

 おーちゃんは、カラッポの封呪界の中で呆然としている。

「終わりだ」

 コウガが封呪界を解く。封呪界は、一瞬軋みを上げると、凍てつくような澄んだ響きを残して、虚空へと消えた。

 審美眼は、その目的に特化していたとは言え、驚くほどの力を持った存在だった。

 正面から、コウガと戦っていたのであれば、これほど楽に倒すことは、出来なかっただろう。

 果たして彼らは、何だったのか。

 コウガかそれ以上の超越の創造した《美》を収集保全するための構造だったのか…あるいは、永劫の虚の中で、《美》の保全以外の全てを失っていった…

 いや、考えても結論の出ないことだ。出たところで意味はない。コウガはそこで考えるのを止めた。

 ふとコウガは、元の教室に戻っていない事に気がついた。

「?!」

 周囲を見ると、おーちゃんすら消えている。

 コウガは虚空の中に一人浮かんでいた。

 ふと、原因に思い至る。

 コウガは、審美眼を全ての可能性世界(オムニバース)から排除したが…少々力みすぎたらしい。

 審美眼を全ての可能性世界(オムニバース)だけでなく、時間軸からも排除してしまった。

 審美眼が奪い取っていた『可能性』が、人々に「可能性は奪われなかった事」になって戻り…結果、その人の運命を、それぞれ変化させ、因果が変化してしまったのだ…

 因果の整合性を保つために、時間も巻き戻りつつある。

 …コウガは今、時間軸を遡り…過去へと引き戻されていた。

 さて、どうなるか?

 コウガは考えた。審美眼と対峙するまで戻されるのか、このままぶっきー(あるじ)との契約の前まで戻されるのか、あるいは、さらに過去へと戻されるのか…

 それは、因果の整合性が、過去のどの時点で取れるようになるのか、に掛かっている。

 こればかりは、コウガの知り得るところではない。

 どうなったところで…いや、カレーライスは、失うにはあまりに惜しいが…

 コウガは目を閉じた。

 時間は…あるいは、それを扱う存在ものは、コウガを「ある瞬間」まで送り届けると、そして優しく解き放った。


「ふむぅ……」

 おーちゃんは、その決断をまだ下せずにいた。

 左手を握り、開き…しかし下に降ろしてはいない。

 コウガは呆然として、ぶっきー(我が主)の後ろから、床の上のカードを見つめている。

 これは…ぶっきー(我が主)おーちゃん(あの災厄)のカード勝負の瞬間ではないか!

「こっち!」

 おーちゃんの指が、一枚のカードの上に置かれる。

 身を乗り出して確認するさくら。

「本当にそれでいい?」

 おーちゃんは頷いた。

 息を呑むさくら。

「えいッ!」

 おーちゃんは選んだカードを裏返す。

 そこには……

「やったああああああああ!」

「あああー」

 おーちゃんの歓喜と、さくらの落胆が交差する。

 さくらは振り返って、なにか訴えかけるように涙目でコウガを見る。

「…致し方あるまい…二人には何の不正いかさまも無かった…」

 コウガは呆然として二人を見る。

 よもや、この場に戻されようとは…

 おーちゃんの方は歓喜で包まれ、部屋の中でも飛び跳ねそうな勢いだ。

「ひゃっはああ!、コーちゃんといっしょー!」

 さくらの方は、すっかり涙目である。

「ババ抜き嫌いー」

 少なくとも、ぶっきー(我が主)との契約以前…封印の中に戻されるもの、と思っていたが、それは杞憂…あるいはコウガ自身の、己の過大評価だったらしい。

 それにしても、なんと絶妙な…

「ゴーぢゃん、ごめんー…」

 涙目で両手を合わせ、拝むようにしてさくら(あるじ)は謝罪する。

 その、ほんの数時間見たばかりの主の姿に、コウガは、長い長い間会うことの出来なかった、親しきものと再会できた様な、思いもよらぬ安寧を覚えた。

「…約束は、約束ゆえ…」

 そのため息のような、声は、心からの安心から出たものだが、知らぬものから聞けば諦観ていかんの表れ、としか思えないだろう。

「…それで…おーちゃん(我が災厄)よ…今日は、我を伴ってどうするつもりなのだ…?」

 コウガは我慢しきれずに、おーちゃんに尋ねる。

 どうしても知りたかったのだ。何が変わったのか。何が変わっていないのか。

 少なくとも、今のカード勝負で、ぶっきー(あるじ)おーちゃん(我が災厄)との関係は、ほぼ何も変わっていないのが分かったが…

 コウガはその事実に、自分が思った以上に安堵していた。

「んん?、別にコーちゃんのこと、とって食べちゃうわけじゃないから、大丈夫だよォ!、安心してよ!」

 この答えで、むしろ安心していないのは、ぶっきー(我が主)の方だ。

「大丈夫なのー?」

 なんとなくのジト目で、おーちゃんを見ている。

「今日は、帰りにちょっと学童保育の所に寄ってくつもりだし。」

 そこでおーちゃんは、コウガの方を向く。

「学童保育って分かる?、家に帰っても、誰もいない子とか、外で勉強したほうが、やりやすい子が来るんだけど、今日はちょっと特別なんだ。」

「…特別?」

 コウガは気になって…半分不安も伴って聞き返す。因果の整合性を取るために、どこかに悪影響が出ているのではないか。そんな考えがよぎる。

「そこに来てる指導員の人、鹿条ろくじょうさん…みんなおいちゃんって呼んでるけど、その人、辞めちゃうんだー。今日が最後なの。で、ちょっとパーティみたいなのでお祝いしようかなって。」

「ふむ?!」

 鹿条…彼が祝われるとは?

 コウガは、おーちゃんの説明を待った。

「理由がね、何年も何年もずーっと勉強してて、毎年ずーっと試験受け続けて、全然受からなかったんだけど、今回、やっと受かったんだって!。

 司法試験って、すごい資格の試験に!

 それで、資格がないと出来なかった、新しい仕事するから、指導員やめちゃうんだってさ!」

「…ほう!」

 コウガは驚いた…心から。

 あの子供たちの中にあって、おいちゃん…鹿条は、自らの新しい道を切り開くために、あの子らに劣らぬ努力を費やし、学びに勤しんでいたとは!

 審美眼の一掃によって、『可能性』を収奪する存在ものが居なくなった結果、最も顕著な恩恵を受けたのは、あの『おいちゃん』だったとは!

「…は…ふは…フハハ…ハハハハハハ!!」

「?……どうしたの、コーちゃん?」

「ハハハハハハハハハ!」

 コウガは笑った。

「ハハハハハハハ!、ハーッハッハッハッハッ!!」

「わ?、どうしたのコーちゃん、何があったの!?」

 おーちゃんとさくらは、驚いてコウガを見る。コウガが、こうして声を上げて笑うなど、今まで一度もなかったのだから。

 コウガは笑い続けた。心の底から。

 何という…何という!

 現界うつしよの者たちは、我に計り知れぬ驚きをもたらしてくれる。愉悦をもたらしてくれる。

 そう、現界うつしよの人の…この世界の、何と痛快なことか!

 笑い続けるコウガ。

 おーちゃんとさくらは、ただ、驚いて、コウガを見上げるだけだった。


 そして、さくらの家の前、コウガの笑い声の聞こえる道路に立つ一人の男。

 窓を見上げていた男は、やがて歩きはじめて呟く。

「…何故なにゆえ…!」

 男は音もなく歩き去り、そして、消えた。


(続)

 前回よりは軽めですが、ほんの少し、長いお話になりました。

 次回は短いかな?

 ご期待頂ければ幸いです。

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