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2・探索~悲痛と決意と救済と

 今回も、難産ではありましたが、書いてる方は、大変楽しめました。

 読者の皆さんも、お楽しみ頂ければ幸いです。


 8/7・章末に3行だけ追加しました。読まなくても特に問題はない伏線です。


※(改)とある場合のほとんどは、誤字脱字、読み難さ部分の修正です。内容に影響のある変更が行われた場合は、ここに加えて、活動記録などでも報告します。

「カレーライス!!」

 コウガは歓喜した。一階の台所から漂い来る、あの不可思議で刺激的な香りが、コウガの鼻腔を刺激する。

 自ら気が付かぬままに、浮き上がり、縫いぐるみのような体は、さくらの頭上をふわふわと漂う。

 その姿を見て、さくらは本を読む手を止めて、自分も嬉しそうにコウガを見上げた。

「コーちゃんは、本当にカレーライス好きだよねえ。」

しかり!、しかり!!」

 興奮したコウガは、言葉遣いが古臭く、堅苦しくなる。

「でも、どうしてそんなにカレーが好きなの?」

 さくらの疑問に、コウガは歓喜に任せて、飛び続けながら答える。

「我がある…ぶっきーよ、カレーというものは、実に素晴らしい。現界うつしよの至宝の一つだ。」

 うっとりとした声。契約した時は、こんなコウガを見ることになるとは、さくらは思いもしてなかった。

「そう、カレーライス……口の中でほどけ調和する、様々な具材、多種多様な香辛料。

 それらがあまねく、我が味覚嗅覚を刺激し、全身に、いかな力の満ちるにも引けを取らぬ、素晴らしき気血の流れをもたらすす。」

 小さな体の大仰な身振り。

 昔の人が書いた、何かを称える文章みたいな話し方に、さくらは苦笑する。

「おお、それこそは、現界の調和ハーモニケス・ムンディの象徴。

 カレーライスの刺激を、他で味わう術は、存在しないであろう。

 その美味こそは、天界にあると聞く貴顕きけん御饌みにえ神々の食物(アンブロシア)に勝るとも劣るまい…

 今宵こよい夕餉ゆうげにカレーライスが供されるのだ…我が歓喜も、極まろうというもの。

 待つ時間すら、愛おしい。喜びそのものだ。」

「いつもコウガが、凄い喜んでるから、お母さんも頑張って作ってるんだよ!」

 コウガの表情はカレーを目にする前から、既に恍惚としている。

まさに、我が真の賞賛に値する!、嗚呼ああ、感謝の極み…!」

 もう、面白くすら聞こえる、壮大で芝居掛かったカレー賛美に割り込むように、さくらの母親の呼ぶ声が聞こえてきた。

「さくらー?、ごはんよー」

「はいー!、今行きまーす」

 コウガは、まっさきに飛び出し、テーブルで待つカレーライスに飛びつきたい気持ちを抑え、さくらの準備を待って、後ろに従う。

 その待ち遠しい時間も、歓喜の一部だ。

 カレーライスには、それだけの価値がある。


 カレーライスを何杯もおかわりし、存分に満喫したコウガは、さくらの部屋で満足気に浮いていた。

 さくらも、今夜は特に機嫌がいい。家族みんなが一緒に食事ができたのだ。

 父親は、残業で帰宅が遅れることが普通だが、今日は珍しく夕食に間に合う時間に家にたどり着けていた。

 さくらの言うには、休みの日以外では、珍しいことらしい。

「…不思議だよねー」

 さくらが、コウガを見て、ふと言う。

「お父さんも、お母さんも、コーちゃん見ても、全然驚かなかったんだもん。それに、ご飯を一緒に食べるのまで、許してくれるなんて、思ってもなかった」

「それは、さほど大した事ではない。」

 コウガは浮いたまま答える。

「もともと、現界うつしよ…この世界には、今の我のような小さき体の持ち主に恐怖を感じたり、嫌ったりする者は少ない。

 おーちゃん(あの災い)の如く、我を「かわいい」と称して、触りたがり、掴みたがる者が多いほどだ。

 我はそれを利用して、皆の心に訴えかけ、この体への違和感を消し去り『ごく当たり前にあるもの』として受け入れさせているのだ。」

「へええ!」

「あらゆる目に映るものだけではない。記録されるものも、受け入れられるものに変わる。

 たとえば、カメラという道具で我の姿を捉えたとしても、写るのは縫いぐるみ。もし、われが町中で一人で居るところを『撮影』されても、誰かが手で持っている様にしか写らぬ。

 そう仕向けている。」

「すーごい!、それじゃあ、学校でも、遊び行く時でも、コウガと一緒でいいんだね?!」

「無論だ。われが、ぶっきーと行動をともにする事に、支障はない」

「すごーい!、そしたらコーちゃんと一緒に学校に行けるんだ!。それなら、おーちゃんも喜ぶよ!、きっと!」

「それは…!」

 コウガは浮いているところから、多少滑るように落ち、声のトーンも少し落ちる。

「…いささか遠慮したい。」

 さくらは声を上げて笑う。

「コーちゃんは、おーちゃん苦手だよね」

「あの者…おーちゃん(あの災い)は…うむ…苦手、だな。それ以外に、我が心情を表す適切な表現が、見当たらぬ…」

 その答えを聞いて、ひとしきり笑ったさくらは、天井に手を伸ばして気合を入れる。

「よし!、楽しいうちに宿題やっちゃうかー!」

 宿題、コウガが疑問に思うものの一つだ。学校という場所で、学びを得ているというのに、それをなぜ学校の外にまで持ち出さねばならないのだろう?

ぶっきー(あるじ)よ、その宿題や学びに、われの手助けは、必要としないのか?

 いつも苦しみ、悩み、時間が掛かり、しかし、ぶっきー(あるじ)が求める程には、良い結果を出せていない様に思えるのだが?」

「なんだけどねー…」

 さくらは問題集から目をはずし、コウガの方を見る

「んー、これはちゃんと自分でやらないと!、って思っちゃうんだー。自分でも、損してるんだと思うんだけど…

 でも、いつも誰かに助けてもらってると、本当に自分ひとりになった時っていうか、誰にも助けてもらえない時に、自分だけじゃ、何もできなくなっちゃいそうだから…」

 コウガに向けてガッツポーズ。

「だからね、できるだけ一人でやるの!」

「ふむ、なるほど。」

 コウガは、さくらの答にうなずく。

 ぶっきー(あるじ)の融通の効かなさ…別の言い方をすれば生真面目さ。これは間違いなく本物だ。

 おーちゃん(あの災厄)は、契約の場で『真面目すぎて、ちょっとなー』などと、大いに失礼な事を言っていた。

 だが、大いに失礼であることに目をつぶれば、ぶっきー(我が主)の性質…性格を、よく理解している。

 おーちゃん(あの災厄)の、容赦のない物言い。それが、万人に受け入れられるかはさておき、二人は、おそらくは良き友なのだろう。

 コウガは、あらためてぶっきー(あるじ)の方を見る。何冊か本を開き、『ノート』と呼ばれる、平行線の走った筆記帳に、何をか鉛筆で書いている。

 その手はよく止まるし、天井を見上げて、あるいはノートや本を見つめて、考え込んでいるときもよくあるし、長い。

 ぶっきー(あるじ)の命を受けずとも、気が付かれぬままにその学びを手助けするのは、容易たやすくはあった。

 だが、コウガは、まだその必要はない、と、判断した。

 必要な時が来れば、ぶっきー(あるじ)自身が、コウガにそれを求めだろう。

 たとえそうでなくても、ぶっきー(あるじ)の危機を救うことは、契約のかなめなのだから。


 翌日の午後、コウガは一人で街に出ていた。ぶっきー(あるじ)は、何も予定のないお休みの日、という事で、朝からずっと本を読んでいる。

 もしぶっきー(あるじ)から連絡のあれば、世界の何処にいても、即戻ることができる。

 コウガにとっては、距離は問題ではない。

 それにコウガにとって、この世界は、まだ知らない事が多い。

 この世界は、どんなところでも見て回りたい。

 ぶっきー(あるじ)が本を読む事と同じくらい、好奇心を刺激される、発見に満ちた世界だ。

 …今、コウガが居るのは、公園と呼ばれる広場だった。

 ここは、主にぶっきー(あるじ)よりも幼い子供たちが遊ぶための広い場所。簡単な遊具、運動器具などが設置されているところもある。

 この公園にはそうした、目立った遊具はないが、周囲をある程度の植生で囲ってあり、また誰でも座れる長い椅子(ベンチ)もある。遊び疲れて休む者、あるいはここまで歩いてきて、一旦休憩を取る者、誰かと話すために座るものなど、様々だ。

 コウガは、公園をひと通り見た後、先に行こうとすると、下から見上げる視線に気がついた。

 視線の主は、さくらの胸のあたりになるだろう身長と、サッパリとしたショートカット、大きな目をした少女だ。

 ショートパンツに重なるようにフリルの付いた薄手のワンピース。その上から色の濃いTシャツを重ね着している。Tシャツの裾には何かの動物を象った丸いバッチ。

 その、まだ幼い、と言った方が良さそうな少女が、赤と白の二色の紐で編み上げられた紐を手に、こちらを見上げている。

 少女の目には害意も敵意も……まあ、イタズラする気がない事は、すぐに分かった。

 ならば、最低限の敬意は持って然るべき。つまり視線の高さは合わせるべきだ。コウガはそう思って、少女のところまで降りる。

 と、少女はコウガに話しかけてきた。

「あの…抱っこしていい?」

 コウガは少し考えて答えた。

「良かろう」

 少女は、子供らしいストレートな喜びの笑顔を浮かべる。

「ありがとう!」

 御礼の言葉もそこそこに、コウガは少女に掴まれると、そのまま抱きしめられた。

 色々言いたいことはあったが、その言葉を飲み込む。

 脳裏におーちゃん(あの災厄)の姿がよぎった。

「あなたのお名前は、なんていうの?」

 コウガを抱きしめたその子は、そのままベンチに座ると、屈託もなく尋ねてきた。

 その問を聞いて、コウガは思わず口ごもったが、現界うつしよでの真名の扱いの軽さを思い出す。そして、ぶっきー(あるじ)の言葉を思い出して、答える。

われ…わたしは、コーちゃんと呼ばれている。」

「へー、コーちゃんっていうんだ!、ふーん?」

 その子はコウガを抱きしめる力を一瞬強めてから、自分も名前を言う。

「わたしはね、みらい。常葉ときわみらい、っていうの。みんなには、みーちゃんって呼ばれてるよ?」

 コウガは、躊躇なく初対面の存在に自分の真名…名前を晒す少女に、やはり驚きを覚える。

「みーちゃん、なるほど。」

「それでね、コーちゃんね。わたし、シロちゃん…猫ちゃんを探してるの。

 真っ白い、この紐とおそろいの、鈴のついた首輪を付けた子!」

 少女が誇らしげに見せてきたのは、手に持っていた赤と白の紐が編み上げられたリード。

 先端には首輪かハーネスに繋がるであろうフックが、反対側はリング上に編み上げられており、手首に引っ掛けやすくなっている。

 自分ではなく、真っ先に猫の事を語りだしたのだから、余程気に入っている猫なのだろう。

 リードを下ろした少女は、少し俯いて寂しそうにつぶやいた。

「シロちゃんね、おうちで飼ってたのに、逃げちゃったの……」

「ふむ。」

「それでね、シロちゃんをずっと探してるんだけど、どこに居るか分からなくて……もう、何日も探してるの。」

 当然のことだ。コウガは思った。

 ぶっきー(あるじ)と共に暮らして分かってきたが、この街は、さして大きなものではない。都会と呼ばれる構造の最下限にある。

 しかし、人間が一人で、一匹の猫を探し回るには、充分広大だ。子供となれば、なおさらだ。

 迷子になった直後、家の近所にいる間なら、比較的容易に見つかるかもしれないが、その後は、まず見つかることはあるまい。

 運…偶然を頼むしかない…人間にとってはそうだ。

「ねぇ、コーちゃん、シロちゃん探すの、手伝ってくれる?」

 コウガは、自分を抱いている子供を見上げた。

 これまで、誰にたよることもできなかったのであろう。半ば諦めを含んだ、それでも期待する視線。

「ふむ、よかろう。」

「え!?、本当?!」

 子供…みらいは、驚きと喜びのぜになった表情をコウガに向ける。

「あ!、あの、ありがとう!、嬉しい!、コーちゃん好き!」

 みらいは、感謝と喜びが相まって、コウガを強く抱きしめて、頬ずりした。が、コウガにとっては、おーちゃん(あの災厄)の再来…災厄でしかない。

 しかし、今回、災厄これを呼び寄せたのは、他ならぬ自分である。

 コウガは、心を無にして、それを受け流す事にした。


 みらいは、出会った公園から歩き出した後、コウガを抱きしめたまま、もう数十分も歩き続けていた。

 気になった場所を覗き込んだり、シロを呼んだりを繰り返している。

 合間合間に、シロのことを話し、その話が途切れると、また路地や植生の根本を覗き込み、シロを呼ぶ。

「シロちゃんはね、一杯いっぱい食べる、良い子だったんだよ?」

「シロちゃんはね、みーちゃんのベットの上でお腹出して寝るんだよ?」

「シロちゃんはね、私が宿題やってると、いつもイタズラしに来るんだよ?」

「シロちゃんが、いっぱい食べるから、みーちゃんも、いっぱい食べるようになったんだよ?」

「シロちゃんは誰にでも、いい子だったよ?」

 真っ白で、素早くて、大きくて、右と左の目の色が違って、オシャレで、可愛くて、甘えん坊で、きれい好きで、イタズラ好きの女の子(メス)で……

 みらいの、思い出せるだけの、コウガに語る全てが、シロという猫への賛美と自慢に満ちていた。

 それだけ、愛着のある、大事な存在なのだろう。

 だが、みらいは、『探す』と言うだけで、家から、通っているのであろう幼稚園の間を往復し、同じところを回るばかり。このままでは、探すとは名ばかりの散歩でしかない。

 コウガは、みらいに聞いた。

「ところで、みーちゃん。家の周り…この近く以外で、シロが行きそうな場所はないのか?、たとえば、シロをどこで拾ったのか、覚えているか?」

 みらいは頭を振った。

「シロちゃんは、拾ったんじゃないの。冬の寒かった日に、お家に迷い込んできたの。

 それでね、お母さんが『こんなにキレイだから、どこかの迷い猫かも』って言って、シロちゃんの写真を撮って色々な所に貼ったんだよ!。でも、飼ってる人は来なかったの。」

 嬉しそうな声。

「それで、シロちゃんは、みーちゃんのお家で飼う事になったんだよ?、シロちゃんの名前も、みーちゃんが『真っ白だからシロ』って付けたんだよ?」

 子供心に余程印象深い出来事だったのだろう。年に似合わぬ理路整然とした説明。想像の付け入る隙もない。

「ふむ」

 そこまで話したみらいは、立ち止まると「んー」と呟いて口ごもった。

 何秒か、首をひねって唸ると

「そうだ!、公園(こーえん!)!」

 と叫んだ。

「公園?」

「公園(こーえん!)!、駅の近くの!、みーちゃんね、一度だけシロちゃん抱っこして、公園でみんなに見せたことがあるんだよ!」

 コウガは上を向いて、自分を抱きしめている少女の顔を見上げる。

「なるほど、そこなら、シロが居るやも知れぬ。早速行ってみよう。」

 家の近所以外に迷った猫が、一度訪れただけの場所で飼い主を待っている可能性は乏しい。

 それでも貴重な思い出。貴重なヒントである。行かぬ理由はどこにもない。

 みらいは、コウガを抱えたまま、急ぎその公園へと向かった。

 信号で何回か足を止めたものの、子供の精一杯にしては、上出来と言える速さで、目的地へたどり着く。

 そこは、駅前のロータリーから、放射状に伸びる2本の道とビルに挟まれた、すこし細長い公園。

 それぞれの道につながる出入り口と、真ん中の三ヶ所に街灯がある。

 みらいから見て、奥の方の出入り口近くに公衆トイレがあって、真ん中の街灯の近くには、中でボール遊びが出来るように、金網でできた檻のようなボールフェンス。あとは低い鉄棒と、ちょっとしたベンチのある広場。

 それぞれを繋ぐレンガ敷の通路、外周を囲むようにある植生。

 子供たちは思いおもいに、追い駆けっこや、ボール遊び、あるいは集まっておしゃべりを楽しんでいる。鉄棒にぶら下がり、しがみついたり、上に乗る事に挑戦している子供もいる。

 どこにでもありそうな、普通の公園。そして、ここは、他に比べるとだいぶ子供が多く、賑わっていると言っていいだろう。

 だが、みらいが足を踏み入れようとした時、コウガは、こぼれそうになった驚きの声を飲み込んだ。

 そこの中から感じる気配…現界うつしよのモノではない。外界の何者かが、ここに居る…ここを棲家としている。

 みらいと、この公園を探し回ることは危険だ。

 コウガが「戻ろう」と言いかけた所で、遠くから、幾重にも重なった、オルゴールの音が聞こえてきた。

 そして、女性の声。

「午後、4時に、なりました。小学生までの、みなさんは、おうちに、帰りましょう。」

 毎日、この時間になると、街の中に鳴り響く、子供たちに、日没前の帰宅をうながす通告だ。

「あー…」

 みらいの残念そうな声。

「みーちゃん、もうお家に帰らなきゃ……」

 子供らしい根拠のない確信だとしても、あと少しでシロを見つけられる!、シロと会える!、と思っていたのだろう。

 期待が失望に変わったみらいは、悲しげに俯いた。

われ…わたしが、後でもう一度探しに来よう。だから安心して、家に帰るとよい。」

「ほ、本当?!」

 みらいは、本当に予想しなかったのだろう。コウガの言葉に心からの喜びを見せた。

「うむ」

 満面の笑みでコウガを抱き寄せたみらいは、再びコウガを強く抱きしめて、頬ずりし、自分の喜びと感謝をあらわにする。

「ありがとう!、ありがとう!、コーちゃんやさしい!、みーちゃん嬉しい!、すごい嬉しい!」

 抱きしめから頬ずりに至る連続攻撃は、コウガにとっては心を無にして受け流すべきものだ。

 が、今回は、いつもほど悪い気はしなかった。


 家に戻って、夕食ののち、コウガは、今日あった事や、みらいとのやり取りを、さくらに詳しく話した。

「南第三公園じゃないかな、そこ?」

 最後の公園のところで、さくらは、その名前を口にした。

ぶっきー(あるじ)は、知っているのか?」

「うん。駅に行くときとか、本屋に行くときとか、前を通るし、子供の頃は何度も遊びに行ったし…それに」

「それに?」

 さくらは椅子の背もたれに背を預けて天井を見る。

「最近、あの公園に、大きな…犬みたいな動物が出るって噂があって、それでよく話題に出てくるんだ。

 学校でも、ネットでも」

「…大きな動物?」

「そう。セントバーナードとか、クマみたいな大きさだっていう人もいるけど、もっとデッカいって言う人もいるよ。

 白くてデカくて、いきなり唸ってくるんだって。それで何人も驚かされたとか、襲われそうになったとかって。

 でも、探しても全然見つからなくて…何人も見てるのに、見つからないなんて不思議だよねー…」

 そこまで言ったさくらは、何かに気がついて手を叩いた。

「あ、そうだ!」

 さくらは、スマホを手に取ると、検索で画像を探し、コウガにそれを見せる。

「これが『南第三公園の怪物』!」

 『怪物』を撮影したと言う画像は何枚かあったが、どれも、よほど慌てて撮ったらしく、何もかも奇妙にブレていて、画質はかなり悪い。

 だが、どの画像にも、公園の奥らしい植生の中に、大型犬のようなサイズの『白い何か』が居るのが写っている。

 コウガは眉根を寄せた。

「確かに、何か白いものが居るようだが…これだけで判断するわけにも、行かんな。」

「だよねー」

 さくらは、スマホを元の場所に戻すと、「ぷぅ」と息を吐き、椅子の背もたれに寄りかかる。

「それで…どうするの?、このままにして良い訳じゃないんでしょ?」

「看過はできぬ。」

 コウガは腕組みをしてテーブルの上に浮いている。

「写真に写っていたのが、外界のモノかは分からぬ、だが…『南第三公園』とやらに、外界の何者かの気配がするのは、間違いない。

 放置すれば、いずれ間違いなくぶっきー(あるじ)や、現界うつしよの者たちに災いをもたらす。

 それは、我らが契約にもとる…契約の許すところではない。」

 さくらは、椅子から、テーブルの上に浮くコウガの前に座り直す。

「そういえば、みらいちゃんが、シロちゃんを連れて行ったことのある公園なんでしょ?、もしかしたらシロちゃんも、そこに居るかも!」

「…うむ」

 いつものコウガらしくない、歯切れの悪い答。

 さくらは、コウガのそんな様子に気づかずに続ける。

「じゃあ行こう!、シロちゃんだって、もし公園にいるなら、逃げ出せないで隠れてるかもしれないし、『外界の何者か』だって、居るんだったら、今のうちに捕まえるかしないと、大変なことになっちゃうんでしょ!」

 コウガは驚いてさくらに聞く。

「今から…ぶっきー(あるじ)と共に?」

 さくらはコウガの前で正座して胸を張り、腕組みをする。

「もちろん!。コーちゃんの、ご主人さまだもん!」

 ……本音は『面白そうだから』と、いったところだろう。

「御意。」

 コウガは眉根を揉みたい気持ちを抑えて、答えた。


「ちょっと走ってくるから!、気分転換!」

 さくらはコウガを抱いて一階のリビングの飛び込む

 ショートの髪の毛の前髪はタオル地のヘアバンドで抑え、スポーツシューズにジョギング用のジャージ。そしてスポーツシューズ。腕にはスマホバンド。

 縫いぐるみのようなコウガを抱えていることを除けば、立派な夜のジョギングスタイルだ。

「あら?、大丈夫なの?」

 いつもの事なのか、さほど驚きもない母親の声。さくらは、さほど心配していないような…つまりは、信頼している母親の質問に答える。

「大丈夫、コーちゃんも一緒だよ!、並木の散歩道一往復してくるから!」

「気をつけてねー。コーちゃーん、さくら、ちゃんと見ててね!」

 母親の声

「はーい!」

「心得た!」

 さくらは、玄関を出ると、夜の街を小走りで走っていた。

 ジョギング向けに整備された、並木の散歩道に向かう、と言ったが、確かめに来るとも思えないし、バレてもそれくらいの嘘は許してもらえる。さくらは、思春期の軽率さもあってか、そう判断していた。

 向かうのは、並木と反対の、みらいちゃんが、シロをみんなに見せたという、そしてコウガが異世界からきた怪物の気配を感じたという、そして犬のような白い怪物が出た、という噂のある、南第三公園。駅の南口に近いところだ。

 これが、北口側だったら、さくらも行こうとは言わなかったろう。

 飲み屋やゲームセンターなどが立ち並ぶ繁華街になっている上に、駅を通り抜けるか、陸橋を渡らないと辿り着けないからだ。

 今は夜…とはいえ、大人であれば、まだ宵の口だ、と思うだろう。

 南口商店街(アーケード)の店は、ほぼ閉まっているが、高校生向けの学習塾は、まだ授業をやっている。

 ファミレスや、カラオケ店、コンビニはもちろん、スーパーも本屋も何店舗か開いている。

 駅に電車が到着すれば、人通りもそれなりに増える。

 このあたりの時間帯で『学生が一人で出歩いて、警官や指導員に見咎められた』と、いう話は聞いたことがない。

 程なく、さくらとコウガは、南第三公園にたどり着く。

 街灯のお陰で、中は充分に明るい。

 コウガを抱えたまま、さくらはその中に入った。

 昼の間は、子供たちの声で溢れていたが、今はひっそりしている。ただ静かなだけでなく、何か空気の沈んだような、重苦しい気配がある…何者かの『気配けはい』。

 さくらは、不安そうに左右を見ながら、公園の中へと進と、広場の真ん中あたりで足を止めた。

「コーちゃん…」

 さくらの、コウガを抱きしめる力が、ほんの少し強くなる。

ぶっきー(あるじ)よ、中をよく調べねばならぬ。何が起きるか分からぬゆえ、道の方に戻って欲しい。」

 コウガはさくらの手を離れると、浮き上がって、自分の額をさくらの額と合わせる。

「?」

「ごく簡単なじゅだ。これで、しばらくは、どんなに離れていても、轟音や静寂に包まれたとしても、我等のお互いの声が、間近に聞こえる。聞き逃すこともない。」

 そう言うとコウガは、公園の奥へと飛んで行く。

 さっきから感じていた、『気配』の主の注意が、自分に向けられている事に、コウガは気がついていた。

 『気配』の主は、公園の真ん中、ボールフェンスの奥の植生の中に居る。

 小さくて、猫のような…だが…コウガは眉をひそめる。

 当たって欲しくない予感ほど、よく当たるものだ。

 しかし、そこで隠れて動かないなら、都合がいい。そのまま封じれば良いのだから。

 封じるためのじゅを放とうとした瞬間、『それ』が飛び出してきた。

 猫のような大きさだったはずの『それ』は、跳躍の弧を描く間に巨大化し、犬どころかヒグマのような巨体となって、公園の外に飛び出す。

「!」

 コウガは『それ』を追いかける、その後ろから、さくらも続く。

 『それ』は、熊でも犬でもなかった。恐竜に似たところはあったが、それとも違う。

 毛のない体、白く細長い鱗のないトカゲのような体と頭。腹は薄い灰色の腹盤が並ぶ。顎と頭は太く長く、目も鼻もそれらしきものが、無い。

 その代わり、橙の光が漏れだす裂け目が、頭と顎の左右に一対づつ…四本ある。何の役に立っているのかは分からない。

 人の腕ほどもある爪が二本、筋肉質の太い前足の先から生えている。

 後ろ足は腕を反転コピーして下半身に付けたように、腕そのものが後ろ向きに生えている。

 尾は胴体と同じくらい長く、先端には、左右対称に二つづつ鋭いトゲ(サゴマイザー)が…

『それ』は、上半身を起こすと、周囲の窓ガラスを震わせるほどの声で吠える。

 金管楽器……どちらかと言えば、大型船の汽笛のような低い音。叫ぶような。

 コウガはその巨体を前にして、微動だにしない。

「こ…コーちゃん?!」

「外界のモノ…外界獣げかいじゅう現界うつしよことわりの外にある獣…この世ならざるモノだ。

 原因は分からぬが、何らかの理由で現界うつしよに…ここに、浮かび出たのだろう。

 あれこそが、『南第三公園の怪物』に違いあるまい。」

 外界獣げかいじゅうは、アスファルトを前足の爪で何度か掻いて、引き剥がす。再び大きく吠え、巨大な爪のついた腕を振り回し、ガードレールを吹き飛ばすと、サゴマイザーのついた尾で街路樹を根本からへし折る。

 街の人たちが、慌てて逃げ出す。叫んで転ぶものもいる。

 スマホを構えるものもいたが、外界獣の、根源の恐怖を刺激する、低く震えるような咆哮を聞いて腰を抜かしたり、スマホすら落として逃げ出していった。

 あまりの恐怖に失禁したものも居たようだ。

「コーちゃん!」

「討つしかあるまい!」

 こんなの…こんな怪獣、戦車がいっぱいないと、勝てっこない!、さくらにはそう思った。

 その巨大な怪物、外界獣げかいじゅうに立ち向かうには、コウガの今の体は、あまりに小さく非力に見える。

 やっつけるなら、コウガが力を出し切れたほうがいいに決まっている!

 さくらが叫んだ。

「わかった!、コーちゃんっ!!……全開フルアクセルで、いいよ!」

「御意」

 コウガの背中に幾重にも重なった回路図…魔法陣…象形文字のぜになったような光の円盤が現れる。そして、コウガの背後の地面にも。

 何かが歌うよな、高い歓喜の音。それとともに地面の光の円盤から、自らの肩を抱くように腕を組んだ、長身のコウガが現れる。

 そして、縫いぐるみのような体が、背後の光の円盤に吸い込まれ…長身のコウガが目を開いた。

 黒い全身を走る、鮮やかな光の帯が幾重にも重なり、金の光を放つ。

「我があるじの命のままに…」

 右目に掛かる前髪をかきあげる。

 全身を走り輝く金色の帯。不可思議な平行線と曲線で繋がった幾何学模様が、鮮やかなブルーグリーンに変わり、金色の瞳が、一層明るく輝いた。

 さらなる咆哮。外界獣げかいじゅうの、魂を引き千切るような叫び。

 先程からの騒ぎで、周囲のマンションや店舗の窓にも次々と明かりが灯る。

 歩行者や住人が何事かと近寄り、ビルの入口や玄関から身を乗り出して、こちらを見つける者たちも現れた。スマホを向けて写真を撮る者も。

 これ以上騒ぎを大きくすべきではない。コウガはそう判断した。

 それに、ここで、外界獣げかいじゅうの力任せに暴れるのも、あまり好ましくない。地に降り、左手を外界獣げかいじゅうにかざし、呪を込めて、何かを呟く。

 瞬間、周囲の色が失せ、空気が凍りつく。人が消え、風が止まり、空が暗く紺碧一色に染まる。

 さくらは驚いて周囲を見る。

「わ?!、なにこれ?!」

封呪界ふうじゅかいだ。我等の居た公園と周囲を、我が私有空間の一つに移した。此処ここは、もはや我が空間、我が世界。

 ここでは、我等と、外怪獣げかいじゅう以外は、全て見せかけ。封呪界内の、あらゆる破壊は、無効化される。」

「?!、ど、どういう事?!」

「ここでは、きゃつと我等以外の誰もいない…そして、ここで我等以外の何が攻撃を受けても、何一つ問題は無い」

 コウガは、悠然と外界獣げかいじゅうに歩み寄っていく。

 外怪獣げかいじゅうは、尾を振り回し、公園のボールフェンスを破壊し、木々をへし折る。

 さくらは、その音と衝撃で思わず首をすすめる。

 金属のひしゃげる音も、引きちぎられる音も、本物そのもの。さくらにはコウガの言う『見せかけ』という意味がわからない。

 ただ、音は異様に響いて、残響が残る。まるで巨大なホールの中にいるよう。

 風景は大きく変わっている。建物や地面は、目に映る建物も木々も、形こそ本当にそのままだが、色は何もかもフィルタを掛けたような白と青黒のモノトーン。

 コウガとさくら自身、そして外界獣げかいじゅうだけが元の色彩を保ち、浮き上がっているように見える。

 空は雲も星もない一面の青。曇りの日のように、影がハッキリしない。明け方の様な、夕方のような、薄暗いような、明るいような。昼とも夜ともつかない。

 その封呪界の中に響き渡る、外界獣げかいじゅうの低く、巨大な金管楽器のような…あるいは、大型船の汽笛のような咆哮の中に織り込まれた、『意味』の奔流。魂の叫び。

『堕トサレタ……迷イ込ンダ……ミーチャン……救ワレタ…助ケラレタ…』

 外界獣の咆哮と共に、頭の中に流れ込む、猫と少女の思い出。

 家の中に家族として受け入れられ、餌をもらい、遊び、一緒に寝て、絵本を読む邪魔をして…

『ミーチャン…ミライ…守ル…ミンナ守ル…!、我ヲ…討テ…!!』

 内より沸き上がる衝動に耐え、家を去り…

 泣き叫ぶ様な、懇願するような、切り裂かれるような…

『我ヲ…殺セ…我を殺セ…滅セヨ…!、ミーチャン…ッ!、一緒ニ居タイ!、一緒ニ居タイヨォオオオオ!!』

 頭の中に流れ込む何かを、止めるかのように耳を塞ぐさくら。

 コウガに向かって叫ぶ。

「コーちゃん!、これ何?!、なんなの!?」

 コウガは淡々と答える。

 その声は、じゅの効果か、外界獣げかいじゅうの咆哮の中にあって、明瞭に聞き取れる。

外界獣あれの魂の叫びだ、咆哮の中に織り込まれた…外界獣あれの記憶だ」

「待って!?…これってみらいちゃんの…それじゃまさか…!」

 外界獣げかいじゅうは、腕や尾を激しく地面に叩きつける。そこから飛び散る破片や衝撃波をかわし、逸らせながら、コウガが答える。

「いかにも。ぶっきー(あるじ)よ、あれが『シロ』だ…あの外界獣げかいじゅうこそが、みらいの愛した猫の正体」

「そんな……」

 耳を聾する絶叫のような咆哮の中、コウガは身をかがめ、荒々しく振り回される腕を避ける。それから、外界獣げかいじゅうの肩に振れると、そのまま宙に投げ飛ばし、地面に叩きつける。

 外界獣げかいじゅうは、猛り狂い、飛びかかるようにコウガに突っ込む。が、コウガはそれを片手で易々と止める。

 コウガの手のひらに張り付いたように身動きを止めた外界獣げかいじゅうは、再び地面に叩きつけられた。

外界獣あれは求めている…己の死を…誰かに討たれる事を欲している。」

「どうして?!、なんで!?」

「飼い主…みらいと、それに繋がる者たちを傷つけまいとしている…」

 腕や尾を力任せに地面に叩きつける外界獣げかいじゅう

 しかしそれは威嚇というより、叶えられることのない望みのために、周囲に八つ当たりしているようにも見える。

きゃつは、おのれのみらいを傷つける事が無いように、己の死を欲しているのだ…我等に殺されたがっているのだ。」

「!!」

 さくらは息を呑む。

「そんな…助けてあげられないの?!」

 外怪獣げかいじゅうの腕も尾も、闇雲に振り回されているだけだが、それでも危険な事に違いはない。

 コウガは上にぐように腕を滑らせ、巨大な爪をさくらから逸らす。

 さくらは頭を抑えて、巨大な腕足の引き起こした風圧を避ける。

 コウガは答える。

「あれは…のモノの如き、低位の外界獣げかいじゅうは、己の力のみでは現界うつしよの知を維持できぬ。

 現界うつしよのモノを、喰らい続けねばならぬ…

 喰わねば、やがて、知を失い、己が力に支配され、ただ、破壊を続ける力そのものとなってしまう。

 高い知性と精神を持つ存在を…人間ひとを喰らい続けねば…故にきゃつは…」

 さくらは叫ぶ。

「そんなの!…コーちゃんの力で、何とかできないの?!…力を分けてあげるとか、できないの?!」

「蒸気機関に、電線を繋ぐようなものだ。それ(・・)で救うことは、できぬ(不可能)…」

 音速を越えて振り回される、尾を避ける、衝撃波が襲い、言葉が途切れる。

「そんなの…そんなの…なんで…どうして…?」

 さくらの悲痛な声。

外界獣あれの望みは、自らの死。そして、現界うつしよの人々の安寧を守るためにも、外界獣あれの命は、絶たねばならぬ…」

 コウガは外界獣げかいじゅうを見つめる。『それ』が、そう望むのであれば、為さねばなるまい。

 振り上げた指先にじゅが満ちる。

「だめッ!」

 さくらの声。

 コウガが振り向くと、零れそうな涙で目を腫らしたさくらが、それでも、暴れる外界獣げかいじゅうをしっかりと見据えている。

「コーちゃん?。コーちゃんが…それを決めたらダメ。」

「しかしぶっきー(我が主)よ、それでは…」

 さくらは涙を拭って言う。

「これは、お願いじゃなくて…」

 一瞬の躊躇ためらい。

「命令。コーちゃんのご主人さまとしての…」

 鼻水をすすって、さくらが続ける。

「コウガ、あれを、倒して…絶対!」

 コウガは、さくらの意図を理解した。

 あの、みらいが大事にしていた…自分自身が大事にされている事、愛されている事を理解し、感謝し、みらいを、みらいに繋がる現界うつしよの者をたち傷つけまいとして、自らを屠ってくれと懇願する外界獣げかいじゅうを屠るのは…

 自分さくらの勝手な命令。自分さくらの責任。

 みらいと一緒にシロを探したコウガの判断…コウガの責任ではない、と言っているのだ。

 あまりに生真面目な。

 あまりに無分別な。

 さくらが、自身が背負うことになる責任の重さの一端ですら、理解しているとは思えなかった。

 だが、それでも、この歳で、この状況で、外界獣げかいじゅうのために涙しながら、その決断を下せる者は、まず居まい。

御意ぎょい

 ならば、応えねばなるまい。あるじの負うと決めた責任の重さに。その決断に。

 外界獣げかいじゅうの悲痛なる咆哮に。その渇望に。

 コウガは外界獣げかいじゅうに向き直る。

 このまま(・・・・)では、外界獣げかいじゅう解放する(救う)事は不可能だ…

「しかし…」

 己の暴力の化身となる事に抵抗する、巨体の前に進む。

『我ヲ…殺セエエエエ…殺セエエエエエエエ…我ヲオオオ…滅セヨオオオ…!』

 外界獣げかいじゅうの魂を引きちぎる咆哮。

 封呪界に体を打ちつけ、己の体の傷つくことも構わず、狙いもなく、ただ爪で地面を掘り削り、尾を振り回し暴れる。

『一緒ニ居タイヨォオオオオ!、オ家ニ帰エリタイヨォオオオオ!、ミーチャアアアアアアアアン!』

 子供が、聞き入れられぬ自分の願いを叫びながら、嘆き悲しみ、泣き叫ぶかのように。

 僅かな体幹の動き、最小限の移動で、外界獣げかいじゅうの目標のない攻撃を避け、距離を詰める。

 さくらは、後ろからそれを見守ることしかできない。

 そして外界獣げかいじゅうの倒されれば、それは…さくらは、歯を食いしばった。

 コウガは、左手の指先にじゅ込めると、それを頭上にかざし、ゆっくり振り下ろす。指先は外界獣げかいじゅうを指す。

 そして、右手の平を返すと、指先を弓の弦を引くようにして口に添え、そしてわずかに何かを呟く。

 指先から光の矢が放たれ…それは外界獣げかいじゅうの体に深々と突き刺さる。

 伸ばした指先を横に振ると、外界獣げかいじゅうに突き刺さった光の矢が引き抜かれる、何かを引きずり出すかのように。

 外界獣げかいじゅうの絶叫が、封呪界の中で、ひときわ高く響く。

 光の矢の先端に刺さり、引き抜かれたそれは、明るく輝き、コウガの左手に収まる。

 続けて、コウガは横に降った腕の肘を真横に持ち上げ、指先を口元に置き、人にはつぶやくことの不可能な(できない)じゅを、つぶやいた。

 封呪界が吠え、唸りを上げ、軋りをたて…突然凍りついたよう澄んだ音を響かせ…そして虚空へ消え失せる。

 外界獣げかいじゅうは、輝く光の飛沫となって散り、煉獄の如き外界へと落ち戻り…。

 その瞬間、コウガとさくらの内に、鳴り響く鐘の音のような、あるいは走馬灯のようなイメージが駆け巡る。

 断末魔ではない…みらいとの記憶、遭遇、歓喜、みらいとの永劫の別れへの悲嘆と…そして、自らが討ち果たされた事への、心からの感謝と、己を支配しかけた欲望と絶望からの決別への喜び…外界獣げかいじゅうの…

『…リガトウ…アリガト…ミーチャ……』

 外界獣げかいじゅうも、封呪界も、通り過ぎた風の様に消え失せ、元通りの公園だけが残った。

 いや、ガードレールはひしゃげたまま。街路樹は倒れっぱなし。アスファルトには滑ったような跡と、地割れのようなヒビ、飛び散ったコンクリやアスファルトの破片もだ。

 何が起こったか分からない者から見れば、それは…例えば、大型のダンプカーか何かが引き起こした、そして現場から逃走した…自損事故の現場のように見えなくもない。

 コウガが振り返ると、さくらは、座り込んで泣いていた。両手で顔を抑え、それでも嗚咽おえつを抑えて。

 さくらの前には、横たわって動かぬ、外怪獣げかいじゅうの、現界うつしよでの仮りそめの姿…白と赤の紐で編まれた、鈴のついた首輪…シロの…

 なぜ、今際の際に、外怪獣げかいじゅうがこの姿を選んだのか、失われる瞬間に、残された全てを振り絞って、この姿を現界うつしよに残したのか、想像にかたくない。

ぶっきー(あるじ)よ…」

 手に、輝く『何か』を持ったコウガは、さくらに声をかける。

「…大丈夫だから、ごめんね、コウガ…ごめんね、少ししたら大丈夫になるから、だいじょうぶだから」

 さくらは、シャックリを繰り返し、すすり泣きながら答える。

 コウガは、ため息を付いた。この小さな主(さくら)は、あまりに安易に、あまりに大きなものを背負う選択をしてしまう。

 自分以外の誰かを傷つけないために…自分以外の全てを守りたいが為に。

 このままであれば、いずれ自ら選び背負ったものの重さに、潰されてしまうだろう…

 それは、コウガの「さくらを護る」という契約に反する。

「我があるじよ…」

 コウガはあらためて、さくらに声をかける。

「我が力を、ほんの一滴ひとしずく、分け与えたい者が居るのだが…」

 さくらは、鼻すすり、涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げた。

「我が願い、聞き届けて頂けぬだろうか?」


 その晩起きた、南第三公園前の事故は、多くの目撃者が居たにも関わらず、肝心の街路樹やガードレールなどを壊した何かは未だに分からないままだった。

 白いダンプカーと言うものもいたし、巨大な怪獣という者もいた。宇宙人が現れた、と言う者すら現れた。

 スマホのカメラや、現場周辺の防犯カメラに写っていた画像も、ブレたり歪んだりで、操作の役には立たなかった。

 結局『白いダンプカーのようなもの』が盛大な自損事故を起こし、さらに飼い猫を一匹はねて、現場から走り去っていった…という噂だけが残った。


 数日の後、さくらが縫いぐるみのような体に戻ったコウガを抱いて、さくらは買い物に向かっていた。

 今日の目的地は、南口商店街(アーケード)。母親から渡されたお買い物メモを見たさくらは、ちょっと嬉しくなっていたが、コウガには内緒にしていた。

 駅に近いその公園…南第三公園の中で、子供たちが集まって、小さな人だかりをつくっている。

 子供たちは、関心と歓喜、興味と驚きを声に出し、真ん中にいるそれを、より近くで見ようと寄り集まっていた。

 見ると、その人だかりの真ん中には…みらいが居た。

「コーちゃん、あれ!」

「うむ」

 さくらがコウガに言うと、コウガも頷いた。

 みらいは、小さな真っ黒い子猫…あの赤と白の首輪をつけている…を抱きしめて、皆に紹介している。

「この子はね、クロっていうんだよ!、シロちゃんのね、シロちゃんの子なんだよ!」

 さくらは、コウガを見る。コウガと視線が合い、嬉しそうに、でも少し悲しげな笑顔を浮かべる。

 コウガはあの時、外界獣げかいじゅうを討つ同時に、その身から現界うつしよで育まれた要素エレメントを抜き取った。それは、魂…心とも言えるし、みらいとの絆とも言えるだろう。

 その要素に、コウガは、己の力のほんの一滴ひとしずくと、現界うつしよの体を与えた。

「あの外界獣げかいじゅう現界うつしよでメス猫の姿であった事は、僥倖であった。みらいの両親が、シロを探す告知…ポスターというのか?、それを貼って回っていたことも。」

 さくらは頷く。

「そだねー…本当に良かった…」

 気のないような答えだが、その声の後ろには、今でもすぐに泣き出してしまいそうな感情が滲み出ている。

 心の中の感情の高ぶりを抑えるだけの時間が過ぎた後、さくらはコウガに訪ねた。

「そういえば、あの子は、なんでシロちゃんじゃなくて、シロちゃんの子供みたいな姿にしたの?」

「うむ。」

 コウガはさくらの腕から離れると、さくらと視線の高さを合わせる。

「結局、我は、あれ(・・)の全てを救えたわけではない。

 我が手にすることが出来たのは、あれ(・・)のごく一部だ…

 その一握りだけ残せたものに、元のシロの体を与えても、みらいは、その違いに気がついてしまうだろう。あれほどまでに、愛した存在なのだから。

 それ故に、我はあのシロの一部に、『シロの子供』、黒猫の姿を与えたのだ。

 都合の良いことに、外界獣げかいじゅうが公園の前を破壊してくれていた。そして『シロの体』も残してくれた…

 そこで、我はシロの残された体の近くに、黒猫それを残したのだ。」

 コウガは振り返ると、そのまま前に飛び進み始める。さくらもそれに付いていく。

「シロは、鉄の…ダンプカーか何かの起こした事故に巻き込まれて命を失い、そこにはシロの子が遺されていた。

 人間は、そう思ってくれるだろう、と。

 そして実際、そう思ってくれた。

 我は、周囲の者に黒猫を保護し、みらいの両親に連絡するように仕向け……」

 そこでもう一度、さくらの方に向き直る。

ってかくくのごとし、となったわけだ」

「ふぅん。」

 再び気のない答え。

 しかし、やはりその声の裏には、溢れそうな感情があった。

 僅かな無言の後、さくらは急に走り始め、コウガを追い抜く。

ぶっきー(あるじ)よ、どうした?」

 さくらは振り返ると、コウガに笑みを浮かべる。泣き出しそうな顔を誤魔化すための、作り笑い。

「お買い物、早く済ませちゃおうよ!、今日のお夕飯ゆうはん、鶏の唐揚げなんだって!」

「…鶏の唐揚げ?!」

 それを聞いたコウガは、飛び上がった。

「おおお…なんという、なんという!…鶏の唐揚げ!、鶏の唐揚げとな?!」

 コウガの脳裏に、あの揚げ上がったからあげの香りと、衣のサクッとした軽い食感、中から滲みだす肉汁…そして鶏肉の味が浮かび上がる」

ぶっきー(あるじ)よ、これは、我等の可及的かきゅうてき速やかなる行動が肝要だ!、急がねばならん!、く事を成さねばならん!」

 コウガも急いで前に飛び出す。

 二人は、南口商店街(アーケード)へと急いだ。


 …二人の後ろ姿を、一人の男が見つめていた。

「解せぬ」

 男は、漏らすように呟いた。


(続)

 当初の目論見と違って、なんか重めの話になりましたが、いかがだったでしょう?


 さて、次の話はどうなりますことやら。

 気長にお待ち頂ければ、これ幸い。

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