2・探索~悲痛と決意と救済と
今回も、難産ではありましたが、書いてる方は、大変楽しめました。
読者の皆さんも、お楽しみ頂ければ幸いです。
8/7・章末に3行だけ追加しました。読まなくても特に問題はない伏線です。
※(改)とある場合のほとんどは、誤字脱字、読み難さ部分の修正です。内容に影響のある変更が行われた場合は、ここに加えて、活動記録などでも報告します。
「カレーライス!!」
コウガは歓喜した。一階の台所から漂い来る、あの不可思議で刺激的な香りが、コウガの鼻腔を刺激する。
自ら気が付かぬままに、浮き上がり、縫いぐるみのような体は、さくらの頭上をふわふわと漂う。
その姿を見て、さくらは本を読む手を止めて、自分も嬉しそうにコウガを見上げた。
「コーちゃんは、本当にカレーライス好きだよねえ。」
「然り!、然り!!」
興奮したコウガは、言葉遣いが古臭く、堅苦しくなる。
「でも、どうしてそんなにカレーが好きなの?」
さくらの疑問に、コウガは歓喜に任せて、飛び続けながら答える。
「我がある…ぶっきーよ、カレーというものは、実に素晴らしい。現界の至宝の一つだ。」
うっとりとした声。契約した時は、こんなコウガを見ることになるとは、さくらは思いもしてなかった。
「そう、カレーライス……口の中で解け調和する、様々な具材、多種多様な香辛料。
それらが遍く、我が味覚嗅覚を刺激し、全身に、いかな力の満ちるにも引けを取らぬ、素晴らしき気血の流れを齎す。」
小さな体の大仰な身振り。
昔の人が書いた、何かを称える文章みたいな話し方に、さくらは苦笑する。
「おお、それこそは、現界の調和の象徴。
カレーライスの刺激を、他で味わう術は、存在しないであろう。
その美味こそは、天界にあると聞く貴顕の御饌、神々の食物に勝るとも劣るまい…
今宵、夕餉にカレーライスが供されるのだ…我が歓喜も、極まろうというもの。
待つ時間すら、愛おしい。喜びそのものだ。」
「いつもコウガが、凄い喜んでるから、お母さんも頑張って作ってるんだよ!」
コウガの表情はカレーを目にする前から、既に恍惚としている。
「正に、我が真の賞賛に値する!、嗚呼、感謝の極み…!」
もう、面白くすら聞こえる、壮大で芝居掛かったカレー賛美に割り込むように、さくらの母親の呼ぶ声が聞こえてきた。
「さくらー?、ごはんよー」
「はいー!、今行きまーす」
コウガは、まっさきに飛び出し、テーブルで待つカレーライスに飛びつきたい気持ちを抑え、さくらの準備を待って、後ろに従う。
その待ち遠しい時間も、歓喜の一部だ。
カレーライスには、それだけの価値がある。
カレーライスを何杯もおかわりし、存分に満喫したコウガは、さくらの部屋で満足気に浮いていた。
さくらも、今夜は特に機嫌がいい。家族みんなが一緒に食事ができたのだ。
父親は、残業で帰宅が遅れることが普通だが、今日は珍しく夕食に間に合う時間に家にたどり着けていた。
さくらの言うには、休みの日以外では、珍しいことらしい。
「…不思議だよねー」
さくらが、コウガを見て、ふと言う。
「お父さんも、お母さんも、コーちゃん見ても、全然驚かなかったんだもん。それに、ご飯を一緒に食べるのまで、許してくれるなんて、思ってもなかった」
「それは、さほど大した事ではない。」
コウガは浮いたまま答える。
「もともと、現界…この世界には、今の我のような小さき体の持ち主に恐怖を感じたり、嫌ったりする者は少ない。
おーちゃんの如く、我を「かわいい」と称して、触りたがり、掴みたがる者が多いほどだ。
我はそれを利用して、皆の心に訴えかけ、この体への違和感を消し去り『ごく当たり前にあるもの』として受け入れさせているのだ。」
「へええ!」
「あらゆる目に映るものだけではない。記録されるものも、受け入れられるものに変わる。
たとえば、カメラという道具で我の姿を捉えたとしても、写るのは縫いぐるみ。もし、我が町中で一人で居るところを『撮影』されても、誰かが手で持っている様にしか写らぬ。
そう仕向けている。」
「すーごい!、それじゃあ、学校でも、遊び行く時でも、コウガと一緒でいいんだね?!」
「無論だ。我が、ぶっきーと行動をともにする事に、支障はない」
「すごーい!、そしたらコーちゃんと一緒に学校に行けるんだ!。それなら、おーちゃんも喜ぶよ!、きっと!」
「それは…!」
コウガは浮いているところから、多少滑るように落ち、声のトーンも少し落ちる。
「…いささか遠慮したい。」
さくらは声を上げて笑う。
「コーちゃんは、おーちゃん苦手だよね」
「あの者…おーちゃんは…うむ…苦手、だな。それ以外に、我が心情を表す適切な表現が、見当たらぬ…」
その答えを聞いて、ひとしきり笑ったさくらは、天井に手を伸ばして気合を入れる。
「よし!、楽しいうちに宿題やっちゃうかー!」
宿題、コウガが疑問に思うものの一つだ。学校という場所で、学びを得ているというのに、それをなぜ学校の外にまで持ち出さねばならないのだろう?
「ぶっきーよ、その宿題や学びに、我の手助けは、必要としないのか?
いつも苦しみ、悩み、時間が掛かり、しかし、ぶっきーが求める程には、良い結果を出せていない様に思えるのだが?」
「なんだけどねー…」
さくらは問題集から目をはずし、コウガの方を見る
「んー、これはちゃんと自分でやらないと!、って思っちゃうんだー。自分でも、損してるんだと思うんだけど…
でも、いつも誰かに助けてもらってると、本当に自分ひとりになった時っていうか、誰にも助けてもらえない時に、自分だけじゃ、何もできなくなっちゃいそうだから…」
コウガに向けてガッツポーズ。
「だからね、できるだけ一人でやるの!」
「ふむ、なるほど。」
コウガは、さくらの答にうなずく。
ぶっきーの融通の効かなさ…別の言い方をすれば生真面目さ。これは間違いなく本物だ。
おーちゃんは、契約の場で『真面目すぎて、ちょっとなー』などと、大いに失礼な事を言っていた。
だが、大いに失礼であることに目を瞑れば、ぶっきーの性質…性格を、よく理解している。
おーちゃんの、容赦のない物言い。それが、万人に受け入れられるかはさておき、二人は、おそらくは良き友なのだろう。
コウガは、あらためてぶっきーの方を見る。何冊か本を開き、『ノート』と呼ばれる、平行線の走った筆記帳に、何をか鉛筆で書いている。
その手はよく止まるし、天井を見上げて、あるいはノートや本を見つめて、考え込んでいるときもよくあるし、長い。
ぶっきーの命を受けずとも、気が付かれぬままにその学びを手助けするのは、容易くはあった。
だが、コウガは、まだその必要はない、と、判断した。
必要な時が来れば、ぶっきー自身が、コウガにそれを求めだろう。
たとえそうでなくても、ぶっきーの危機を救うことは、契約の要なのだから。
翌日の午後、コウガは一人で街に出ていた。ぶっきーは、何も予定のないお休みの日、という事で、朝からずっと本を読んでいる。
もしぶっきーから連絡のあれば、世界の何処にいても、即戻ることができる。
コウガにとっては、距離は問題ではない。
それにコウガにとって、この世界は、まだ知らない事が多い。
この世界は、どんなところでも見て回りたい。
ぶっきーが本を読む事と同じくらい、好奇心を刺激される、発見に満ちた世界だ。
…今、コウガが居るのは、公園と呼ばれる広場だった。
ここは、主にぶっきーよりも幼い子供たちが遊ぶための広い場所。簡単な遊具、運動器具などが設置されているところもある。
この公園にはそうした、目立った遊具はないが、周囲をある程度の植生で囲ってあり、また誰でも座れる長い椅子もある。遊び疲れて休む者、あるいはここまで歩いてきて、一旦休憩を取る者、誰かと話すために座るものなど、様々だ。
コウガは、公園をひと通り見た後、先に行こうとすると、下から見上げる視線に気がついた。
視線の主は、さくらの胸のあたりになるだろう身長と、サッパリとしたショートカット、大きな目をした少女だ。
ショートパンツに重なるようにフリルの付いた薄手のワンピース。その上から色の濃いTシャツを重ね着している。Tシャツの裾には何かの動物を象った丸いバッチ。
その、まだ幼い、と言った方が良さそうな少女が、赤と白の二色の紐で編み上げられた紐を手に、こちらを見上げている。
少女の目には害意も敵意も……まあ、イタズラする気がない事は、すぐに分かった。
ならば、最低限の敬意は持って然るべき。つまり視線の高さは合わせるべきだ。コウガはそう思って、少女のところまで降りる。
と、少女はコウガに話しかけてきた。
「あの…抱っこしていい?」
コウガは少し考えて答えた。
「良かろう」
少女は、子供らしいストレートな喜びの笑顔を浮かべる。
「ありがとう!」
御礼の言葉もそこそこに、コウガは少女に掴まれると、そのまま抱きしめられた。
色々言いたいことはあったが、その言葉を飲み込む。
脳裏におーちゃんの姿がよぎった。
「あなたのお名前は、なんていうの?」
コウガを抱きしめたその子は、そのままベンチに座ると、屈託もなく尋ねてきた。
その問を聞いて、コウガは思わず口ごもったが、現界での真名の扱いの軽さを思い出す。そして、ぶっきーの言葉を思い出して、答える。
「我…わたしは、コーちゃんと呼ばれている。」
「へー、コーちゃんっていうんだ!、ふーん?」
その子はコウガを抱きしめる力を一瞬強めてから、自分も名前を言う。
「わたしはね、みらい。常葉みらい、っていうの。みんなには、みーちゃんって呼ばれてるよ?」
コウガは、躊躇なく初対面の存在に自分の真名…名前を晒す少女に、やはり驚きを覚える。
「みーちゃん、なるほど。」
「それでね、コーちゃんね。わたし、シロちゃん…猫ちゃんを探してるの。
真っ白い、この紐とおそろいの、鈴のついた首輪を付けた子!」
少女が誇らしげに見せてきたのは、手に持っていた赤と白の紐が編み上げられたリード。
先端には首輪かハーネスに繋がるであろうフックが、反対側はリング上に編み上げられており、手首に引っ掛けやすくなっている。
自分ではなく、真っ先に猫の事を語りだしたのだから、余程気に入っている猫なのだろう。
リードを下ろした少女は、少し俯いて寂しそうにつぶやいた。
「シロちゃんね、おうちで飼ってたのに、逃げちゃったの……」
「ふむ。」
「それでね、シロちゃんをずっと探してるんだけど、どこに居るか分からなくて……もう、何日も探してるの。」
当然のことだ。コウガは思った。
ぶっきーと共に暮らして分かってきたが、この街は、さして大きなものではない。都会と呼ばれる構造の最下限にある。
しかし、人間が一人で、一匹の猫を探し回るには、充分広大だ。子供となれば、なおさらだ。
迷子になった直後、家の近所にいる間なら、比較的容易に見つかるかもしれないが、その後は、まず見つかることはあるまい。
運…偶然を頼むしかない…人間にとってはそうだ。
「ねぇ、コーちゃん、シロちゃん探すの、手伝ってくれる?」
コウガは、自分を抱いている子供を見上げた。
これまで、誰に頼ることもできなかったのであろう。半ば諦めを含んだ、それでも期待する視線。
「ふむ、よかろう。」
「え!?、本当?!」
子供…みらいは、驚きと喜びの綯い交ぜになった表情をコウガに向ける。
「あ!、あの、ありがとう!、嬉しい!、コーちゃん好き!」
みらいは、感謝と喜びが相まって、コウガを強く抱きしめて、頬ずりした。が、コウガにとっては、おーちゃんの再来…災厄でしかない。
しかし、今回、災厄を呼び寄せたのは、他ならぬ自分である。
コウガは、心を無にして、それを受け流す事にした。
みらいは、出会った公園から歩き出した後、コウガを抱きしめたまま、もう数十分も歩き続けていた。
気になった場所を覗き込んだり、シロを呼んだりを繰り返している。
合間合間に、シロのことを話し、その話が途切れると、また路地や植生の根本を覗き込み、シロを呼ぶ。
「シロちゃんはね、一杯いっぱい食べる、良い子だったんだよ?」
「シロちゃんはね、みーちゃんのベットの上でお腹出して寝るんだよ?」
「シロちゃんはね、私が宿題やってると、いつもイタズラしに来るんだよ?」
「シロちゃんが、いっぱい食べるから、みーちゃんも、いっぱい食べるようになったんだよ?」
「シロちゃんは誰にでも、いい子だったよ?」
真っ白で、素早くて、大きくて、右と左の目の色が違って、オシャレで、可愛くて、甘えん坊で、きれい好きで、イタズラ好きの女の子で……
みらいの、思い出せるだけの、コウガに語る全てが、シロという猫への賛美と自慢に満ちていた。
それだけ、愛着のある、大事な存在なのだろう。
だが、みらいは、『探す』と言うだけで、家から、通っているのであろう幼稚園の間を往復し、同じところを回るばかり。このままでは、探すとは名ばかりの散歩でしかない。
コウガは、みらいに聞いた。
「ところで、みーちゃん。家の周り…この近く以外で、シロが行きそうな場所はないのか?、たとえば、シロをどこで拾ったのか、覚えているか?」
みらいは頭を振った。
「シロちゃんは、拾ったんじゃないの。冬の寒かった日に、お家に迷い込んできたの。
それでね、お母さんが『こんなにキレイだから、どこかの迷い猫かも』って言って、シロちゃんの写真を撮って色々な所に貼ったんだよ!。でも、飼ってる人は来なかったの。」
嬉しそうな声。
「それで、シロちゃんは、みーちゃんのお家で飼う事になったんだよ?、シロちゃんの名前も、みーちゃんが『真っ白だからシロ』って付けたんだよ?」
子供心に余程印象深い出来事だったのだろう。年に似合わぬ理路整然とした説明。想像の付け入る隙もない。
「ふむ」
そこまで話したみらいは、立ち止まると「んー」と呟いて口ごもった。
何秒か、首をひねって唸ると
「そうだ!、公園(こーえん!)!」
と叫んだ。
「公園?」
「公園(こーえん!)!、駅の近くの!、みーちゃんね、一度だけシロちゃん抱っこして、公園でみんなに見せたことがあるんだよ!」
コウガは上を向いて、自分を抱きしめている少女の顔を見上げる。
「なるほど、そこなら、シロが居るやも知れぬ。早速行ってみよう。」
家の近所以外に迷った猫が、一度訪れただけの場所で飼い主を待っている可能性は乏しい。
それでも貴重な思い出。貴重なヒントである。行かぬ理由はどこにもない。
みらいは、コウガを抱えたまま、急ぎその公園へと向かった。
信号で何回か足を止めたものの、子供の精一杯にしては、上出来と言える速さで、目的地へたどり着く。
そこは、駅前のロータリーから、放射状に伸びる2本の道とビルに挟まれた、すこし細長い公園。
それぞれの道につながる出入り口と、真ん中の三ヶ所に街灯がある。
みらいから見て、奥の方の出入り口近くに公衆トイレがあって、真ん中の街灯の近くには、中でボール遊びが出来るように、金網でできた檻のようなボールフェンス。あとは低い鉄棒と、ちょっとしたベンチのある広場。
それぞれを繋ぐレンガ敷の通路、外周を囲むようにある植生。
子供たちは思いおもいに、追い駆けっこや、ボール遊び、あるいは集まっておしゃべりを楽しんでいる。鉄棒にぶら下がり、しがみついたり、上に乗る事に挑戦している子供もいる。
どこにでもありそうな、普通の公園。そして、ここは、他に比べるとだいぶ子供が多く、賑わっていると言っていいだろう。
だが、みらいが足を踏み入れようとした時、コウガは、こぼれそうになった驚きの声を飲み込んだ。
そこの中から感じる気配…現界のモノではない。外界の何者かが、ここに居る…ここを棲家としている。
みらいと、この公園を探し回ることは危険だ。
コウガが「戻ろう」と言いかけた所で、遠くから、幾重にも重なった、オルゴールの音が聞こえてきた。
そして、女性の声。
「午後、4時に、なりました。小学生までの、みなさんは、おうちに、帰りましょう。」
毎日、この時間になると、街の中に鳴り響く、子供たちに、日没前の帰宅を促す通告だ。
「あー…」
みらいの残念そうな声。
「みーちゃん、もうお家に帰らなきゃ……」
子供らしい根拠のない確信だとしても、あと少しでシロを見つけられる!、シロと会える!、と思っていたのだろう。
期待が失望に変わったみらいは、悲しげに俯いた。
「我…わたしが、後でもう一度探しに来よう。だから安心して、家に帰るとよい。」
「ほ、本当?!」
みらいは、本当に予想しなかったのだろう。コウガの言葉に心からの喜びを見せた。
「うむ」
満面の笑みでコウガを抱き寄せたみらいは、再びコウガを強く抱きしめて、頬ずりし、自分の喜びと感謝を顕にする。
「ありがとう!、ありがとう!、コーちゃんやさしい!、みーちゃん嬉しい!、すごい嬉しい!」
抱きしめから頬ずりに至る連続攻撃は、コウガにとっては心を無にして受け流すべきものだ。
が、今回は、いつもほど悪い気はしなかった。
家に戻って、夕食の後、コウガは、今日あった事や、みらいとのやり取りを、さくらに詳しく話した。
「南第三公園じゃないかな、そこ?」
最後の公園のところで、さくらは、その名前を口にした。
「ぶっきーは、知っているのか?」
「うん。駅に行くときとか、本屋に行くときとか、前を通るし、子供の頃は何度も遊びに行ったし…それに」
「それに?」
さくらは椅子の背もたれに背を預けて天井を見る。
「最近、あの公園に、大きな…犬みたいな動物が出るって噂があって、それでよく話題に出てくるんだ。
学校でも、ネットでも」
「…大きな動物?」
「そう。セントバーナードとか、クマみたいな大きさだっていう人もいるけど、もっとデッカいって言う人もいるよ。
白くてデカくて、いきなり唸ってくるんだって。それで何人も驚かされたとか、襲われそうになったとかって。
でも、探しても全然見つからなくて…何人も見てるのに、見つからないなんて不思議だよねー…」
そこまで言ったさくらは、何かに気がついて手を叩いた。
「あ、そうだ!」
さくらは、スマホを手に取ると、検索で画像を探し、コウガにそれを見せる。
「これが『南第三公園の怪物』!」
『怪物』を撮影したと言う画像は何枚かあったが、どれも、よほど慌てて撮ったらしく、何もかも奇妙にブレていて、画質はかなり悪い。
だが、どの画像にも、公園の奥らしい植生の中に、大型犬のようなサイズの『白い何か』が居るのが写っている。
コウガは眉根を寄せた。
「確かに、何か白いものが居るようだが…これだけで判断するわけにも、行かんな。」
「だよねー」
さくらは、スマホを元の場所に戻すと、「ぷぅ」と息を吐き、椅子の背もたれに寄りかかる。
「それで…どうするの?、このままにして良い訳じゃないんでしょ?」
「看過はできぬ。」
コウガは腕組みをしてテーブルの上に浮いている。
「写真に写っていたのが、外界のモノかは分からぬ、だが…『南第三公園』とやらに、外界の何者かの気配がするのは、間違いない。
放置すれば、いずれ間違いなくぶっきーや、現界の者たちに災いを齎す。
それは、我らが契約に悖る…契約の許すところではない。」
さくらは、椅子から、テーブルの上に浮くコウガの前に座り直す。
「そういえば、みらいちゃんが、シロちゃんを連れて行ったことのある公園なんでしょ?、もしかしたらシロちゃんも、そこに居るかも!」
「…うむ」
いつものコウガらしくない、歯切れの悪い答。
さくらは、コウガのそんな様子に気づかずに続ける。
「じゃあ行こう!、シロちゃんだって、もし公園にいるなら、逃げ出せないで隠れてるかもしれないし、『外界の何者か』だって、居るんだったら、今のうちに捕まえるかしないと、大変なことになっちゃうんでしょ!」
コウガは驚いてさくらに聞く。
「今から…ぶっきーと共に?」
さくらはコウガの前で正座して胸を張り、腕組みをする。
「もちろん!。コーちゃんの、ご主人さまだもん!」
……本音は『面白そうだから』と、いったところだろう。
「御意。」
コウガは眉根を揉みたい気持ちを抑えて、答えた。
「ちょっと走ってくるから!、気分転換!」
さくらはコウガを抱いて一階のリビングの飛び込む
ショートの髪の毛の前髪はタオル地のヘアバンドで抑え、スポーツシューズにジョギング用のジャージ。そしてスポーツシューズ。腕にはスマホバンド。
縫いぐるみのようなコウガを抱えていることを除けば、立派な夜のジョギングスタイルだ。
「あら?、大丈夫なの?」
いつもの事なのか、さほど驚きもない母親の声。さくらは、さほど心配していないような…つまりは、信頼している母親の質問に答える。
「大丈夫、コーちゃんも一緒だよ!、並木の散歩道一往復してくるから!」
「気をつけてねー。コーちゃーん、さくら、ちゃんと見ててね!」
母親の声
「はーい!」
「心得た!」
さくらは、玄関を出ると、夜の街を小走りで走っていた。
ジョギング向けに整備された、並木の散歩道に向かう、と言ったが、確かめに来るとも思えないし、バレてもそれくらいの嘘は許してもらえる。さくらは、思春期の軽率さもあってか、そう判断していた。
向かうのは、並木と反対の、みらいちゃんが、シロをみんなに見せたという、そしてコウガが異世界からきた怪物の気配を感じたという、そして犬のような白い怪物が出た、という噂のある、南第三公園。駅の南口に近いところだ。
これが、北口側だったら、さくらも行こうとは言わなかったろう。
飲み屋やゲームセンターなどが立ち並ぶ繁華街になっている上に、駅を通り抜けるか、陸橋を渡らないと辿り着けないからだ。
今は夜…とはいえ、大人であれば、まだ宵の口だ、と思うだろう。
南口商店街の店は、ほぼ閉まっているが、高校生向けの学習塾は、まだ授業をやっている。
ファミレスや、カラオケ店、コンビニはもちろん、スーパーも本屋も何店舗か開いている。
駅に電車が到着すれば、人通りもそれなりに増える。
このあたりの時間帯で『学生が一人で出歩いて、警官や指導員に見咎められた』と、いう話は聞いたことがない。
程なく、さくらとコウガは、南第三公園にたどり着く。
街灯のお陰で、中は充分に明るい。
コウガを抱えたまま、さくらはその中に入った。
昼の間は、子供たちの声で溢れていたが、今はひっそりしている。ただ静かなだけでなく、何か空気の沈んだような、重苦しい気配がある…何者かの『気配』。
さくらは、不安そうに左右を見ながら、公園の中へと進と、広場の真ん中あたりで足を止めた。
「コーちゃん…」
さくらの、コウガを抱きしめる力が、ほんの少し強くなる。
「ぶっきーよ、中をよく調べねばならぬ。何が起きるか分からぬゆえ、道の方に戻って欲しい。」
コウガはさくらの手を離れると、浮き上がって、自分の額をさくらの額と合わせる。
「?」
「ごく簡単な呪だ。これで、しばらくは、どんなに離れていても、轟音や静寂に包まれたとしても、我等のお互いの声が、間近に聞こえる。聞き逃すこともない。」
そう言うとコウガは、公園の奥へと飛んで行く。
さっきから感じていた、『気配』の主の注意が、自分に向けられている事に、コウガは気がついていた。
『気配』の主は、公園の真ん中、ボールフェンスの奥の植生の中に居る。
小さくて、猫のような…だが…コウガは眉をひそめる。
当たって欲しくない予感ほど、よく当たるものだ。
しかし、そこで隠れて動かないなら、都合がいい。そのまま封じれば良いのだから。
封じるための呪を放とうとした瞬間、『それ』が飛び出してきた。
猫のような大きさだったはずの『それ』は、跳躍の弧を描く間に巨大化し、犬どころかヒグマのような巨体となって、公園の外に飛び出す。
「!」
コウガは『それ』を追いかける、その後ろから、さくらも続く。
『それ』は、熊でも犬でもなかった。恐竜に似たところはあったが、それとも違う。
毛のない体、白く細長い鱗のないトカゲのような体と頭。腹は薄い灰色の腹盤が並ぶ。顎と頭は太く長く、目も鼻もそれらしきものが、無い。
その代わり、橙の光が漏れだす裂け目が、頭と顎の左右に一対づつ…四本ある。何の役に立っているのかは分からない。
人の腕ほどもある爪が二本、筋肉質の太い前足の先から生えている。
後ろ足は腕を反転コピーして下半身に付けたように、腕そのものが後ろ向きに生えている。
尾は胴体と同じくらい長く、先端には、左右対称に二つづつ鋭いトゲが…
『それ』は、上半身を起こすと、周囲の窓ガラスを震わせるほどの声で吠える。
金管楽器……どちらかと言えば、大型船の汽笛のような低い音。叫ぶような。
コウガはその巨体を前にして、微動だにしない。
「こ…コーちゃん?!」
「外界のモノ…外界獣。現界の理の外にある獣…この世ならざるモノだ。
原因は分からぬが、何らかの理由で現界に…ここに、浮かび出たのだろう。
あれこそが、『南第三公園の怪物』に違いあるまい。」
外界獣は、アスファルトを前足の爪で何度か掻いて、引き剥がす。再び大きく吠え、巨大な爪のついた腕を振り回し、ガードレールを吹き飛ばすと、サゴマイザーのついた尾で街路樹を根本からへし折る。
街の人たちが、慌てて逃げ出す。叫んで転ぶものもいる。
スマホを構えるものもいたが、外界獣の、根源の恐怖を刺激する、低く震えるような咆哮を聞いて腰を抜かしたり、スマホすら落として逃げ出していった。
あまりの恐怖に失禁したものも居たようだ。
「コーちゃん!」
「討つしかあるまい!」
こんなの…こんな怪獣、戦車がいっぱいないと、勝てっこない!、さくらにはそう思った。
その巨大な怪物、外界獣に立ち向かうには、コウガの今の体は、あまりに小さく非力に見える。
やっつけるなら、コウガが力を出し切れたほうがいいに決まっている!
さくらが叫んだ。
「わかった!、コーちゃんっ!!……全開で、いいよ!」
「御意」
コウガの背中に幾重にも重なった回路図…魔法陣…象形文字の綯い交ぜになったような光の円盤が現れる。そして、コウガの背後の地面にも。
何かが歌うよな、高い歓喜の音。それとともに地面の光の円盤から、自らの肩を抱くように腕を組んだ、長身のコウガが現れる。
そして、縫いぐるみのような体が、背後の光の円盤に吸い込まれ…長身のコウガが目を開いた。
黒い全身を走る、鮮やかな光の帯が幾重にも重なり、金の光を放つ。
「我が主の命のままに…」
右目に掛かる前髪をかきあげる。
全身を走り輝く金色の帯。不可思議な平行線と曲線で繋がった幾何学模様が、鮮やかなブルーグリーンに変わり、金色の瞳が、一層明るく輝いた。
さらなる咆哮。外界獣の、魂を引き千切るような叫び。
先程からの騒ぎで、周囲のマンションや店舗の窓にも次々と明かりが灯る。
歩行者や住人が何事かと近寄り、ビルの入口や玄関から身を乗り出して、こちらを見つける者たちも現れた。スマホを向けて写真を撮る者も。
これ以上騒ぎを大きくすべきではない。コウガはそう判断した。
それに、ここで、外界獣の力任せに暴れるのも、あまり好ましくない。地に降り、左手を外界獣にかざし、呪を込めて、何かを呟く。
瞬間、周囲の色が失せ、空気が凍りつく。人が消え、風が止まり、空が暗く紺碧一色に染まる。
さくらは驚いて周囲を見る。
「わ?!、なにこれ?!」
「封呪界だ。我等の居た公園と周囲を、我が私有空間の一つに移した。此処は、もはや我が空間、我が世界。
ここでは、我等と、外怪獣以外は、全て見せかけ。封呪界内の、あらゆる破壊は、無効化される。」
「?!、ど、どういう事?!」
「ここでは、奴と我等以外の誰もいない…そして、ここで我等以外の何が攻撃を受けても、何一つ問題は無い」
コウガは、悠然と外界獣に歩み寄っていく。
外怪獣は、尾を振り回し、公園のボールフェンスを破壊し、木々をへし折る。
さくらは、その音と衝撃で思わず首をすすめる。
金属のひしゃげる音も、引きちぎられる音も、本物そのもの。さくらにはコウガの言う『見せかけ』という意味がわからない。
ただ、音は異様に響いて、残響が残る。まるで巨大なホールの中にいるよう。
風景は大きく変わっている。建物や地面は、目に映る建物も木々も、形こそ本当にそのままだが、色は何もかもフィルタを掛けたような白と青黒のモノトーン。
コウガとさくら自身、そして外界獣だけが元の色彩を保ち、浮き上がっているように見える。
空は雲も星もない一面の青。曇りの日のように、影がハッキリしない。明け方の様な、夕方のような、薄暗いような、明るいような。昼とも夜ともつかない。
その封呪界の中に響き渡る、外界獣の低く、巨大な金管楽器のような…あるいは、大型船の汽笛のような咆哮の中に織り込まれた、『意味』の奔流。魂の叫び。
『堕トサレタ……迷イ込ンダ……ミーチャン……救ワレタ…助ケラレタ…』
外界獣の咆哮と共に、頭の中に流れ込む、猫と少女の思い出。
家の中に家族として受け入れられ、餌をもらい、遊び、一緒に寝て、絵本を読む邪魔をして…
『ミーチャン…ミライ…守ル…ミンナ守ル…!、我ヲ…討テ…!!』
内より沸き上がる衝動に耐え、家を去り…
泣き叫ぶ様な、懇願するような、切り裂かれるような…
『我ヲ…殺セ…我を殺セ…滅セヨ…!、ミーチャン…ッ!、一緒ニ居タイ!、一緒ニ居タイヨォオオオオ!!』
頭の中に流れ込む何かを、止めるかのように耳を塞ぐさくら。
コウガに向かって叫ぶ。
「コーちゃん!、これ何?!、なんなの!?」
コウガは淡々と答える。
その声は、呪の効果か、外界獣の咆哮の中にあって、明瞭に聞き取れる。
「外界獣の魂の叫びだ、咆哮の中に織り込まれた…外界獣の記憶だ」
「待って!?…これってみらいちゃんの…それじゃまさか…!」
外界獣は、腕や尾を激しく地面に叩きつける。そこから飛び散る破片や衝撃波を躱し、逸らせながら、コウガが答える。
「いかにも。ぶっきーよ、あれが『シロ』だ…あの外界獣こそが、みらいの愛した猫の正体」
「そんな……」
耳を聾する絶叫のような咆哮の中、コウガは身をかがめ、荒々しく振り回される腕を避ける。それから、外界獣の肩に振れると、そのまま宙に投げ飛ばし、地面に叩きつける。
外界獣は、猛り狂い、飛びかかるようにコウガに突っ込む。が、コウガはそれを片手で易々と止める。
コウガの手のひらに張り付いたように身動きを止めた外界獣は、再び地面に叩きつけられた。
「外界獣は求めている…己の死を…誰かに討たれる事を欲している。」
「どうして?!、なんで!?」
「飼い主…みらいと、それに繋がる者たちを傷つけまいとしている…」
腕や尾を力任せに地面に叩きつける外界獣。
しかしそれは威嚇というより、叶えられることのない望みのために、周囲に八つ当たりしているようにも見える。
「奴は、己のみらいを傷つける事が無いように、己の死を欲しているのだ…我等に殺されたがっているのだ。」
「!!」
さくらは息を呑む。
「そんな…助けてあげられないの?!」
外怪獣の腕も尾も、闇雲に振り回されているだけだが、それでも危険な事に違いはない。
コウガは上に薙ぐように腕を滑らせ、巨大な爪をさくらから逸らす。
さくらは頭を抑えて、巨大な腕足の引き起こした風圧を避ける。
コウガは答える。
「あれは…彼のモノの如き、低位の外界獣は、己の力のみでは現界の知を維持できぬ。
現界のモノを、喰らい続けねばならぬ…
喰わねば、やがて、知を失い、己が力に支配され、ただ、破壊を続ける力そのものとなってしまう。
高い知性と精神を持つ存在を…人間を喰らい続けねば…故に奴は…」
さくらは叫ぶ。
「そんなの!…コーちゃんの力で、何とかできないの?!…力を分けてあげるとか、できないの?!」
「蒸気機関に、電線を繋ぐようなものだ。それで救うことは、できぬ…」
音速を越えて振り回される、尾を避ける、衝撃波が襲い、言葉が途切れる。
「そんなの…そんなの…なんで…どうして…?」
さくらの悲痛な声。
「外界獣の望みは、自らの死。そして、現界の人々の安寧を守るためにも、外界獣の命は、絶たねばならぬ…」
コウガは外界獣を見つめる。『それ』が、そう望むのであれば、為さねばなるまい。
振り上げた指先に咒が満ちる。
「だめッ!」
さくらの声。
コウガが振り向くと、零れそうな涙で目を腫らしたさくらが、それでも、暴れる外界獣をしっかりと見据えている。
「コーちゃん?。コーちゃんが…それを決めたらダメ。」
「しかしぶっきーよ、それでは…」
さくらは涙を拭って言う。
「これは、お願いじゃなくて…」
一瞬の躊躇い。
「命令。コーちゃんのご主人さまとしての…」
鼻水をすすって、さくらが続ける。
「コウガ、あれを、倒して…絶対!」
コウガは、さくらの意図を理解した。
あの、みらいが大事にしていた…自分自身が大事にされている事、愛されている事を理解し、感謝し、みらいを、みらいに繋がる現界の者をたち傷つけまいとして、自らを屠ってくれと懇願する外界獣を屠るのは…
自分の勝手な命令。自分の責任。
みらいと一緒にシロを探したコウガの判断…コウガの責任ではない、と言っているのだ。
あまりに生真面目な。
あまりに無分別な。
さくらが、自身が背負うことになる責任の重さの一端ですら、理解しているとは思えなかった。
だが、それでも、この歳で、この状況で、外界獣のために涙しながら、その決断を下せる者は、まず居まい。
「御意」
ならば、応えねばなるまい。主の負うと決めた責任の重さに。その決断に。
外界獣の悲痛なる咆哮に。その渇望に。
コウガは外界獣に向き直る。
このままでは、外界獣を解放する事は不可能だ…
「しかし…」
己の暴力の化身となる事に抵抗する、巨体の前に進む。
『我ヲ…殺セエエエエ…殺セエエエエエエエ…我ヲオオオ…滅セヨオオオ…!』
外界獣の魂を引きちぎる咆哮。
封呪界に体を打ちつけ、己の体の傷つくことも構わず、狙いもなく、ただ爪で地面を掘り削り、尾を振り回し暴れる。
『一緒ニ居タイヨォオオオオ!、オ家ニ帰エリタイヨォオオオオ!、ミーチャアアアアアアアアン!』
子供が、聞き入れられぬ自分の願いを叫びながら、嘆き悲しみ、泣き叫ぶかのように。
僅かな体幹の動き、最小限の移動で、外界獣の目標のない攻撃を避け、距離を詰める。
さくらは、後ろからそれを見守ることしかできない。
そして外界獣の倒されれば、それは…さくらは、歯を食いしばった。
コウガは、左手の指先に呪込めると、それを頭上にかざし、ゆっくり振り下ろす。指先は外界獣を指す。
そして、右手の平を返すと、指先を弓の弦を引くようにして口に添え、そしてわずかに何かを呟く。
指先から光の矢が放たれ…それは外界獣の体に深々と突き刺さる。
伸ばした指先を横に振ると、外界獣に突き刺さった光の矢が引き抜かれる、何かを引きずり出すかのように。
外界獣の絶叫が、封呪界の中で、ひときわ高く響く。
光の矢の先端に刺さり、引き抜かれたそれは、明るく輝き、コウガの左手に収まる。
続けて、コウガは横に降った腕の肘を真横に持ち上げ、指先を口元に置き、人には呟くことの不可能な呪を、呟いた。
封呪界が吠え、唸りを上げ、軋りをたて…突然凍りついたよう澄んだ音を響かせ…そして虚空へ消え失せる。
外界獣は、輝く光の飛沫となって散り、煉獄の如き外界へと落ち戻り…。
その瞬間、コウガとさくらの内に、鳴り響く鐘の音のような、あるいは走馬灯のようなイメージが駆け巡る。
断末魔ではない…みらいとの記憶、遭遇、歓喜、みらいとの永劫の別れへの悲嘆と…そして、自らが討ち果たされた事への、心からの感謝と、己を支配しかけた欲望と絶望からの決別への喜び…外界獣の…
『…リガトウ…アリガト…ミーチャ……』
外界獣も、封呪界も、通り過ぎた風の様に消え失せ、元通りの公園だけが残った。
いや、ガードレールはひしゃげたまま。街路樹は倒れっぱなし。アスファルトには滑ったような跡と、地割れのようなヒビ、飛び散ったコンクリやアスファルトの破片もだ。
何が起こったか分からない者から見れば、それは…例えば、大型のダンプカーか何かが引き起こした、そして現場から逃走した…自損事故の現場のように見えなくもない。
コウガが振り返ると、さくらは、座り込んで泣いていた。両手で顔を抑え、それでも嗚咽を抑えて。
さくらの前には、横たわって動かぬ、外怪獣の、現界での仮りそめの姿…白と赤の紐で編まれた、鈴のついた首輪…シロの…
なぜ、今際の際に、外怪獣がこの姿を選んだのか、失われる瞬間に、残された全てを振り絞って、この姿を現界に残したのか、想像に難くない。
「ぶっきーよ…」
手に、輝く『何か』を持ったコウガは、さくらに声をかける。
「…大丈夫だから、ごめんね、コウガ…ごめんね、少ししたら大丈夫になるから、だいじょうぶだから」
さくらは、シャックリを繰り返し、すすり泣きながら答える。
コウガは、ため息を付いた。この小さな主は、あまりに安易に、あまりに大きなものを背負う選択をしてしまう。
自分以外の誰かを傷つけないために…自分以外の全てを守りたいが為に。
このままであれば、いずれ自ら選び背負ったものの重さに、潰されてしまうだろう…
それは、コウガの「主を護る」という契約に反する。
「我が主よ…」
コウガは改めて、さくらに声をかける。
「我が力を、ほんの一滴、分け与えたい者が居るのだが…」
さくらは、鼻すすり、涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げた。
「我が願い、聞き届けて頂けぬだろうか?」
その晩起きた、南第三公園前の事故は、多くの目撃者が居たにも関わらず、肝心の街路樹やガードレールなどを壊した何かは未だに分からないままだった。
白いダンプカーと言うものもいたし、巨大な怪獣という者もいた。宇宙人が現れた、と言う者すら現れた。
スマホのカメラや、現場周辺の防犯カメラに写っていた画像も、ブレたり歪んだりで、操作の役には立たなかった。
結局『白いダンプカーのようなもの』が盛大な自損事故を起こし、さらに飼い猫を一匹はねて、現場から走り去っていった…という噂だけが残った。
数日の後、さくらが縫いぐるみのような体に戻ったコウガを抱いて、さくらは買い物に向かっていた。
今日の目的地は、南口商店街。母親から渡されたお買い物メモを見たさくらは、ちょっと嬉しくなっていたが、コウガには内緒にしていた。
駅に近いその公園…南第三公園の中で、子供たちが集まって、小さな人だかりをつくっている。
子供たちは、関心と歓喜、興味と驚きを声に出し、真ん中にいるそれを、より近くで見ようと寄り集まっていた。
見ると、その人だかりの真ん中には…みらいが居た。
「コーちゃん、あれ!」
「うむ」
さくらがコウガに言うと、コウガも頷いた。
みらいは、小さな真っ黒い子猫…あの赤と白の首輪をつけている…を抱きしめて、皆に紹介している。
「この子はね、クロっていうんだよ!、シロちゃんのね、シロちゃんの子なんだよ!」
さくらは、コウガを見る。コウガと視線が合い、嬉しそうに、でも少し悲しげな笑顔を浮かべる。
コウガはあの時、外界獣を討つ同時に、その身から現界で育まれた要素を抜き取った。それは、魂…心とも言えるし、みらいとの絆とも言えるだろう。
その要素に、コウガは、己の力のほんの一滴と、現界の体を与えた。
「あの外界獣が現界でメス猫の姿であった事は、僥倖であった。みらいの両親が、シロを探す告知…ポスターというのか?、それを貼って回っていたことも。」
さくらは頷く。
「そだねー…本当に良かった…」
気のないような答えだが、その声の後ろには、今でもすぐに泣き出してしまいそうな感情が滲み出ている。
心の中の感情の高ぶりを抑えるだけの時間が過ぎた後、さくらはコウガに訪ねた。
「そういえば、あの子は、なんでシロちゃんじゃなくて、シロちゃんの子供みたいな姿にしたの?」
「うむ。」
コウガはさくらの腕から離れると、さくらと視線の高さを合わせる。
「結局、我は、あれの全てを救えたわけではない。
我が手にすることが出来たのは、あれのごく一部だ…
その一握りだけ残せたものに、元のシロの体を与えても、みらいは、その違いに気がついてしまうだろう。あれほどまでに、愛した存在なのだから。
それ故に、我はあのシロの一部に、『シロの子供』、黒猫の姿を与えたのだ。
都合の良いことに、外界獣が公園の前を破壊してくれていた。そして『シロの体』も残してくれた…
そこで、我はシロの残された体の近くに、黒猫を残したのだ。」
コウガは振り返ると、そのまま前に飛び進み始める。さくらもそれに付いていく。
「シロは、鉄の…ダンプカーか何かの起こした事故に巻き込まれて命を失い、そこにはシロの子が遺されていた。
人間は、そう思ってくれるだろう、と。
そして実際、そう思ってくれた。
我は、周囲の者に黒猫を保護し、みらいの両親に連絡するように仕向け……」
そこでもう一度、さくらの方に向き直る。
「拠って斯くの如し、となったわけだ」
「ふぅん。」
再び気のない答え。
しかし、やはりその声の裏には、溢れそうな感情があった。
僅かな無言の後、さくらは急に走り始め、コウガを追い抜く。
「ぶっきーよ、どうした?」
さくらは振り返ると、コウガに笑みを浮かべる。泣き出しそうな顔を誤魔化すための、作り笑い。
「お買い物、早く済ませちゃおうよ!、今日のお夕飯、鶏の唐揚げなんだって!」
「…鶏の唐揚げ?!」
それを聞いたコウガは、飛び上がった。
「おおお…なんという、なんという!…鶏の唐揚げ!、鶏の唐揚げとな?!」
コウガの脳裏に、あの揚げ上がったからあげの香りと、衣のサクッとした軽い食感、中から滲みだす肉汁…そして鶏肉の味が浮かび上がる」
「ぶっきーよ、これは、我等の可及的速やかなる行動が肝要だ!、急がねばならん!、疾く事を成さねばならん!」
コウガも急いで前に飛び出す。
二人は、南口商店街へと急いだ。
…二人の後ろ姿を、一人の男が見つめていた。
「解せぬ」
男は、漏らすように呟いた。
(続)
当初の目論見と違って、なんか重めの話になりましたが、いかがだったでしょう?
さて、次の話はどうなりますことやら。
気長にお待ち頂ければ、これ幸い。