1(両想編)
「ルキ・イブスタイン、王女シシリーナの隣国留学に付き従い、支え、護衛騎士としてしっかり励むように。」
国王の命令が轟き、拍手が起こる。これは、彼がシシリーナ王女の婚約者として内定したということを意味する。突然の発表に、ホールはざわめいている。だから、誰も、血の気を失っている私に気づく人はいなかっただろう。
ルキが首を垂れると、輝く金髪が瑠璃色の瞳にかかり、艶々と光を受けるのが美しかった。シシリーナ王女が美しく微笑み、さらに拍手が大きくなる。
それを見て、あぁ、これで良かったのだと気がつき、胸を撫で下ろした。
私は、ミリオン・ルパルト。貧乏伯爵家の長女16歳で、2歳離れた弟のリックがいる。貧乏と言っても、父や母が、細々と堅実に領地を治めていて、領民も働き者だ。リックも、拍車をかけるほど堅実で、父や母を助け、姉を立て、私と共に王立学園で勉学に励んでいる。
貴族の令嬢や子息は、幼少期は領地で過ごすことが多いが、12歳になると王立学園に入学し、5年間の寮生活で様々な所作や貴族社会で生き抜く術を学ぶ。私も、5年前に王立学園にやってきた時は、王都の眩さに圧倒されながらも、毎日ひたすら与えられた課題をこなし、ささやかながらに達成感もあり、こつこつ真面目に頑張ってきた。ただ、私には継げる領地も無ければ、婚姻の持参金も用意できるか分からない貧乏伯爵家で、何か1つでも身を立てるものを見つけようと必死だったこともある。
私は、地味すぎる薄い金色の髪に薄い紫の瞳で、小柄で、体力も中程度、誇れる特技も無いので、王都で文官になると狙いを定めて、成績優秀者の推薦枠を目指し、馬鹿みたいに勉強ばっかりしていた。
王立学園には、立派な図書室があり、回廊を抜けて、重い扉を開けると赤い絨毯に古い木製の本棚が綺麗に並び、埃の匂いに本の歴史を感じて背筋が伸びる。私はこの空間が大好きだった。あと半年で卒業なので、少しでも図書室で過ごそうと思い、今日も授業のあと急いできて、大きな窓際の暖かな席を陣取り、経営学の本を読んでいた。
「やぁ、ミリィ。ここ座ってもいい?」
顔をあげると、白い騎士服を着たルキがいた。
侯爵家嫡男で容姿端麗なルキは、近衛騎士見習いとして、学園生でありながら、すでに王宮に配属されており、召集があればすぐに王宮に出立する。
「ルキ様…はいっ、もちろんです。リアン様も、ごきげんよう。」
「…あぁ。」
ルキの隣に、リアン・コールが座った。
リアンは、騎士団長を輩出する名家コール伯爵家の嫡男で、同じ伯爵家でも私の家とは格が違う。彼もまた、すでに第一騎士団に配属されており、黒い騎士服を着て、漆黒の瞳は鋭く、真紅の髪は後ろに束ねている。
「ミリィのパイ、美味しかったよ。なぁ、リアン?」
「…あぁ。」
先週、差し上げたレモンパイのことだろう。
「次は何作るの?」
「お口にあって良かったです!明日は、クッキーを作る予定です。」
「楽しみだな。なぁ、リアン?」
「…あぁ。」
私の領地は、農業や酪農が盛んで、貧乏な伯爵家を自分なりにどうにかしたいと思った結果、特産の小麦粉と乳製品を使ったお菓子作りの調理部を立ち上げ、親友のビアンカや部員達で実習を行いながら、良い商品を生み出せないか試行錯誤している。明日も気合いをいれて、作らないと。
「はいっ!ぜひ食べてくださると嬉しいです。」
と、顔が綻んでしまう。ルキとリアンは少し笑ってくれて、自然に目が本に落ちていく、穏やかな時間が流れて、夕暮れになった。
寮に戻ろうと歩いているとき、ルキが後ろから駆けてきた。
「ミリィ、年越しのパーティは参加できるの?」
「はい、今年は参加できそうです。ルキ様も?」
毎年、年越しは領地に帰省するため、参加できなかったが、新年早々に推薦枠の試験があるため、寮で過ごそうと思っている。
「うん、私も参加するよ。リアンも。ミリィは誰にエスコートしてもらうか決めた?」
「それが悩んでいて…私は婚約者もいませんし、誰に頼べばいいのか…。リックは帰省してしまいますし…。いっそ1人で入場するわけにはいかないのでしょうか?」
「だめなわけではないけど、それなら私がエスコートしてもいいかい?」
「えぇっ!でも…人気者のルキ様は他にお約束の方がいるのでは…?」
「人気者…?そうなのかな?ふふ。」
ルキ様の耳が赤くなっている。
「じゃぁ、そういうことで!また明日ね。」
「えっと、よろしくお願いします。」
身に余る申出で、驚きと、どうしようと不安になってきて、そのまま立ち尽くしてしまった。
調理室でクッキーを焼いている間、社交的なビアンカに、ダンスやマナーが不安だし、エスコートをルキ様にしていただくとなると、何事も失敗できないと漏らしてしまった。
「ミリィ、彼にエスコートしてもらえるなんて、みんな喉から手が出るほどのことよ!やっぱり断るとか絶対に言わないで。」
「断れないけど、逃げたくなってきたの。」
「もう、ミリィはダンスだって、マナーだって、そこそこ普通にできるでしょ。大丈夫よ。それに私が当日、ばっちりお化粧してあげるわ。」
「いいの??ありがとう!」
「私だって、いつもミリィを飾りたてたいと思ってたのよ。素材はいいのに、地味なんだもん。」
「ふふ。それに地味なドレスしかないの。」
「そんな…私のドレス貸すわよ!」
「ううん、自分のドレスにレースや刺繍を追加してみるわ。」
「もう、ミリィは。」
ビアンカは怒っているが、正直、かなり女性的な体つきのビアンカのドレスを借りたら、色々なところがブカブカだろう。
「ビアンカ、大好きよ。そろそろ、クッキーが焼けるわ。」
香ばしい甘い薫りが、調理室に広がっている。出来の良いものはラッピングし、各自持って帰る。みんなで紅茶を飲みながら、余ったクッキーをたいらげ、来週はエッグタルトにしようと話がまとまった。あと半年で卒業だなんて、ちょっと寂しいが、この調理部も後輩が引き継いでくれるようなので嬉しくもある。
図書室に向かうと、ルキとリアンが昨日の席に向かい合って座っていた。
「ルキ様、リアン様、ごきげんよう。」
「ミリィ、来たね。ここ座ったら。」
ルキが隣の席を引いてくれた。
「このクッキー、よかったら。」
ルキとリアンにラッピングしたクッキーをお渡しする。
「ありがとう。大切に食べるよ。今回のも美味しそうだ。なぁ、リアン?」
「…あぁ。」
「そういえば、昨日話した年越しパーティだけど、私がドレスをプレゼントさせてもらっても良いだろうか。」
「え?」
「…あ?」
私とリアンが同時にルキを見ると、ルキは涼しい顔で「ド、レ、ス、だよ」と言った。
私は、ルキにドレスを贈ってもらうってどういうこと?と混乱してきた。
「だから、週末、店に一緒に行こう。」
「えぇ…そんな。そこまでして頂くわけには…。」
待って待って。エスコートだけが希望なのに。
「いや、私が贈りたいだけだから。それに私も新調しようと思っていたし。寮に迎えに行くから。」
「えぇ…と。」
私には、どうしても越えられない貧乏の壁がある。だって、ここでドレスを断って、元々麗しいルキが、さらに新調した装いで来たら…私のリメイクドレスは絶望的に浮くんじゃないだろうか。今更、自分で新しいドレスを購入できるかと考えて、どうしよう…無理だ。
「…よろしくお願いします。」
万事休す。ここは甘えるしかない。働いてから、こつこつお返しするしかないだろう。
私は、あれよあれよと生まれてしまった将来への負債に頭をかかえており、その時、リアンが拳を握りしめて、微かに震えていたことには気づかなかった。