容疑者2
「あの男性ですね?」
運転席の探偵は問い掛けた。
「……そうだ」
フロントガラスの向こうに見える灰色の作業服を着た中年男性を見て、拓海は答えた。
小さな町工場の中から、出来上がった製品を軽トラックに積んでいる様子がわかる。
工業用の金属部品生産を長年発注していた下請け業者の社長。
作業帽の脇からはみ出た白髪は遠目から見てもわかるほど増えている。
思わず拓海の心の内に罪悪感が滲み出てきた。
自分が入社するずっと前から付き合いがあった取引先。
しかし、そんな信頼関係をいとも簡単にあしらうかのごとく、より安価な業者を見つけ出してあっさり切り捨てた。
それまで商社を牽引していた前代の社長が息子に会社を譲って間もない時だった。
新社長は若くて意欲のある拓海の意見を尊重した。
それ以来ゴルフにも誘われるようにもなり、よりその距離が縮まり、今回の昇進に繋がったきっかけにもなった。
業者を変えた結果、コスト削減に繋がり会社の利益に貢献した。
拓海は思い起こしていた。
取引停止を電話一本で告げた時の事を。
長い吐息が、電話の向こうから聞こえた。
返答がなかったため、拓海は問い返した。
沈黙が流れた後、相手が発した言葉。
「会長と話がしたい」
ずっと懇意だった前社長の意見が聞きたいということだった。
拓海はそれを現社長に取り次いだが、彼はそれを父親には告げず握り潰した。
今は自分が会社を担っているという自負もあったのだろう。
それ以来、何度か問いあわせの電話があったが、拓海は会長に伝えたと誤魔化した。
しつこくかけてきたが、そのうち電話にも出なくなった。
拓海は助手席で思わず目を瞑った。
そしてあらためて思い返した。
自分の息子ぐらい歳が離れた若造に、軽くあしらわれるように切り捨てられた相手の気持ちを。
「動機は明白ですね」
運転席から聞こえた探偵の声に、拓海は思わず我に返りそちらを向いた。
あのセールスマンから紹介された人物だ。
拓海はカツラの満足度に完全に骨抜きにされていた。
あの日以来、蒔絵との夜の営みは続きっぱなしだ。
しかし体力の消耗とは反比例して、その欲求は増すばかりだった。
(是非リピートしたい)
気付けば渡された名刺に記されていた携帯電話の番号にかけていた。
(あれほど凄いカツラを作る企業だ)
感動の次に湧き起こったのは、好奇心だった。
(自分を襲った犯人を見つけるアイテムなどないのか? いや……絶対あるに違いない)
知らずうちに、それは確信へと変わっていた。
すると、かのセールスマンは物ではなく人をよこしてきた。
今隣に座っている華奢な彼がそうだ。
歳は自分とさほど変わらないぐらい若く見える。
出で立ちも同じ営業マンかと思うくらいビジネススーツをばっちり着こなしている。
探偵のイメージとはかけ離れたその外見に、拓海は少し心配になり問い掛けた。
「……あのセールスマンとは、どういう関係なんだ?」
探偵は拓海の方を一瞥もせず無表情で答えた。
「友人です」
車内が静まり返る。
とてつもなく言葉数が少ない青年だ。
本当に友人かと思うくらい、常に笑顔を浮かべているあのセールスマンとは完全に対照的に見える。
寡黙過ぎる。
必要なことしか喋らない。
その細い体格をまじまじと見つめながら、拓海は質問を重ねた。
「……本当に、探偵?」
突然、眼前の彼は後部座席へと身を乗り出した。
吃驚し思わず拓海は仰け反る。
すると、彼は何かを手に取り運転席に再度腰を掛けた。
その機器を目にし、拓海は怪訝な表情を浮かべた。
(……ラジコン?)
俄かにそのアンテナを伸ばしたかと思うと、搭載されたコントローラーの様なものをいじる。
拓海の視線が思わず泳ぐ。
「……な、何をしているんだ?」
朴訥とした探偵は、ガラスの向こうで荷積みをしている男性を見つめながら口を開いた。
「彼の恨みの量を計っています」
車内に異様な静寂が流れる。
拓海は声を絞り出した。
「……まさか……それも……」
「TKH製です」
あっさりと即答され、拓海は気圧されるように閉口した。
忽ち頭の中から様々な疑問が湧き起こる。
未知なる製品を次々と作り上げ、世に送り出す会社TKH。
通称「トクハン」とは、一体どんな組織なのか?
あのセールスマンは?
そして、眼前にいるこの友人と名乗る若い彼は?
「ピロリピッピピ―――♪」
突然、隣から達成音のようなメロディが鳴り響き、拓海の思考を遮った。
目を丸くしたままの彼に対し、ようやく運転席の探偵はゆっくりと顏をこちらに向けた。
「ビンゴです」
拓海は意味がわからず尚も瞠目したままだ。
探偵は機器をこちらに向けた。
ラジコンのようだったが、真中にディスプレイが見えた。
そこに映し出された指標のようなものを見せて、彼は言い添えた。
「メーターが完全に振り切って、計測が不能となってます」
理解不能な返答に、拓海の頭の中が動揺に包まれる。
感情を持ち合わせていないロボットのように、探偵は淡々と語り始めた。
「彼はあなたを今すぐにもズタズタに切り刻み、どこかの山にバラバラに捨てて跡形もなく葬り去りたいくらい相当な恨みを抱いています」
率直だと表現するにはおおよそ足らないくらいのその度の過ぎた言い草に、拓海は開いた口が塞がらないままだ。
尚も探偵は澄ました口調のまま畳み掛けた。
「命の危険がすぐそこに迫っています。今できることは、あなたが彼の視界に入らない事でしょう。少しでも目にしようものなら」
そう言って、前方にある町工場の方に視線を向けた途端だった。
「カン! カン! カン!」
という音が俄かに鳴り響き、拓海は思わず目を瞬かせた。
探偵は事もなげに言い放った。
「手に持っているあのハンマーで、あなたの脳天を叩き割る衝動を抑え切れないでしょう」
駄目押しのように付言された言葉に、その場で茫然自失になっていた拓海はハッと我に返るように助手席に身を埋めた。
肩を竦めながら、拓海は心の中で呟いた。
(…………何で、そんな……めでたいゲームクリア音なんだよ……)