唯一無二
拓海はその場で固まったままだ。
そのアイテムと男の顔を何度も見比べる。
「……何で……ヅラ……?」
男は視線を少し上げて拓海の生え際に目を遣った。
(……え? ……何、何?)
挙動不審に視線を泳がせる彼に対し、男は言った。
「お客様が今、憂慮されている問題をこれによって全て解消できます」
拓実ははっと気づいたように額に手を遣る。
(……ひょっとして俺……暗にディスられてる?)
確かに最近ストレスのせいか、抜け毛が目立ち前髪が少し薄くなった気がする……
「……って! 今それどころじゃないって! 命が狙われてるんですよ! 禿げを気にしてる場合じゃないだろ!」
しかし眼前の男は笑みを崩さないまま、両手でそっと添えながらその黒髪のウィッグを差し出してきた。
「ただのカツラではありません。僭越ながら事前に検証させていただきました。お客様の髪質、髪の量、頭皮、骨格、体質、食生活全てに適合したお客様のためだけの完全オリジナル。世界に二つとない唯一無二のウィッグです」
拓海は思わず息を呑む。
(……世界に二つとない……ウィッグ……?)
喉を鳴らし引き込まれそうになった彼は、はっと我に返り瞬く。
「って、いやいや! 何であんたらが俺の食生活まで知ってんだよ!」
すると男は少し得意気に眼鏡のブリッジを引き上げると言った。
「プロですから」
その自信満々の仕草に、拓海は気圧され言葉を呑み込む。
「お客様を満足させるためなら、どんな苦労も厭わず些細なデータも見逃さない。物を売る者として至極当然のことです」
(……いや……それはただのストーカーじゃ……)
男は続ける。
「是非一度触れるだけでも、体感していただけると思います」
男はあらためて自然な感じでそれを差し出す。
(…………?)
思わず手を伸ばしている自分自身に拓海は唖然とする。
(な……何を考えているんだ俺は……こんな切羽詰まった状況で、ヅラなんて試着している場合じゃないだろ!)
しかしその抵抗は脆くも崩れ去り、彼は衝動を抑えることができず商品に触れてしまった。
その瞬間だった。
思わず目を剥く。
(……かっ……軽……!)
即座に拓海の反応を察知したように、男は深く首肯すると言葉を返した。
「早速体感していただけましたか? 最先端の科学技術により、超軽量をようやく実現いたしました。その重さは何と10グラム。スプーン一杯分の重さです」
(……ス……スプーン一杯分……? 洗剤のCMじゃなくて??)
さらに自身の指がその毛髪に触れた瞬間、彼は驚嘆で瞠目する。
(……何だ……この肌触りは……)
気づけばその指が本能を抑え切れず何度も撫で返している。
(……な、なんという滑らかさ……柔らかい……。例えるなら……そう、まるでカシミヤのような心地よさ……触っているだけで何故か気持ちまでもが和らぐ……)
再び我に返る。
「って、いやいやいや! 和らいでいる場合じゃない! 早く警察に!」
そう言って乱暴に突き返した。
男は気にする様子もなく笑顔のまま商品を受け取ると言った。
「もちろん、ご購入を急かすような事は致しません。じっくりお客様にご検討していただき納得していただいた上で結構です」
そう言ってその品をゆっくりと引き離そうとした。
ふと、拓海は思った。
(……な、……何をやっているんだ……俺は……?)
意志とは裏腹に、震えながらしっかりと把持する自身の両手を信じられない目つきで見つめる。
まるで他人のそれを眺めるように。
その体勢のまま、しばらく両者の間に沈黙が流れた。
拓海の意を汲んだように、男は優しい笑顔と共に軽く言い添えた。
「一度、御試着なされますか?」