解放
「そう思われますよね」
まるで蚊が鳴いたかのごとく囁かれた拓海の呟きを、セールスマンは聞き逃さなかった。
「ご安心ください。弊社の特別プロジェクトチームが宇宙科学をとことんまで追求し編み出したコントロール方式。それが、意識とAIの連動です」
画面上にハンサムな外人男性の顔のアップが映し出された。
彼はそっと目を閉じる。
すると、額の辺りから青いエネルギー体のようなものが頭部へと流れていくのがわかった。
画面が一気にズームアウトされた。
男性の体は宙に浮いている。
側面から映しているその体が、前方へとスーッと進んで行くのがわかった。
セールスマンの声が聞こえた。
「原理はいたってシンプル。意識を前へやれば進み、後ろへやれば後退する。もちろん左右両方向も同様です!」
マッチョで白いTシャツ姿のその白人モデルがまるでスーパーマンのごとく、頭のプロペラを回転させながら縦横無尽に空を羽ばたいている。
セールストークはさらに白熱する。
「御存じの通り、このような状況にも対応!」
モニターに、崖の上に立っている無精髭姿の男が映し出された。
今にも泣きそうな顔で、
「近づくな!」
と叫び声を上げる。
黒いコートを羽織った刑事らしき中年男性が、警察バッジを掲げながら男性を懸命に宥めるように、慎重に近づいてく。
「はやまるんじゃない」
制止も無駄だった。
男性は崖の方に向き直ると、全てを諦めた様に両手を広げ前方へと倒れ込んだ。
「やめろ―――!」
視界から消えた男性の姿を追う様に瀬戸際で足を止めた刑事は、その場で両膝をつき項垂れた。
「プルルルルルルル」
その音に気づいたように刑事がおもむろに顔を上げる。
視界の下から浮かび上がるように、男性がプロペラを軽快に回転させながら向こうへと羽ばたいていった。
セールストークは続いた。
「特に離島にお住まいの方には必須のアイテム! それがWY-2000PXZハイパー!」
画面に、寝起きの男性が映し出された。
寝ぼけた様子で傍にあった目覚まし時計を手に取ると、たちまちその表情が一変する。
慌てて飛び起きて、その場でスーツに着替えた男性はビジネス鞄を手に取り外へと飛び出した。
島の埠頭らしきところまで辿り着くと、気を持ち直したように腕時計に目を遣り意を得たように頷く。
「ウィィィ―――ン、ガチャ」
頭の爪が一定の長さまで伸び切ると、瞬く間に回転を始め、その体が空へと飛び上がった。
アナウンスが入った。
「本州に職場がある方にも最適! 船の時間を気にせず、好きなタイミングで好きな場所から自由自在に出勤することができます! あなたの意識シンクロ度合いによっては時速150キロメートルまで加速可能! ちょっとやそっとの寝過ごしにも焦る必要は全くありません!」
鞄を脇に抱えたまま、軽快かつ爽快な表情で空を飛行するビジネスマン。
その光景を放心状態で見ていた拓海はふと我に返った。
宙に浮いたままの自分の足元をまじまじと見つめる。
「……何で……止まったままなんだ?」
リモコンボタンは、3つだけのはずだ。
「止まる」のボタンはない。
すると、セールスマンアイクは言った。
「それは、あなたがすでにウィッグとシンクロしている証拠です。無意識に驚きと恐れであなた自身に歯止めをかけているのです」
はっと気づいたように、拓海は自身を顧みるようにその足元を見つめ返す。
セールスマンは笑みとともに拓海に語りかけた。
「恐れる必要はありません。心を解き放ってください」
(……心を……解き放つ……)
次の瞬間、マイクを通した声が心に突き刺さった。
"Free your mind"
その言葉が合図だった。
まるでパブロフの犬のごとく、拓海自身を縛り付けていた心のブレーキがスッと外されたのがわかった。
次の瞬間、奥底から湧き上がるその衝動に身を任せた。
自身の体が今の位置より浮き上がり、眼下で唖然とこちらを見上げている知人たちの表情が小さくなっていくのがはっきりとわかった。
激しいプロペラ音とともに拓海は崖から飛び上がり、青い海の上を悠々と羽ばたき始めた。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ――――――! 行く―――――――――――!」
目を剥きながらも溢れ出るその喜びを堪え切れず、自身が今まで出したことのないような声が出る。
(…………超…………気持ちいい…………)
ヘリコプターからのアナウンスが耳に入って来た。
「ご覧の皆様に朗報です! 今から30分以内にご連絡いただいた方だけに、通常20万円のところを、何と今回に限り、50%割引価格の10万円でご提供させていただきます! 番号はフリーダイヤル、0120-××××-×××-0194! 0194まで! お電話是非お待ちしています!」
もはや恍惚状態でドーパミンを抑え切れない拓海はプロペラを全開にしながら、狂気にも似た歓喜の声を轟かせた。
「これで10万円は、安過ぎるぅぅぅぅぅ―――――――――――――――!」




