過去との対峙
「ねぇ、聞いてる?」
蒔絵の問い掛けに、拓海は思わず豆鉄砲を食らったように瞬いた。
「……え?」
婚約者の浮かない反応に、彼女は思わず吐息をついた。
「もう……また仕事の事考えてたでしょ? ……せっかく久しぶりのデートなのにぃ……」
パラソル下の露店テーブルで蒔絵はストロベリーパフェをほおばりながら、不満げに頬を膨らませた。
「……あっ……ごめんごめん!」
我に返り、拓海は声を上ずらせる。
その様子を見て蒔絵は何かを勘ぐるように顏を近づけて来た。
思わず拓海は目を丸くして、少し上体を反らす。
「な……何?」
まじまじと拓海の顔を穴が開くほど見つめながら、彼女は言った。
「……まさか、浮気とかしてないでしょうね?」
慌てて彼は反論した。
「するわけないじゃん!」
本心だった。
過去はどうであったにしろ、女性関係に関して今はやましいことは何もない。
彼女一筋だ。
それは胸を張って言える。
今に関してはだが。
二人の間に沈黙が流れる。
テラスの外は海辺が見え、澄み渡るような青空の下、穏やかな風がとても心地いい。
少し悪戯っぽい顔をすると、蒔絵は念を押すように言った。
「浮気したら、本当に針千本呑ますからね」
俄かに、拓海の頭の中でそのフラッシュバックが湧き起こる。
砂場の中で交わした純粋無垢な将来の誓い。
次の瞬間、それらの天真さの片鱗もない精密機械のような彼女の表情にすり替わる。
「もう、また別の事考えてた」
蒔絵の呆れた呼びかけにすぐに現実に戻り、瞬きを繰り返す。
じっとこちらを睨みながらふくれっ面をする蒔絵に対し、
「……ごめん」
と申し訳なさそうに言葉を返すしかなかった。
拓海は自身を戒めるように思い直した。
そうだ。
過去は過去だ。
どうあがいても、やり直しはできない。
ならば、今自分にとってできること。
目の前の幸せを、大切にするしかない。
過去を悔い改め、一人の女性を心から大切にし、全力で愛する。
もし仮に、今まで傷つけてきた女性達が自分に対し復讐するのなら、それを甘んじて全て受け入れよう。
自らの不徳が招いた結果だ。
相手は自分だけを恨んでいる。
だから、帰り道に一人でいるところを襲った。
もし次に狙いに来たら、今度は逃げずに面と向かって立ち向かおう。
そして、心から誠意をもって謝ろう。
今自分にできることはそれしかない。
彼女らの胸の内が収まらないのであれば、仕方ない。
自業自得だ。
ビクビクして怯えながら生きていくのだけは、絶対に嫌だ。
拓海は覚悟を決めた。
、迷いを断ち切ると、胸の内の蟠りがスーッと消えていくのを感じた。
眼前の蒔絵に向き直り、表情を緩める。
「食べ終わったら海辺を走ろうか」
そう言って彼は優しく微笑んだ。
蒔絵は口にクリームをつけたまま無邪気な笑顔を見せた。
「うん」
嬉しそうな彼女の顔を見て、拓海の心は一気に癒された。
とても平和だ。
この些細な幸せをずっと大切にしよう。
彼は、そう心に深く誓った。
ふと、拓海の視線が婚約者の背後に移った。
カップルや家族連れなどの客が楽しそうに談笑しながら座っているのが見える。
穏やかで微笑ましい空気が流れる中、離れた向こうの席に一人で座っている客が目に映った。
新聞を広げており、その顔は見えない。
常連の中年男性が昼下がりに一人で珈琲を嗜んでいる。
どこにでもある光景だ。
拓海が気に留める様子もなく、目を逸らそうとしたその瞬間だった。
新聞で隠れていたその顔が僅かに露わになった。
拓海の全身に戦慄が走る。
この暑い中、黒い帽子を被ったままマスクをしている?
途端に、その時の感覚が甦る。
背後から抑え込まれたあの瞬間を。
。あいつだ。
唖然となり、拓海は思わずその場で喉を鳴らした。
(……まさか……蒔絵まで巻き込むつもりなのか……)