容疑者5
「何じゃあぁ! ワレは!?」
そのゴツい丸坊主頭の組員は俄かに腰を上げ、黒スーツの内ポケットから銃を取り出そうとしたが遅かった。
眼前で放たれた凶弾に倒れ、床に沈む。
「兄貴―――! こ……この野郎……!」
傍にいた側頭部が完全に刈り込まれたツーブロック頭の子分は言葉を吐き切る前に銃声とともに崩れた。
「かっ、徒ち込みやぁ―――!」
周りにいた組員達は一気に騒然となり、即座に武器を手にしようとした。
銃を何とか取り出したものの、相手の精密機械の様な動きを前に為す術もなかった。
一人につき一発ずつ確実に急所を狙って次々に仕留められていく。
「この……! わりあぁぁぁぁ!」
日本刀を鞘から抜いたアイパー頭の組員は勢いよく刃を振り翳した。
が、振り下ろすことは叶わず即座に膝から崩れる。
瞬く間に、部屋に十名ほどいたはずの組員達は誰も動かなくなった。
シーンと静まり返り、事務所の床は銃弾に倒れた者だらけだ。
忍者のように顏に布を巻いたその全身黒づくめの男は、床の僅かな隙間を器用に渡り歩くと、奥の扉を勢いよく開けた。
部屋奥にある濃い茶色の木製机。
そこに座っていた白髪交じりの縦縞スーツを着た男性は、顔を引き攣らせながら銃口をこちらに向けていた。
「……誰や? お前は?」
しかしヒットマンは黙り込んだまま答えようとせずに、やおらに組長の方へと近づいて行こうとした。
その時だった。
ドアの影に隠れていたスキンヘッドの大柄な組員が背後から飛びつき、その太い両腕で男の首を極めた。
咄嗟に暗殺者は身動きがとれなくなる。
すると、脇からも組員が現れ、眼前でドスの鞘を引き抜いた。
「死ねや! こらぁ!」
その刃先が、真っ直ぐに向かって来た。
容赦なく男の腹部へと突き刺さる。
前だった。
男はそれを軽々と足で蹴り上げ、ドスが宙を舞った。
首を極められた状態のまま、飛び上がり、眼前の組員の首を両脚で挟むと即座に捻り上げた。
ゴキッという鈍い音ともに組員は動きを静止し、顔面から地面に崩れた。
一瞬の隙を突かれたスキンヘッドの顔に、肘打ちが入った。
その体がよろめきそうになった時だった。
机に座っていた組長がヒットマンに向けて発砲した。
即座に男はスキンヘッドの組員を楯にした。
部下の背中に次々と弾丸が撃ち込まれるも、組長は発砲を続ける。
楯にしたままヒットマンは組長ににじり寄って行った。
「カチッ、カチカチ」
とうとう組長の弾がつきた。
男は蜂の巣状態になった大柄な組員の体を邪魔そうに横へと押しのけた。
その長身が露わになり、組長の顔が恐怖で震える。
万事休すかと思った。
その時だった。
また背後から組員が日本刀を振り翳してきた。
振り返ったが一瞬の事で、為す術もなかった。
男は腹を括ったかのようにその場に立ち尽くした。
が、次の瞬間、宙を舞っていたドスが彼の手に落ちた。
吃驚する間もなかった。
振り上げた状態のまま組員は胸に刃を受け、その体勢のまま床に倒れた。
男は組長に襲いかかるかと思いきや、身を屈めた。
横から放たれた銃弾が頭をかすめ、壁にかけてあった『義』という額縁に命中し、ガラスとともに砕け散った。
次々と放たれていく銃弾をまるでサーカスさながらの滑らかな動きで床を転がりながら、男はことごとく躱していく。
弾が底をつくと、その太った組員は苛立つように銃を横に投げ捨て、ヒットマンに突進していった。
その巨体が間近に迫った瞬間だった。
起き上がった頭突きがその顎に命中し、組員は思わず仰け反った。
踏ん張って何とか体勢を持ち直すと、抗うように拳を何度もぶんぶんと振り回す。
が、まるで素人をあやすかのごとくボクサー顔負けの身のこなしでことごとく躱され、逆に顔に足蹴りを食らい、後方へとよろめいた。
畳み掛けられるように今度はストレートパンチを連続で食らい、瞬く間に後退させられていく。
とうとう壁へと追い詰められ両手をついたその時だった。
組員の眼前で、男の片脚が大きく振り上げられた。
彼はそれを茫然と見上げるしかなかった。
容赦なく振り下ろされた踵が脳天に直撃し、彼は白目を剥きながら壁からずり落ちた。
部屋が再び静まり返る。
男はゆっくりと振り返った。
黒革のチェアーに腰をかけていた組長は立ち上がろうとしたが、足が竦み思わず床に尻餅をついた。
ヒットマンはまるで獲物を追い詰める豹のごとく、じわりじわりと詰め寄っていく。
怯える組長の前で、男は足を止めた。
完全に腰を抜かした組長は立ち上がれないまま、悪あがきのように毒づいた。
「……こんなことして僚友会の一門が黙ってると思うなよ? ワレはどこの組のもんじゃ?」
すると眼前の人物は顔に巻いていた黒い布をゆっくりと取り外した。
その顔を目にし、不意に組長の表情が固まる。
「…………女……やと?」
男勝りのがっちりとした体つきに似合わないその色白で美しい顔つきをまじまじと凝視しながら組長は、ふと気づいたように両目を見開いた。
「……まさか……お前が、あの……死―――」
その言葉を言い切る前に弾丸を撃ち込まれ、組長はあっけなく倒れ込んだ。
再び室内が静寂に包まれた。
女性は何事もなかったかのように踵を返すと、スピードを緩めることなく床で動かないままになっている組員達の合間を縫って颯爽と事務所から出て行こうとした。
そこで映像がストップされ、後ろで髪を纏めた女性の表情がズームアップされた。
「…………これも…………」
「あなたの元カノです」
その気の強そうな美白の顔をマジマジと見つめる。
全く記憶にない。
今度こそは本当に見知らぬ顔だ。
拓海は絶対の自信を持って言い放った。
「全然知らない人だよ!」
すると探偵は呟くように言った。
「門松雪」
「門松……ゆき……? ……!」
咄嗟に拓海の動きが止まる。
「……ま、まさか……」
目を剥いている拓海に向かって探偵は事もなげに相槌を打って告げた。
「ええ。あなたの幼稚園時代の幼馴染です」
眠っていたはずのその記憶が、突然甦ってきた。
映像の中の少しだけ吊り上ったその大きい瞳を凝視する。
そう、確かに彼女だ。
その顔立ちに、はっきりと面影が残っていた。
幼稚園の砂場で、いつも二人で遊んでいて、とても仲が良かった。
自分が彼女に掛けた言葉が、頭の片隅から湧き上がってきた。
『ゆきちゃん。しょうらい、ぼくのおよめさんになって』
幼い彼女はクリンとしたその大きな両目を見開いて嬉しそうに声を高くした。
『ほんとうに? ぜったいだよ!』
彼女は自分に飛びつくようにその小さい指を差し出してきた。
自分の小指を絡ませた時の、その柔らかい感触がはっきりと頭の中で再現される。
『ゆびきりげんまん、うそついたら、はりせんぼんのーます』
幼い二人の無邪気過ぎる約束。
急に懐かしさが込み上げてきた。
卒園するまで、いつも一緒だった記憶がある。
小学校も同じだった。
だがクラスは別々になった。
次第にいろんな友達が増えていくにつれて、自ずと彼女との距離は離れていった。
そのうち学校ですれ違っても挨拶すらしなくなった。
いや……
(ちょっと、待て待て!)
思わず我に返り、拓海は頭を左右に振った。
その記憶は確かだった。
避けていたのは、向こうからだった。
それは今でも鮮明に憶えている。
すると探偵は言い添えた。
「嫉妬心というやつですね。自分は口下手でなかなか友達ができない一方、あなたはその親しみやすさでどんどんと仲間を増やしていく。自分だけが取り残されていく寂しさのあまり、逆の行動に出て、あなたの気を引こうとしたんでしょう。子供にはありがちな行動です」
拓海は即座に反論する。
「……! そんな事言われても! 俺だって同じ子供だったんだから! そこまでわかるわけないだろ! むしろ俺の方こそ凄く傷ついてたよ!」
「ええ。ただ理由は如何にしろ、彼女は今もあなたの事を憎んでいます」
拓海は思わず悲痛な表情を歪ませた。
(……そんなの不可抗力だろ……)
気づけば彼女は、学校からいなくなっていた。
ポッカリと心の中に穴が開いた感覚。
心配と寂しさで、しばらく自分は何も手につかなかった。
後で噂で聞いたところ、親が町工場を営んでいたが倒産し、家族もろとも夜逃げしたということらしかった。
探偵は言った。
「彼女の人生は波乱万丈そのものです。家族は逃げ切れず借金をしていた闇金に捕まり、両親は保険金をかけられて殺された。残された彼女は親を殺したヤクザに引き取られ育てられた。しかし、その毎日は暴力と虐待で耐え難いものでした。それは12歳になるまで続きました。しかしとうとう我慢の限界に達したんでしょう。彼女は隙を狙って、親の仇を討った。義父の銃で背後から銃弾を何発もぶち込んで」
その壮絶さに、拓海はただただ目を見開くばかりだ。
探偵は淡々と話を続けた。
「彼女は必死に逃げたが、義父の弟分に見つかり追い詰められそうになった。その時に彼らと対立していた組のヒットマンに命を助けられた。そして、まだ幼いながらもその度胸を買われ、そこで彼女は暗殺マシーンとして徹底的に鍛え上げられた。彼女の能力は彼らの想像以上でした。たった一人で次々に邪魔な勢力を排除していき、彼らの組は瞬く間に全国で一番の勢力を持つグループへとのし上がった。全て彼女の驚異的な働きのおかげです」
そのハードボイルドドラマ顔負けの凄まじ過ぎる内容に完全に圧倒され、拓海は言葉一つも発することができない。
「彼女がやって来たら全てが終わる。もはや諦めるしかない。今では裏社会の中で、『死神』として畏れられています」
(……裏社会の……死神……?)
幼い頃の彼女の笑顔。
物心ついて間もなかったのに、今でもしっかりと憶えている。
キラキラとした本当に無垢そのものの瞳。
ふっくらとした頬。
そうだ。
俺の初恋の相手だった。
再び画面に目を遣って愕然となる。
まるで血の気を一切なくしたAIのような無表情。
その少しだけ吊り上った両目は標的を探すためだけのものなのか。
恐ろしいほど冷たくて鋭く、輝きは一切ない。
そのあまりの変わり果てた姿に茫然と打ちひしがれている拓海に対して、探偵の言葉が横から無情にも突き刺さった。
「もちろん、彼女も容疑者候補です」