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Marinestabs

 銀河帝国海軍参謀本部(Marinestabs)は帝都カイゼルブルクのキルシュシュトラーゼ(桜通り)に面している。その名の通り桜が春には桃色の花を咲かせる優美な街区であり、全面が煉瓦により形作られた帝国海軍参謀本部の庁舎は一種の観光名所としても見られていた。

 参謀本部の幹部は今朝方届いた急報によってその眠気眼を覚まされていた。

 「この情報を信じて良いものか」

 作戦第二課長ルドルフ・フォン・レーダー少将が口火を切って疑問を述べ上げる。

 「だが第一軍司令部に伝える事が禍根とはなるまい。どう扱うかは司令部の判断次第だ」

 「しかし、参謀本部が対応の指令を出せば前線部隊が従う必要がある」

 「もしこれが掴まされた偽情報なら……」

 参謀たちから疑念が噴出する。誤った情報に基づいた作戦計画の愚を彼らは戦史に学んでいるから、敵の作戦案を掴んだからと言って狂喜はしなかった。

 「しかし、情報にある敵の作戦計画自体は妥当なものです。黙殺のために第一軍が敗退すれば、責任は挙げて参謀本部のものとなります」

 部下たちの会話を海軍参謀総長ハンス・フォン・トロータ上級大将は無言で聞いていた。彼の愛用する葉巻の煙が会議室には滞留し、愛煙家であるかの有無に関わらず副流煙を吸い込む事を余儀なくされている。

 「閣下、いかようにお考えでしょうか」

 纏まらない部下たちの会話に痺れを切らしたのか、トロータに振り向いて判断を仰いだのは参謀次長ヴィルヘルム・フォン・レーゲンスハイム大将である。海軍の提督より陸軍の将軍の雰囲気を漂わせる大柄な体格かつ堂々とした出で立ちのトロータと違い、瘦身と後退した薄い髪、切れ長の目は寡黙な実務家タイプを思わせる。

 参謀総長は即答しない。灰皿を葉巻の腹で叩いて灰を落とし、再び陣容豊かな髭に囲まれた口元へ持っていき、煙を空中へ吐き出す。待たせる事が権威の象徴であるかのような重厚さで十秒程の時間を浪費すると、初めてトロータは口を開いた。

 「リヒトホーフェンに教えてやれ。情報は情報に過ぎず、あくまで留意にとどめるようにと」

 長机を囲む参謀将校たちは一様に頷いた。サーベルのように磨き上げられたすらりとした長身に参謀総長に負けず劣らず見事な髭をたくわえた将校が立ち上がる。

 「では直ちに、その旨を“アトミラール・シェーア”に通達すべきでしょう」

 参謀本部第一部長ヘルマン・フォン・ルーデンベルク中将である。下級貴族の出身ながら鉄のような強固な意志と頭脳の明晰さと帝室への忠誠心の高さで四〇歳の若さにして参謀本部の高位まで駆け上がった有能な男だった。

 海軍参謀本部は総数約三十万隻を数える銀河帝国海軍の全部隊への軍令を担い、最高司令官たる皇帝の代理として作戦指揮権もを有する、帝国海軍全体の戦略を管掌する機関であった。


 統一銀河暦七五一年八月九日、十三個師団で構成される第一軍は第一の攻勢目標となる惑星ゴルトシュタインに接近しつつあった。星系名と同じ名を持つこの惑星はゴルトシュタイン恒星系の唯一の惑星であり、一万五千キロの直系を持つ岩石惑星である。

 第一軍旗艦である重戦列艦“アトミラール・シェーア”に偵察艇からの急報が入ったのは同日の十八時二五分であった。

 「連邦軍艦隊、数七万隻以上。惑星ゴルトシュタインに接近しつつあり。速力二二S(スペース)ノット」

 同種の報告は他の偵察艇からも相次ぎ、第一軍司令官エルヴィン・フォン・リヒトホーフェン上級大将は参謀長ホフマン少将に情報の検討を指示した。

 一時間経って参謀長が司令官公室に座る司令官の前に立つと、一枚の紙を手渡した。

 「このままの速度ですと、敵艦隊は我が艦隊が惑星軌道上に達し、上陸部隊を展開させつつある最も脆弱なタイミングにて接敵します」

 リヒトホーフェンは頷き、自分の机の上に広げられた別の紙を手に取った。

 「そこまではこの情報の示唆と合っているな」

 それは昨日参謀本部から送られてきた通信であった。連邦軍の作戦計画とされる情報と共に、“確定情報に非ず”と添えられている。前線指揮官にとって確証の持てない情報程判断を曇らせるものはない。

 「誤報でも確定と言ってくれれば楽なのだが」

 リヒトホーフェンは艦橋後部のホロテーブルへと向かった。星図と両軍の配置を映す立体映像が投影されている。

 「既に敵艦隊は接近しつつあり、交戦を回避する術はありません」

 ホフマンが告げる。

 「“情報”によれば航法を進む兵站部隊や上陸船団に全艦隊で側面攻撃をかけてくると」

 「その信憑性の確認ができん。敵の動きを待つほかない」

 「では、誘いに乗ると?」

 リヒトホーフェンは頷いた。

 「敵の掌で踊るのは愉快では無いが」

 「では直掩機を準備させます」

 「頼む」

 参謀長は敬礼し、作戦主任参謀を招き寄せた。司令官はそれに背を向け、通信コンソールへと向かう。通信主任参謀が起立して彼を迎えた。

 「全師団に第二種戦闘配置を命じろ」

 「了解!(ヤヴォール)

 参謀はすぐにマイクを手に取り、コードを打ち込むと口を開く。

 「“シェーア”より各軍団司令部へ。全師団第二種戦闘配置」

 軍旗艦アトミラール・シェーアから発された通信は各軍団司令部を経由して師団へと伝達され、さらに旅団、連隊へと指令が行き届いていく。

 当然第五師団司令部からの情報を第十七旅団旗艦デアフリンガーも受け取っていた。

 「総員第二種戦闘配置。艦載機は発進準備!」

 リヒャルトが命じ、参謀や副官たちが一斉に動き出す。

 旅団司令部にも作戦、情報、通信、航法、行政の五分野に参謀が置かれ、合わせて十一人の参謀が弱冠二五歳の旅団長を補佐していた。他に副官部に三人の副官、加えて医務官、法務官、司令部付隊長等、スタッフも含め数十名の人員が旅団司令部を構成している。

 この巨大な頭脳集団を取りまとめているのが旅団参謀長フリードリヒ・ベートマン大佐だった。司令官とスタッフの関係を調整する立場であるため、優秀な者でなくては当然務まらない。

 旅団は自前の補給部隊を持たず、その補給線は師団の兵站旅団に依存している。そのため旅団長は“中間管理職”と揶揄される事が多いのだが、帝国軍の軍事ドクトリンでは柔軟な運用よりも全軍が一糸乱れず行軍し砲撃する事に重きを置いているため、旅団以下の部隊に自主活動性は求められていなかった。なまじ好き勝手に動き出す旅団や連隊など迷惑以外の何物でもない。

 つまりリヒャルトは暇を極める立場だった。上級司令部の命令を過たず下達する事が旅団司令部の役割と言っても良く、彼がどれだけ遠大な構想を脳裏に描こうと、具現化する前に前進速度をS(スペース)ノット単位で指定されては何もできない。

 それがリヒャルトには不満だった。軍人として、単に上意下達の中継点でありたいとは思わなかった。戦うのなら彼自身が指揮し、彼の智謀で以て敵を打ち砕きたい。

 「旅団長が指揮を執るのは敗走時だけだ」

 多くの者が自虐的にそう語る。

 軍・軍団・師団と巨大な戦略単位が行動するこの戦いでは彼の智謀も発揮されそうにない。そもそもリヒャルトには上級司令部の作戦計画すら与えられていないし、それを教えてくれるような人脈も存在しない。

 自分自身の軍部内での地位の低さを感じる。だが相手に頭を下げ、揉み手をしてまで自分の保身を図るなど、それこそ彼の忍耐の限界を超える。しかし階級が上がれば上がる程、その必要性を認識しなければならない事もまた不快だった。

 「閣下?」

 声をかけてきたのは専属副官シュミッツァー中尉だった。リヒャルトの一歳年下であり、専属副官と言う事もあってこの司令部の中では最もリヒャルトに距離感が近い。

 「お具合でも悪いのですか?」

 どうやら不満の念が表情に出ていたようだ。リヒャルトは己の未熟さを叱り、首を横に振った。

 「気にするな」

 それだけでは説得力が足りないから、青年は言葉を継ぎ足した。

 「こう言う大海戦では出番が少なくなるなと嘆いてただけだ」

 その程度の心情の吐露ができる程度には、リヒャルトは一歳年下の副官を信頼している。この副官は有能であると同時に、軍務一筋の真面目で誠実な人柄だった。人間的な信用には足りる男である。

 そのような人材は軍には少ない。それもリヒャルトにとっては不満の種だった。

 「閣下の才幹を以てすれば、やがては中将にも大将にもなれましょう」

 世辞の要素が混じっているにせよ、副官の好意を否定する必要もない。手入れの行き届いた軍服の裾を伸ばしてリヒャルトは頷いた。

 「今は我慢するしかないだろうな」

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