Hedegard von Zimmermann
銀河連邦宇宙軍第三艦隊は総数およそ六万七千隻。麾下には七つの任務部隊を抱え、トーマス・チェイニー将軍指揮のB統合軍麾下にあって帝国軍との最前線の一角を守る主力艦隊の一つだった。
旗艦ウォースパイトの作戦室では作戦参謀ウィリアム・タビントン大佐が第三艦隊司令官フレデリック・ノーデンソン中将を相手に雄弁を披露している。
「我が軍が敵軍に対し主導権を保持する事。これが迎撃作戦における肝要となります」
既にソル星系にあった第二艦隊が急派されつつあるも、戦線への到着は早く見積もって半月の後となる。だが帝国軍の侵攻は明日に始まるとも知れず、増援を待っていることもできなかった。
「帝国軍の侵攻第一目標は惑星ゴールドスタインと見て間違いないでしょう」
手に持った指示棒で机上のホログラム星図を示す。
「現地には五十万からの地上軍が詰めていますが、帝国軍の本格的な侵攻が始まれば耐えられないでしょう。敵上陸前に敵艦隊を撃破し、阻止しなければなりません」
惑星ゴールドスタインは人類の居住に適した環境ではないものの鉱産資源が豊富で、特に亜空間突入のためのサブスペースゲート形成に必要な触媒となるベルモット鉱石が豊富に産出される事から戦略的重要地点とされていた。もし帝国軍に一度でも奪取されれば、再奪還しても採掘施設を含んだインフラの壊滅は免れ得ず、大きな打撃となる。
「貴官の言う事は分かるがね大佐、その程度の事は司令部の全員が理解しているんだ」
嫌味をぶつけに来たのは作戦部長ファン・ギムン代将である。ウィリアムの直接の上司に当たるが、彼より多くの名声を抱え、同時に慇懃無礼で非倫理的なこの部下を毛嫌いしていた。
「前提条件を申し上げただけです。代将閣下」
非好意的な相手に非好意的な口調で言い返し、年齢に不相応なくらい若々しい黒髪の大佐は立体映像を指し示す。
「数においてほぼ同数の敵艦隊を撃破し、その意図を挫くためにはこちらから打って出て、速攻にて敵を突き崩すほかありません。敵は第一軍、その司令官はフォン・リヒトホーフェン提督。過去の戦歴からして、攻勢には強くも守勢に弱いと言われています」
「攻勢に強いリヒトホーフェン提督の帝国軍に対し、攻勢をかけると言うのか?」
これまで黙って話を聞いていたノーデンソンが口を開いた。士官学校を優秀な成績で卒業して以来、前線と後方でそれぞれ十分な実績を積んできた有能な提督として知られている。
「はい。それも敵が一切選択の自由を無くすほどに」
胸を張って言うものだから、周りの参謀たちが一々反論する気を無くした程である。いくら腐ってもウィリアム・タビントンの名前は連邦宇宙軍の中でも人口に膾炙している。その彼がそこまで言うのだから任せてみようと周りは考えたくもなる。
「良いだろう。なら聞かせてみろ」
ノーデンソンは先を促した。
タビントンは立体地図を前に説明する。司令部幕僚の皆は彼の話に聞き入った。それは情報参謀の一人の大尉も同様だった。
話が終わると大尉はウォースパイトに接舷している補給艦に向かった。来るべき戦いに備え、後方支援部隊は補給作業に勤しんでいる。補給艦のクルーの一人に大尉は近づくと、すれ違いざまにその手に一枚のチップを握らせた。
数時間して積み荷を降ろした補給艦は後方の兵站集積基地へと向かう。一介の補給艦で一々電波発信を監視している訳でもなく、そこから暗号電文が発された事に気付く者はいなかった。
人類社会は三分されている。一つは皇帝の下での全体主義国家、銀河帝国。それと戦う民主主義を標榜した銀河連邦。その双方の間で中立を保つ第三の勢力が存在した。
その名を民主惑星共和国連合。かつて銀河共和国との戦乱の中で分裂した銀河連邦の一派であった。
共和国と連邦の戦争の中で独立した時、彼らは独立惑星協定を宣言した。彼らは独立を承認できるはずもない連邦と、この機に乗じて協定の星系を制圧して戦略的優位を作り出したい共和国双方から身を守らねばならず、国防力の急拡大に乗り出した。戦争の長期化を嫌って独立した協定が、市民に重税を敷いて軍事力を強化した事は皮肉と言う他ない。
だが反対する市民を弾圧してまで行った強権的な軍備拡大で命脈を保とうとした政府が長続きするはずもなく、革命が起こされる。主導したのはかつてスラブ系と言われた人種が植民した宙域の惑星群であり、相次ぐ戦乱を前にアナーキズムに傾倒した人々の支持を集めた共産党が協定政府を打倒して革命評議会政権を打ち立てると、社会主義共和国の樹立を宣言したのである。
共和国が転じて成立した銀河帝国と連邦の干渉軍を退けて“連合”は第三勢力としての地歩を固め、現在に至っている。
連合の首都はマカロフグラード。氷に閉ざされた惑星ヘルツェヴァーンの赤道付近の山脈に包囲された平野部に巨大なビルが林立している。社会主義国家らしく統一的で無個性なビルや集合住宅の群れが特徴的な光景だった。
マカロフグラード市域の人口は約六千万人。切り立った高山に囲まれた最大半径ニ十キロ程度の空間にこの人口を収容するために上下に拡張された都市は人間には把握不可能な程の多重構造空間となり、下層は光が届かない暗黒街と化している。
上層部は国営大企業や政府官庁のビルが雲の上へと消えて行く中、陰に包まれた下層には巨大な連合政府の暗部が鎮座していた。
内務人民委員部政治保安総局。治安警察と秘密警察を内包した連合の治安機関である。そして同時に帝国の国家保安省、連邦の連邦情報庁に並ぶ諜報機関でもあった。その中において“第三局”と言われる部局は対外諜報を担当し、その本部はこのレベル2とも言われる暗黒の地下空間の中に位置していた。
湿った街路にはゴミや人骨が散乱し、古びたネオンと半分死んだ街灯が辛うじて光量を保っている。時々酒瓶をあおる酔っ払いがうろつき、一日一度だけ義務的に巡回する警察に見つかれば即時に拘束されて連れ去られていく。
こうした空間は国家の暗部を配置するには適した場所だった。第三局——外国局の本部はこの地区に隠されている。外の退廃的な光景とは打って変わり、施設内は最新の設備が整えられ、全人類社会を網羅する諜報網の指揮統率機関となっていた。室内は暗く、電子機器たちの発する光だけが忙しなく動き回る局員たちの視界を保っている。
「第三艦隊の作戦計画についての情報が入りました」
局員の一人が巨大なホロテーブルの前で報告した。彼は連邦部の所属であり、銀河連邦に対する諜報を担当している。
「手に入ったのは望外の幸運です。帝国に対して使うこともできますが」
「しかし連邦の作戦を知れば帝国軍は容易に勝利を収められる。勢力均衡が崩れないか」
別の局員が反論する。彼は帝国部に属し、対帝国の情報網構築を担っていた。
「連邦軍第三艦隊が敗滅に至れば帝国軍は全戦線で攻勢に出る可能性もある。そうなれば戦線は一気に帝国軍有利となるだろう」
「もしそうなったのならまた帝国軍の作戦計画を連邦に教えてやれば良い」
局長が結論を下すと、部下たちは一瞬にして議論を止めた。上司への反抗は粛清の言質を与える事になる。
「ではどのラインで情報を提供しますか?」
「“ユーリ”を経由させろ。国家保安省の連中が自分で入手した情報だと思い込ませなければ」
「委員会への報告は?」
「私から上申しておく。情報を文書化してまとめておけ」
会議に迂遠さは必要ない。上官の決意が下れば会議はそれで終わり、後は行動のみが求められる。”即座に正しき行動を!”が内務人民委員部の標語であった。
銀河帝国国家保安省は銀河帝国の対外諜報を担う機関である。他国の情報機関からは“ゲシュタポ”などと揶揄されている。同様の機関としては外務省情報局に陸海軍の情報部や皇帝親衛隊特務調査局、内務省外国情報部、司法省公安秩序保護庁、情報省情報安全保障庁などがあるが、国家保安省は諜報機関として最大の勢力を持つ巨大組織であり、また国家公安維持のために独自の裁量で武力行使を行うこともできる官庁であった。
連邦の情報機関が省庁の壁を越えて国家情報省の元インテリジェンス・コミュニティーを構成している一方で、帝国は種々の組織が互いに競い合い、時には相争ってまで優位を掴もうとするため、情報機関の持つ刃は外だけでなく、内にも向いていた。
保安省外事公安局は比較的関係が良好な外務省との連携の下で大使館や領事館と言った施設に外交官の名目で諜報員を送り込み、また各国政府や民間団体等にも人員を送り込む、あるいは買収・恐喝などの手段で協力者を確保して諜報活動を行っている。その諜報戦の主たる舞台は中立国たる連合であり、連合を経由して連邦にもそのヒューミントのネットワークを広げている。
それは当然、銀河連邦の首都星たるソル星系第三惑星地球へも及ぶ。
ヘーデガルト・フォン・ツィンマーマンは外事公安局に属する諜報員の一人である。彼女が現在生活の舞台にしているのは地球である。敵国の首府においては当然だが偽名を用い、アンジェラ・リストの名を用いていた。銀河連邦にもゲルマン系の民族系統を持つ者は数多いのだからアンジェラがドイチェ訛りのイングリッシュで喋っても、それがために帝国のスパイと決めつけられるわけではない。もっとも連邦世論の反帝国主義は凄まじく、ゲルマン系と決めつけられて石を投げられる事案は決して少なくはないのだが。
アンジェラは表向き銀河連邦首都が所在する北米大陸オンタリオ湖に面した都市、トロント連邦管区にて古本屋を営んでいる。古本屋であるのは単に客数が少なく目立たないというだけの理由なのだが、これがために彼女の暗号名は“書店”であった。
古本屋は政府機関が密集する連邦管区として定められた人工島ハドソン島から十キロ程離れた低層区域の石畳の通りの一角にある。
折からの雨天が石畳を叩きつけ、石畳の通りを歩く人の姿は少ない。時々水のヴェールの向こう側にある巨大なビルの群れに視線を向けながら、アンジェラは古本を読み耽っていた。
傘を差し、トレンチコートにハットと紳士を気取ったような大柄な男が店のガラス戸の前に立った。庇の下で傘の水を落とすと、扉を開けて入ってくる。
「コーヒーあるか?」
「ここは古本屋だよ」
赤毛の女店主は本から目を上げる事もなく答えた。男はアンジェラの机の脇で温かい匂いを上げるカップを指す。
「そこにあるじゃないか。どこの豆だ?」
「キリマンジャロ」
鉱物的な無感情さでアンジェラは応じ、初めて視線を男に向けた。
「そんなに欲しいなら、淹れてやろうか?」
「一番美味い一杯を頼む」
合言葉の応酬を終え、アンジェラは立ち上がった。その手には一冊の文庫本が握られている。カウンターを降りて小柄な店主は大柄な男に歩み寄ると、その手に本を握らせる。
「連邦軍内の協力者からの連絡だ。艦隊の作戦計画がある」
男が興味なさげに本のページを捲ると、表紙の裏に薄いデータチップが貼り付けられていた。
「これを本国に送れと?」
「ここから先はあんたたちの仕事だ。あたしは材料を手に入れるのが仕事、それをどう調理するかは自分で考えな」
「情報の正確性をどう保証する?」
アンジェラはカウンターの自分の席に腰を下ろすと、カップを掲げた。
「参謀本部にでも聞いてみな。妥当な作戦案かどうかって」
「連邦内の協力者は誰だ?どのラインから情報を手に入れている?」
「それは言わない約束だ。あたしの一挙手一投足はあたししか知らないし、情報の出所だってあたししか知らない」
男は舌打ちした。
「そんな情報が信憑に値するとでも?」
「あんた次第だ。出世したいなら材料の価値と使い方は自分で見極めな」
嘆息交じりにハットの男はもう一度古本を開いた。
“The Man Who Never Was”
「狙ってるつもりか?」
「そんな気はないよ。たまたまそこにあったから」
「……面白い本だ。借りて行こう」
男は踵を返してアンジェラに背を向けると、そのまま扉を開けて降りしきる雨の中に消えて行った。