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8/9

あるオーナーさんの受難(つきっ)



 何度時計を見て、何度トイレに行っただろうか。

 めっきり原付姿を見なくなった八雲(やくも)ちゃんが、今日も抜かりのないふんわりパーマをたなびかせながら近づいてくるのが見えて、覚悟を決める。

 というより、まるで臨戦態勢を整えるかの如く深く息を吐きだし始めた滝川君の妹さんに、そうせざるを得なかったというのが実際の所だった。


(………………修羅場、か。どうやら、八雲ちゃんの恋は一筋縄じゃいかないみたいだ) 


 妹さんがいない間にしつこく滝川君を尋問して何となくわかった。

 恐らく、彼女は滝川君に対して兄妹の垣根を越えた愛情を抱いているのだなと。

 それも、重いといってもいいくらいの、少々行き過ぎた愛情を。

 全く外見からは想像もつかないようなことだというのに。


(………………正直、素直じゃないというのにもほどがあると思うけど)


 きっと、滝川君が言っていた『トイレに行った時に寝ぼけてたのか、一緒の布団に入ってたことがよくあった』というのも、確信犯に違いない。

 それほどまでに彼の昔の話には違和感を感じるところが多かったし、今だってそうだ。

 その触れ合ってもおかしくないような距離感は、明らかに普通の兄と妹のそれではない。 

 

(………………教育? 調教? どちらにせよ怖いよなぁ)


 積み重ねた記憶と経験が、価値観における友愛や親愛の幅を広くさせ、今の滝川君を形作っている。

 なるほど、どうりで、八雲ちゃんのあからさまなアプローチがことごとく空回るわけだ。

 とはいえ、この子自身も手を焼いているところを見るに、これが望んだ姿では無かったのかもしれないが。


(………………はぁ。ほんと、憂鬱だ)


 気づくと、既に八雲ちゃんがドアの前まで来てしまっている。

 どうやら、そろそろ現実逃避の時間は終わりにしなくてはいけないらしい。

 近づけば近づくほど段々と険しくなるその顔に、このまま夢の世界に旅立ちたいという誘惑は込み上げてくるけれど。



「お、おはよう。八雲ちゃん」

「……おはよーございます。三郎おじさん」



 いつも溌溂とした八雲ちゃんらしくない硬い声。 

 その視線は不自然なほどに全くこちらを向いておらず、真っ直ぐにある一点を見据えているのが少し怖い。

 


「おはよー、大崎さん」

「……………………おはよう、ハル君。ちなみに、隣の子は誰かな?」



 そして、それに応えるように意味深な笑みを浮かべた妹さん。

 まるで、挑発でもするかのようなその姿に、不穏な空気が徐々に立ち込めていくのを肌で感じる。

 やはりというべきか、友好的にしようとする気はさらさらないらしい。

 


「ああ。これは、妹の――」

()()()

「え?」

()()()、です」



 ニュース番組でもこうはいかないというほどの、間髪入れぬ訂正。

 普段はそういったことはないのか、滝川君が目をぱちくりと大きく開け、不思議そうな顔をするのが見える。

 しかし、その意図は……最も重い血の繋がりという枷をしていないという意図は、八雲ちゃんの方にはしっかりと伝わったのだろう。

 滝川君とは対照的に、その普段は爛爛と輝く大きな目がキュッと細まっていく。



「あー………………うん。義理の妹の雫。僕のうち、再婚同士だからさ」

「……ふーん」

「それで、こっちは大崎――」

()()

「え?」

()()、ね」

「えー………………うん。八雲さ……ちゃん。色々と助けて貰ってるんだ」



 八雲ちゃんは負けず嫌いだし、きっと相手の呼び名に対抗したのだろう。

 以前、恥ずかしくてなかなか言い出せないと乙女全開の相談事をしてきたのが、はるか遠い昔だったかのように感じてしまう。



「……えーっと」



 さすがの滝川君も異変を感じ始めたのだろう。

 戸惑った声を出しながらゆっくりとこちらを振り返り、助けを求めるかのような視線を送ってくる。

 だが、当然ながら答えはノー。

 はっきりと首を横に振ると、裏切られたというような表情で彼は再び会話の輪の中へ戻っていった。


(…………すまないね、滝川君。僕の胃は、この距離でもう限界なんだ)


 というより僕がここにいるのは、あくまで本当にヤバい時の通報役としてだ。

 まかり間違っても、今目の前で繰り広げられている鍔迫り合いに立ち入る勇気はない。 



「えー…………あー……なんていうか…………もしかして、二人とも、機嫌悪い?」

「「悪くない」」

「そ、そう? なんか、当たりが、ちょっとね。ほら……強い気もするんだけど」

「「強くない」」

「…………」



 再びこちらを見やる、捨てられた子犬のような心細げな視線。

 しかし、僕の答えは変わらず、ノーだ。

 むしろ、行ったところで屍が二つになるくらいしか変化は生じない。

 もはやここは、戦場なのだ。

 それも、キャットファイトなんていうのは烏滸がましいくらいの、熾烈な戦場。

 当然、レフェリーなんかもいやしない。



「…………………………………………」

「…………………………………………」

「…………ふふっ。よろしくね、()()()()

「…………ふふっ。ええ、よろしくお願いします。()()()()

 


 そして、ぶつかる視線と、それに続く冷たい笑い声。

 とうとうゴングは鳴り、戦いは始まってしまったようだった。

 何故だが僕の方にも流れ弾が来るのだけは、本当に勘弁してほしかったけれど。

   

  





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