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あるオーナーさんの受難(めんっ)


 近頃は別人のように丸くなったとはいっても、札付きの問題児だった工藤君と剣崎君、それに大崎――旧姓鬼ヶ谷さんとは幼稚園の頃からの幼馴染ということもあって、それなりに胆力はついていると思っていた。

 でも、今目の前にいる女の子はそれとはまた違った気迫があって、思わずごくりと唾を飲み込んでしまう。



「…………あー、こちらのお嬢さんは?」

「え? 昨日メッセージで伝えておいた妹の雫ですよ?」



 さも不思議そうな滝川君の顔に、本当は問い詰めたい気持ちでいっぱいだ。

 正直、妹がオーナーさんに会いたいそうですと、そう伝えられた時は、もしかしたらお兄さんを心配してとかかな?と、なんとなく兄想いな優しい妹さん像をイメージしていたのに。

 むしろ、先ほど僕が姿を見せた一瞬だけ垣間見えた顔は、とてもではないが友好的なものには見えなくて、死刑執行人と言われても納得ができるような雰囲気があった。 



「あ、そ、そうなんだ。仲、いいん……だよね?」

「ええ、まぁ。昔から、目の中に入れても痛くないくらい可愛いんです」

「っ………………………………」



 引くつく頬に、噛みしめられた唇。

 何か暗い衝動を抑えているような様子で兄の背中を見やる姿は、とてもではないが仲が良さそうには見えない。

 だが、これでも僕だってもう四十路。

 いろいろな愛の形があるのかもしれないと飲み込む程度の度量はある。


 

「そう……うん。そう、みたいだね」

「はい。まぁ、今は大学の関係で海外に住んでるので、かなり寂しさはあるんですけど」

「…………はぁ…………はぁ…………」



 ひどい恥辱を味わっているかの如き、非難の籠った視線。

 次第に浅い呼吸を繰り返し始めたその子に、不安しか感じることはできない。

 というより、何故この子は自分の腕を自分で抑え込んでいるのだろうか。

 しかも、鍛えているのか仄かに浮かんだ筋肉の筋が、より物騒さを際立たせていた。



「あー、と。大丈夫、その子?」

「確かに、心配ですよね。雫は、ほんと、すごい綺麗ですし」

「…………くっ……………………」


 

 透明感のある白い肌に、濡れ羽色の綺麗な黒髪。

 そっと口元に添えられたホクロは微塵もその美しさを損なうことなく、色気のようなものさえ放っていて、傾国のなんて形容詞がついてもおかしくない危うい魅力がある。

 なるほど確かに、美人ではある……あるのだが、問題はそこではないし、話題もそこにはない。

 むしろ、滝川君は何故気づかないのだろうか。

 いや…………やめよう。これ以上言葉を重ねても状況が好転するとは思えない。

 彼がいろいろなことに鈍いのは、八雲ちゃんから散々と聞かされていることだし。



「……えー…………始めまして……ここのオーナーの佐藤です」

「…………………………始めまして、滝川 雫です。どうぞ、よしなに」


 

 一呼吸置いた後、まるで取り繕うかのように浮かべられる上品な微笑み。

 もしかしたら、何も知らずに最初に見たのがこれであれば年甲斐もなく照れていたかもしれない。

 だが、今は先ほどとの落差もあって正直恐怖しか感じることは出来なかった。



「…………お兄さんのこと、これからも、よろしくね?」


 

 これからも、という部分にグッと力を込めて伝える。

 頼むから、知り合いが突然失踪ということだけはやめて欲しい。

 本当の兄妹仲は僕ではわからないが、どうやら普通の物差しで測れないことだけは確かなようだし。



「……………………そう、ですね…………何やら、誤解があったようですし」

 

 

 後半部分は、小さすぎていまいちよく聞き取れなかったものの、聞き返す勇気はない。

 というより、怒りと呆れの混じったため息は僕と滝川君の双方に向けられているようで、本当になんて伝えてこの場が設けられたのだろうかと、改めて問い詰めたい気持ちが込み上げてくる。

 働き者で、優秀で、いい子であるのは間違いないのだが、最初の面接の時からどこかズレているので、そこだけが心配なのだ僕は。



「………………まぁ、後で確認すればいいでしょう。ところで、ハルさん。例の、大某おおなにがし……いえ。女性の、同い年くらいの方はいらっしゃらないのですか?」

「え? 大崎さんのこと?」

「……ええ」

「んー、僕と交代の時に来るはずだよ。今日はシフト入ってるって言ってたし」

「……そうですか。では、またその少し前に来るとしましょう」

「えっ!?」



 健全な光を取り戻し始める瞳に、乗り切ったかと、安堵していたのも束の間。

 再び訪れるらしい苦難に思わず声をあげてしまう。 



「………………やはり、ご迷惑でしたか?その分、何か買っていくつもりでしたが」

「あ、いや。ほら……バイトのみんなに同じように会うのかなって思ってね。大変だなと」



 とはいえ、相手の顔は若干申し訳なさそうで、こちらも罪悪感交じりの苦い言い訳を何とか考える。

 そもそも、別に誰かが来ること自体に問題があるわけではないのだ。

 実際、工藤君や大崎君の昔の舎弟を名乗る人たちや、八雲ちゃんの知り合いが常連客としてよく来るし、そのお客さんとの関係の緩さが僕自身好きだと思ってここをやっている。

 むしろ、先ほどの起爆寸前の爆弾のような危うさだけなんとかしてくれれば、僕からはなにも言うことはない。

 本当に、そこだけなんとかしてくれれば。

 


「なるほど。ですが、そもそもの目的が、その人に会うことでしたので」

「八雲ちゃ――大崎さんに?」

「ええ」

「…………ちなみに、どうして会いたいのか聞いてもいいかな?」

「…………ふふっ。ただ……()()()したいと、思いまして……()()()ハルさんがいろいろと……()()()()()()()()()()、いろいろとお世話になっているようですので」

「…………………………………………………………」


 

 口角の上がった薄い紅色の唇と、楽しそうな笑い声。

 それでもその目は――光すらも呑み込んでしまいそうなその黒い瞳は、少しも陽気な雰囲気を宿していなくて。

 僕は、思ったのだ……何これ怖い。もう、帰りたいと。



「………………………………滝川君」



 しかし、僕はそれと同時に覚悟を決めざるを得なかった。

 どれだけ恐ろしくても、立ち向かわなければいかないのだなと。

 それが、店を守る者としての、それに、赤ん坊の頃から知っている八雲ちゃんへの責務であるが故に。



「え、はい?」

「…………時給アップの話、やっぱり白紙に戻すことにするよ」

「えっ!? なんでっ!?」

「…………ごめんね。でもね、大人の世界は……こうやって理不尽が突然襲いかかって来るものなんだよ?」



 そして、だからこそ僕は彼にも負担を求めることにした。

 もしかしたら、これは八つ当たりに近いものなのかもしれないけれど。

 それでも、今にも卒倒してしまいそうな僕の横で、相変わらずのほほんとした顔で立っている滝川君に、きっと今回の元凶であるはずのその彼に、さすがに責任を取って貰いたいと思ったから。

 

  

 








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