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習作系シリーズ

自分を飼い主だと思いこんでる駄犬と腹黒飼い主のお話

作者: 御星海星


 夜が明ける前のキッチンに。


『じゅう』


 肉とタレの焦げる音がした。

 フライパンに赤黒く分厚いレバーとニラ、焼き肉のタレが放り込まれ、嗅覚へ訴えかける、ごちそうの香り。


 そのごちそうを料理しているのは死人と見間違うほどに生気のない、生きた人間だった。

 身長は152,3センチほど。

 まったく血色のない顔と、漂白剤で脱色したような、不健康な白色の髪。

 唯一色を持っているのは、大きく丸い紅色の瞳のみ。

 病んだその色彩が、儚く線の細い、いっそ女子といっても通用する顔だちを、殊更に際立たせていた。

 菜箸でレバニラを掻き混ぜた少年が肉片を口に放りこみ、ひとつ、満足げにうなずく。

 コンロの火を止め、今度はフライパンよりも少し小さい深鍋を火にかける少年。

 炊いた米を入れ、水を注ぎ、鼻歌交じりに掻き混ぜる。

 鍋の中身がふつふつと沸き、ほどよく米が崩れ出した頃合いで、少年はコンロの火を止めた。




(今日は、ちょっと寝坊しちゃったかな?)




 ()()()が起きるまで、もうあまり時間がない。

 フライパンからレバニラを大皿によそい、炊飯器のふたを開け、大ぶりの茶碗に炊き立てご飯を盛る。

 小皿に沢庵を切り、お盆に並べて食卓へ運ぼうとして。


「それ、いいよ。私がやっておくから」


 少年の後ろから伸びた腕が、お盆を搔っ攫った。

 飢えたオオカミのようにギラつく琥珀色の瞳と、新月の夜を流したような、背中まで届く黒髪。

 端正な顔つきに、大型のネコ科動物のように鍛え抜かれた体躯。

 180センチオーバーの高身長とピンク色のナイトキャップが、そのアンバランスさを強調している。

 紺色のパジャマの胸ボタンから覗く谷間と、筋肉質な腹筋に刻まれた、盛大な縫い傷。

 毒々しさすら感じさせるソレに、性故か、目が釘付けになる少年。

 視線に気づいた狼が、ニヤリと犬歯をむき出しに嗤い。


「減るものじゃないし別にいいけど、今じゃないと思うな。シロ君」

「ーーーーーッ!?」


 わざわざ目線の高さを合わせるように前かがみになり、シロと呼ばれた少年の顔を覗きこむ狼女。

 暴力的にきわどく強調された胸元に、少年の顔が真っ赤に染まる。

 酸欠の金魚のようにパクパクと開閉した口の奥から、声にならない悲鳴が吐き出されて。


「そのっ、ごめんなさぁっ!?」


 謝罪と同時に振り返って駆けだし、開きっぱなしになっていた戸棚の角に小指をぶつけた。

 突然の大激痛に悶絶し、硬直した体は前のめりに、床へ倒れ込む。

 彼が最後に記憶した光景は、肌色と、嗜虐的な笑みを浮かべる美貌の同居人だった。


























 ボクたち2人の関係を簡潔に言い表すなら、『家族』か『姉弟』、もしくは『共生』のどれかになるだろう。

 少なくともボクは、砥上夕華(しがみゆうか)さんを家族だと思っているし、この関係が始まってから、もう7年になる。

 ボクがこの家に監禁されていて、GPS付きの首輪をはめられていて、外に出ることを一切許されていないということを除けば、もはや家族といっても過言ではないと思う。






 そもそものきっかけは、ボクが借金のカタに売り払われかけた事だったかな。

 こういうのもなんだけど、ボクは、自分の顔が人並み以上には整っていると自覚している。



 ………まぁ、なんというか、見目麗しい白子(アルビノ)の少年っていうのは、一部の奇特な趣味のヒトからすれば垂涎物のゴチソウらしく。




 ボクは3億2000万で両親に売り払われた。




 両手首に食い込む手錠の冷ややかな感触と、荷台の隅の、赤茶けたシミのようなもの。

 水が飲みたいと訴えたボクに、傷をつければ商品価値が下がるということも分からないのか、振り下ろされる銃床(ストック)と拳。

 金属フレームが顔面にぶち当たり、鈍い痛み。

 後ろ手に縛られたままの視界、鉄の床に血が滴り落ちる。

 ボタボタと零れたその中に、肉片のこびりついた真っ白な歯。

 その全てが、画面1枚を隔てたアニメの世界のようだった。

 「生え変わる前でよかった」と思いながら、どこで殴られれば痛みがマシか考えた、その時。




 火花と断絶音に意識を塗りつぶされた。




 鉄格子先の運転席が、血とよくわからないナニカで埋まり、衝撃波。

 制御を失ってスリップする車両のど真ん中、ボクの眼前スレスレを黒い影がぶち抜き、車体を無理やり止めたあの瞬間のことは、今でもありありと思い出せる。

 血なまぐさく冷たい夜風に翻る黒髪と、一切の無駄も緩みもなく研ぎ澄まされた、刃のような肢体。

 突然の事態に思考が停止したボクの頬をいたわるように撫でる、人形のように白く、しかし間違いなく血の通った指先。

 心の奥底から安心させてくれる慈母の微笑は、生まれ持った病弱さと目髪の色で嬲られ続けてきたボクにとって、劇物以外の何物でもなくて。



 10歳3か月のボクは、生まれて初めて天使を見たと、本気でそう思った。


























「シ~ロ君♪だっこして~~?」

「ちょっと、砥上さん、待っ」

「ま た な い !!」

「うわわぁっ!?」


 砥上さんは、犬のような人だ。

 ボクにじゃれついてくるときとか、テレビを見ていたら勝手に膝を枕にされたときとか、犬を飼っていたらこんな感じなのかもしれないとよく思う。

 本人曰く仕事中はしっかりしてるらしいけど、家でいる時は基本的にダメ人間だ。

 特に、仕事を終えて帰ってきた直後は甘えっぷりに拍車がかかり、今みたいにリビングで押し倒されることも多々ある。

 我が家の家事担当のボクからすれば、色々と迷惑な話ではあるが……………


「あの、砥上さん。離して」

「お願い、シロ君。あと少しだけでいいからさ。…………………それに、約束でしょ?」

「…………わかりました」


 ボクと砥上さんの約束は、簡単なものだ。


 1・ボクはこの家から出てはいけない。

 2・ボクは2人分の家事をこなさなければならない。

 3・ボクは砥上さんと寝食を共にしなければならない。

 4・ボクは砥上さんの仕事の手伝いをしなければならない。

 5・以上の約束を守っている限り、ボクは砥上さんに何をお願いしてもいい。


 逆に、砥上さんは。


 1・ボクたちを危険にさらす仕事は受けない。

 2・お酒を飲むのはお祝いの時だけ。

 3・家でもちゃんと服は着ること。

 4・暴力で解決しようとしないこと。

 5・以上の約束を守っている限り、砥上さんはボクに何をお願いしてもいい。


 つまり、仕事を終えて帰ってきた砥上さんに後ろから抱き着かれていても、ボクは拒否できない。

 後頭部に当たる柔らかい感触にドギマギしているわけでも、ときおり、わざとらしく耳に吹きかけられる息の艶めかしさに悶えているわけでもない。

 少し饐えたような甘い汗の匂いにクラリときたわけではない。

 砥上さんの高めの体温とライダースジャケットの肌触りが気持ちいいなんて思ってない。

 いないったらいないのだ。

 成人まであと3年の健全な少年として、ここは断固振り払うべきで。


「そう、だね。シロ君もいろいろと限界みたいだし、もうそろそろやめにしておこうか?」

「あっ……………いや、その」

「冗談だよ。………………もう少しだけでいいから、このままでいたいんだ。ダメ、かな?」

「………ダメじゃないです。気が済むまで抱いてください」


 なんというか、この状況を振り払える方が、健全な青年からほど遠い気がする。

 だからこれは仕方ない。

 そう、思おう。

 包みこまれるような安らぎに、身をゆだねて。


「…………シロ君。道具の手入れしてくるね?」

「………わかりました。先にお風呂入ってます」

「入浴剤は無しでお願いね」


 ソファーから跳ね上がった砥上さんが、ネコにそうするような形で抱きしめて、ボクを持ち上げた。

 むず痒い感覚が、どうしようもなく蕩けそうなぐらいに心地よく思えるのは、きっと、砥上さんにされているからだろう。

 わずかな名残惜しさを押し込めて、お風呂場に行った。





























 断続的に鳴る、砥石と刃が擦れあう音。

 神経を尖らせて刃紋をみつめ、ひたすらに研ぎ澄ましていく作業。

 金床に乗せ、小槌を振り下ろし、打ち叩き、ひずみを取り除く。

 それが終わったら再び研磨。

 流水で洗い清め、空布で拭き、丹念に油を塗っておく。

 私の腕の倍はある、獣の爪のように湾曲した細長い刀身を検め、鞘に納めた。

 ………………酷い任務の後は、こうやって精神を落ち着かせるのが、私の習慣になっている。


 『命を預ける得物を他人に弄らせるな。自らの武器を自分で整備して、初めて2流を名乗れ』


 それを口癖にしていた師匠が銃の暴発で死んだと聞いた時、笑えばいいのか泣けばいいのか分からなかったのも、今ではいい思い出。

 私の師匠は決して善人ではなかったけど、腐れ外道でもなかった。

 カネさえ積まれれば大抵の依頼は受けるけども、女子供を殺すような依頼は極力受けなかったし、目標(ターゲット)以外を無意味に虐殺するような真似もしなかった。

 その信条が師匠の仕事にどう影響したのかはわからないけど、師匠に信条がなければ、私は今ごろシロ君の傍にいないだろう。

 訃報を耳にしてから、すでに3年。

 それ以来、今日のような依頼を請け負うたびに、自分の中で何かがすり減るのを、ひしひしと感じている。


 いくら手を洗っても赤色が落ちない。

 いくら服を洗っても血泥が落ちない。

 いくら体を洗っても死臭が落ちない。

 仕事から足を洗うのは不可能に近い。


 この社会の秩序は3つ。

 粛清と暴力と略奪だ。

 組織も社会も、抜けようとしたものを逃すことは決してない。

 私自身、そういったバカを数えきれないぐらい始末してきた。

 1度でも血にまみれた手は、次第に、自分自身を捉え始める。

 いずれは、シロ君も巻き込。











「─────それぐらいにしておこうか、砥上夕華。君は大丈夫でしょう?」











 最悪の妄想を気力で振り払った。

 こんな弱音じみたことを吐いてしまうあたり、少し、疲れすぎたのかもしれない。

 今日はゆっくり寝て、明日の仕事に備えよう。

 大きく背伸びして、部屋の扉を開けて。


「くうっ、ふぁ…………………シロ君、まだお風呂入って」


 目の前にカワイイがいた。

 正確に言えば、クマのぬいぐるみを抱えたまま寝落ちしたシロ君がいた。

 お風呂上がりのしっとり濡れた白髪と、線の細い、色っぽさすら感じるようなほっそりした手足。

 心の底から安心しきった寝顔が、にへらとユルユルの笑顔を浮かべて。


「……………ヤッバ……………♪」


 何がヤバいって、もう、無防備すぎる。

 カワイイが氾濫してる。

 足音を殺して接近し、真横に腰掛けた。


 ヤバい。


 いい匂いがする。

 シャンプーの匂いと、別の、甘い匂い。

 荒んだ心が急速に癒されていくのを感じていると、シロ君が、私の肩に頭を乗せてきた。


 ヤバい。


 何がヤバいって、理性を保っていられる自信がない。

 このまま押し倒してモミクチャにしてメチャクチャにして鳴かせたい。

 というか犯したい。

 一応の保護者である私が被保護者のシロ君に向ける感情としては完全に間違っているというのは理解してるけど、それはそれとしてあんなことやこんなことしたい。

 眠ったままのシロ君をソファーに押し倒し、馬乗りになる。

 発火しそうなくらいに熱く火照った体を無理やり毛布におさめて、そのまま抱き着いた。

 ぷにぷにすべすべの柔肌と、湯たんぽのような高めの体温。

 色素の薄い首筋に顔をうずめて、目を閉じ、深呼吸。

 軽く、本当に軽く、ついばむようなキスをして、首筋を舐める。

 甘い味がする。

 頭の奥にクラリとくる、ゴチソウの味。

 白く透き通るようなうなじを吸い、噛みついて。






「…………むぅ、ねむ…………」

「ふぉあ!?」





 至近距離から困ったように私を見つめる、真っ赤な寝ぼけまなこ。

 一気に心拍数が跳ね上がり、毛布から脱出しようとして、背中に暖かな手が回された。

 声にならない声を出そうとして、柔らかな白髪が、まるで甘えん坊の子猫がそうするように、私の胸にうずめられる。


 ヤバい、カワイイ。


 理性がどっかに吹っ飛びそうだ。

 …………というか、ひょっとして、シロ君寝た?

 この状況で寝るっていうことは、誘っているってことだよね?

 そういうことなんだよね?

 寝間着のボタンを一つずつ外していき、シロ君が目を覚まさないようにそっと脱がせる。

 ……………。


 起きる気配、ナシ。


 これはもう、実質的なゴーサインと見た。

 次第に荒く、浅くなる呼吸と思考に任せて、襲い掛かる。

 その寸前で。


「………砥上さん。コレは、どういうことですか?なんで僕は半裸にされているんですか?」


 眠り姫が目を覚ました。

 不機嫌そうに私を睨む赤眼。

 パニック状態の頭で逃れようとして、抱き寄せられる。

 シロ君の心音が聞こえる距離で、私の頭に細い指が添えられて。


「とりあえず、3日間のお肉抜きで」

「ほぁっ!?」































 私がシロ君を拾ったのは、7年前、とある新興宗教団体を襲撃する任務を受けた時だ。

 ターゲットは、国内で誘拐した児童の東南アジア方面への売買とルートの斡旋を稼ぎにしていて、壊滅させるよう任務を受けた。

 正面からアジトに突撃して殲滅したところで、運悪く護送車がすれ違ったとの連絡。

 国境線手前で護送車に追いつき破壊、荷台の中の子供を解放しようとして、私は、天使に出会った。

 痩せてボロボロの体と、意志の感じられない、虚無の赤眼。

 ろくに手入れもされていないらしい、埃まみれの灰色の髪と、粗末な貫頭衣から覗くミイラのような手足。

 ひどく殴られたのか、傷だらけの顔と、唇の端から零れる真っ赤な血。

 総評すればみすぼらしい子供でしかないだろうし、実際その通り。

 ただ、そんなものがどうでもよくなるぐらい可愛かった。

 汚されて、痩せぎすで、今にも死にそうな子供が、どうしようもなく可愛かった。

 なんというか、シロ君は、私の理想の男の子だったんだ。

 少し強く握れば壊れてしまいそうな体と、意志薄弱な目。

 放っておいたら勝手に死んじゃう、その脆弱さが、何よりも尊いものに思えた。

 私に愛されるべくして生まれてきたような、そんな子供。

 そのあとの私の行動は、自分でも笑っちゃうくらい迅速だった。



 組織に連絡して子供を引き取ることを一方的に宣言し、家を買った。

 自分の名前を忘れていた子供に名前を付け、悪い虫がつかないよう、家から出れなくした。

 GPS付きのチョーカーを細くて白い首につける時、軽く濡れたのを覚えている。

 言葉を教え、知り合いに手伝ってもらって家事を仕込んだ。

 拾った直後に投与した数種類の薬剤と徹底的な栄養管理は功を奏し、シロ君の身長は、この7年間でもほとんど伸びなかった。

 健康的ながら筋肉質というわけでもない、理想の体つき。

 知り合いに相談して選んでもらった石鹸やシャンプーのおかげで、白くてフワフワスベスベの体にはシミ1つないし、優しい匂いのする白髪も、昔と同じまま。

 普段は流されるままのくせに、本当に嫌だと思ったことはしっかり拒む精神性。

 私が疲れたときは優しく甘やかしてくれて、家で温かいご飯を作って待っていてくれる、私の理想の旦那さま(お嫁さん)



 自分の理想の子供を自分好みに育てて、仕込んでいく、その背徳感が、たまらなくキモチよくて。

 だからこそ、私は今、とても苦悩している。

 この決断は、きっと、私たちのこれからの生活を大きく変えてしまう。

 うまく事が進めば問題ないが、もし失敗なんかしたら、多分私は生きていけなくなる。

 故に。









「ねぇ、坂巻ちゃん。今の状況で襲っていいと思う?」

「なに言ってんの?」





 同僚に相談して、バカにしたような眼で見られた。

 短く切りそろえた焦げ茶色の髪と、赤銅色の瞳。

 お行儀悪く机の下でぶらつかせる右足は、球体関節人形のソレにそっくり。

 坂巻アヤメ、旧姓、阿川アヤメ。

 つい半年前に結婚した新婚さんで、私以上の筋力と、義足とは思えない瞬発力の持ち主。

 欠点は、体質的に遠征任務が厳しい事と、おバカな事。

 そんな彼女は、2段重ねのお弁当を平らげ、別のお弁当箱をカバンから取り出していた。


「……………というか、相変わらずよく食べるよね」

「これでも少ない方だよ?実質的に食費はほとんどタダだし」

「いや、なんで…………って、悠利君か」

「いぐざくとりー」


 なぜか英語で答えた坂巻ちゃんが、大量の焼き肉を口いっぱいに頬張る。

 あぁ、シロ君の焼いたお肉が食べたい。

 むしろシロ君を性的に食べたい。

 いや、そうじゃなくて。


「ん?どうしたの?食べる?」

「………流石に知り合いの肉は食べられないかな」


 坂巻ちゃんの旦那さん、悠利君は、不死身だ。

 別に、『どんな危険な任務からでも帰還する』とか、そういうのじゃない。

 どんな重傷を負っても、致命傷を負っても、たとえ灰にされても生き返る。

 世界の理から半歩踏み出した異常存在(イレギュラー)

 ついでに言えば、坂巻ちゃんも似たようなものだ。

 至近距離で放たれた銃弾すら回避し、特殊合金の防御壁を素手で引き裂き、人肉を摂取できなければ飢えて死ぬ、正真正銘の怪物。

 捕食者として生まれてきた坂巻ちゃんと被食者として生まれてきた悠利君は、ある意味、お似合い夫婦だと思う。

 だからこそ、シロ君との関係を相談したかったんだけど…………


「そもそも、相手は誰なの?まさかとは思うけど、シロ君じゃないよね?」

「そのまさかだと言ったら?」

「………よし、夕華。お姉ちゃんに必勝法があります」

「お願いします教えてください」


 フフンと楽しげに笑う坂巻ちゃんに頭を下げた。

 私の方がだいぶ背が高いとかキャラ的にお姉ちゃんは私だとか、そんなのは気にしない方針で。

 シロ君とあんなことやこんなことが出来るなら、悪魔にだって魂を売ってやる。


「とりあえず、作戦その1。シロ君は現在17歳、思春期真っ盛りの男子なんて、脱いで迫れば簡単に落ちる。ソースは私の実体験。無理矢理お酒を飲ませて前後不覚の酩酊状態にしたり、アレな薬を盛るのも効果あり。懸念を上げるなら、シロ君がかなり奥手で草食系な事」

「ふむふむ」

「なるほどな」


 お酒でベロベロになったシロ君…………悪くない。

 悪くないけど、出来ればハジメテは、互いにシラフの時にしたいかな?


「作戦その2。シロ君の方から襲わせる。興奮剤やアレな薬を盛れば、脳内ピンク一色の思春期男子は一発。ソースは私の経験。ただし、重度の奥手かつ極限草食系男子のシロ君には効果が薄い可能性あり。ついでに言えば、夕華の薬剤耐性がほぼゼロなのも不安要素」

「ほほぅ」

「なるほどね」


 オクスリでグシャグシャになったシロ君も、また悪くない。

 とはいえ、終わった後にシロ君が自己嫌悪でアレなことになりそうだから、あまり気乗りはしない。

 ……………まぁ、ソレはソレで見てみたいけど。


「作戦その3。夜這いをかける。シロ君が寝たらベッドに潜りこんで、そのまま最後までヤっちゃう。手っ取り早く既成事実が作れるし、興奮剤とかお酒とかも一緒に使えば、絶対に上手く行く。ソースは私の実体験。問題があるとすれば、夕華もシロ君も早寝早起きを地で行く熟睡型健康優良児だということ。ぶっちゃけ普通の添い寝になって終わると思うから、おすすめはしない」

「ふむふむ」

「そうか…………そんな手もあったのか」


 そうなったらそうなったで、美味しい思いができることには変わりない。

 朝、目が覚めた時に、シロ君がどんな反応をしてくれるのかも気になる。

 やるならこれかな?


「うん………ありがとう、坂巻ちゃん。また試してみ」

「アヤメ。お前、ほんと何やってんだよ」

「うっひゃぁ!?」


 首筋に缶コーヒーを押し付けられて、坂巻ちゃんが悲鳴を上げた。

 足をもつれさせてぶっ倒れる坂巻ちゃんを、残念なものを見る目で見下す、黒い影。

 真っ黒い短髪と、真っ黒い瞳。

 ガッチリと筋肉質な体をスーツに包み、律儀にもネクタイまで結んだ立ち姿。

 坂巻悠利、23歳、身長178センチ、自己申告体重89キロのキン肉マン。

 坂巻ちゃんに齧られて喜ぶ点を除けば、私の同僚の中でも、数少ない常識人。

 というか。


「隠れ聞きってのは感心しないな。そういうの、あまりしない方がいいよ?」

「暇だからアヤメの様子を見に来たら、お前がいたんだよ」

「じゃあそこで移動したらよかったじゃん」

「お前らが変なこと言いだしたからな。念のため監視していたら、この通りだ。……………アヤメ、家に帰ったら、互いに納得いくまで話し合おうか?」

「ベッドの上で?」

「何言ってんだお前」

「あうっ!?」


 ぺチンとおでこを弾かれて、可愛い悲鳴。

 愉快そうにケタケタと笑う悠利君と、涙目で抗議する坂巻ちゃん。

 どっちも楽しんでいるし、お互いを大切にしているのがわかる、いい笑顔。

 ……………うらやましい、と思う。

 私とシロ君の関係は、あそこまで互いを許し合っていない。

 私はシロ君の過去をあまり知らないし、シロ君に自分の過去を伝える勇気もない。

 現にこの7年間、シロ君との関係はほとんど進展していない。

 どれだけ表面をごまかしても、シロ君は、私を完全に信頼してくれてはいない。



 私を自分のものにしようとしない。

 私がどれだけ恋焦がれても、待ちわびても、与えてもらえるのは『ゴー』ではなく『マテ』だけだ。

 私にどれだけ抑圧されても、私を襲おうとしない。

 私がどれだけ許容しても、最後の一歩を踏みこもうとしない。

 私がどれだけ誘っても、煽っても、自分が一方的に引いた一線を守っている。


 どれだけ私が飢えているのかも、知らないで。



「まぁ、とりあえず、シロ君としっかり話し合ってみたら?確か、もうちょっとで夕華の誕生日でしょ?それまでに、自分がどうしたいかを決めておいたほうがいいんじゃないかな」

「…………そりゃあ、シロ君とあれやこれやを」

「一度落ち着いて考えてみたら、案外、何かが出て来るかもよ?今のところ、私に言えるのはこれぐらいかな」


 いつの間にか完食していたお弁当をしまい、「じゃ、仕事してくるね♪」と食堂を去っていく坂巻ちゃん。

 飲み干した缶コーヒーを握りつぶした悠利君が、おもむろにスマホを取り出して、ニヤリと笑った。


「………なにか面白い事でもあった?」

「ちょっとな。…………ま、お前は自分のやりたいように動いた方がいいだろ。いつも通り本能で行け、本能で」

「いや、任務とは話が別で」

「ユーリ君!話してないで早く来い!!」

「んじゃ、頑張れよっと」


 悠利君の姿がぶれ、次の瞬間には、缶コーヒーの残骸を残して消失していた。

 相変わらず神出鬼没というか、よくわからない動きをする。

 ………結局、自分で何とかしろってことか。

 溜息1つ、おにぎりに齧りついた。

 ……………あっ、中身、鶏そぼろだ。

 わふぅ。

























「おい、シロ。ケーキの飾りつけはこんなものでいいんだよな?」

「あ、はい!ありがとうございます!」


 お店で売っててもおかしくないレベルのホールケーキを片手に、キッチンに佇む悠利さん。

 砥上さんの誕生日パーティーの手伝いをお願いしたのだが、思ったよりも快く受けてもらえた。

 マンガ肉のワッペンのエプロンをつけた格好がかなりアンバランスだけど、本人が気にしていないようなので言わない方がいいだろう。

 いぶかしげな黒目を他所にニンジンとジャガイモを刻み、洗って塩コショウを塗りこんだ丸鶏の中に詰める。

 小鍋に茹でたカボチャとトウモロコシを磨り潰して入れ、牛乳を注いでバターも投下して混ぜ合わせる。

 買ってきたローストビーフを薄切りにして、予熱したオーブンに鳥を入れた。

 砥上さんが帰ってくる時間は、悠利さんの奥さんのアヤメさんが教えてくれることになっている。

 スープの面倒を見ながらレタスをちぎり、ミニトマトを洗って皿に盛りつける。

 作り置きのポテトサラダとローストビーフを乗せて。


「…………なぁ、シロ。1つ聞いていいか?」

「どうかしましたか?」

「お前、気付いてるだろ」

「何にですか?」

「砥上がお前に何を期待してるか、気付いてるんだろ?」


 ……………やっぱり気づかれてたか。

 この人は妙に頭がいい。

 思考能力と発想力が異常に高いというか、普通なら思いつきもしないような手段を平然と実行することがある。

 不死性からなのか、生まれ持った性質なのか、思考回路がぶっ飛んでいるせいで、とにかく相手しずらいし、不気味でしょうがない。

 まぁ、ここで誤魔化してもどうにもならないので、腹を括って。


「ボクを自分好みに育てられていると思い込んで上手く事が進まないと悶々とするところとか、可愛らしいですよね」

「……………わかっちゃいたが、やっぱり腹黒いな、お前」

「仕事中のオオカミみたいな凛々しい所もいいんですけど、家でボクに甘えてる時の大型犬みたいなじゃれつき方が一番好きです。なんというか、こう、思いっ切りワシャワシャしたくなるので」

「犬扱いなのかよ。……………結局、お前は砥上とどうなりたいんだ?」


 どうなりたい………か。

 正直言って、ボクは、今の生活でも十分すぎるくらいに満足している。

 ただ、まぁ、欲を言うのなら


「恋人になりたい…………です。あぁ、でも、出来ればボクが成人した後くらいまで引っ張れたらベストですかね」

「………その理由は?」

「お酒飲んでベロベロに酔っ払った挙句、自分がリードしようとして我慢しきれずにオネダリするところ、見たくないですか?」

「なるほど?」


 実際、ボクは砥上さんが大好きだ。

 大好きだからこそ、砥上さんが困っているところをみたい。

 涙目の砥上さんを見ると、もっと虐めて、啼かせたくなる。

 歪んでいるというのは自分でも自覚しているが、いびつで結構。

 コレ(支配欲)こそが、ボクの純愛だ。


「…………まぁ、アイツはアレで純粋というか、単純というか、思い込みで突っ走るところがあるから、そのあたりは気を付けてやってくれ」

「バカな犬ほどかわいいって奴ですよね!?わかりますか!?」


 アヤメさんを見てなんとなくそんな気はしてたけど、ここに同志がいた!

 ボクと砥上さんがいればそれで十分だけど、仲間というのは多ければ多いほどいい。

 砥上さんの誕生日パーティーもあるし、今日はいい日だ!!とてもいい日だ!!


「あぁ~…………とりあえず、さっさと晩飯作るぞ。まだ時間はあると思うが、早くしないと砥上が帰って」

「ただいま、シ~ロ君!」

「ゴメン、ユーリ君!引き留められなかった!!」


 バァンとリビングの扉を開け放った砥上さんにタックルを喰らい、そのままソファーまで連行され、押し倒された。

 ボクを抱きしめて頬ずりする砥上さん。

 やはりというか、甘えん坊の大型犬みたいだ。

 可愛い。

 あと柔らかいしめっちゃ温かい。


「……………おい、アヤメ、帰ってくる前に電話するはずだったよな?」

「買い物が終った次の瞬間に引きずられてた。アレはマジでムリ」

「なるほど?」

「わふぅ~………や~らか~い」


 かなり疲れた様子のアヤメさんと、蕩け切った表情の砥上さん。

 甘く饐えた汗の匂いに、演技抜きでクラリときたのは内緒の話。

 何がとは言わないが柔らかい感触を押しのけて。


「とりあえず!晩御飯の用意をしましょう!!」

「私も手伝うね、ユーリ君!」

「おいバカやめろアヤメ!お前が料理を作るとろくなことにならな」

「私もやる~!!」

「ちょっ、砥上さん!ステイ!!」


 目を輝かせてキッチンへ走る砥上さんとアヤメさん。

 もうちょっと引き留められなかったのかとか、せっかくのサプライズが台無しになったとか、言いたいことはたくさんあるけど、とりあえず。


「2人とも!料理をする前は手を洗ってください!!」


























「それじゃあ、夕華の誕生日を祝って、乾杯!!」

「なんでお前が音頭とってんだよ」

「そうだよ!なんで坂巻ちゃんがシロ君の役目を取ってるの!?」

「そこで怒るんですか?」


 なみなみとビールを注いだジョッキを掲げるアヤメさん(バカ1号)と、フォークをぶん回して謎の沸点を示す砥上さん(バカ2号)

 唯一まともなのがボク(主夫)悠利さん(元祖主夫)というのも嫌な話だけど、泣き言言っても始まらない。

 おとなしく乾杯して、コップに入ったトマトジュースを一気に飲み干す。

 まぁ。


「お誕生日おめでとう、砥上さん。これからもよろしくお願いしますね?」

「こちらこそよろしくお願いするね、シロ君」


 いい笑顔で肩を寄せて来る砥上さんに若干ドキドキしながらチキンを切り分け、配膳する。

 自分の皿に肉が配られるが速いか、飢えた犬のようにがっつく砥上さん。

 やっぱり、砥上さんはとても可愛い。

 たまに見せてくれるヤンチャなところがすごくイイ。

 なんというか、こう、外では真面目でおとなしい犬が家の中で大暴れしている感じがとてもいい。

 頭を撫でたくなる。


「あの~………シロ君?それされてると、かなり食べにくいんだけど」

「すいません、つい」

「つい!?」


 抗議の声を上げる砥上さんを無視して撫でる。

 さらに撫でる。

 ぺしっと手を撥ね退けられて、ガルルと唸り声をあげる砥上さん。

 可愛いけど、このあたりにしないと怒られそうだ。

 トマトジュースを追加で注ぎ。


「あぁ、そうだ。砥上さん、ちょっとだけ、目をつぶってください」

「わふっ?」


 口の端にソースをつけたまま振り向いた砥上さんが、不思議そうな顔をしつつも目をつぶった。

 ボクたちを見つめるアヤメさんと悠利さんは無視して、手を動かす。

 あまり()()()()()()()()()()()、慎重に金具を固定して。


「………………よし。できたよ、砥上さん」

「むぅ…………なんか、へんなのが」


 へそくりを貯めて買った、真っ黒い革に銀色の肉球をあしらった金具のチョーカー。

 何気にオーダーメイドだったせいで貯金が吹っ飛んだけど、その価値はあった。

 思った通りよく似合ってるし、それに。


「ぬ………コレ、外れな」


 首に嵌ったチョーカーが気になるのか、爪でひっかいたりして外そうと悪戦苦闘する砥上さん。

 いい。

 なんというか、散歩の前に首輪を嵌められるのを嫌がる大型犬みたいだ。

 ………………まぁ、犬を飼ったことは無いんだけどさ。


「ほら、見て。せっかくだから、ボクとおなじ首輪にしたんだ。気に入ってもらえたかな?」

「…………なんで首輪なのか疑問だけど、ありがと、シロ君」


 ボクの金具のデザインが三日月で砥上さんの分は肉球だし、他にも細かい意匠は微妙に違うけど、あまり気にしなくてもいいだろう。

 ザ・ペットって感じの首輪をつけた砥上さんが見たかったのは、内緒の話。


「というか、シロ君。まさかとは思うけど、GPS仕込んだりしてないよね?」

「そんなこと、砥上さんでもなきゃしませんよ」

「ホントに?私の眼を見て言える?」

「……………」

「ちょっとシロ君!?」


 砥上さんに両肩を掴まれて揺さぶられた。

 いい匂いがする。


「まぁまぁ、落ち着いてよ、夕華。ほら、お誕生日おめでとう」

「俺からも渡しとくぞ、砥上。ハッピーバースデーだ」


 2人から渡されたのは、大型の腕時計と大きな万年筆。

 どちらも頑丈さに重きを置いたような見た目で、かなりいい値段がしそうだけど…………。


BF(バックファイア)(アンド)MS(メインスプリング)の連中に特注した、仕込み時計だ。ネジを押し込んで引き抜けば、2秒後に大爆発する」

「なぜ爆発物を!?」

「こっちの万年筆も、本体後部をひねって押し込んだら銃が撃てる。M82の弾丸だ。狙えば、戦車も殺せる」

「なぜそんなものを!?」

「そりゃあ、アヤメの趣味だな」

「なるほど?」


 どっちも危険物だった。

 なんていうか、怖い人たちだ。


「…………まぁ、うん。なんというか、ありが」

「あらあらあらあら?アヤメさんに悠利君も、こんなところで何をしているのかしら?」

「ひゃうん!?」


 いつの間にかリビングにいた大柄な女の人が、アヤメさんを抱きかかえてた。

 アヤメさんの胸やら脇やらをまさぐる色白の細い指先。

 ストレートの黒髪を背中まで垂らした、人形のように無表情な人だった。

 悠利さんが落ち着いているから大丈夫だとは思うけど、相手の意図が読めな。


「…………AA、ね」

「何やってんのリッカちゃん!?」


 バックハグを振りほどき、義足の蹴りを放つアヤメさん。

 ブンと空を裂いたそれを、肌色のナニカが受け止めた。

 「ゲバッフ!?」と聞きなれない悲鳴を上げて倒れ込む、チャラチャラした格好の茶髪の人。

 どうやら、大柄さんの盾にされた模様。

 なぜか恍惚とした顔で昏倒しているのはともかくとして。


「誰ですか、あなた達」

「初めまして、榊原(さかきばら)立花よ。そこのドМとワンコと妖怪プラナリア男と鬼子母神の上司をしているわ」

「はぁ…………」

「安心して、シロ君。だいぶエキセントリックな人だけど、悪い人じゃないから」


 苦笑いの砥上さんに頭を撫でられるけど、はっきり言って、安心できない。

 なんか、ボクをみる榊原さんの視線が、捕食者が被食者に向けるソレと同じものの気がする。

 あまり、近づかない方がいいタイプの人なのかもしれない。


「まったく。私を差し置いて誕生日パーティーを開くなんて、酷すぎるわ。人の心がないのかしら」

「榊原管理官がいると、場が引っ掻き回されるんですよ!!毎回毎回、私が何かしようとするたびに荒らしまわって、後処理するの、私なんですよ!?」

「後処理係にされてたんですか、砥上さん」


 砥上さんがボロボロになって帰ってきたら、優しくしなければ。


「あら、人聞きが悪いわね。有能な部下を然るべきところに配属するのも上司の仕事よ」

「、お前も問題を起こす側だろうが。誰が後始末をやってると思ってる」

「悠利君は黙ってて!!」

「問題児だったんですか、砥上さん」


 やさぐれた様子で吐き捨てた悠利さんに、大声を張り上げる砥上さん。

 外でもダメ人間な可能性が出てきたぞ、この人。


「とにかく!私はそんなの知りませ」

「ハッピーバースデー、夕華ちゃん。お誕生日おめでとう」

「…………はい?」

「私、ちゃんとプレゼントも持ってきたの。きっと喜んでもらえるわ」

「…………お前も、そんなことできたんだな」

「可愛い女の子を虐めることと、可愛い女の子を慈しむことは、私にとって本質的に同義なの。素直に祝うことも出来ない人間に、嗜虐趣味(サディズム)を理解することは出来ないわ?」

「なるほど?」


 そんなことを言いながらも、かなり分厚い茶封筒を手渡す榊原さん。

 話を聞く限りは人格破綻者みたいだけど、本人にとって筋の通った理屈はあるようだ。


「…………で、コレ、なんですか?盗聴器とか仕込んでないですよね?」

「ようやく尻尾を掴んだわ。私から貴女に渡せる、最高の誕生日プレゼントよ」





 その瞬間、場の空気が一気に凍りついた。





 殺意と憤怒、そして恐怖がゴチャマゼになった眼で硬直する、砥上さん。

 わずかにびくつくアヤメさんと、グビグビと音を鳴らして大ジョッキを飲み干す悠利さん。

 そして何故か挑発的な笑みを浮かべる榊原さん。

 わけがわからないよ。

 唇の端に付いた泡を拭った悠利さんが、口を開き。


「リッカ。流石にそれを渡すのはアウトだろ。少なくとも今じゃない」

「そうだったかしら。ちょうどいいと思ったのだけど」

「……………いや、ありがとうございます、榊原管理官。これで、ようやく動ける」

「何があったんですか?砥上さん」

「いや、シロ君には関係な」

「関係あるでしょう、夕華ちゃん。……………シロ君。白神賛教会のことは、知っているかしら?」

「はく………?いえ、知らないです」


 知ってるような知らないような名前だ。


「簡単に言えば、頭のイカれたゲス外道の集団ね。子供を攫ったり売ったり、それで得たノウハウを使って金を稼いだり、他にも色々、シロ君みたいな純真な子供の前で言えないようなことばっかりやってる連中よ」

「それとボクに、何の関係が」





「関係しかないわよ、シロ君………いえ、白神賛教会教主、田附宗也の一人息子、田附波尓さん?」





 次に何が起こったのかは、ボクにはよく分からない。

 ものすごい勢いで引っ張られて、気づいた時には、ボクの首に手刀が添えられていた。

 まるで獣のようにギラつく眼でボクを睨むアヤメさんと、その心臓目がけて短剣を突きつける砥上さん。

 部屋の壁に背を預け、榊原さんを狙って拳銃を構える悠利さんと、榊原さんを守るように立つ、気絶して倒れていたはずのドМさん。

 状況が混乱する中、榊原さんがニヤリと笑い。


「安心して、アヤメさん。シロ君は教団とほとんど関係ないわ。そこは保証する」

「…………ゴメンね、シロ君。夕華。先走った」


 ボソリと呟き、パッと手を放すアヤメさん。

 それを見てようやく落ち着いたのか、砥上さんがナイフをしまい、そのままボクを抱きしめた。

 一瞬で緊迫した空気が弛緩する中、呆れたようなため息が聞こえて。


「お前なぁ、アヤメ…………動くなら、もっとよく聞いてから動けよ。いつも言ってるだろ」

「というか悠利!お前、なにリッカ狙ってんだよ!!」

「状況的にソイツが元凶だろ。俺は悪くない」


 懐に拳銃をしまい、悪びれもせずに舌を出す悠利さん。

 なんというか、やっぱり怖い人だ。


「……………まぁ、ソレはそうだけどよ」

「よくわからないけど……………悪い事をしてしまったのなら、謝らせてもらうわ?」


 ドМさんが納得いかなそうな様子で革ジャンを椅子に掛けて四つん這いになり、その上に座った榊原さんが、無表情のままそんなことを言う。

 …………どうでもいいけど、それでいいのかと問いたい。


「………別にいいんですけど、結局、シロ君は何なんですか?」

「だから言ったでしょう?ヤバい教団のヤバいおっさんの子供。少なくとも、見つかったら誘拐じゃすまないでしょうね」

「そう…………ですか」


『誘拐じゃすまない』

 榊原さんはだいぶボカシてくれているみたいだけど、きっと、ボクのような子供には言えないような目に遭うんだろう。

 砥上さんの上司がかかわっていることも考えれば、結構手に負えない、ヤバい感じの団体みたいだ。

 ふと、ボクを抱きしめる砥上さんの力が強くなったように感じた。

 後ろを見れば、わずかに表情を暗くした砥上さん。

 陰を帯びた顔に、思わず何かを言おうとして。


「ふむ………つまりこれで、シロ君を監禁する正当な理由が出来たと」

「できてないよ、砥上さん」


 よかった。

 いつもの砥上さんだ。


「というか、シロ君、ずっと監禁されてるよね」

「ソレはソレという奴です」

「なるほど?」


 コテンと首を傾げたアヤメさん。

 分からないかもしれないけど、砥上さんに監禁されるのと、その他知らないオッサンに監禁されるのとでは、天と地ほどの差がある。

 コップに注いだトマトジュースを飲み。


「…………あの、榊原さん」

「なにかしら?」

「白神賛教会について、詳しく教えてもらえませんか?」


 少なくとも、ボクに関係することであれば、ボクは知らなくちゃいけない。

 真っ黒い瞳がボクを見据え、薄い唇がゆっくりと開いて。


「基本的な教義は、教団に献金して徳を積めば、罪が浄化されて天国に行けるって感じね。表向きはただのありふれた新興宗教団体だけど、問題は裏側。一定の徳を積むことで幹部になれば、白神様にいけにえを捧げて、不老不死の『死なず』になれる、らしいわ」

「死なず……………ですか」


 何の気なしに見渡した視界に、悠利さんが映った。

 死なず…………不老不死………まさか。


「悠利さん。最低ですね」

「ちげぇよ。俺のコレは自前だし、そもそも不老でも不死でもねぇ」

「じゃなかったら、私が死んだあとユーリ君が独りぼっちになっちゃうしね」

「あれ、違うんですか?」


 なんでも、悠利さんの無限再生は、消化されると発動しないらしい。

 厳密にいえば、分子レベルで変質してしまえば、復元が不可能になるということ。

 常人より遅いものの老化はするし、特殊な薬液を使えば、理論上は、悠利さんを殺すことも出来るのだとか。

 銃弾や爆発では死なないというのも羨ましいが、不老不死というには弱すぎる気がする。


「任務の関係で何回か、白神賛教会の連中とぶっ殺し合ったが、ありゃ、本物の不死身だ。俺が殺ったのは準幹部級の奴らばっかりだったが、十分ヤバかったな。銃弾喰らってもストップしないどころか、TNTで吹っ飛ばしても怯まねぇ。取り巻きのグズ共も頭がイカレてっから、自爆特攻を厭わないときた。あれは、手がつけられねぇよ」


 呆れたように苦笑いし、大ジョッキのビールを一気に飲み干す悠利さん。

 というか。


「教団のデマじゃなくて、本物の不老不死なんですか?」

「50回くらいぶっ殺しまくって太陽光に晒せばくたばったから、不死ではないな。………ただ、あれでも準幹部級なのが問題なんだよ。本物の幹部とか、それこそお前(シロ)の親父ともなれば、正直言ってぶっ殺し方が思いつかん」

「……………本物の人外、ですか」



 白神賛教会………やっぱり、どこかで聞いたことがある気がする。

 ただ、思い出せない。

 ボクが()()に売られて、砥上さんに救われたのが7年前。

 それ以前もそれ以降も、教団と関係はないはず。

 一体、どこで。



「あぁ、そういや連中、みょうな事言ってたな」

「私のスリーサイズとか?」



 ボクが砥上さんに拾われる前…………いや、違う、()()()()()

 それ以前に、ボクは白神賛教会の名前を聞いている。

 間違いない、記憶違いでも、思い違いでもない。

 どこかで。



「ンなわけねぇだろ。さっき、殺しまくって殺したって言っただろ?30回目ぐらいでアイツラ、正気じゃなくなってたんだけどよ、そん時に、色々とうわごとを言ってたんだ」

「あら?坂巻君、報告書には書いてなかったわよ?」

「書き忘れたんだよ…………ええっと、なんだったか」



 そもそも、ボクが教団の教主と血縁だというなら、ボクを売ったりするか?

 ましてや、本物の人外を生みだすことができる集団だ。

 ()()のカタに教主の子供を売るとは思えない。

 というか、なんでボクは教団のことを覚えていなかったんだ?

 ボクの記憶自体、つじつまが合わな。

















「確か…………夜明けの御子(デイウォーカー)、だったか?」
















 その瞬間、ボクの頭の中で何かが弾けた。


 デイウォーカー、日光渡り、奇跡の子。

 秘跡、奇跡、秘匿された聖別、目覚め得ぬ子。

 存在しないはずの記憶が頭の奥を駆け巡り、急速に浮上してくる1つの幻像(ビジョン)







 磔刑にされた痩せぎすの男。

 はるか天蓋からボクを見下ろす双眸と、滴り落ちる鮮血。

 窮極に凝縮された死臭が、ボクの全身を包みこむ。

 判別つかない呪詛を口ずさみ、祈りをささげる白衣の人々と、酷薄な目をした白髪の大男。

 怯え、藻掻き、逃れようにも、寝台に打ち付けられた手足は、ボクの言うことを聞いてくれない。

 逃げられない。

 逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない逃げられない。






 ギラギラと剣呑に揺らめく刃が、振り下ろされて。


「シロ君っ!?ねぇ、大丈夫!?」

「いや、だ。ボクは、そんな」


 世界がグラリと回って、飛散した。


























「…………ん、むぅ………?」


 あたたかい。

 あと、やわらかい。

 あまいにおいがする。

 まぶたを突き刺す光に、目を開き。


「………え?」


 目の前に天使がいた。

 ………じゃなかった、シロ君がいた。

 白くてフワフワな髪の毛と、もちもちすべすべの肌。

 ………………とりあえず服は着てるから、間違いは起こってない、はず。

 昨晩、シロ君がバタンキューしてパーティーがお開きになった後、そのままベッドに寝かしつけたことは覚えてる。

 そのあとの記憶が、一切ない。

 なんていうか、めっちゃ幸せだったこと以外、何も思い出せない。

 まぁ、問題ないか。

 とりあえず。


「や~らかいなぁ~…………」


 思いきり抱きしめて、丸くなる。

 あったかくて柔らかくて、私を安心させてくれる、私の一番大切な宝物。

 少し息苦しいのか、モゾモゾと動いて抜け出そうとしたシロ君をハグして、布団をかぶった。

 肺一杯に甘い空気を吸い込み、深呼吸。

 首筋に舌を這わせ、汗を舐めとった。

 おいしい。

 幸せの味がする。

 ………じゃなくて。


「シロ君、大丈夫だよね?」


 眉をひそめて眠る天使に呟き、返事はない。

 昨日のシロ君のアレは、間違いなく、ただ事じゃなかった。

 恐らくは、私もまだ話してもらっていない、シロ君の過去に関係しているんだろう。

 それも、あまりいいとは言えない類の過去と。

 シロ君の保護者として、その過去がシロ君に牙をむくかもしれない以上、聞かないわけにはいかない。

 でも。


「…………聞けない、よねぇ」


 聞けない。

 聞けるわけがない。

 だって、怖いから。

 私がシロ君の過去を知ろうとして、シロ君に拒絶されるのが、どうしようもないくらいに怖い。

 シロ君に捨てられるのが怖い。

 シロ君に嫌われるのが怖い。

 シロ君が出ていくのが怖い。

 シロ君に疎まれるのが怖い。

 シロ君に避けられるのが怖い。

 シロ君がいなくなるのが怖い。

 シロ君を誰かに盗られるのが怖い。

 シロ君が、私以外の誰かを好きになるのが怖い。

 シロ君を失うのが、怖くて怖くて、どうしようもないくらいに、怖い。

 ……………でも、1つだけ、分かったことがある。


 坂巻ちゃんに訊かれてから、ずっと考えていた、シロ君と、私はどうなりたいのかという疑問。

 私は、きっと。


「そういうこと、だよね…………コレ………」


 シロ君と、家族になりたい。

 シロ君と2人っきりの世界で、ズブズブに共依存して、腐りたい。

 シロ君を絶対に離したくない、この感情こそが、きっと愛なんだろう。

 シロ君が欲しい。

 シロ君とずっと一緒にいたい。

 シロ君の……………その、子供が。














「あぁあああぁぁぁぁぁーーーーーー!!!」


 ダメ!!

 ムリ!!

 ハズイ!!

 何やってんだ私は!!

 頭沸いてんのか!!


「砥上さん!!さっきからうるさいですよ!!静かにして下さ」

「フシャァアアァアアァァァ!!!!」

「うわっ!?ちょっと、待って」

「待たない!!」


 顔が発火しそうなほどの羞恥心が限界を突破し、色々と耐え切れずに突沸。

 正気に戻ったのは、渾身のチョークスリーパーがシロ君の意識を絞め落とした時だった。



























「で、砥上さん。何か言い訳は?」

「………本当に、ゴメン」


 いつものリビングに響く、呆れ声。

 ジトっとした湿度髙めの目線を向けてくるシロ君に頭を下げて、ため息が耳を打つ。

 ………まぁ、やらかしたのは私だし、何も言えないんだけどさ。


「そもそも、なんでボクと砥上さんが一緒に寝てたんですか?」

「昨日、シロ君がぶっ倒れたのは覚えてるよね?シロ君をベッドに運んで寝かしつけた後、そのまま私も寝ちゃってさ」


 あっ、タマゴハムサンドだ。

 モグリ、ムシャリ、おいしい。


「シロ君。サンドイッチのお代わりある?」

「………………砥上さんの奇行はいつものことなので別にいいんですけど、あまりうるさくしないでください。子供みたいで恥ずかしくないんですか?」


 湯気を立てるコーヒーを飲みながら、ジト目を向けてくるシロ君。

 可愛いけど、子ども扱いには納得いかない。


「ふぁふぁふぃふぉふぉもひゃひゃいもん」

「食べるか話すか、どっちかにしてください」

「モギュゴクッ………私、子供じゃないもん」

「小さな子供って、みんなそう言うらしいですよ」

「むむっ、誰がチビッ子だって!?この!このこの!!」

「わぷっ、ちょっ」


 シロ君のほっぺたをムニムニして引き延ばし、ペチリと手をはたかれた。

 流石に怒られちゃったか。

 ひょいっと抱え上げて、ジタバタ藻掻くシロ君を抱きしめたままソファーに座る。



「ちょっと砥上さん、放して」

「ねぇ、シロ君。シロ君は、何者なのかな?」



 背筋にツララをぶちこまれたような、そんな感触がした。

 腕に抱えられたまま私を見上げ、温度の感じられない瞳を向けてくるシロ君。

 やっぱりというか、シロ君の過去には何かがある。

 シロ君も気づいていないナニカが潜んでいる。

 よく晴れた湖畔を眺めている時に、水面下で蠢く怪魚を見つけたような気分だ。

 それでも。



「シロ君が何者でも、関係ないからさ。シロ君がどんな酷いことをしていても、どんな酷い人間になっても、私はシロ君を愛してあげる」

「私、最初にシロ君を拾った時、ペットを飼うような感覚だったんだ。私の言うことを聞いてくれて、私が好き勝手に可愛がれて、私に依存してくれる、都合のいいペットを拾ったと思ってた。酷いでしょ?」

「でも、シロ君は、私の家族になってくれた。一緒にいてくれて、笑って、私を怒ってくれる、家族になってくれた」

「私は、シロ君に救われたんだよ」

「……………だからさ、シロ君。もし、シロ君が今、困ったり苦しんだりしてるなら、遠慮せずに言ってくれないかな?自分の家族が苦しんでいる時に何もできないのは、辛すぎるからさ」


 自分が大好きな人が目の前で苦しんでいるのに何もできないのは、乙女心的にキツい。

 居心地悪そうに縮こまるシロ君を抱きしめて、正面から向き直り。


「シロ君。何があっても、どんな状況になっても、私だけは君の味方でいるから、だから、話してくれないかな?シロ君に、何があったのか」


 私が、目の前の小さくてふわふわした優しい男の子と、心の底から家族になりたいと思っているのなら、避けて通ることは許されない。

 赤い綺麗な瞳と見つめ合うこと、数分間。

 気恥ずかしさ故か、ぷいと視線をずらしたシロ君が、諦めたように口を開いた。


























「なるほど…………つまり、シロ君自身、詳しい事は何も思い出してないんだよね?」

「うん。……………ゴメン、砥上さん」

「シロ君は謝らなくていいよ。何も悪くないんだからさ?」


 申し訳なさそうに俯くシロ君を抱きしめて、髪を梳くように頭を撫でる。

 少し高めの体温と、優しい甘い匂いが心地いい。

 …………シロ君が自分のことをほとんど覚えていないっていうのは、正直に言うと想定外だった。

 昨日のアレは、イヤな記憶がフラッシュバックしかけたことが原因で起こった、精神の自衛機能的なアレなんだと思う。

 知らないけど。


「まぁ、シロ君がしたいようにすればいいよ。私が手伝ってあげるから」

「………あの、砥上さん。1つ、お願いしていいですか?」

「なに?」

「その、ボクの体を調べてもらえませんか?」

「オッシャア!!!」

「ひょわぁ!?」


 シロ君を抱きかかえて2階までの階段を駆け上り、寝室へ突入。

 速攻でドアの鍵を閉め、カーテンを閉じて、シロ君をベッドに押し倒した。

 ここまでの所要時間、わずか15秒。

 私の下には、いきなりのベッドインに目を白黒させるシロ君。

 さて、と…………


「どこから脱がせようかな?」

「何をする気なんですか!?」

「シロ君をペロペロしようかと」

「なんでですか!?」

「えっ?…………いや、舐めればわかるかなと思って」

「わからないよ!?」


 思いっきり暴れて藻掻くシロ君をペロペロしようとして、押しのけられた。

 合法的にシロ君を食べれると思ったんだけど、仕方ない。

 また別の機会にしよう。


「というか、どうやって調べるつもりだったの?」

「えと…………その、病院に連れて行ってもらえませんか?ボクの体がどうなっているのか、一度、ちゃんと」

「シロ君。それはダメだ。シロ君を外に出すわけには行かない」


 シロ君が普通の人間なのか余計に怪しくなった以上、下手に外へ出すわけには行かない。

 今までは変な虫がつかないようにしていただけだったけど、教会の人間に目を付けられる可能性があるこの状況で外へ行くのは、リスクが高すぎる。

 いくらシロ君のお願いでも、こればかりは。


「ダメ…………ですか?」

「いいよ、シロ君」


 私って、色々とダメなのかもしれない。



























「………あの、ヤナギザル博士。もう一回言ってもらえますか?」

「普通、正常、異常なし、オールグリーン。ドゥーユーアンダースターン?」

「あだ、すた…………?」

「だめだこりゃ」


 組織が経営している病院の、特殊病棟。

 回転いすに腰かけて、頭が痛そうな顔で目をしかめるヤナギザル博士。

 私の隣に座ったシロ君が恥ずかしそうなのは可愛いとして、あだすたって何なんだろ。


「おチビ、めっちゃ苦労してるでしょ?」

「えぇ、まぁ」

「博士。シロ君のお世話をしてるのは私ですよ?」


 シロ君をお風呂に入れてあげたり添い寝してあげたりしてるし、買い出しも私が担当している。

 ……………ほとんど全部の家事をシロ君がこなしているのは、ナイショの話。

 シロ君が私のお世話をしているんじゃあない、私がシロ君のお世話をしているんだ。

 断じて、私はお世話が大変な大型犬なんかじゃない。

 最近、私を見るシロ君の眼が、ヤンチャな飼い犬を見る飼い主のソレとダブって感じるのは気のせいだ。

 そうに決まっている。


「むしろ君の方が飼い犬に近いと思うよ?おチビの方が多分賢いし」

「残念でしたね、博士。シロ君は学校に行っていません。つまり、学歴的には私と同じです」


 もっとも、私の場合は訓練に追われて学校に通えなかったんだけど。

 おバカさんという意味では、私もシロ君も大差な。


「あの、すいません、砥上さん」

「どしたの?アイスでも買ってこようか?」

「ボク、高卒認定取ってます」


 ………………ふむ。


「シロ君?聞いてないんだけど?」

「えっと、勉強の機会がなかった組織の人のために、組織内限定の高卒認定試験を受けれるんですけど……………悠利さんに教えてもらったり、教科書を自分で解読しながら勉強して、それで」

「私、知らなかったんだけど」


 私の記憶が正しければ、シロ君が勉強しているところを見たことがない。

 私に隠す意味もないだろうし、なんで。


「その、砥上さんに知られると、勉強の邪魔をされそうだったので」

「…………」


 なんだろう、すごく、ものすごくバカにされた気がする。

 まじめに勉強してる子の側でワザとバカ騒ぎして邪魔してる悪い子みたいな、そんな扱いを受けている気がする。

 というか、私、シロ君にそんな風に思われていたのか。

 …………よし。


「シロ君、帰ったらベッドの上で話し合おっか?」

「ちょっと、砥上さん。人前で」


 何か言いかけたシロ君の口に手を当てて塞ぎ、抱き寄せる。

 抱き枕の刑を敢行しながら椅子に座る。

 ふわりと甘い匂いが鼻をくすぐり、上から見下ろしても分かるくらい、顔を真っ赤にしたシロ君。

 やっぱりかわいい。


「砥上君?児相案件にしたいのかな?」

「それくらいもみ消してくださいよ、ヤナギザル博士。あとで採血されてあげますから」

「おチビ、諦めて楽しんで来い」

「なんでですか!?」


 やっぱり、博士を丸めこむにはこの手に限る。

 注射はイヤだけど、シロ君を合法的にペロペロできるなら安い安い。


「話を戻すけど、おチビの体には特に異常はないよ。どこにでもいる………ことはないけど、白変種(アルビノ)幼体成熟(ネオテニー)ってだけだね。ウチのメンバーに比べれば、ただの1市民だ。例の教団とやらに体を弄られた形跡もないし、それ以外に不自然な干渉があったようにも思えない。まぁ、安心していいんじゃないかな?」


 改めて字面にして聞いてみると、シロ君ってえっちだな。


「つまり、シロ君が攫われるようなことは無いんですか?」

「そうとも限らないね。もし本当におチビが教祖の息子だったら、連中が回収しようと動く可能性は否定できない。早いうちに対策を打った方がいい事には変わりないんだ。…………どうせなら、おチビと砥上君を組織の方で()()した方がいいかもね」

「博士。それって」

「2人を組織管轄の施設で保護するんだよ。………どっちにしろ、教団とかかわっている可能性が非常に高い以上、シロ君は組織で保護せざるを得ない。どうせなら、砥上君も一緒に居たいでしょ?」


 にやりと笑った博士が、「こっちの方から組織に、お世話係とでも口実つけてねじ込んでくるよ」と、楽しそうに呟いた。

 …………まぁ、シロ君と離れ離れにならずに済むなら、それでいいか。


「ありがとうございました、博士。無理に時間を作ってもら」

「なんで帰ろうとしているのかな、砥上君?」


 シロ君を降ろして椅子から立ち、部屋の出口へ向かおうとした私の肩に、ひたり、と重いものが乗った。

 いやにねばっこく湿った、背中が冷たくなるような声。

 振り返って、とてもいい笑顔で笑う博士。

 思わず、逃げようとして。


「さっそくだけどさ、砥上君。採血、してもらっていいかな?」

























「あぅ~~…………」

「砥上さん、大丈夫?」


 あたま痛い。

 おなかすいた。

 シロ君たべたい。

 ナデナデして寝たい。

 というか、いつもよりたくさん抜かれた気がする。

 ぐるぐるまわる頭の中でそんな事をとりとめなく思いながら、真昼の街並みを歩く。

 隣で心配そうにオロオロするシロ君がカワイイ。

 ずっと堪えてた空腹が臨界点に達しそう。

 …………よくよく考えたら、今朝、サンドイッチしか食べてないな。

 道理でお腹が減るわけだ。

 せっかくの外出だし、レストランにでも行って何か食べて帰ろうかな?

 坂巻ちゃんが前に自慢してた、外食デートって奴を体験してみたい。


「シロ君。なにか、食べたいものとかある?」

「食べたいもの………ではないですけど、その、あそこ、行きたいです」

「あそこって」


 シロ君が指さした方を見れば、駅の出入り口付近でピンクのウサギの着ぐるみを着てチラシを配るバイトさん。

 ノボリの絵に描かれていたのは。


「遊園地?」

「うん。7年ぶりに外に出れたんだし、行ってみたくて」


 シロ君のセリフを聞いたバニーさんが硬直するのを無視して、チラシを受け取る。

 …………待てよ?

 シロ君と一緒に遊園地って、実質、デートじゃん。

 シロ君と遊園地デートできるじゃん。

 最高じゃん。

 財布の中身を確認して、1万円しかない。

 カード残高は5千円もなかったはず。

 …………よし。


「もしもし、ヤナギザル博士?」

『なんの用だい?』

「採血2回分、何も言わずに私のカードに3万円ぶち込んで」

『………わかったよ。楽しんできてね?』


 交渉成立。

 何かやらかしたような気がしないでもないけど、気にしない方針で。

 不安そうに私の顔を見上げるシロ君に笑い返して、駅の構内に入った。


























「いや~………楽しかったね、シロ君!」

「楽しかったって言うか…………砥上さんの方ですよね、楽しんでたのは」

「なんのことかな~?」


 呆れた顔でお子様ランチをパクつくシロ君を見つめながら、晩ご飯─────ステーキセットを食べる。

 やっぱりお肉が一番おいしい。

 レストランの窓から見る外の景色は、すでに薄暗く日が暮れて、ライトアップされていた。

 …………まぁ、なんていうか、あれから結局、夕方まで遊び惚けてこんな時間に。

 はっきり言って、めっちゃ楽しかったです。

 ジェットコースターとかフリーフォールとか、本当に良かった。

 プルプル震えて半泣きで甘えてくるシロ君、プライスレス。

 というか。


「思った通り、似合っててよかったよ、ソレ」

「そうですか?ボクはちょっと暑いんですけど…………」


 シロ君のために買った、モコモコ成分多めのグレーのジャケット。

 案の定、よく似合ってる。


「そもそも、ボクが外に出ないのに、なんで買ってたんですか?」

「シロ君に着せたらかわいいだろうなと思ってニヤニヤしてた」

「えぇ~………」

「一応、他にも色々あるよ?ゴスロリとか魔法少女服とかスク水とかブルマとか」

「全部女物じゃないですか!?なんでそんな」

「可愛いと思ったから?」

「えぇ………」


 困惑して眉をひそめるシロ君、カワイイ。

 出来ればメイド服でやって欲しかった。

 もしくは巫女服………いや、ナース服もありかな?

 セーラー服も捨てがたい。

 じゃなくて。


「ねぇ、シロ君。コレからどうする?」


 付け合わせのニンジンとアスパラガスをシロ君に押し付けながら訊ねる。


「どうするって……………何をですか?」


 何食わぬ顔でアスパラガスを押し付け返してくるシロ君。


「まだ遊ぶのか、もう帰るのか、どっちにする?」


 再びアスパラを押し付け、半分になって帰ってきた。

 仕方ないので一気に飲みこみ、お肉とコーラで流し込む。


「…………そう、ですね。砥上さん、最後に、あれだけ乗ってもいいですか?」


 そう言ってシロ君が指さしたのは、綺麗にライトアップされた観覧車。

 ………そういえば、ここに来てから絶叫マシン以外に乗った記憶がない。

 最後にああいうのに乗るのも、悪くない。

 というわけで。


「ひゃあ、ふゃふゃふひよっふぁ」

「砥上さん。せめて飲みこんでから話してください」

「じゃあ、早く行こう?」

「誰のせいで遅くなったと…………いえ、もういいです。行きましょう」


 呆れたように笑って、席を立つシロ君。

 ………待てよ?

 観覧車、密室、シロ君と二人っきり。

 コレって。


「いわゆる、観覧車デートになるんじゃ」

「何か言いましたか?砥上さん」

「ううん、なんでも」


 ヤバい。

 今たぶん、顔、真っ赤になってる。

 不安そうに見上げてくるシロ君から目線を逸らして、レストランを出た。


























「なんか、すっごいワクワクしますね!砥上さん!!」

「ヤダ、うちの子、めちゃカワイイ」

「砥上さん?」


 めずらしくテンション高めのシロ君と一緒に、ワゴンに乗りこむ。

 ドアを閉める音が、お腹の底に響く。

 ………ヤバい、シロ君と二人きりってだけで、めっちゃ緊張する。

 というか、天使だ。

 今すぐ抱きしめたいけど、流石にやめておこう。

 PTOは大事だって、坂巻ちゃんが言ってた。

 心臓の鼓動が、さっきからうるさい。

 体の奥が熱くなるような、汗ばむような感じ。

 甘い匂いがする。

 シロ君の甘い匂い。


「………あの、砥上さん」

「ひゃいっ!」

「………ぷっ」


 急に呼びかけられて噛んだ私を見て、シロ君が、我慢しきれずに噴き出した。


「ちょっと!笑うことないでしょ!!」

「いや、なんていうか、いつも通り残念だなと思って」

「いつも通りって何さ!?」

「アハハ!ちょっと、くすぐった、ゴメンってば!!」


 ジタバタ暴れるシロ君を抑え込んでくすぐりまくり、ふと、シロ君が抵抗をやめた。

 何かあったのか気になって、私を見上げる、夕焼け色に澄んだ綺麗な瞳。

 外から差し込んだ夕日が白髪に映って、まるで、お日様が2つ出たみたいだった。

 心臓を鷲掴みにされたみたいに動けない私と、腕の中のシロ君。

 互いに硬直し、沈黙が流れて。


「砥上さんは、ボクがどんな人間でも、どんな酷い事をしても愛してくれるって、そういいましたよね?」

「………うん、言った」

「1つだけ。1つだけ、お願いしても、いいですか?」


 これ以上ないくらい真剣な眼差しで見つめられて動けない私を、白くて細い手が、グッと引き寄せた。

 あと1センチでも近づけばキスしちゃいそうな距離で、びっくりするくらい力強く、抱きしめられる。

 というか、相変わらず美形だな。

 ………………って、そうじゃなくて。


「ちょっ、ちか」


 ガコォン………と重低音が鳴って、ワゴンの上昇が、ちょうど天辺で止まった。

 というか、ライトアップも消えた。

 ………というか、シロ君、今、完全にキスしようとしてたよね?

 私、そんな肉食系に育てた覚え、無。


「砥上さん。伏せて」


 視界が乱回転して、シロ君越しに見える、半分くらいガラス張りの天井。

 背中とお尻が金属床に擦れて、ちょっと痛む。


 抵抗の間もなく押し倒された。

 

 そう気づいて起き上がろうとして、内臓を揺さぶるような衝撃波。

 突風に吹かれたようにワゴンが揺れて、窓ガラスがびりびり震える。

 搭乗口の隙間から見える夜景に、火の粉が散って。


「もう始まっちゃったか……………もう少し待ってろって言ったんだけどなぁ…………」

「シロ、君?」


 炎上する窓の外へ向けられた、ギラつくような殺意の眼。

 思わず妙な悲鳴を出しかけて、シロ君がこっちを見た。

 まるで泣き出す寸前のような、潤んだ目。


「シロ君、何が」

「ゴメン、時間がない」


 首筋に、チクリとした痛み。

 私に身を預けるように覆いかぶさったまま、じっと動かないシロ君。

 火傷しそうなくらい熱いモノに、肌をまさぐられる。

 ジュルジュルと、ナニカを啜る音がして、体から力が抜けていく。

 脳が焼け付きそうなくらいの気持ちよさと、眠くなるような、頭がボーッとする感じ。

 シロ君に()()()()()()()()と気づいた時には、もう事後だった。

 最後に傷を舐め、身を起こしたシロ君が、口の端に垂れた赤を拭って。


「砥上さん。────────お願いだから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ボクを恨んでも、呪ってもいい、だからどうか、幸せになって、笑って生きてください」


 私の頬に、熱い雫が落ちた。

 真っ赤な瞳から溢れた涙が、とめどなく滴り落ちる。

 とても、とても嫌な予感がした。

 このままシロ君が目の前からいなくなりそうで、思わず抱き着いて。


「ごめんなさい、愛してます」


 体の力が抜けて、後ろ向きに倒れ込む。

 後頭部に感じる掌の感触が、イヤに冷たい。

 真っ暗な海の底に沈んでいくような眠気に、必死で抗って。


「おやすみ、砥上さん」


 耳元で囁かれた、残酷なくらい優しい声に、最後の抵抗はあっけなく砕けた。


























「…………貴方が、例の教祖様とやらですか?」

「………」


 床に敷かれた真っ赤な絨毯と、肌色の、よくわからない素材の壁。

 無駄に広い室内を飾る高そうな調度品と、部屋を照らすシャンデリア。

 掃除が大変そうなここがどこなのかは、わからない。

 今この場所にいるのは、ふっかふかのソファーに座るボクと、目の前の座椅子に腰かけた、白ローブ白覆面の誰かさん。

 それと。


「お父様?可愛い可愛い一人息子がようやく帰ってきたのに、何も言われないのですか?」


 ボクの真横で無機質な笑みを浮かべる、とても背の高い女の人。

 ボクと同じ真っ白な長髪と赤眼、修道女みたいな藍色の服。

 なんとなく、顔も僕と似てる気がする。

 まぁ。


()()()()()()()()()………って言えばいいのかな?」


 実姉なんだけどさ。


「お久しぶりです、波尓」

「お姉ちゃん、出来れば、シロって呼んでもらえるかな?」

「…………ええ、わかりました」


 感情の抜け落ちたような笑顔を見せる姉を無視して、何を言うべきか考えて。


「………愚息よ。一体、どこまで覚えている?」


 仮面の奥から漏れ出るような、低くて冷たい声。

 誰が愚息だとか前見えてるのかとか息苦しくないのかとか、いろいろ言いたいけど。


「ボクが()()()だということも含めて、ほとんど全部覚えてます」


 パーティーの席で悠利さんが言っていたことは、少し間違っている。

 死なず────白神賛教会の秘術がもたらす吸血鬼化現象は、不死ではない。

 恒常性維持機能(ホメオスタシス)の過剰活性と細胞分裂回数の上限解放、それと進化の過程の遡航を含めたいくつかの異能が、吸血鬼の本体だ。

 ………おぞましい、呪うべき異形だ。

 まぁ、実際のところ、ボクが思い出したことは数少ない。

 せいぜい、吸血鬼の性質と弱点、家族構成やボクの特異性くらいだ。

 一応、教団には自分から望んで戻ったってことにしているけれど、ボクの目的や記憶喪失がばれたら、どうなることやら。

 記憶の片隅にあるのは、真っ暗な石造りの牢獄と、鉄格子越しの冷徹な瞳、そして無気力感だけ。

 …………榊原さんが言っていた通り、子供には言えないことをされそうだ。

 とはいえ、そんなもの関係ない。

 何を犠牲にしようと、どんな目に遭おうと、ボクは自分の目的を達成してやる。

 これは、その第一歩だ。


「歓迎しよう、夜明けの御子(デイウォーカー)よ。紗那、案内してやれ」

「かしこまりました、お父様」


 修道女に促されて、部屋の外へ出る。

 異様に冷たい掌の感触が、少し気持ち悪かった。



























「さて、と…………これからどうしようかな?」


 天蓋付きのベッドに寝っ転がって、1人呟く。

 …………やっぱり、砥上さんと離れ離れになるのは、つらい。

 つらい、けど。


「まぁ、無理だよね…………」


 砥上さんの血を啜っている時、ボクは、これ以上ないくらいの悦楽を感じていた。

 ()()を征服し、蹂躙する、獣欲じみた醜悪な快感だった。

 ボクはあの時、砥上さんを()()()()()()()

 一緒に居るわけには行かないし、それに。


「あのままじゃ、砥上さんも危なかったと思うし」


 ボクを砥上さんが監禁していたのは不幸中の幸いだったけど、それでも、いずれ教団の人間には感づかれていた。

 ならいっそ、ボクが記憶を取り戻したことを大々的に知らしめた上で、()()()()()()()()()()

 何があっても、砥上さんを危険にさらすわけには行かない。

 だから、今は我慢だ。

 日光を含む吸血鬼の弱点を克服した特異個体、夜明けの御子としての権力をフル活用すれば、時間をかけずとも、教団を乗っ取り、ボクの手先として操作するくらいの事はなんてことない。

 だから、だからどうか。


「待っていてね、砥上さん。あと少しで迎えに行くから」



























「デート!!」

「なにいってんだこいつ」


 ベッドから跳ね起きようとして、足が引っ掛かって思いっきり転んでしまった。

 上半身だけ床に投げ出した私と、パイプ椅子に座ったまま、それを冷静に見下ろす悠利君。

 着た覚えのない病人服の裾からはみ出す点滴の管と、消毒液臭い独特の空気から判断するに、ここは病院のようだ。

 とりあえず。


「ねぇ、悠利君。何があったの?」

「お前らのいた遊園地で原因不明の爆破事故が発生して、たまたま非番で近くにいた組織の諜報員が捜査に行き、正体不明の集団と戦闘になって殉職。連絡を受けて急行した支部メンバーが制圧するも、連中の正体は不明。操作の結果、観覧車のゴンドラの中から、お前と()()が見つかったって訳だ」


 ナイフで器用にリンゴの皮をむいていた悠利君が投げ渡してきたのは、私がシロ君につけていた首輪だった。

 何か鋭利なもので切られたらしく、()()()()が破断している。


「それと、これを見ておけ。陸戦力支援用ドローンが撮影した映像だ」


 差し出されたスマホに映っていたのは、赤々と燃える夜の遊園地。

 ズームされた観覧車の頂上、ゴンドラの1つを突き破って、ナニカが飛び出してきた。

 黒くてコウモリみたいな翼と、不釣り合いに小さい人間の頭。

 ()()()を引きずるように骨組みの上を歩いたソレが、翼を広げて空へ飛び立つ。

 何かを確かめるみたいに悠々と旋回し、映像に混じる、まるで命令するような人の声。

 直後、金属の震えるような音がして、画面が砂嵐に覆われた。


「…………これって」

「状況からして、シロがやったんだろうな。どのタイミングで教団の奴らと連絡を取ったのか知らないが、アイツが、俺や()()、教団の連中みたいな異常性に覚醒した可能性が非常に高い。そして」

「ユーリ君!説得完了したって!!」


 嬉しそうに声を張り上げて、部屋に飛び込んでくる小さな人影。

 全力ダッシュしてきたのか息切れ気味の坂巻ちゃん。

 小脇に抱えられた書類の束が、サイドテーブルに叩きつけられる。


「悪い、アヤメ。めっちゃ助かった」

「いや、悠利君、何を」

「夕華。お前、あとどれくらいで動ける?」

「………万全じゃないけど、問題ない」

「ならよかった。シロの居場所がつかめ次第、強襲をかけてそのまま奪還するぞ」


 一気飲みした缶コーヒーをグシャリと握りつぶし、ニヤリと笑みを浮かべる悠利君。


 …………うん?

 シロ君の奪還?

 えっと、私、シロ君に逃げられた?

 逃げられちゃった?



「ふふっ、ふふふふふっ」

「夕華?笑い方怖いよ?」



 よりにもよって、あのタイミングで、にげた?

 わたしとシロ君の、はじめてのデートだったのに?

 にげた?


「ぜぇったいに、つかまえてやる」

「ひぅっ!?」



 シロ君のことは傷つけたくなかったけど、仕方ない。

 確かに、シロ君には幸せになって欲しいし、自由に生きてほしい。

 でも、コレはダメだ。

 シロ君が受け取る幸せも不幸せも嬉しい事も嫌な事も、全部、私が与えるものでなくちゃ。

 シロ君の世界の中心は、私でなくちゃいけないんだ。

 シロ君が手にする自由は、全部私に管理されなくちゃいけない。

 シロ君は、私だけのものだ。

 絶対に、絶対に、絶対に!!


「絶対に、逃がさないよ、シロ君」

「おいアヤメぇ!コイツ、何とかしろ!!」

「ムリ!怖い!!」


 そうと決まれば、さっそく、シロ君のとこに行かないと。

 邪魔な点滴の管を引き千切ってベッドから降りる。

 …………体力は、いつもの7~8割ってところかな?

 手足は間違いなく動くし、動かなくても関係ない。

 這ってでも捕まえてやる。


「悠利君、坂巻ちゃん。ここから私の家までどれくらい?」

「車で1時間もあればつくだろ。……………お前、まさか、今から行く気なのか?シロの場所も分からないのに?」

「場所ならわかるから大丈夫。悠利君は運転お願い、坂巻ちゃんは、最寄りの支部から武器貰ってきて。シロ君の現在地によるけど、半日以内に仕掛けるから」


 シロ君は、私の取った安全策がGPS付きチョーカーだけだと思ってたみたいだけど、甘い甘い。

 その程度で、私が満足するはずもないのに。

 …………まぁ、そんな無防備なところも可愛いんだけどさ。


「覚悟しててよ、シロ君?私、結構執念深い方だからさ?」

























 藍錆色をした木々が鬱蒼と茂り、外界とこの空間を隔絶していた。

 月光が静かに降り注ぐ大祭壇、その最上段に立ち、周囲を見下ろす。

 ちょっとした体育館くらいのこの場所を埋め尽くす、白ローブの群れ。

 痛いくらいの沈黙の中に、フクロウの陰鬱な鳴き声が響く。

 数拍の後、モーゼよろしく白ローブの群れが割れて、教祖が歩み寄ってきた。

 うねりくねった独特の形状の短剣を捧げ持った教祖が、祭壇の上─────石製の盃の前へ。

 ふと、後ろから姉に抱き着かれた。

 無理矢理短剣を握らされて、不気味な銀色の刃が、ボクの手首を切り裂く。

 鋭い熱を帯びた痛みと、傷口から溢れ出す血液。

 並の人間なら失血死しそうな量だけど、意識が薄れるようなこともないし、盃が満ちることもない。

 まったく、便利な体だ。

 軽く10分ほど血を注いで不可思議な儀式が終了し、ぞろぞろと退場していくローブたち。

 どうやら、もう帰ってもよさそうだ。

 薄暗い、窓の1つもない廊下を歩き、あてがわれた自室へ。

 装飾まみれの洗濯が大変そうなローブを放り捨て、ベッドに寝っ転がって。



「………なんで、ボクの部屋にいるんですか?」

「だって、家族は一緒に寝るものでしょう?」



 ベッドに腰掛けて、相変わらず感情の抜け落ちたような笑顔を見せる姉。

 しれっとボクの後についてきているし、監視役か何かなのかとも思ったけど、それにしてはなれなれしい気がする。

 というか。


「それだったら、教祖────父さんも一緒に寝ることになるけど?」

「冗談じゃないわ。あんなゲスと一緒のベッドなんて、まっぴらごめんよ」


 今にも舌打ちしそうに顔を歪めた姉が、腹立たしげに吐き捨てた。

 …………なんていうか、初めて噓偽りのない本音が垣間見えた気がする。

 それが肉親への憎悪って言うのが、少しイヤだけどさ。


「………まぁ、それはいいわ。貴方が戻ってくるまでのこの7年間で、ありとあらゆる準備は済ませてあるの。あとは、この教団を乗っ取るだけよ」

「だね。ありがとう、お姉ちゃん。本当に助かったよ」


 ぐでっとだらける修道女を尻目に、頭の中を整理する。

 どうやら、ボクと姉は、この教団を乗っ取ろうとしていたみたいだ。

 とりあえず、過去のボク、グッジョブ。

 これで、教団を乗っ取って操れるようになれば、砥上さんに会いに行けるようになる。


「そもそも、貴方、今まで何をしていたの?もっと早く連絡をくれてもよかったんじゃ」

「一言で言えば、連絡できる状況じゃなかったんだよ」


 実際、監禁状態だったわけだし。

 ボクの記憶と状況から考えるに、時系列的にはこうなんだろう。



1・砥上さんが白神賛教会へ突撃。この時、ボクは吸血鬼化の儀式中だった。記憶の改変の原因はここら辺にありそう。


2・やむを得ず儀式を中断し、資金源だった児童売買ルートにボクを放流して誤魔化すことに。教祖や姉を含めた中心メンバーが脱出し、後で僕を回収する手はずだった。


3・思ったよりバカだった運び屋の連中がボクをボコボコにしている時に砥上さんと遭遇し、ボクが引き取られた。多分だけど、この時点で教団がボクを見失ったんだろう。


4・ボクが外出したせいで居場所が特定されて、遊園地が襲撃された。




 …………うん。

 なんていうか、色々ガバガバだな、この教団。

 まぁ、最後の4に関してはボクの確信犯なんだけどさ。

 日光を克服した吸血鬼なんて代物が町中をぶらついていたら、見る人間が見ればすぐにわかる。

 感覚的には、ほら、アレだ。

 ちょんまげ生やした人がゴザルゴザル言いながら渋谷のスクランブル交差点を練り歩いてる感じだと思う。

 実際に行ったことないけど。

 それはともかく。




「お姉ちゃん。なんで、さっきから少しずつボクに近づいてきてるのかな?」

「シロ君には関係ないわ?」

「お姉ちゃん。なんで、上着を脱ごうとしているのかな?」

「シロ君には関係ないわ?」

「お姉ちゃん。なんで、ボクに引っ付いてくるのかな?」

「シロ君には関係ないわ?」


 あっさりベッドに押し倒されたボクの上にまたがった姉が、上気した顔を向けて来る。

 酔っぱらった時の砥上さんみたいな、据わった眼。

 すっごく、嫌な予感がする。


「久しぶりの再会ですもの、姉弟水入らずで語りあかしましょう?」

「それにしてはインモラル過ぎないかな!?」

「大丈夫よ、シロ君は何もしなくていいの。ただ、体を預け」




 轟音、衝撃、振動。




 耳が馬鹿になりそうな騒音が響いて、部屋の右半分が吹っ飛んだ。

 ガレキが散乱し、土埃が舞い、天井から破片が降り注ぐ中、室内に何かが投げ入れられて。






「逃げるよっ、シロ君!!」







 閃光が爆ぜた。

 塗りつぶされ、急速に回復した視界を、肌色が覆い尽くす。

 聞きなれた声と、黒い影。

 気がつけばボクは、火傷しそうなくらいにあったかい手に引かれて、走り出していた。



























 波尓が、攫われた。

 ようやく、ようやく、手に入れたのに。

 この7年の、先の見えない、泥中に藻搔くような努力が、一瞬で、無意味になった。



 ………あの雌犬、報告にあった奴だ。

 波尓と一緒に居た一般人で、殺さずに放っておくよう命じられて、それ以外に一切の情報は無し。

 それが、何故ここに?

 いえ、そもそも、閃光手榴弾なんて、軍隊でもなきゃ持ってないようなものを、何故?

 どうやってここを突き止めた?

 どうやって部屋の壁を爆破した?

 ………………いいえ、そんな事は関係ないわ。

 相手が誰であろうと、絶対に。



 許さない。


 許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない。




 ぐしゃぐしゃに切り刻んで、豚のエサにしてやる。




「聖女様!ご無事ですか!?」

「襲撃者です!!相手の正確な人数は不明、御子様が連れ去られました!!まだこの敷地内からは出ていないはずです、近衛騎士団長は教祖様の元へ、それ以外の教会騎士団員は、ただちに追ってください!!!」


 ノックもせずに部屋に入ってきた教団員に指示を出し、何も答えがない。

 いえ、それどころか、誰の声もしない。

 あれだけの爆発音なら、もっと騒ぎになっていなければ、つじつまが合わない。

 どうしようもなく嫌な予感がして。


「さすがに勘がいいな」


 咄嗟に跳び退って躱しきれずに、腹部に灼熱が奔った。

 ローブを脱ぎ捨て、見たこともない奇妙な形に短剣を構える、見知らぬ男。

 1つだけ言えることは。


「…………つかぬ事をお伺いいたしますが、その短剣、一体どこで手に入れられたので?」

「古教会の大十字架を溶かして作ったらしぜ?柳笊博士は嫌がってたが、まぁ、吸血鬼狩り(ヴァンパイアハンター)のド定番みたいなもんだしな。………吸血鬼に太陽光が効くんなら、銀とかニンニクとか十字架とか木の杭とかも効くのが道理だろ?」


 傷口が、再生しない。

 はみ出た内臓が焼けただれて、青黒く垂れさがっている。

 こちらの弱点が知られている威容、長期戦は不利。

 速攻でケリを。


「距離1436・11時の方向。判断は任せる」


 バズンと音がして、私のみぞおちを何かが撃ち抜いた。

 思わずぐらりと倒れ込み、両腕を床に縫い留められる。


「一体、ナニが」

「援護射撃だよ、俺の嫁さんからの。もともと運動神経と筋力はすごかったからな。義足じゃ満足に動けないが、弓を番えて撃つ分には事足りる。後は俺の無線で相手の位置を伝えて、バキュン…………ってわけだ」

「…………本当に、何を言って」

「敵にそこまで教えてやる義理はねぇよ。恨むんなら、人の恋路を邪魔した自分の業を恨め」

「ふざけるな。お前に、何がわかる?」


 お母さんがいなくなった時、私に寄り添ってくれたのは、波尓だった。

 お父さんがおかしくなった時、私の側でいてくれたのは、波尓だった。

 あの子が私の前からいなくなるずっとずっと前。

 幼かったあの子が一度だけ言ってくれた言葉を、私は覚えている。

 あの子は。


「波尓はッ、私をお嫁さんにしてくれるって言った!!幸せにしてあげるって言ってくれた!!私たちは幸せにならなくちゃいけないんだ!!邪魔すんなら殺すぞ!!!」

「その状態で殺せるんなら、やってみてほしいもんだな」


 余裕ありげにつぶやいた男が、木の杭を取り出した。

 強かにわき腹を蹴られ、仰向けに。

 心臓へ、研ぎ澄まし、焼き固められた切っ先が添えられて。


「シャッ、ラァ!!」


 手刀一閃、奴の足首を砕きながら裂き、腕に刺さった矢を引き抜きざま、眼窩に叩きこむ。

 ビクン!と痙攣し、そのまま崩れ落ちる男。

 ………少し、血を流し過ぎたか。

 血が足りない、どこかで補給しないと。

 気は進まないけど、コイツでいいか。

 やけに重い死体を引きずり起し、首筋に噛みつき。


「悪いが、それはやめてくれや?」

「なぁっ!?」


 ガァーンと音がして、目の前に星が散った。

 続けざまに頭をぶん殴られて、眼から矢を生やしたまま笑う男がいた。

 咄嗟にガレキを拾って投げようとして、あべこべに顔を潰される。

 即座に傷を修復し、落ちていた杭を蹴り上げ、つかみ取って心臓にぶち込む。

 相手にも吸血鬼がいるとは思わなかったけど、流石にこれで。


「ところがぎっちょん、その程度じゃ死んでやれないんだよな」


 防御が間に合ったのは、ほとんど奇跡だった。

 バスかトラックにはねられたような衝撃と、冗談みたいに吹っ飛んで壁にめりこむ体。

 呻きながら抜け出し、杭打機じみた蹴りが、文字通り腹を貫く。

 胸に刺さったままだった杭を男が引き抜き、振りかぶって。


「繰ッ血!!」


 自身の血を自在に操る、吸血鬼の異能の1つ。

 黒ずんだ血の針が奴の脳内をいじくりまわし、ズタズタにして。


「アッ、ギィ!?」

「ナイスショットだ、アヤメ。やっぱいい腕してんな」


 奴の頭が弾け、私の喉に矢が突き刺さる。

 そのまま壁に縫い付けられる私と、何食わぬ様子で顔を生やす男。

 吸血鬼でも人間でもない、異質なナニカ。


「………貴方、本当に、生き物ですか?」

「さぁな?俺としては、さっさと投稿してくれれば助かるんだが」

「ご冗談を。時間を稼ぎさえしていれば、間もなくこちらの戦闘員が駆けつけて来るでしょう。そうなれば、貴方に勝ち目はありません」

「もう死んだ連中が、どうやって助けに来るんだ?」

「……………はぁ?」


 古ぼけた拳銃に弾を装填しつつ、男が、呆れたようにつぶやいた。

 死んだ連中?

 死んだって、誰が?

 制限付きとはいえ、不死の、吸血鬼の軍団が、死んだ?



「噓です、そんなの、そんなこと、ありえな」

「コレは俺の体験談なんだけどな?俺やお前らみたいな連中はよ、自分が死なないって思いこみやすいんだよ。だからすぐ油断するし、隙も多い。か弱いお姫様役ならともかく、そうでないならもうちょっと鍛えておくべきだったな」



 教団の戦力は全滅、コイツの話が本当なら死亡。

 波尓は…………大丈夫だ、すでにこの屋敷からは脱出している。

 ()()()()()()

 深呼吸1つ、心を落ち着かせて。


「貴方の負けです、侵入者。せめて、もうちょっと調べておくべきでしたね」


 鬼札を切った。


























「おいおいおいおい………それは反則だろ……………」


 敵にとどめを刺したと思ったら、第二形態に突入した。

 何を言っているかわからねぇと思うが、俺だってわからない。

 さっきまで俺がいた洋館の一角が消し飛び、姿を現したのは異形の肉塊。

 直径50メートルほどの巨大な肉塊と、綱引き大会で使う荒縄のような、無数の触手。

 月光に照らされて蠢く、見上げるような巨体を持った、グロテスクな怪物。

 ところどころ、途中で抹殺した時代錯誤の騎士軍団の鎧やら剣やらが混じっている辺り、同族の吸収でもしたのか?


 ふと、眼があった気がした。


 おおよそ元が人間だとは思えない醜悪なバケモノと、眼があったような気がした。

 生存本能に任せて全力でダッシュ、直後、地面をぶち抜いて生える触手の群れ。

 蠢くソレに弾丸を叩きこみ、予想に反してたやすく千切れる。

 どうやらハリボテみたいだが、それにしてもデカすぎる。

 強度がないにしても、あれだけの巨体を削り切るのは骨が折れるな。

 少なく見積もっても、航空支援が欲しい。

 それに。


「こんだけ治りが早いなら、それでも殺せるか怪しいしな」


 さっき破壊した触手が、もう元気に蠢いている。

 爆破による高熱と衝撃波なら、流石に行動不能ぐらいにはなってくれると思うが………それにしても、普通に回復されそうで怖い。

 一応、奥の手は引っ提げてきたが、それだって威力は爆撃と大差ない。

 やるなら、ある程度削ってからだな。


『アヤメ。距離1537・11時の方向に蜂の巣弾(APERS-T砲弾)

『りょーかい、ッと!!』


 無線越しに可愛らしい気勢が聞こえて、俺の耳が風切り音を捉えた。

 一拍の後、鳴り響く炸裂音と、まるで汽笛のようなバケモノの悲鳴。

 フレシェット弾に内蔵された鋼矢の数は8000本。

 特殊な矢に装着して放たれ、信管によって空中で起爆したそれは、半径150メートル圏内のあらゆる生物を抹殺する。

 そんなものを至近距離で喰らえば、いかなるバケモノといえど大ダメージは必須。

 膿漿混じりの血を垂れ流し、月夜に吠える肉塊。

 こんなものを民間人に見られるわけには行かないな。

 

『アヤメ。爆撃用ドローンの支援要請と誘導弾、後は適当に援護射撃を頼む。目標位置はさっきと同じだ』

『ユーリ君はどうする?』

『適当に、足止めでもしておく』

『お気をつけて!!』


 夜闇を引き裂いて降った矢が、バケモノの体深くに突き刺さる。

 続けざまに飛翔した矢に穿たれ、悲鳴を上げるバケモノ。

 どれだけ巨大でも、どれだけ再生能力が高くても、痛覚がないわけじゃないらしい。

 暴れ狂う触手の真下を潜り抜けるように躱し、手榴弾を投じる。

 バケモノの腹の下へ転がったパイナップル型爆弾が爆ぜ、血飛沫と肉片。

 マガジンの残弾をありったけばらまいて、わずかに肉が抉れるだけ。

 ……………流石に、個の巨体に弾丸は通じないか。

 次の手をどう打つか、思案を巡らせて。


「っ、ガァッ!?」


 衝撃、ぶれる視界、土煙。

 体の上に圧し掛かるガレキを振り払って、振り下ろされる肉塊の一撃。

 ギリギリで回避した俺の脚を、脆弱な肉の縄がからめとる。

 引き千切って逃げ、正面から迫る肉塊を躱せなかった。

 一瞬だけ視界が途絶え、頭部が即座に再生を始める。

 鞭のような軌道を描く触手を躱し、全力で横っ飛び。

 地面から突き上げるような急襲を何とか避けて、弾丸を装填しざまにぶっ放す。

 乱舞する触手の幾本かを撃ち落とし、濁流のように押し寄せる肉の海。

 血の池地獄じみた惨状に怯みながらも走って躱し。


『ユーリ君!伏せて!!』


 ガラ空きの頭上に突き刺さる大矢。

 言われるままに伏せ、それが盛大に炸裂した。

 どうやら、アヤメが炸裂弾でも撃ち込んだらしい。

 頭から血飛沫を浴びつつも、潰れかけの肺に無理やり息を吸い込んで。


『距離1537・10時の方向にありったけ叩きこめ!!』

『了解!!』


 叫ぶが速いか、連続して飛翔した砲弾が炸裂し、鋼矢の雨を降らせる。

 怯んだバケモノにラスト一個の手榴弾をお見舞いし、牽制代わりの連続射撃。

 マガジンを引き抜いて装填、狙いもつけずに引き金を引く。

 俺目がけて突っ込んできた触手を回避しざまに撃ち抜き、真横から振るわれたソレを跳び越える。

 泥だらけになりながら着地して、なにか、悲鳴のようなものが聞こえた。

 思わず上を仰ぎ見て、落下してくる円柱の姿。

 長さ5メートル、直径40センチほどの、安定翼付きのソレは。



GBU‐28(ディープスロート)かよっ、チクショウ!!!」



 両耳を手で押さえ口を開けてしゃがみこみ、対ショック体勢。

 地中貫通爆弾(バンカーバスター)が、バケモノのドタマから腹までを貫通し、凄まじいまでの衝撃波。

 吹き飛ばされそうになってたたらを踏み、()()()()()()



 触手に巻き付かれ、宙づりにされる。

 あちこち焼け焦げ、半分炭化しかけながらも、バケモノは健在。

 目減りした巨体の中央付近が裂け、剥き出しになる大口。

 どうやら、俺を喰う気のようだ。

 おぞましいまでの腐敗臭をまき散らすほの暗い喉が、大きく開き。






「アヤメならともかく、お前みたいなモンスターに食われる趣味はねぇよ。死んで出直してこい」






 喰われる寸前、奥歯に仕込んでいた()()()()()()を噛み締め、体内に埋めてあった総重量56キロのプラスチック爆弾が、文字通り火を噴いた。


























「シロ君大丈夫!?ケガしてない!?」

「ちょっ、砥上さん、大丈夫だからぁ!?」


 突撃した洋館から少し離れた、林の中。

 ジタバタ藻掻くシロ君を抱きしめて、匂いを嗅ぐ。

 ……………うん、血の匂いはしない。

 ケガはないみたいだ。

 ないみたいだけど。


「…………シロ君、ちょっといいかな?」

「なんで、()()()()()()()()()()()()?」

「ねぇ、なんで?」

「なんでなのかな?シロ君?」


 古くなった肉みたいな、嫌な臭いがする。

 顔を青ざめさせたシロ君を押し倒して、馬乗りになる。

 潤んだ赤い目が、とても綺麗だ。

 怯えた顔もかわいいなんて、ほんと反則だと思う。

 …………とはいえ、ここは敵地だ。

 さっきからドキドキしっぱなしの胸を押さえつけて。


「シロ君。私、少し怒ってるんだよ?」


 私の後ろから跳びかかってきた吸血鬼さんの首をナイフで切り裂き、眉間と心臓に3発ずつ。

 崩れ落ちてそのまま灰になったところに水鉄砲で1発。

 聖水?と銀の弾丸が弱点だからこうしろって言われたけど、本当に不思議な体だ。

 撃ち切ったマガジンを捨てて装填、周りにほかの吸血鬼の匂いはないから多分大丈夫。


「私はね、シロ君が私に()()()()()()()()()()()()()怒ってるんだよ。私にシロ君が相談してくれてたら、こんなことにはならなかっ」

「なんで、来たんですか、砥上さん」


 その言葉に、頭を金づちで殴られたような気がした。

 ほとんど今にも泣きだしそうな顔で、シロ君が私を見据えていた。

 薄い桃色の唇が、ゆっくりと開かれて。


「砥上さんを危ない目に遭わせたくなくって、だから戻ったのに、なんで、砥上さんがここに来たんですか。危ないし、死ぬかもしれないのに。ボクが、砥上さんを守らなきゃいけなかったのに、それなのになんで」



 頭の中でなにかが切れた。





「なんで、だって!?自分の好きな人がどっか行って、じっとしていられるわけないだろ!!危険があるからとか死ぬかもしれないとか、そんなくだらないこと考えるわけないだろ!好きな人が自分に何も言わずに傷つこうとして、それがどれだけ苦しいか、考えたことはあるか!?はっきり言って最悪だよ!!やられた側がどれだけ惨めに思うか、悲しくなるか、シロ君に分かるか!?そんな下らない自己犠牲なんかじゃなくて、ボクと一緒に苦しんでくださいぐらい言え!男だろうが!!!」

「でも」

「デモもストもあるか!!ああそうかよ、私はそんなに頼りないか!?か弱く見えるか!?守ってもらわないとくたばりそうな仔犬に見えるのか!?ならここで殺せよ!殺してみろよ!!誰かを巻きこめもしないような弱虫が、私を守れると思っているなら、大きなお世話だ!!」

「……………だから、お願いだ」

「お願いだから、もう2度と、こんなバカなことはしないで、私の側にいて」

「大好きだよ、シロ君」


 最後の方は、ほとんど泣き言だった。

 グシャグシャになった頭の中身を吐き出すみたいに荒く息をして、ふわりと、柔らかいものに抱きしめられる。

 甘くて優しい、お日様みたいな匂い。

 別に戦ってるわけでもないのに、心臓がドキドキする。

 子供をあやすみたいにギュってされて、抱きしめられることしばらく。


「ゴメンね、砥上さん。大好きだよ」


 これ以上なくやさしい声だった。




























 痛い、暑い、苦しい、焼けそうだ。

 頭の中でグルグル回る言葉を無視して、足を動かす。

 踏みしめた枯れ葉に足を取られて顔から地面に倒れて、体が動かない。

 焼け焦げた指先で土を搔き、気合だけで立ち上がる。


 ────────誤算だった。


 ただの拳銃だけなら、()ではめずらしくもなんともない。

 あんな、あんな爆弾まで持っているなんて、間違いなくただの裏組織じゃない


 ────────してやられた。


 あの男、動きにためらいがなかった。

 私のような吸血鬼を含めた、異常存在に慣れている人間だ。

 国の犬か、他国のスパイか。

 あの針をたくさん飛ばす爆弾が何かは知らないけど、そう簡単に手に入るものじゃないことぐらいはわかる。

 少なくとも、爆撃を隠蔽するだけの能力はある組織だということは明らか。

 そんな連中の相手なんて、出来るわけがない。

 組織もきっと、もうダメだ。


 ────────波尓と私、二人で逃げよう。


 教壇の協力者や支部をたどれば逃亡の手助けになるし、吸血鬼の技能を使えば顔だけでなく、血液型やDNAだって誤魔化せる。

 これまでずっと、もっと無茶苦茶な事をしてきたんだ。

 こんなこと、どうってことない。

 この程度の困難、どうってことない。

 波尓と私、二人っきりでひっそりと生きればいい。

 吸血鬼は血液以外の食事を必要としないし、血は適当な人間を攫って監禁すればいい。

 孤児や貧乏人なんか、掃いて捨てるほどいるんだ、いなくなっても誰も気にしない奴だって、5万といる。

 ああ、そうだ、いっそ、別の国へ行こう。

 わたしたちの事も、教団の事も、誰も知らない、遠い遠い別の国に。

 あの雌犬が追ってこれないくらい遠くまで、私たち2人で逃げよう。

 2人で、幸せになるんだ。

 まずは、波尓を取り戻さなくっちゃ。

 傷はだいぶ深いし血も足りてないけど、大丈夫。

 私はやれる、そうに決まってる。

 とにかく、どこかに身を隠して、回復を。






「ゴメンね、砥上さん。大好きだよ」






 辿り着いた先で見たのは、あの雌犬を愛おしそうに抱きしめる、波尓だった。

 なぜ、何故お前が()()にいる。

 そこは、そこは私の場所だぞ。

 私だけの場所だぞ。


 なぜ、なぜ、なぜ。


 私の場所からどけ、消えろ、消えてくれ。

 波尓もだ、なんで、なんでソイツと一緒に居て、私といた時より幸せそうなんだ?


 私は、私は私は私は私は




『恨むんなら、人の恋路を邪魔した自分の業を恨め』



 脳裏に、その言葉が蘇った。

 恋路。

 こいじ。

 誰と誰の?

 波尓と、あの雌犬の?



「ア゛ッ、ァアあぁあ゛あああああ!?!?!?!?」


 視界が真っ赤に爆発した。


























「シロ君、大丈夫っ!?」

「おかげさまで!!」


 奇襲に気づけたのは、ただ運がよかっただけだろう。

 シロ君を抱えて前方に跳び、私のいた場所を引き裂くかぎづめ。

 あちこち焼き焦げたみたいにボロボロな修道服と、真っ赤に充血した瞳。

 ざわざわと逆立ち、うねる白髪が、蛇みたいに見えた。

 ゆるりと腕を振り抜き、まるでや銃じみた吐息を漏らす誰かさん。

 どうやら、話は通じそうにない。

 シロ君をおぶったまま、ナイフと拳銃を構えて。


「くっ、うぅ!?」


 誰かさんの姿が消えて、とっさに掲げたナイフが火花を散らす。

 異様に重い爪を気合で吹っ飛ばして、反撃の膝蹴り。

 もろに入った手ごたえを残してすっ飛んだ体が、まるで動物みたいな身のこなしで木の幹に着地、そのまま蹴って跳びかかってきた。

 こめかみを撃ち抜く前蹴りを受け流し、手加減抜きの拳を腹に。

 肝臓を殺した感触と、怯まず爪を振るうケモノ。

 首を掻き切る軌道を描いたソレを、横合いから叩き切って。


「そんなのってあり!?」


 ロケット弾よろしく空中で加速して襲い掛かってきた爪をのけぞって回避し、踏みこんで掌底をかます。

 並の人間なら即死する程度の一撃を放って、まるで鉄塊を殴ったみたいに手がしびれた。

 足払いを前に出てナイフで受け流し、そのまま切り裂いて首に叩きこむ。

 頸動脈と大腿動脈を刈ったはずなのに、ほとんど血が出ない。

 ほんとうに、人じゃないみたいだ。

 乱雑に振るわれる拳にナイフを突き刺して、至近距離から顔面にありったけ叩きこむ。

 脳とか血とか色々ばらまいて倒れる誰かさん。

 さすがに、全弾ヘッドショットは堪えたらしい。

 とどめを刺そうと、近寄って。


「避けて!砥上さん!!」


 ズブリって、嫌な音がした。



























「砥上さん!!しっかりして、ねぇ!!」


 ぐったりと重い、だんだん冷たくなる体を背負って、夜の林を走る。

 月の光が合間から差し込む木々の中、耳元で聞こえる、囁くような、呻くような呼吸の音。

 口の中が乾いて、喉が痛くて、目の前がチカチカする。

 ふくらはぎとわき腹がズキズキする。

 肺が爆発しそうだ。

 鉛みたいに重い足を引きずって林を駆け上がり、大岩の陰に滑り込んだ。

 ゆっくりと砥上さんを降ろして、呻き声。

 ナイフを引き抜いて、砥上さんが着ていた黒いジャケットを急いで脱がす。

 どうやって血を止めたらいいのか、必死に頭を巡らせて。


「これでっ、どうにか」


 ボクのシャツをナイフで裂き、傷にぐるぐる巻いた。

 最後に両端をギュっと縛って、絞り出すような呻き声が漏れた。

 荒く浅い息を繰り返す砥上さんの鞄をまさぐって、目当てのモノを何とか見つけた。


「ちょっと痛いかもだけど、我慢してよ、砥上さん」


 万能輸血液──────前に悠利さんが、開発の第一功労者だって自慢してた──────を砥上さんの太腿に注射し、シャツを外してちゃんとした包帯………というか、合成皮膚のスプレー剤を吹き付ける。

 保険の教科書が正しければ、これである程度の止血は出来るはず。

 ほかに何か出来ることがないか考えて、砥上さんと目が合った。


「コレ、シロ君がやってくれたの?上手に出来てるじゃん」

「そんなこと言ってる場合ですか!?早く逃げるか、どうにかしないと」

「ん………逃げる必要は、ないんじゃないかな?」

「何バカなこと言ってるんですか!!刺されて、こんなに血も出てるんですよ!?ボクが背負っていくので、急いで」

「シロ君。今から見ることは、絶対に、誰にも言っちゃだめだよ?」


 砥上さんを助け起こそうとして、そのまま抱きしめられた。

 規則正しい心音と、お日様みたいな甘い匂いに混じった、血の匂い。

 顔を上げれば、いたずらっ子みたいに笑う砥上さんがいた。


「そう、だね…………シロ君、今から起こることを見ても、今まで通りに私に触れて?そうしてくれるなら、私がシロ君を守ってあげる」

「…………砥上さん、何を」

「まぁ、ちょっとそこで待っててよ?………安心して、絶対、何があっても危ない目には遭わせないから」


 ニコニコ笑いながらそう言った砥上さんが、ケガなんてしてないみたいに立ち上がった。


 思わず止めようとして、ボクは、()()()()()()()()()()ことに気がついた。


 まるで、目の前に、何かとても恐ろしい怪物でもいるみたいに、体が動かない。


 カタカタカタと震えるような、歯の根が鳴る音。

 ボクの歯の根が鳴る音。


 さっきから、うるさいくらいに林が静かだ。

 何の音も、虫の声も、風の音すらしない。


 怖い、怖い、怖い。


 蛇に睨まれた蛙というが、蛇なんかよりももっと大きくて凶暴な獣に睨まれたような気がする。

 痛いくらいに空気が張り詰めて、直後、砥上さんの体が膨れ上がった。




























「少し、怖がらせちゃったかな?」


 背後から漂う怯えた匂いに若干の罪悪感を感じつつも、歩みは止めない。

 あの子がうっかりコッチに来ちゃうことを考えれば、かわいそうだとは思うけど、プルプルしてもらってた方がいい。

 …………なんていうか、ソレはソレで可愛いな。

 かわいそうでも可愛いし、かわいそうじゃなくても可愛い。

 無敵か?

 長く伸びた()で木の幹を抉り裂き、そんな事を考える。

 ………うん、爪。

 真っ黒い獣毛に覆われた手足と、その先端から突き出した、白色の鉤爪。

 鏡でもあれば、きっと、私の頭の上にオオカミのソレとおんなじ耳が見えるはず。

 長くたなびくフサフサの尾が、冷たく澄んだ夜の空気を掻き混ぜる。


 人狼、ワーウルフ、ヴェアヴォルフ、ライカンスロープ、ルー・ガルー、ヴィルカシス、ウルフマン。

 いろいろ呼び方はあるんだろうけれど、意味するところは1つ。


 月夜に人から獣に変じ、理性を喪失して本能のままに他者を襲う、人類種の天敵、狼女(ウェアウルフ)


 捨てられたところを師匠に拾われて以来、組織に入ってからもひた隠しにしてきた、私の奥の手だ。

 傷口の回復が加速する上に身体能力も飛躍的に上昇し、ちょっとやそっとじゃ死なない程度にタフになる。

 少しバカになるのが欠点かもだけど、パワーで圧倒すれば問題なし。

 暗い林の中を、静かに歩き。




「それで隠れてるつもりかな?」




 音も立てずに地面を蹴って突っ込み、誰かさんの脳天に蹴りを叩きこんだ。

 振り回された爪を躱し、木々の奥へ。

 だいぶ濃い、焦った匂いがしてる。

 それに混じる若干の怯えと、もっと濃い殺意に苛立ち。

 悪いけど、人狼のやり方は一撃必殺か一撃離脱と相場が決まっている。

 このまま、嬲り殺してやる。

 獲物の周囲を駆け巡り、足音を鳴らし、気配の強弱を変える、生まれた時から知っていた独特の歩法。

 相手が私を見失った、その瞬間、全力で跳躍して。


「こっ、のぉ!」


 右ストレートをスライディングで回避して、すれ違いざまにアキレス腱を切り裂きながら撤退。

 あまり意味はなさそうだけど、ダメージにはなる。

 相手が吸血鬼である以上、時間は私の味方だ。

 耐久戦を仕掛けた段階で、こっちの勝。


「これでも食らいなさい!!」

「うぉあっ!?」


 ズバンといい音がして、林の木の一本が切り倒された。

 こっちに倒れてきた太い幹を避けて、血塗れで突っこんでくる誰かさん。

 拳の一撃を受け流して喉を裂き、必殺のヤクザキック。

 衝撃で浮いた体に回し蹴りをぶちこんで、振るわれた爪を真っ向から毛皮で受け止める。

 横っ面をぶん殴り、上段蹴りが相手の頭蓋骨を砕く、確かな感触。

 そのまま吹っ飛んで木にめりこんだ誰かさんに追撃を仕掛けようとして、直感に従って全力回避。

 次の瞬間、さっきまで私がいた場所に大量の棘が生えた。

 真っ赤な色と錆臭い匂いからして、多分材料は血。

 吸血鬼らしいっちゃらしいけど、それにしても物理法則どこ行った。

 シロ君に教えてもらった()()()()()()()()()()()()()に反してる気がする。

 木陰に逃げ込んで、無数の風切り音。

 思いっ切りジャンプして木の幹を駆け上がり、あたり一帯を薙ぎ払う赤い刃。

 ざっと半径50メートルくらいの木々が、一瞬で切り倒される。

 渦を巻いて圧縮された赤い砲弾が、空中で身動きの取れない私を狙い。


「あっまい!!!」


 粘ついた世界の中、丸太を蹴っ飛ばしてギリギリで躱し、爪をひっかけて急制動。

 落下しざまに繰り出した爪の一撃が、誰かさんの脳天から股までを引き裂いた。



























「いや~………ホントゴメンね?シロ君」

「別にいいですよ、これくらい。大した手間でもないですし」


 病室のベッドで上半身を起こした私と、わざわざご飯を口に運んでくれるシロ君。

 少し薄味なおかゆが、疲れたお腹に染み渡る。

 私、砥上夕華、人生で2度目の入院です。

 しかも今回は、なんと2週間の長期入院。

 こんな状態なのに、初めての体験にワクワクしっぱなしの自分がいる。

 …………まぁ、お腹に穴が開いてる状況であれだけ暴れたら、そりゃ、傷も悪化するよねってことで。

 あの時はアドレナリンがドッバドバ出てたからたいして痛くなかったけど、どうも右腕と左足も骨折してたみたいで。

 なにげに右足首も捻挫してたし、意外と重症だったみたい。

 でも、シロ君にお世話してもらえてるので、オッケーです。


「バカなこと言ってないで、ほら、バンザイしてください。体拭けないんで」

「あ~うん、わかっ……………いまなんて?」


 体を拭く。

 拭く。

 布・紙などでこすって、汚れ・水分などを取ること。

 じゃなくて!!


「いやっ、シロ君!ちょっと待って!!さすがにそれは!!」

「どうしたんですか、砥上さん?」

「えっと、つまりその、私に服を脱げと」

「そうですけど?」

「にゃっ、にゃにゃにゃにゃ!?」


 おかしい。

 絶対おかしい。

 私、シロ君をこんな肉食系に育てた覚え無いもん。

 真っ赤な宝石みたいな目に見据えられて、体が固まって動かない。

 というか、距離、ちか。


「いい加減に黙りやがれ!ここは病室だぞ!!」


 ズバンと壊しそうな勢いでドアを開けたヤナギザル博士が、ずかずかと踏み入ってきた。

 なんていうか、一気に空気が冷めた。


「も~………ヤナギザル博士、いいところだったんだから邪魔しないでくださいよ」

「うるさい!ここは私の病院だ!!私が法だ!!医療ミスでブッ殺されたくなきゃ、おとなしくしてろ!!」

「博士。それはミスではなく、人為的な殺人かと」

「黙れ!だいたい、おチビ、お前がやったんだろ!?私は知ってるんだよ!!」


 博士に首根っこを引っ掴まれて、ガクガク揺さぶられるシロ君。

 これはこれで可愛いな。

 だから博士、そこ代われ。


「あの、博士。厳密に何があったのか言ってくれないと、答えようがないです」

「採血して冷蔵庫に入れといた砥上の血入りの試験官が、全部盗まれてたんだよ。犯人も手口も不明、赤外線カメラは軒並みぶっ壊れて砂嵐状態。伝説の吸血鬼様ならともかく、生身の人間にこんなことできるわけない。つまり、お前が犯人だ」

「やだなぁ。ボクがそんなことするわけないじゃないですか。なにかほかに、心当たりとかないですか?例えば…………ほら、昨日はお酒を飲み過ぎたとか」

「………なる、ほど?そういわれてみれば、ストゼロを3缶ほど飲んだような?」

「きっとそれですよ。人間、酔ってしまうと何をしでかすか分かんないですから。言うまでもないとは思いますけど、お酒はほどほどにしてくださいね?」

「…………うん。ゴメンね?おチビと夕華ちゃんの邪魔しちゃって」

「別にいいですよ、疑われたボクにも、非はありますし。お仕事、頑張ってください」


 礼儀正しくぺこりと一礼したシロ君に対し、少し混乱した様子で病室を出ていくヤナギザル博士。

 いろいろと言いたいけど、とりあえず。


「シロ君?博士に何をしたのかな?」

「何もしてないですけど?」


 コテンと可愛らしく首をかしげて、不思議そうな顔をするシロ君。


「昔、テレビの特番でさ、吸血鬼特集があったんだよね?」

「それが、どうかしたんですか?」

「吸血鬼ってさ、目を合わせた人間を洗脳できるらしいじゃん?あれって、本当なの?」

「砥上さんの血って、冷やしても美味しいんですね。また飲みたいです」

「シロ君!?」


 間違いない、この子、確信犯だ。

 完全にやっちゃってる。

 しっかりするんだ砥上夕華、ちゃんとシロ君の手綱を握っておかないと、色々取り返しがつかなくなる気がする。


「おい、夕華、シロ、起きてるか?」

「悠利さん、助けに来てくれて、ありがとうございます」

「おはよう夕華!元気!?大丈夫そう!?」

「これが元気に見えるなら病気だと思うよ?」


 ガヤガヤと入ってきた新婚さんが2人。

 いろいろ書類を抱えているあたり、純粋なお見舞いに来てくれたわけじゃなさそうだけど。


「とりあえず、いい知らせといい知らせと悪い知らせがある。どれから聞きたい?」

「いい知らせでお願いします、悠利さん」

「ちょっとシロ君?少しは私と相談してもよかったんじゃ」

「砥上さん、ハウス」

「犬扱い!?」


 抗議しようとして、飼い犬にそうするようなしぐさで黙っているように命令された。

 ………………でも、なんだろう。

 こうされるのも、案外、悪くない気がする。

 頭の奥がポカポカするような、不思議な感じ。

 なんというか、すっごく幸せな気分だ。


「………シロ、こいつ、大丈夫なのか?」

「気にしないで、続きを話してください」

「…………まぁ、お前が気にしないならいいんだけどな?ついさっき、白神賛教会主要メンバー及びに、幹部もしくは準幹部級メンバーを含めた要注意人物の()()()()が死亡したことを確認した。世界各地にあった支部の制圧も順調に進んでいるし、実質的に、あの団体はもう機能していないも同然だ」

「そう、なんですか?」


 よくわからないけど、これにて一件落着という奴だろう。

 よかったねとシロ君に言おうとして、今までに見たことないくらいどす黒い表情のシロ君を見た。

 血の気のない青ざめた顔色と、何かを堪えるように固く握りしめた両拳。

 頭痛でもあるみたいに頭を押さえたシロ君が、口を開き。


「つまり…………その、幹部の中に、死亡が確認されてない相手がいると」

「そういうことだ。白神賛教会教祖、田附宗尓と、その1人娘、田附沙耶。この2人の行方が依然としてわからないままになっている。………そして何よりも厄介なことに、俺が、コイツラを追う部隊の総指揮を執ることになった。これが、悪い話だ」


 悠利君の話を短くすると、あの林での戦闘の後、現場にいたのは過労で昏倒した私だけだったらしい。

 状況から察して、死亡が確認されていない教祖とその娘さん────私がぶん殴った誰かさんはどこかに逃亡して、現在も潜伏しているのだとか。


「部隊指揮に関しては、俺の思いっ切り反対したんだが、結局何もできなかったよ。今までは、現場担当が俺とアヤメのコンビで、少数に対しての襲撃を砥上が担当、駿斗とリッカがサポートに回る体勢だったんだが、そこにシロを組み込むことになった。これが最後のいい話だな」

「あれ?ボクも前線で戦うんですか?」

「正確に言えば、シロ、お前の役目は砥上の()()()だ」

「………はぁっ!?」

「なるほど、そういうことですか」


 突然の決定に悲鳴を上げた私と悠利君を交互に見て、納得がいったようにうなずくシロ君。

 わけがわからない。


「ちょっと、悠利君!どういうことなのかな!?」

「俺は、考えたよ。それはもう、考えた。上層部への言いくるめにアヤメのお守り、シロをどう扱うかとか、砥上がやらかした後の始末、支援要請の責任取りその他諸々の雑用でイかれる寸前の脳味噌で、考えた。そして、閃いたんだ。シロに砥上を管理させちまえば、問題二つが一気に解決できるってな」

「ちょっと、ユーリ君?私のお守りってどういうこと?」

「正直な話、砥上、お前は制御が効かない狂犬みたいなもんだ。戦闘能力は申し分ないが血を見れば歯止めが効かなくなるし、最悪、民間人に被害が出る恐れもあった。だが、もし、お前にブレーキをかけれる人材がいるとすれば、どうだ?大人数相手でも、お前の獣性を抑制できる人間がいるなら、狂犬も立派な番犬になりえる。我ながら、なかなかのファインプレーだろ?」


 真っ白い病院の天井を見上げて、ケタケタと愉快そうに哄笑する、悠利君。

 カッと見開かれた眼には、少しの光もなかった。

 なんていうか、めっちゃ怖い。


「あの、悠利さん。いったい、どれくらい寝てないんですか?」

「72時間より後は数えてない」

「ユーリ君!?しっかりして、傷は浅いから!!」


 壊れたオモチャみたいな笑顔の悠利君を必死になって介抱する坂巻ちゃん。

 けなげだ。


「あぁ~~………まぁ、そういうわけだ。砥上も元気そうだし、今から報告に行ってくる。砥上が回復したら、シロの雇用契約その他もろもろを決めるから、そのつもりでいてくれ」

「じゃあ、またね、夕華。………………シロ君に甘えるなら、今がベストだと思うよ?」

「………ありがと、坂巻ちゃん」


 最後に私の耳元で囁いて、ニコニコ笑って部屋を出ていく坂巻ちゃん。

 …………甘えるなら今がベスト、か。

 ふと、シロ君を見れば、剥いたリンゴを食べながらテレビを見ていた。

 何を言ったらいいのか、少しだけ悩んで。


「ねぇ、シロ君」

「なんですか?」

「私さ、シロ君になら飼われてもいいかなって、本気で思ってるんだ」

「…………へっ?」


 1拍、2拍、油の切れた機械みたいなぎこちない動きで、シロ君がこっちを向いた。

 グルグル動く焦点の合わない目と、耳たぶまで真っ赤に茹で上がった顔色。

 正直言って、私だってめっちゃ恥ずかしい。

 さっきから心臓うるさいし顔から火が出そうなくらい熱いしシロ君が可愛すぎて辛い。

 羞恥心が臨界突破して大爆発しそうだ。

 つらいけど、ここが正念場。

 ありったけの勇気を振り絞って、グシャグシャに乱れまくりな思考を、深呼吸で吐き出して。


「シロ君が好き。シャキッとしてる時もたまに寝ぼけてる時も好き。お風呂上がりのシロ君もパジャマ姿の時もエプロンつけて台所で料理してる時も、全部好き。遊園地に行った時も踊りたいくらい幸せだったし、海と加山とか他にももっといろんなところに行きたい。フワフワした可愛いシロ君も好きだし、怒った怖いシロ君も好き。シロ君とずっと一緒に居たいの。シロ君に甘えたいし、甘えてほしい。もっと私を愛してほしいし、シロ君の一番傍にいさせてほしい。だから、その」

「砥上さん、あ~ん」

「むきゅっ!?」


 口の中に、何かが押し込まれた。

 果物ナイフで器用にリンゴのウサギさんを切ったシロ君が、その一個を私に無理やり食べさせていた。

 少しだけひんやりしてて甘いそれを咀嚼して飲みこみ。


「ちょっとシロ君!今することじゃな」

「砥上さん、リンゴ、もう一個食べます?」

「………食べる」


 笑顔で差し出されたリンゴをシャクシャク食べて、シロ君と目が合った。

 とっても優しい、綺麗な赤い目。

 じゃなくて。


「シロ君。私、真面目な話をして」

「砥上さん。ボクは、あの教団を乗っ取って、砥上さんに会いに行くつもりだったんですよ」

「はっ?」


 冗談でもなんでもなく、これ以上ないくらい真剣な顔で、そんな事を言うシロ君。

 待って?この子、ナチュラルに犯罪者集団のトップになろうとしてたの?


「砥上さんに、危険な目に遭って欲しくなかったから。でも、砥上さんはボクを助けに来た。危険だって分かってても助けようと思えるくらい、砥上さんに愛されて、ボクは幸せだと思います。…………だから、せめてお返しがしたいんです」

「お返し?」

「はい。ボクが砥上さんにしてもらったのと同じくらい砥上さんを幸せにしたいし、今度は、ボクが砥上さんを助けて、守ってあげなきゃいけないんです。だから、砥上さん、()()()()()()()()()()()()()()()

「…………えっ?」


 一瞬、シロ君が言った言葉の意味が、理解できなかった。

 人生をくださいって、それ、プロポーズじゃ。

 というか、顔が、近い。

 めっちゃいい匂いがする。

 私の肩に手が添えられて、ほとんど抵抗も出来ずに、ベッドに押し倒された。


「砥上さんがボクにしてくれたみたいに、今度はボクが、砥上さんを飼ってあげます。愛でて、大切にして、独占します」


 私に馬乗りになったまま、シロ君が耳元にささやきかけて来る。

 2人分の体重にベッドが軋み、真上から私を覗きこむ、妖しく光る赤い瞳。

 何とか抗おうとして、体に力がまるで入らない。

 というかギプスしてるから動かせない。

 クラクラきちゃうような甘ったるい匂いと、ゆっくりとした、穏やかな呼吸音。

 オオカミが獲物にそうするみたいに圧し掛かって、シロ君が、口を開き。







「愛してます、砥上さん」







 私の唇に、熱くて湿ったものが触れた。

 シロ君の顔が、今までになく近くにある。

 自分の心音が、爆発しそうなくらいうるさい。



 息が、出来ない。




 思わず口を開いて、口の中に、柔らかいものをねじ込まれる。

 ベロに絡みつき、なめ尽くすような、そんな動き。

 ひどく甘くてプルプルと弾力のあるそれが口の中で動き回るたびに、お腹の奥がじんじんと熱くなるような感覚が、背骨から脳味噌まで駆け抜ける。

 気がつけば、唯一無事な左手で、シロ君を抱きしめていた。

 甘い味がする。

 甘酸っぱい、リンゴの味。







 どれくらい時間がたったかわからないくらいの間そうしていて、不意に、それが引き抜かれた。

 ぬるりとした唾液が透き通った銀糸のアーチを作り、初めて、シロ君にキスをされたことに気づいた。

 シロ君が何かを言ってるけど、遠すぎてよく聞こえない。

 というか、世界がぐらぐらする。

 この後どうしようとかついにやっちゃったとかハジメテは自分からしたかったとか、そんな事が頭の中で氾濫して。








「わふぅ…………………」

「ちょっ、砥上さん!?大丈夫ですか!?」






 私の体を揺さぶるシロ君の手の感触を感じながら、私はあっさりと意識を手放した。





 






 世界一幸せなノックダウンだった。











毎度おなじみハッピーエンドです。

前作から継続でキャラを使いましたが、前よりかはそれなりにマシになったと思います。

読んでくださってありがとうございます。

高評価とかブクマとかイイねとかよこしやがれください(承認欲求の産んだ悲しきモンスター)。

色々もらえるとモチベが上がって次回作のクオリティが上がるかもしれへん。


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