悪魔狩りの追試
「恋……ですか?」
「そう。恋だよ」
突然どうして?
顔に多分の疑問を浮かばせ困惑とするリシェル。話を聞いて同情したとか? ネロはホットミルクに手を伸ばし、香りを楽しみながらも訳を話した。
「リシェル嬢は王子様の婚約者だったから、他の男がどんなものか知らないだろう」
「そ、それは、はい」
「私は身分が身分だからリゼ君と歳が近くても独り者でね。さっきは理想が高いとか言われたけど断じて違う。私の身分がそうさせているのだよ」
「は、はあ」
「まあ、今は仕事を甥っ子に全部押し付けてるから、事実上の隠居なのだけどね」
一口ホットミルクを飲み、真っ白な水面を見下ろす純銀の瞳はどこか寂しげであった。
「いくら魔界といえど、一度婚約破棄を突き付けた相手と再婚約はないだろう」
「そうですね」
仮にあったとしてもお断りだ。事情があるのなら納得出来ても、あんな吐き捨てるようにリシェルに出て行けと放ったノアールと再婚約なんて。
「もう君は自由の身。恋愛もし放題」
「それがネロさんと恋をするのとどう関係が?」
「折角、人間界へ旅行に来たんだ。沢山思い出を作りたいだろう? 私も退屈しないし、良案だと思うのだけれど?」
「パパがなんと言うか」
「私の予想だけど、そろそろリゼ君は魔界へ戻らないといけなくなる」
どうして? と問う前にリゼルが戻った。通信蝶はもういない。非常に呆れた相貌をしている。椅子に座ったのを見計らい、通信内容を訊ねたらうんざりとされた。
「どうしてこうも情けない奴等しかいないんだ」
「魔王からの泣き言かい?」
「それもあるが辺境地区での魔物の暴走が起きた。それも大規模な」
「わお、大変だあ」
全く大変じゃない声色。棒読みで同情するよと言ってのけたネロへ魔法を放とうするも、寸でリシェルに止められたリゼル。
「騎士共に対処させればいいものを……その騎士共が俺に戻って来いとエルネストに泣き付いたんだ」
「天使への対処法はばっちりなのに、魔物の対処は駄目なんてね」
「天使と魔物だと対処法が違う。今回、暴走を起こしている魔物はかなり厄介な奴だ。下手をしたら討伐を任じられた騎士が返り討ちにされる」
魔王城に勤務する騎士は皆実力派揃いの強者達。家の権力でなった者もいるが、階級が上がる毎に実力の差が生じていく。
「戻らないといけない?」
辺境地区にも多くの住民がいる。辺境の地は農業が盛んでリシェルが魔界で食べていた野菜や果物の殆どが辺境で育てられた。放置すれば食糧難が目前に迫ることとなる。基本リシェルとアシェル以外はどうでもいいと一蹴するリゼルでも、魔界の危機ともなれば考え方は変わる。
リゼルが戻るのなら、リシェルも戻る。一人で人間界に残るのは心細い。
「魔界にいる奴等でどうにかしろと言いたいが……」
「ねえ、リゼ君」
「なんだ」
「私から提案。私がリシェル嬢といてあげるから、君は魔界へお戻り」
「は?」
突然の提案に驚いたのはリゼルだけじゃない、リシェルもだ。すぐに不機嫌丸出しになったリゼルに構わずネロは続けた。
「リゼ君の同行必須な人間界滞在だけど、側に力のある相手がいればリシェル嬢は人間界にいられるだろう?」
「誰であろうが俺以外の奴がリシェルの側を」
語るリゼルの唇に右人差し指を当てて黙らせたネロ。純銀の瞳に急な真剣さが混じり、不服そうにしながらもリゼルは聞く側へ回った。
「これは機密情報だ。もうじき、この間あった悪魔狩りの追試が開始される」
「なんだと?」
追試? 初めて聞く言葉にリシェルが口を挟むとネロは逆に知らないことに目を丸くし、簡単に説明をした。
「今回の悪魔狩り、過去最低の記録が叩き出てね。とてもじゃないが下級天使達の昇格なんて夢のまた夢となった。天界上層部は狩った悪魔の数が少な過ぎるのとこのままではどの下級天使も昇格が出来ないと事態を重く見て、異例の追加試験を実施すると決定したんだ」
「初めてなの?」
「ああ。追試が実施されると知らない人間界に住む悪魔達は驚愕するだろうね。その隙を狙って狩るのさ」
天使が弱い訳ではないが今回の悪魔狩りは非常に厳しい状態に陥ったとか。天使なだけあって事情に詳しいのは良いが、機密情報を簡単に話してしまって良いのか。リゼルとは親し気ではあるが……。
「さてリゼ君。どうする? 今の情報を魔界に戻って魔王に伝えないとさすがにヤバくない?」
「……なにが目的だ」
「何も? 親切心からさ。後、君の愛娘が人間界にまだ居たそうにして可哀想だから。君が戻れば彼女も戻るだろう?」
「……」
ひょっとして、ネロの提案はさっきの恋に関して繋がっている? そうとしか思えない。人間界にいたい、魔界に戻ったらノアールと会う確率が高くなる。だが、リゼルに迷惑を掛けたくない。
「あ、あの、パパ、私は良いから一緒に魔界に戻ろう。早く戻って陛下に伝えないと」
「……」
「パパ……?」
リゼルは一瞬リシェルを見やるとネロへ目を寄越した。
「ネルヴァ。お前が何を考えているか知らんがリシェルに何かしてみろ。天界もろともお前を殺す」
「現実になっちゃいそうだから言わないで。大丈夫、リゼ君が戻って来るまでちゃんとリシェル嬢は守るよ。私はこれでも友達思いなんだよ?」
「は……。初めて会うなり殺しに掛かって来た奴が言う台詞か?」
「あっという間に君に半殺しにされたけどね。エル君が止めなかったら、私今頃生きてない。彼の判断は正しかったが……まあ……起きていたとしてもリゼ君が殲滅してそう」
二人の会話を聞いていると出会いの話が聞きたくなる。最後の会話から察するに、最初は当然敵同士で。ネロの息の根を止めようとしたリゼルをエルネストが止めたらしい。ネロを殺していたら魔界にとっても不利な状況になりそうだったらしいが、ネロの話を聞いているとリゼルがどうにかしていそうな気がする。
自分の父はとことん強いと感じたリシェル。
「悪魔狩りが起きると魔界は人間界への扉を閉める。天使共の侵入を防ぐために。そうなれば、人間界に残された悪魔達は悪魔狩りが終わるのを待つだけ。
リシェル。本当にネルヴァと人間界に残るか? 魔界に戻っても、あの王子やアメティスタ家の娘を近付けさせない方法はいくらでも取ってやるぞ?」
「ううん……私がいない方が殿下やビアンカ様を刺激しないでしょう? 人間界への扉を閉めれば、あの二人も暫くは接触出来なくなるから、その内私を忘れるわ」
「どうだかな……。だが……それもそうか」
魔界から人間界へ行くには、魔王城にある扉を潜る以外の方法はない。鍵の管理は魔王と補佐官を含めた極僅かの者が担っている。扉の鍵を開けるには特殊な魔法が使用されており、順番通りに解除しないと初めからやり直しとなる。
未だ心配げにリシェルを見つめ、ネロを見やる時は眼力だけで相手を殺せる殺気をぶつけ。相当渋々に席を立ったリゼルは外へと出て行った。
「パパ、ご飯は?」
「魔界に戻ってから食べる」
リゼルの料理は頼む前だったので何もない。飲み物だけ残ってしまった。
転移魔法で魔界へ戻ったであろうリゼルの魔力が消えた。
リシェルはネロへ向いた。
「ネロさん、あんな重要な情報をあっさりとパパに話して良かったのですか?」
「追試の事? 良いの良いの。天界側も私が魔族と仲良くしているなんて夢にも思わないだろうが、情報というものは何時何処で漏れるか分からない。対策をしないで追試を実行して失敗に終わったなら、それは上層部の責任。私は話しただけで邪魔はしない」
十分、邪魔をしている。
天界の機密情報を易々とリゼルに話す意図は親切心、じゃなく単に面白いからだろうが話を聞いたからには魔界に戻って対策を取らないといけない。
「ネロさんは高位の天使?」
「そうだねえ……大天使よりは上だよ?」
大天使より上と言われても後七ついる。
天使の階級は大きく分けて三つ、細かく分けて九つになる。
上位三隊、中位三隊、下位三隊。
上位は上から熾天使・智天使・座天使。
中位は主天使・力天使・能天使。
下位は権天使・大天使・一介天使。
最高位の熾天使は神に次ぐ実力者と言われており、四大天使とも呼ばれる。ネロは自分を大天使以上だと言うがどれに当てはまるかさっぱり分からない。
リゼルと殺し合ったと言うのだから、中位以上の位にいないとまともに戦えないのではないかと指摘したら微笑まれた。
「はは。正解と言えば正解。だが、その頃の私は子供だったから役職に就いた天使じゃないよ。勿論リゼ君も子供だったけど」
「子供の頃からパパは強いのね」
「小さい内から膨大な魔力を完璧にコントロール出来るなんてね……当時の天界は、次期魔王候補筆頭のリゼ君抹殺を何度も企てた」
「え!?」
「その度に皆黒焦げにされるか惨殺されるかのどちらかで、人手不足になりかけて諦めたんだ」
「……」
思えば、父の幼少期の話は殆ど知らない。リシェルが聞かされたのは、母アシェルとの出会いや過ごした日々の思い出のみ。稀にエルネストとの幼少期を語る時もあるが、大体が情けなさが目立つ話題しかなかった。
天使であるネロがどういった経緯でリゼルと出会ったのかと聞くと「その前に」とメニュー表を持ち上げた。
「注文をしよう。食べたい物を選んで」
「もう、誤魔化さないで」
「誤魔化してなんかいないさ。ただ、ずっとお喋りだけしてもつまらないだろう? それに、折角人間界に残れたんだ。人間界でしか食べられない美味しい料理の味を覚えていきなさい」
美味しい物に目がないリシェルは渋々、でも、食べてみたかったサンドイッチを注文を取りに来た給仕に伝えていく。ネロが半分こをしようと最初に言ったのをしっかりと覚えていたから、多種類を頼んだ。
ついでに飲み物のお代わりも頼み、カップ類が一旦下げられて行った。テーブルにメニュー表を置いたネロに次の質問を投げかけた。
「天界でも婚約はするの?」
「するよ。一番多いのは家同士の繋がりからかな。下位三隊に属する天使は恋愛が多いけど、中位以上になると家同士の繋がりからの婚約が多くなる。特に上位になると、余計強い天使同士から子を生ませる傾向が強くなる」
「天界も魔界と変わらないのね」
「天界と魔界で一番大きく違う点がある。魔界を統べる魔王は完全実力主義。魔王の子だろうと魔力が弱ければ魔王になれない。孤児だろうが平民だろうが、膨大な魔力を持っていれば身分関係なく魔王になれる」
「そういう場合は、周りが政治をするの。魔王には魔界を守る結界の展開をメインにいてもらう。でも、平民が魔王になったのはほんの数例。大体が貴族からよ。天界はどう違うの?」
お代わりの飲み物が運ばれた。二人ともレモン水を頼んでおり、お代わり用のピッチャーを置いてもらい、ネロに続きを語ってもらう。
「天界は血族主義だよ。天界を統べる神は、神の一族出身者しかなれない。仮令力が弱くてもね。天界を守る結界は熾天使を頂点として貼られる。神は存在するだけで尊い存在だから」
「よく分からないわ」
「リシェル嬢が魔族だからだよ。人間に聞かせたら疑問なんて持たれないよ」
「そういうものなの?」
「そういうもの」
魔族であるリシェルからしてみれば、神は悪魔の天敵の親玉。それ以外の気持ちは浮かばない。これは天使達も同じ。
「私からもいい?」
「ええ」
「リシェル嬢と王子様は最初は仲良しだったんだろう? なのに君は王子様に嫌われた。人は理由もなく何かを嫌いになったりしない。心当たりはなかったの?」
「何度も探した。殿下にも聞いた。でも、睨まれるだけで何も言ってくれなかった……」
自分が悪いと思った部分や屋敷の使用人や侍女、執事にも聞いて改善していった。
何をしてもノアールが再び笑いかけてくれる事はなかった。会いに行っても冷たい瞳で睨まれ、口を開けば嫌いだとしか言われなかった。
「……私とは手も繋いでくれなかったのに、ビアンカ様とはキスだけじゃなくて身体の関係まで持つなんて……」
恐らくリゼルを魔界に留めるだけの婚約だったのだろうが、嫌なら嫌ではっきりと魔王に訴えれば良かったものを。ネロの言った通り、正式な手順を踏んでいたらリゼルは怒らなかった、かもしれない。その辺りはリゼルの気分による。
「……ねえ、リシェル嬢。王子様が清い身体じゃないのがそんなに嫌?」
「当たり前じゃない! 私と婚約していたのに」
「魔族は性に奔放な生き物だろう? 一人や二人と関係を持って普通じゃないの?」
「……」
心底不思議だと言わんばかりの表情に今更ながら気付いた。
欲望に忠実な悪魔、年頃になれば初体験を済ませてしまう子が殆ど。
肉体関係どころか、口付けも未経験なのはリシェルくらいであった。
読んでいただきありがとうございます。