突撃のビアンカ
「……ん……」
懐かしい夢を見た。まだ、自分とノアールの関係が良好だった頃の。
最近は見ていなかったのに。きっと、昨日のノアールの突撃のせいだろう。何をしに来たのかは最後まで謎だった。ノアールはリシェルを連れ戻しに来たと言うが、詳細な理由までは分からないまま。
ベッドから起きたリシェルは朝の支度をし、隣室で読書をしているリゼルに挨拶をした後、今日からは何処に行こうかと問い掛けた。
【収穫祭】は昨日で終わった。お祭りが終わっても雰囲気が良いこの街にいてもいいとリシェルは考えていたがリゼルは違った。
「今日から違う街へ行こうか」
本から顔を上げたリゼルは眼鏡を外した。視力は悪くないのに掛ける意味はあるのかと、小さい頃訊ねたら「アシェルが読書をする時眼鏡を掛けたら格好いいって」という、惚気話を聞かされた。父にとって母の存在は非常に大きい。亡くなった今も。
隣をポンポンと叩かれ、リゼルの隣に座った。リゼルが読んでいたのは人間界の本で、文字は読めない。
「次の街は観光業が盛んな所で、人が大勢いる。お祭りはないが退屈はしない。リシェルはどうしたい?」
「とても楽しみ。なら、朝食を摂ってから出発しましょう。此処からどれくらい掛かるの?」
「掛からないよ。俺が転移魔法で運んであげるから」
「さすがだわ、パパ」
今度、転移魔法の使い方を教えてもらいたい。好きな時に好きな場所へ行ける便利な反面、高等技法を必要とする。距離が遠い程、難易度も上がり魔力消費量も多くなる。次の街への距離がどれだけ遠くてもリゼルなら涼しい顔で空間を繋げてしまう。
リゼルも簡単に支度を済ませ、宿を出た。
戻る予定はなく、荷物は空間に全て置いた。便利である。これくらいならリシェルにも使用可能だ。が、全てリゼルが済ませた。娘のことは何でもしたがるリゼルにお任せだ。
今回の旅行はノアールに振られたリシェルの為の傷心旅行。リシェルを気遣ってくれているのが伝わり、申し訳なさを抱きながらも存分にリゼルを頼ろう。
お祭り中に目を付けておいたカフェを朝食の場に選んだ。程々に客が入った店内は広く、周囲も静かなので落ち着いて食事が摂れる。
朝食のメニューに二人はコルネットと紅茶を選んだ。チョコレート、苺ジャム、ハチミツ、ナッツクリームの四種類を二人で半分こにしようとリシェルが提案した。半分こなら、二人とも同じ味を食べられる。
子供みたいな提案でもリゼルは快諾した。子供気分を味わってしまいたいリシェルは、ひらりひらりとリゼルの許へ舞い降りた蝶に目を丸くする。
魔界の通信蝶だ。途端、顔を顰めたリゼルは手で追い払うも蝶はリゼルの周囲を飛ぶ。
「きっと陛下からだわ。出てあげてパパ」
「知るか。リシェルとの朝食が先だ」
「注文を受けてからパンを焼くと言っていたから、時間はあるから。私は待ってるから、パパ出てあげて」
「全く……リシェルは優しいな。放っておけばいいものを」
仕方なしに蝶を連れてリゼルは外へ出た。
妃教育を受けていた時、蝶の通信に応答してくれないと魔王が泣いていたり、文官達がこの世の終わりの顔をしていたのを何度も目撃していたから。
有能な補佐官が留守にする魔界。まだ五日目だが、周囲は思った以上にリゼルに頼りきっていたらしい。
もう少し人間界でゆっくりしたいから、まだ頑張ってほしいと願う。
次に行く街は観光業が盛んだとリゼルは語った。どんな場所かと想像していると目の前に椅子に誰か座った。早く通信が終わったんだと顔を上げれば、金色を瞠目させた。
「ふふ、良い朝ですわね、リシェル様」
純白の髪、紫水晶の瞳、たおやかな声、庇護欲がそそられる可憐な美少女。リシェルの最愛の人から寵愛を受けるビアンカが座っていた。てっきり、リゼルが戻ったのだとばかりに油断した。固まったリシェルへ可憐な微笑みを浮かべるビアンカは口元に手を当てた。困った風に眉を曲げるから、本当にそう見えてしまう。
実際はそんな感情はないだろうに。
「困った方ですわ、リシェル様は。殿下に振られたくせに、婚約破棄をされたくせに、殿下を誑かすなんて」
「誑かす?」
「昨日、殿下はリシェル様に会いに行くとわたくしとは会ってくれませんでしたもの!」
恋人のビアンカを横に置いてまでリシェルを連れ戻そうとした理由。
いくら考えても答えが見つからない。
ただ、この台詞でビアンカが目の前に現れた理由が知れた。
一つ、疑問が生じる。どうやって居場所を嗅ぎ付けたのか。人間界は広大で二人は魔力を極力抑えている。探るにも時間は掛かる筈。
「学習能力というものは、お前達の頭には備わっていないらしい」
この場をどう切り抜けるか、リゼルが戻るまでの対応をフル回転で頭を動かし出した直後、声を聞いただけで安心感を感じさせる低音が届く。あ、と思ったのも束の間、椅子を別のテーブルから引っ張って腰を下ろしたリゼルが顔を強張らせたビアンカを見据えた。
「何をしに来た、アメティスタ家の娘」
「つ、通信蝶はどうしたのです!」
「ああ。知らない奴からの連絡等知らんよ」
知らない奴?
魔界の通信蝶は、近くにいない相手へ連絡を送る手段の一つ。便利性も高く、利用する者も多い。見知らぬ相手に蝶を寄越す者はほぼいない。
リゼルが気付いた訳を訊いてみて、父の凄さを再認識した。
聞けばリゼルは魔王城に勤める役人や兵士、侍女に執事に使用人等。全ての相手の声を記憶しているのだとか。その中に魔王も入っている。毎年開催される登用試験の合否もリゼルが最終決定権を持つ。
先程、通信蝶を寄越した相手は文官を装ったが聞き覚えのない声だったのですぐに偽物だと判断。リシェルに近付く為にノアールが仕組んだのかと急いで店内へ戻ってきたのだ。
愕然とするビアンカを横目にリゼルが微笑みかけた。
「大丈夫だった? リシェル」
「何かされた訳じゃないから平気よ」
「良かった。リシェルに手を出したなら、その娘の首を持ってアメティスタ家へ行くところだった」
「ひっ」
短い悲鳴がビアンカから鳴った。真っ青に染まった顔がリゼルとリシェル親子を視界に入れている。相手が誰であろうが容赦なく首を切り落としてしまうのがリゼル。自分の未来を予想したであろうビアンカは椅子から立ち上がり距離を取る。そこでやっと周囲の異変に気付いた。
三人以外誰も動いていない。昨日のノアールの件と同様に『時間停止』を使用したのだ。偽の相手からの通信蝶と一瞬で見抜き、即高等魔法を使いリシェルの許へ駆け付けた父を信頼するなという方が無理な話。
「ビアンカ様。態々、人間界へ赴いたのは私への牽制なのは、先程のビアンカ様の台詞から読み取れました。殿下が私に会いに来た理由は殿下本人に聞いてください。私も昨日突然現れたので理由を知らないのです」
理由を聞いてもリシェルを連れ戻しに来たとしか話さなかった。肝心な部分をノアールは語らなかった。
ビアンカが二人の居場所を特定出来たのは、魔王が通信蝶を遣わせた道筋を辿ったのだとか。成る程と心の中で頷く。同時に疑問が生じる。アメティスタ家は名門だがベルンシュタイン家と比べると月と蟻に等しい。魔王城で勤める役人だが魔王の遣わせた通信蝶の道筋を辿らせる権限まではない。
それとも、王太子の寵愛を受けるビアンカの頼みだから引き受けた? とも考える。頭をふわりふわりと撫でられ、思考の渦から脱した。リゼルを見やるとニコリと笑まれた。
「リシェルが何を考えているかは大体分かる。が、あまり考えるな」
「気になるのは気になるもの」
「そうか。悪いとは言わないが知ってもどうとうもならんよ。エルネスト達の問題となる」
「?」
何故、ここで魔王の名が? 達とは、エルネストと残りは誰?
疑問が広がった。眉を寄せるとリゼルに苦笑されるだけ。何も言ってくれない。
「ちょ、ちょっと、わたくしを無視しないでくださいまし!」
「まだいたのか。さっさと帰ってノアールに慰めてもらえばいい」
「そうしますわ! わたくしはリシェル様と違って殿下に愛されていますので!」
ビアンカが勝っているのはノアールに愛されているという点だけ。
負け惜しみではないが苛立ったリシェルはある事を告げた。
「そう言う割に、ビアンカ様は殿下の愛称呼びを許されてないのですね」
「殿下の愛称……?」
「ええ。……ひょっとして、知りませんでした? ああ、ごめんなさい。愛されているわりに、愛称呼びは許されてないのですね」
「な……!」
見る見るうちにビアンカの顔が青から赤へと変わっていく。
「な、なによ!! リシェル様なんて嫌われてるのに」
「確かに嫌われてます。でも、幼少期は仲が良かったと自信があります。殿下を愛称で呼ぶことを許されました」
今となっては、愛称で呼んでいたのは遠い昔の話。もう、殿下としか呼んでない。殿下、と呼ぶだけでノアールの今紫の瞳の冷たさが増していった。
「嘘よ……だって殿下は何度もわたくしを愛してくれていると……ベッドの中だって」
「っ!!」
口付けだけではなく、既に体の関係も!?
年頃の魔族なら可笑しい話じゃないがノアールはその辺りは清いままだと思いたかった。口付けどころか、手を繋ぐのも嫌がられたリシェルは自分の何がいけなかったのかと本気で落ち込んでしまった。
「リシェル」父が呼ぶ。ゆっくりと顔を上げたら額にキスをされた。額から熱が伝わって擽ったい気持ちが。
「アメティスタ家の娘はもういない」
「え」
言われてビアンカがいた筈の場所を見るも確かにいない。リシェルが落ち込んだ瞬間、魔界へ強制送還した。ひっそりと。
――リゼルの魔法によって魔界へ強制送還されたビアンカが到着したのは、魔王エルネストの執務室。旅行初日リゼルによって半壊された部屋は元通りに修復されていた。
丁度その頃、ノアールがエルネストと言い争いをしている最中だった。突然現れたビアンカに二人は驚き、微かに漂うリゼルの魔力からビアンカが何処にいて、何故現れたかを瞬時に察した。
何が起きたかと瞬きを繰り返すビアンカだったが、ノアールの姿を見るなり涙目になり抱き付きに行った。
「殿下……!」
「ビアンカ……」
ノアールの胸に飛び込んだビアンカは悔しくてたまらなく、涙を流した。
「殿下! わたくし、殿下を愛称で呼びたいです!」
「何の話だ」
「リシェル様は殿下の愛称呼びを許されていたのでしょう!? わたくしも殿下を愛称で呼びたいです!」
「……」
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