2-2 予知世界3
病室には痩せ衰えた白髪の老人が横たわっている。
見舞いに訪れた寧子もまた、歳を取りすでに中年・熟女と呼ばれて差支えのない容姿をしている。
「お久しぶりです、叔父様。」
寧子がそう声を掛け軽く頭を下げると、老人は「ふんっ」と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「寧子くんといったっけ? 君は二度と僕の前に姿を見せないと、そう言っていたように覚えているけど?」
窓の外を睨みつつ、老人はそう嫌味っぽく返事をする。その声色は見かけによらず思いのほかしっかりしていた。
そんな老人の横顔をじっと見つめたたまま、寧子は言葉を続ける。
「もちろん、私個人としては二度とお会いするつもりはありませんでした。けれどもこの先浩太さんが悲しむことが分かっている以上、どうしてもお会いせざるを得ませんでした。」
老人はその一言に首を寧子の方へと向けた。
ギラリとした目つきになり、寧子を射貫くようにして厳しい顔でねめつけてくる。
「へえ? 浩太くんがどうしたって?」
だが寧子も負けていない。キッと睨み返して強い口調で言い返す。
「あなたが浩太さんに何も話さずにこの世を去ろうとしているせいで、浩太さんが後になって大変傷つくんです。ですからきちんと生きているうちに別れの挨拶をして頂きたいと、こうお願いに上がっているんです。
ねぇ? 叔父様。あなたは天涯孤独にかこつけてひっそりとこの世を去るおつもりなのは承知しております。
死とは個人に許される唯一の個的な体験であるからこそ、ただ一人でこれを受け止めるおつもりだとお考えである事は重々承知しております。
けれども叔父様、私は浩太さんの事をよく知るものとして予言いたしますけど、あなたがなくなった後の浩太さんは棺の前で号泣していつまでもしがみついて離れないんですよ。
最後を看取れなかった事を後悔して、何年もいつまでも落ち込み続けるんです。
あなたの黄泉路は一人ではないんです。浩太さんがギャンギャン喚いてやまないから、おちおち三途の川も渡れない事だと思いますよ?
あなたはとっくの昔に一人ではないんです。泉 浩太という人物は、あなたの事を父親だと思っているんです。
ずっと昔からです。今でもです。
ですから生きているうちに、ちゃんと浩太さんに別れの挨拶をしていただけませんか?
死にゆくものの最後の定めとして、残されるものに己が死を目に見える形で提示していただけませんか?
でなければ浩太さんはいつまでたってもあなたの消失を受け入れずに、何年も心を病んでしまうんです。
それってどうなんです?
あなたは浩太さんの育ての親でしょう?
父親としてちょっと、みっともない事だとは思いませんか?」
「黙って聞いていれば言いたい放題言ってくれるね!」
「あら? 叔父様。私が黙って聞いていれば、叔父様が言いたい放題喋り出すでしょう? そんなのたまったもんじゃありませんから先に言わせていただきました。お互い様でしょう?」
「ああ言えばこう言う。」叔父さんはふうっとため息をついた。
それから二人の間に長い沈黙が下りた。
二人してずっと無言で向かい合い、面会時間ももう終わりになろうかという最後になって、老人は一言、ぽつりとつぶやいた。
「勝手にすればいい。」
寧子はにっこりと微笑んだ。
「ええ、叔父様。勝手にさせていただきます。信念を曲げての特別なご配慮、感謝いたします。ではまた後日。」
寧子は立ち上がり、後はろくな挨拶もせずに病室を後にした。
数日後、寧子は浩太さんを伴って再び病室を訪れた。
闘病生活の中ですっかりやつれた叔父様を一目見るなり、浩太さんはその場に泣き崩れた。
「叔父さん……。叔父さん……!」
大の大人が子供のように泣きじゃくるその様を支えるようにして、寧子はどうにか椅子に座らせ、自身は席を立ち、距離を置いた。
「やれやれみっともない事だね、浩太くんは。どうしてそんなに泣いているんだい?」
「だって……。叔父さん……! 僕は……!」
叔父様と浩太さんはお互いに言葉少なに、でも少しづつ会話を交わし、その殆どがとりとめのない内容ではあったが、何年も疎遠になっていたこのいびつな親子の心の澱を溶かしていくには充分であるように寧子には思えた。
であればこそ、寧子には悔しくて仕方がなかった。
本当はもっと早くに和解すべきだったのだ。こんな最後になって初めて心を通わせあうのでなく、もっと若いうちにお互いの気持ちをぶつけ合い、ちゃんとした親子になるべきだったのだ。
それがこんな形で強引に引き合わせてようやっと今頃になってお互いに素直になって。
叔父様の余命はあと半年もない。せっかく懇意になったのに、二人の蜜月はあと数か月程度の時間しか残されていないのだ。
ああどうにかして過去に戻ってやり直せれば。
寧子の予知は未来にしか開かれていない。今を基準に先のことは見通せるが、過去を改変できるような強力な能力ではない。
ならばせめて、もっと若いうちに未来の全てを見通して、この結末に至らぬようもっと早い段階で動ければ。
寧子はもう40歳を過ぎている。今となってはもう遅い。若いうちから積極的に未来を見通す努力をすればよかったのに、予知が嫌いな浩太さんに気を使い、彼と男女の仲に至ってからはこの力をセーブするようになっていたのだ。結果としてこれが災いして、こんな後手後手の結末を迎える羽目となる。
寧子は深い後悔に身を浸し……。
バチンッ!
気が付くと寧子は慣れ親しんだ公団住宅の安い蛍光灯の天井を見上げていた。
それから僅かな混乱を経て、寧子は自分が10歳の少女であることを思い出してゆく。
そうだ。現実世界の私はまだ10歳になったばかりの小学生だ。
寧子はうんと先を見通し過ぎて、これから訪れる未来の自分になりきってしまっていたのだ。
まだ間に合う!
浩太さんと叔父様の仲を取り持つチャンスはいくらでもある!
寧子は決意した。
例えどんな手を使ってでも、彼らにとってより良い関係を築くためのキューピッドになろうと。
そんな決意からもう2年。2年越しの望みが叶った寧子の前で、現実の浩太がスマホの向こうの叔父様に平謝りしていた。
「いえ、ですから。お金のことは大丈夫ですから! いえ確かに彼女が出来たのは本当です。でもお金については自分でやりくりできますから! いえ! そんな! いえいえ!」
おめーはあの人の息子なんだから素直に親のスネかじっとけよ!
そうジト目で情けない浩太の後ろ姿を見つめる寧子であった。