1-4 現実時間3
「ねえ、浩太? 浩太はあたしのこと、好きだよね?」
3回目のデートの終わりごろになって、、かなみはそんな風に浩太に聞いてきた。
浩太の心臓はどくりと跳ねあがる。
寧子は今日の事について、はっきりとは何があるかは言わなかった。
ただ一言、「今日はあなたにとって重要な決断が訪れるから、なにがあっても後悔しないようにしなさい。」とだけ、予言めいたことを言うのみであった。
いやそもそも彼女は100%予知が出来るのだから、これは予言ではないのだが、ともかく予言のように聞こえるあいまいな言い方であった。
普段の全部ばらしてくるような寧子の物言いとは違っていたため、かえって浩太は妙に気になってしまい、デートの最中もなんだかそわそわした気分になってしまって、いまいち集中力を欠いていた。
それが今、浩太の心のうちの全てが、目の前にいるかなみへと集中している。
今ならはっきりと分かる。今朝がたの寧子の予言めいた一言は、まさにこのことだったのだ。
ごくり、と唾を飲み込んでから、
「……ああっ。」
どうにか返事を一つだけ返す。
梅雨時の変わりやすい天気が、先ほどからぽつぽつと雨粒をあちこちにばらまき始めていて、すぐにでもどこかの軒下にでも避難しなければいけない状況だった。
けれども浩太は動けずにいた。
「だよね。」かなみがくすりと笑ってみせる。「でね、あたしもなんだか、最近の浩太の事、ちょっといいかもって、好きかもしれないって思い始めてる。だから浩太、あたしとちゃんと、付き合わない?」
ごくりともう一度、浩太は唾を飲み込む。
「……ああっ。」と返事をしかかってから、首を横にぶんぶんと振った。
「待ってくれ、かなみ。それじゃダメだ。」
キョトンとなったかなみがぱちぱちと何度も目を瞬かせる。可愛らしいかなみの、大きくて睫毛の長い、くりっとした瞳がぱちぱちとなる。
「浩太はあたしと付き合うの、イヤ?」
桜色のくちびるから漏れるかなみの可愛らしい声に、浩太の心臓はドキドキが止まらない。
「そうじゃないんだ、かなみ。そうじゃなくて……。」
「……何?」ちょっとムッとした様子のかなみの顔。
まさか断られると思っていなくて、でもそんな雰囲気になりつつ状況に、かなみは少しだけイライラしているのだろうか?
浩太にはかなみの気持ちはわからない。けれどもそうじゃなくて。
「俺はかなみの事がずっと昔から好きだったから、俺の口から言わせてほしい。」
浩太は大きく息を吸って、吐いて。
「俺と付き合ってくれ、かなみ。俺、かなみの事がめっちゃ好きだから、俺の彼女になってほしいってずっと想ってた。だから、俺の口から言わせてくれ。俺の彼女になってくれ。」
顔を真っ赤にして、しどろもどろになって、息も絶え絶えで。
でもとにかく、浩太は思っていた事を言い切った。
寧子との事前打ち合わせにはない、完全な浩太のアドリブ、でも掛け値なしの本音だった。
「えーっ……。」かなみは顔を真っ赤にして、でも嫌がる素振りはまるでなかった。
それから「うん。」と小さく声にして、こくりと頷いて見せた。
雨脚が急に強くなってきた。浩太とかなみはシャッターの降りたタバコ屋の軒下に駆け込み、タバコの自販機の明かりと「ざああ」という雨音を背景にして、お互いにとって生まれて初めてのキスをした。
「でかしたわ! 浩太っ!」
一人暮らしをしている浩太が自室の前に辿り着くと、玄関先にて地べたに座って待っていた寧子が立ち上がり、そう声を上げつつ浩太を出迎えた。
「えええええっ」浩太の喉から変な唸り声が出る。
「いいから私を中に入れなさい! 今日は今から、あなたの好きなサイダーで祝杯を上げるわよ!」
「えええええっ」浩太は再び変な唸り声をあげる。
寧子はそんな浩太に気付く様子もなく、浩太のポケットを勝手に漁り、彼の家の鍵を勝手に取り出して、勝手に家の扉を開けて、浩太を引っ張って部屋の中に入る。
あれよあれよと言う間に浩太はテーブルの前に座らされ、寧子が食器棚から勝手に取り出したコップ2つが目の前に置かれ、とくとくとペットボトルに入ったサイダーが注がれるのを見つめるばかりであった。
初めて入った他人の家にしては、寧子はやけに手馴れていた。床にほっちらかしになっていた浩太のパンツをつまみ上げ、洗濯機にポイっと放り込んでから、寧子も浩太の前に座る。
それから寧子は、興奮収まらぬと言った様子で口を開く。
「見事な告白だったわ! 浩太! 素晴らしい逆転劇に、私少し涙が出てしまったわ。」
「見てたのかよ!」浩太は思わず大きな声を出してしまった。
「安心しなさい、浩太。実際には見ていないわ。様子を見に行く未来を「予知」していただけよ。現実には私は見ていない。かどのタバコ屋の前で何があったかも見ていないわ!」
「殆ど見てたのとおんなじじゃんか!」耐えきれなくなった浩太は恥ずかしさに顔を赤くしつつ、自らの顔を手で覆い「うううっ」とうめき声を上げ始めた。
そんな浩太の様子を気にする様子もなく、寧子は意気揚々と語り出す。
「なんど試行してもかなみの浮気は止まらなかった。さんざん調べた結果、原因はそもそもの告白にあると気付いたのはほんの1週間前よ。試行回数は軽く1000回を超えるわ。
結局ね、私の干渉がない未来史では浩太はかなみに言われて付き合い始めたことになっていてそのことでかなみはずーっと浩太の事をどこか下に見ていたの。
自分が付き合ってあげたんだって。
でも浩太が自分から告白したことで、かなみと浩太の関係は大きく変わった。
かなみは浩太を「自分を求めるオス」として認めたの。彼女が浮気相手に求めていたそれを、ほかならぬ浩太自身が彼女に与えたから、彼女は浮気をする必要がなくなったの!
まったく分かってしまえば簡単なロジックだったわ。
けれども問題はそこからだった。私が浩太に直接言っても、あなたは恥ずかしがってしまって本心に至れなかったの。
あなたは自分で自分の想いに気付く必要があったの。
だからそこからの試行回数は、更に数千回にも及ぶわ。
けれどもこれは私が悪いの。私自身もまた、自らの「予知」に勝手な自信をもって、あなたの事をどこか下に見ていたの。
だからあれこれ手を焼いて、口も出して。でもそれは全部うまくいかなかった。
大切なのは浩太、あなたの事を私が信じることだったの。間違いが起きないためのきっかけさえ用意すれば、浩太ならちゃんと自分の気持ちに気付いて、それをちゃんと彼女に伝えられるって、私が信じればいいだけの事だったの。
だからごめんなさい。そしておめでとう。
これであなたとかなみはようやっと愛し合うためのスタートにたどり着けたわ。
これからも色々と大変よ。でも一番の難関はクリアできたわ。
だから今日は今から、祝杯をあげましょう!
おめでとう! 浩太! あなたとかなみの幸せな未来のための、今日は大切な一歩よ!
ほんとうにおめでとうっ!」
寧子は一気に言い切ると、ぱちぱちとその両手を叩いて拍手を始めた。
対する浩太は恥ずかしがるのも止めて、ただ寧子の顔をぽかんとした顔つきで見やるばかりであった。
「どうしたの? 浩太。せっかくのおめでたなのに、実感が湧かないの? 初めてのキスまでしたのに、嬉しくはなかったの?」
「……いや。それはそうなんだけど……。」
浩太の返事はなんとも歯切れの悪い、もにょもにょとした物言いであった。
「まあ、それはいいからとにかく乾杯よ。サイダー、あなた大好きでしょう?」
「いや、まあ、うん。好きだけど。」
寧子は浩太の事を何でも知っている。時には浩太自身が知らないことまで知っている。
普通に考えたら気持ちの悪い話だが、初めて入った一人暮らしの浩太の家の中で、まるで何年も一緒に生活してきたようなあまりに自然な寧子の態度にすっかり毒気の抜かれてしまった浩太は、グラスを掲げる寧子に合わせ、「かんぱーいっ」ちんっ! と自分のグラスをぶつけた。
告白から続けてキスにまで至る、先ほどまでの高揚した気分が吹っ飛ぶような、なんとも不思議な一室での出来事であった。