1-3 予知世界2
「あなたが次の瞬間になんて言うかは「予知」で分かるわよ。なんでもいいから突飛なことを喋ってみて。」
一呼吸置いた浩太さんが言葉を声に出す。
「そして気が付くと、私は肌寒い丘の上にいた。」
「そして気が付くと、私は肌寒い丘の上にいた。」
寧子は寸分たがわず、同じタイミングで同じセリフをかぶせて言ってみせた。
「ね? こんなの私には簡単なのよ。」
「そう? すごいね。でも僕自身が「予知」を使えるわけじゃないし、僕には信じられないな。」
「あーもうっ!」寧子は声を荒げた。
「あなたの言っていることは屁理屈に聞こえるわ! 私はこの通りあなたの未来を「予知」出来るし、そのことに対してあなたは何の反論も出来ていない!」
「ぷっ!」と浩太さんは笑った。「まったくもってその通りだ。僕は君が「予知」が使える事を否定しているわけではないよ。僕はただ、僕の信念からそれを認めるわけにはいかない、と言っているだけなんだ。」
「負け犬の遠吠えね!」
「それで結構。」浩太さんはにっこりと微笑みながら、けれども決して従うつもりのない信念を持った目で、寧子をまっすぐに見返してくる。
「けれども僕は、予知を認めるわけにはいかない。」
寧子と「浩太さん」の本当の意味での最初の出会いは、こんなふうにして始まった。
大学の食堂でたまたま浩太さんの隣の席についた寧子は、聞こえてくる「予知」についての浩太さんと友人の話が面白く、ついつい声をかけてしまったのだ。
なお同席していた浩太さんの友人は、つぎの講義がどうこうとの事情ですでに席を外している。
それで浩太さんの話術に乗せられて二人きりであれこれ話し込んでいるうちに、どうにも雲行きが怪しくなってしまい、今まさにこのような状況になってしまっていた。
浩太さんは優しく諭すようにこう言う。
「君が未来を見通せるというならば、それは全然かまわないんだ。でも例えばそう、ここにあるコップの中の水、この水を構成する一つ一つの水分子、そのすべての1分後の移動先を全部僕に教えて?」
「出来るわけないわ!」
「そう、出来ない。でも出来なくていいんだ。人間はそういうことが出来るように出来ていない。
そしてそれだけで僕にとっては君の「予知」を否定するに足る論拠になるんだ。
あるいはそう、僕が知りたい「予知」については君は何の答えも持っていない、それが分かるだけでも僕には十分なんだ。」
「あなたの言っていること、全然意味が分からない。」
「まあ、そうかもしれない。
でも君が「わからない」っていう事それ自体が大事なんだ。
君の「予知」は、恐らく人間の心に対してのみ開かれているんだね。心が感知できるレイヤーに固定された「予知」なんだ。
だからうんと巨視的未来観、例えば10億年後の地球がどうなっているか、だとか、あるいはとても小さなミクロレベルの世界、各分子の数ナノミクロン秒先の挙動の変化、そんなものは「予知」できないんだ。
いや、予知出来てもしようとも思わない、というべきかな?
つまりは君の「予知」は、ほかならぬ君自身の人格や人間性が足かせになり効果が限定されてしまっており、極めて限定的な効力しかない。
人の意識のレイヤーのみに限定された「予知」ごときが、どれほどの価値があるっていうんだい?」
「はあっ!?」寧子は声を荒げる。
浩太さんはそんな寧子の様子に動じる様子もなく、更に言葉を紡ぐ。
「君の怒りに火を注ぐようで悪いけれど、言わせてほしい。君の予知は君にとってだけ都合よく作られている、つまらない「予知」なんだね。」
「……!」寧子は絶句した。
それでも数秒の時間をかけて、何とか言葉を形にする。
「あなたにっ! あなたになにがわかるの!」
対する浩太さんはどこまでも冷静だった。
「もちろん僕には君の気持ちなんてさっぱりわからない。でもそうだな、君はあまりちゃんと分かっていないみたいだけれど、君以外のほとんどすべての人間は、「予知」なんて使えないんだよ。でもちゃんと立派に人間として生きている。
お互いに理解しあってもいる。
でも君だけは別だ。君の気持ちは他の全員には分からない。だって君以外、誰も「予知」なんて使えないんだもの。「予知」する人の気持ちなんて、僕たち全員、さっぱりわからないんだよ。」
「……!」再び寧子は絶句した。
今度は待っても二の句は出てこない。本当に言葉を失ったようであった。
そんな寧子の様子をしばらく観察していた浩太さんは、途中でハッとした表情に変わった。
それからすっかりしどろもどろになった様子で、慌てて言葉を言い繕う。
「ゴメン。売り言葉に買い言葉とはいえ、ずいぶん酷いことを言ってしまった。僕はちょっと今、女性に対してどういう距離を取っていいか分からなくなっていて……。いや今のは言い訳だな。ゴメン。僕が悪かった。」
これは寧子が後になって知ったことだったが、この日の浩太さんは僅か数日前、本当に酷い形でかなみに振られており、今まさに女性不信になろうとしている最中だったのだ。
そんな浩太さんの気も知らずに喧嘩を吹っ掛けた寧子は、後になって穴が合ったら入りたい思いだったが、当時の寧子はそんな事、知りもしなかった。
なにせこの「浩太さん」との初めての出会いを「予知」した時の現実の寧子は6歳だったのだ。
「本当にゴメン。僕はもう二度と君にかかわらないようにするよ。君を見かけたら距離を置くようにするし、君と少しでも近づく可能性がある講義があるならば出席を見合わせよう。とにかく二度と近づかないようにするから、どうかそれで許してほしい。」
「ふざけるんじゃないわ!」
活動停止していた脳がようやっと動き出した寧子が、最初に発した言葉がこれである。
それから続けて、「連絡先っ! 連絡先を教えなさいっ!」寧子は息まいた。
「いや、でも……。」
すっかり混乱した浩太さんは、あわあわとなりつつも、そんなふうに言葉を返す。
「こんなふうに言いくるめられて終わりだなんて、私、到底許せないっ! あなたに絶対私の「予知」を認めさせてやるっ! 分かったわね!」
「あー……。うん。分かった。君がそれで納得するというのなら、言う通りにするよ。」
こうして二人は連絡先を交換しあった。
それから寧子は何度も浩太さんにつっかかり、時にはあしらわれ、時には認められ、ずっと長く連絡を取り合うようになった。
最初は険悪だったかもしれないけれど、なにより寧子は自分自身の力について色々知りたいお年頃だったから(何せこの時の寧子の実年齢は6歳だ)、ずいぶんあれこれ質問をし、浩太さんもそれに色々と答えてくれて、とにかく寧子は浩太さんにハマっていった。
それで寧子は浩太さんと長くかかわるようになり、すっかり仲良くなった後で一度は軽い冗談で「結婚しない?」と告白してみたけれど断られて、それでもずっと仲の良い友人として関係を続け、浩太さんの初めての死を涙ながらに看取るまで、浩太さんと生涯の付き合いをした。
今の寧子を作ってくれたのは浩太さんだ。
彼は「予知を信じない」と最後まで言いつつも、寧子の「予知」についてずいぶんあれこれ調べてくれた。彼女の「予知」が持つ有用性から限界まで、その価値やその可能性まで、全部調べて余すところなく寧子に教えてくれた。
寧子の「予知」がなんなのか、答えが出ないとわかっているのに一緒になってあれこれ考えてくれた。
その中の一つが寧子のお気に入りで、今の彼女の行動の指針となっている。
浩太さんは寧子に言った。
「メタ的思考に遊ぶのならば、君はあるメタ的世界における物語の主人公として設定された人間で、主人公の特別な能力として「100%絶対当たる未来予知」の力を与えられた、そう考えることも出来るけど、どうかな?」
「えーっ!?」寧子は恥ずかしそうに顔を赤らめた。「たとえそれが本当の事だとしても、私には恥ずかしいわ。私は主人公になんてなりなくないもの。偉そうな力を与えられても、なんにも出来ずに小市民として世間の片隅で細々と生きていくのがいいわ。」
「おやもったいない! でもまあその気持ちはよくわかる。僕だって小市民だから、同じような力を与えられても、余計な事はせず細々と生きていくことを選ぶよ。」
「そうよね。それが一番よね。」
このころの寧子はもうすっかり浩太さんに染まっており、浩太さんと同じ考えに至れるだけでとても嬉しかった。
それに、自分を「小市民」だなんて言い切るだけで、寧子は今まで気負っていた精神がずいぶん和らぎ、心の底から人生を楽しめるようになっていた。
そう、今の寧子は全て「浩太さん」が作ってくれたのだ。
だから寧子は、現実世界での浩太の人生は私が作ってあげようと、あの時彼が望んだ本当の未来は私が用意してあげようと、そう決意して今この場に立っているのだ。
「その為にはまず何としても、彼が愛した「かなみ」との最高のハッピーエンドを用意してあげないと!」
今日も寧子は鼻息も荒く、颯爽と浩太の前に姿を現すのだった。
「うげえまたヘンなのが来た……。」げんなりする現実世界の浩太の顔はなお、彼女の瞳にはこれっぽっちも映っていない模様である。
作中冒頭で浩太さんが語る一言ですが、正しくは以下となります。
誤:「そして気が付くと、私は肌寒い丘の上にいた。」
正:「そして目覚めると、わたしはこの肌寒い丘にいた。」
ジェームズ・ティプトリー・Jrの傑作短編のタイトルにございます。
潤覚えである作品のタイトルを書いて、後で調べて間違いに気づいて。でも間違っている状態の方が適当っぽくて格好いいのでそのままにしてあります。
ご容赦を。