6.
次に目が覚めたのは医務室でのことだった。
「リシェーラ、起きたのかい?」
「頭、痛い……」
ルギウスの柔らかい声でさえもガンガンと頭に響く。シェイカーに入れてバーテンダーに振られたのかとでも思うほどに混ざった頭で何があったのかと思い出す。
するとリシェーラが働こうとしない頭で昨夜の出来事を導き出すよりも早く、ルギウスに何があったのか告げられる。
どうやら飲み過ぎで倒れているところを何者かによって発見されたらしい。
「もう、朝から何かと思ったよ~」
プンプンと口で言いながら、冷蔵庫までいってミネラルウォーターを取り出す。
「ゆっくり飲みなよ?」
そう告げてからフタを開けたそれを私の手の中にすっぽりと埋めた。
「あり、が……と」
酒焼けした掠れる声でお礼を告げると、ルギウスははぁとあからさまなため息を吐く。可動式の椅子をベッドのすぐ隣まで手繰り寄せてそこに腰掛けた。
「ルミオンならともかく、飲み過ぎでリシェーラが倒れるなんて思わなかったよ。それで何があったの? お兄さんに話してごらん?」
『お兄さん』――その言葉に家族とはもう長い間離れたところで暮らしているリシェーラは目の前の彼と郷里の兄達を重ねた。
リシェーラの兄もこの場にいたのならきっとこうして話を聞いてくれるだろう。
「結婚、しようと……思っ、て」
水を飲んだことによって少しは楽になった喉を動かして、優しい彼に思いを打ち明ける。
すると彼は驚いたように目を見開いてから、クシャりと笑い、そして首を傾げる。
「あれ、まさかのおめでたじゃないか。相手は、まあ聞くまでもないとして……なんでそんな飲み方してんの?」
どこかの国の工芸品かと思うほどによく変わるその顔にリシェーラは身体の力がゆっくりと抜けていくのを感じた。
「まぁ、ね。過去に蹴りを、つけようと思って」
あながち嘘ではないが、曖昧に告げると訳がわからないと今度は逆方向に首をかしげる。
だがリシェーラはそれ以上告げるつもりはなく、口を噤む。
「まぁ、今日は寝てなよ。宰相殿もそれでいいってさ。どうせあんまり仕事もないし、有給もこの数年でたまりたい放題だったっていうじゃん?」
無理に聞き出すつもりはないからと示すように、リシェーラの上に布団をかけるとポンポンと叩いた。
「……明日の夜も早く抜けるのに、悪いことしたなぁ……」
「ん? ああ、顔合わせだっけ? あの人、君のこと娘みたいに可愛いがってるから気にしないよ。むしろ倒れる方が心配だから!」
「そっか……」
ルギウスの言葉に慌てふためくハザールの様子が頭に浮かんだ。初めてリシェーラが床で寝ているのを目撃した彼の様子を思い出して改めて悪いことをしてしまったなと衝動的な行動を反省する。
もしもリシェーラが今、部屋に戻ったとしてもハザールは彼女に仕事を与えることはないだろう。
それが分かっているからこそ、リシェーラは薬品臭い医務室のベッドで深い眠りにつくのだった。
知らないうちに疲れが溜まっていたのか、リシェーラが次に目を覚ましたのは窓の外、一面が闇夜に染まった時のことだった。
よほど遅い時間なのか、ルギウスさえも部屋には残っておらず、代わりにベッドサイドには水のボトルが2本置かれていた。
ちょうど喉に乾きを感じていたリシェーラはそれを1本頂戴すると半分ほど流し込んで潤した後で再びベッドに寝転んだ。
さすがにもう眠気はやって来ない。そして元来酒に強い身体からはもうすっかりアルコールが抜けているらしく、頭は倒れる前よりもクリアに働いた。
考えるのはすでに今日になってしまったルミオンとの約束のことだ。
酒に溺れていた昨晩は、相手さえその気であればその人と結婚してしまおうとまで思ったものだがよくよく考えてみるとやはりそれは早計すぎた考えだと言える。
それでもルミオンの紹介である以上会うことには変わりないが。だがそれでも仕事以外のことと考えると憂鬱にはなってくるのだった。
「リシェーラ、おはよう。気分はどうだい?」
窓から陽が溢れ始めた頃、ルギウスはいつもよりも早めに医務室へと顔を出した。
「よく寝れてスッキリしたわ」
「それは良かった。ならこれ、食べられるかい? ウラルからの差し入れだよ」
ルギウスはランチボックスのフタを開けてリシェーラへと中身を見せる。中身はウラルの差し入れというだけあって一口大のサンドイッチ、そして二粒のチョコレートである。
空腹のリシェーラはそれにすぐ手を伸ばすが、サンドイッチを掴む直前、手を宙に浮かせたままの状態で制止する。
「どうしたんだい?」
「ねぇ、もしかして私が倒れたのってかなり噂になってる?」
「噂、ってほどでもないけど、まぁ一部の人間は知ってるかな」
「やっぱり。そうか……」
この歳になって醜態を晒すなんてと頭を抱えたリシェーラは大きく長いため息を吐き出す。だが晒してしまった以上は取り返しがつかないと早々に諦めて、ランチボックスにギッシリと詰まったサンドイッチに手を伸ばし、早々に空腹を満たすことに専念した。
「よく食べるねぇ。いいことだ」
「食べなきゃやってられないわよ」
それはやけ食いとも言うのだが、ルギウスにとって昨日ほとんど寝ていたため食事を摂っていなかったリシェーラが腹いっぱい食べる元気を得たことが何よりも嬉しいことだった。止める理由はない。
「ホットミルクもあるよ」
そして喉に詰まらせないようにと温めたミルクを差し出して、彼女が全て平らげるまで微笑ましそうにその様子を眺めていた。
もしもその様子をルミオンやハザールが見つけたのならば仲間だと肩を組み始めることだろう。だが彼らは早々医務室に立ち入ることはない。
だからこれからもルギウスは父ではなくお兄さんとしてリシェーラを眺めることが出来るのだった。
「リシェーラ、もう身体は大丈夫なのか?」
宰相室へと踏み込むとハザールが第一声に上げたのはその言葉だった。椅子から立ち上がり、リシェーラへと歩み寄ると右から左からと彼女の顔を覗き込む。
どうやらかなりの心配をかけてしまったらしいと反省するとリシェーラは微笑んでから両手を左右に大きく開く。
「この通り、すっかり元気です。心配をかけてすみませんでした」
「君は働きすぎだよ。もっと休みなよ」
頬を膨らませて働き過ぎだと注意するのは城内一のワーカーホリックと名高い宰相閣下で、彼にだけは言われたくないと呆れる反面で、そんな彼にこんなことを言わせてしまった自分が不甲斐なく思える。
「昨日の分も含めて、今日はバリバリ働かせてもらいますよ!」
「ん〜、とはいえほとんど仕事はないんだよね」
「へ?」
式典直前に比べればそれは少ないだろうが、それにしても昨日、今日の分を合わせればそこそこな量があるはずだと気合を入れていたリシェーラはハザールの言葉に唖然とした。
「いやぁ、昨日はみんなよく働いてくれてねぇ……。はっきりいって手元にやることがなくて、今は騎士団から上がってくる報告書待ちの状態。それも午前中には終わるだろうから午後は休めるよ」
「それは……」
「リシェーラにばっかり無理させちゃったからってさ。君は僕よりずっと慕われてるからねぇ」
「…………二日酔いですけどね」
「君が二日酔いするほど飲むなんて今までなかっただろう?」
そう言われればそうなのだが、いかんせん今回は100パーセント私情からの二日酔いである。
今この瞬間も聞き耳を立てている、昨日尽力してくれただろう文官達はそうは思っていないのだろう。リシェーラの中で罪悪感は積もるばかりである。
だからといって理由を説明できるわけもなく、リシェーラは何とも言えない気持ちで中々上がって来ない騎士団の報告書を1時間ばかり待つこととなった。
そして使いに出された見習い騎士が入ってくるやいなや「ありがとう」と奪い取るように受け取ると無心で処理をした。