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4.

 リシェーラの用意は女性としては驚くほどに早かったが、彼女とは歩幅が全く違うルミオンの姿はすでに見えなくなっていた。

 だがその代わり、リシェーラは今一番会いたくはない人と視線が合ってしまった。ディートリッヒだ。彼は先の戦いの英雄として今回の式典に招待されていたのだ。

 招待客名簿にもしっかり目を通していたリシェーラはもちろん彼がこの期間中、城に滞在することは知っていたが、鉢合わせる可能性は考えないように頭の隅に追いやっていた。


「リシェーラ、久しぶりですね」

「そうですね……」

 2人ともがなんとも言えない雰囲気を醸し出し、今この瞬間にこの場を歩いていたことを後悔していた。だが2人は知り合いに会ったからには挨拶くらいはしなければいけないと幼い頃から家族に教えられてきた。


「えっと、ですね……ルミオン団長に用があって探しているのですが、どこにいるか知りませんか?」

「ルミオンなら食堂にいると思いますよ」

「ありがとう」

「いえ……」

 ディートリッヒにそう尋ねられて即座に答えてしまったのだが、彼が角を曲がってその背中が見えなくなってから、はたと自分もそこに行くつもりであったことを思い出す。だがもう遅い。ディートリッヒはルミオンの元へと向かってしまったのだから。それに覚えていたとしてもリシェーラはきっと彼にルミオンの居場所を教えていただろう。

 ルミオンには悪いが、リシェーラはこれ以上いたたまれない雰囲気の中で過ごしたくはないと先ほど歩んだ道を引き返して宰相補佐官室へと戻った。

 食事を摂るつもりだったためか腹は減っていたが、小腹を満たすために部屋には乾燥させたフルーツがストックしてある。それで多少は空腹をしのげるだろうと引き出しの中からフルーツがたんまりと入った袋を取り出す。

 そして手持ち無沙汰だからと適当に山から前年度の資料を取り出して空目で眺めながら一人で食事としけこんだ。


「リシェーラ!」

 思いのほか熱中してしまったリシェーラの気を引き戻したのは、いくら待っても彼女がやって来ないことを心配したルミオンだった。


「あれ、ルミオン?」

「お前、また仕事が入ったのか?」

 昼食代わりの乾物を片手に資料をめくっていたせいか、急ぎの仕事が舞い込んできたのだと勘違いしたルミオンは顔をしかめた。


「いや、これは仕事じゃない」

 ディートリッヒと遭遇したこと、そして思いのほか熱中しすぎたことが相まってルミオンとの食事の約束などすっかり忘れていたリシェーラは顔の前で左右にパタパタと手を振って違うのだと主張した。

 そして「じゃあなんで食堂来なかったんだ?」と訝しげに首を傾げられてようやく思い出したのだった。

 その様子に長い付き合いのルミオンは忘れていたのかと怒りを通り越して呆れてしまった。大方用意している時にでも何か気になることでも出来たのだろうと食堂で包んでもらったサンドイッチを彼女へと差し出した。


「ほら、これでも食え」

「わぁ、ありがとう」

 ルミオンの手から小さな箱を受け取ると早速開いてサンドイッチを手に取った。手軽に食べられ、かつ種類の多様なサンドイッチはリシェーラの好物ベスト3にランクインする。中でもツナトマトは必ずといっていいほどに彼女が頼む品だ。そして当然のようにボックスの中にはそれが3切れほど入っている。さすがはルミオンだと感心しながらそれらを食すことにした。乾燥フルーツで多少は空腹をしのげていたとはいえ、やはり食べ始めるとお腹は空くもので、10切れ入っていた一口大のサンドイッチは数分も持たずしてリシェーラの腹の中へと吸い込まれていった。

 

「ご馳走さまでした」

 腹の満たされたリシェーラはご機嫌で食後のコーヒーを2人分用意して、片方をルミオンへと手渡した。

 そして早速口をつけるリシェーラとは対照的にルミオンはカップに口をつけることなく、何かを切り出すタイミングを窺うように彼女へと視線を注いでいた。


「どうかしたの?」

「明後日の夜に王都のラターラ酒場に来てくれ。会わせたいやつがいる」

「仕事があるんでそんなに長い時間は抜けられないけど……」

「宰相殿にはもう話はつけてあるから安心してくれ」

「いつの間に……」

「快く承諾してくれたぞ。だから空けとけよ!」

「はいはい」

 ルミオンの目的はそのことだったようで、リシェーラが抵抗することなく頷くのを確認するとカップの中身を流し込んでから宰相補佐官室を去って行った。




「さて、と……」

 空になったカップとランチボックスを備え付けのキッチンで手早く洗うと水気を吸い取る。カップは棚に戻して、ランチボックスは忘れないうちに食堂へ返却することにした。以前、忙しい時に運んできてもらった時に気づけば5つほど溜まっていたことがあった。どうせ数日後にはまた忙しくなり、ランチボックスのことなど頭の端にすら残らなくなるだろう。ならば今のうちに返してしまおうと、部屋を後にした。


 いつものように慣れた道を歩いていたリシェーラだがふと足を止め、今日は厄日かなにかかと考え込む。

 彼女の視線の先には本日二度目の遭遇となるディートリッヒがいた。


「リシェーラ……」

「奇遇ね」

 こんな偶然いらないけれど、と心の中でボソッと付け加え、さっさとその場を去ろうとするとすれ違いざまにディートリッヒはリシェーラの腕を掴む。


「何か用?」

「今日の夜、空いていますか?」

「え……」

「話が、あります」

「……わかった」

 逃げないでくれと切実に見つめるその瞳にリシェーラは折れた。例え一度約束を反故にされていたとしてもこの目には弱いのだ。


「夜、部屋まで行きますので」

 そう告げるとディートリッヒの手は流れるように滑り落ちる。

 その手が離れる瞬間、リシェーラはあっと声を出しそうになり慌てて己の手のひらに爪を立てる。

 そして離れて行く背中に吸い付くような視線を逸らして彼とは真逆の道を進む。


  食堂へ着き、顔見知りの青年ウラルへとランチボックスを差し出すと彼は慌てたようにコックコートのポケットを漁った。

「リシェーラさん、何かあったんですか? ええっと、チョコレート食べます?」

「なんでよ……」

 チョコレートといえばウラルの大の好物であり、サンドイッチを作ってくれただろう彼にお礼の意を込めて渡すためにリシェーラのポケットにも一口大の物がいくつか入っていた。


「でも、悲しい時には甘いものに限りますよ?」

「悲しい? 気のせいじゃない?」

 ウラルの言葉を反芻して首を傾げる。リシェーラは己の中に悲しみという感情が生じていることに気づいていないのだ。そして彼に言われてからもそれを自覚することはない。


「そう、ですかね……」

 納得いかないウラルは頬をかいてから差し出されたランチボックスと、チョコレートをいくつか受け取った。


「でも、でももしも寂しかったり悲しかったりしたら……チョコレート、食べてくださいね? 元気出ますから」

 そしてどこまでもチョコレート推しのウラルはそう付け加える。

 リシェーラよりは長くはないが、彼も長年城に仕えている。そして薬師のルギウスと同じように仕事の鬼と呼ばれるリシェーラのその他の姿を知っているのだ。


「わかった。チョコレート、美味しいものね」

 本当の歳よりも10以上は若く見えるその青年に強く出ることの出来ないリシェーラはポケットに残っていたチョコレートを一つ取り出して口の中に放り込んだ。


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