2.
リシェーラはそれから仕事に励んだ。
ワークホリックと名高い宰相ハザールにまで仕事のしすぎた、休めとまで言われても休むことなく仕事を続けた。
宰相補佐官室はリシェーラの住居とかし、本来の、城の中に用意された彼女の一室に置かれた家具には埃が数ミリほど積もっていた。
帰る時間は、何もしないでいる時間は余計なことを考える。
過ぎてしまったことを、出来たはずのことを考えて自己嫌悪に陥るのだ。
だからこそリシェーラは働いた。倒れる寸前まで働いて、夢も見ないように眠りに落ちる。そんな暮らしが3年ほど続くとかつての恋心はカサブタとなり、簡単には血が出なくなった。
そんなある日、リシェーラの体調を心配した国王陛下からはそろそろ結婚したらどうかと勧められた。
仕事を辞めて家庭に入ってはどうかという勧めだと彼女は瞬時に理解した。
宰相補佐官という地位は、宰相であるハザールの強い推薦があったからこそのものであり、リシェーラが女である以上は宰相という役職につくのは難しい。だったら今のうちに家庭に入れということなのだろう。
今でも十分嫁ぎ遅れているわけだが、リシェーラが補佐官の地位を引けば他の、男の次期宰相候補者が補佐官の枠を手に入れられるのだ。
「ルミオンはどうなんだ? よく会っているのだろう?」
ルミオンとリシェーラは騎士団長と宰相補佐という仕事柄、確かに頻繁に顔を合わせる。だがそんな2人には一切の男女の感情などなかった。
第一にルミオンはリシェーラを女性としては見ていないのだ。年齢はわずか10歳ほどの差ではあったが彼はハザールと同じく、リシェーラを娘のように思っているのだ。
酔った日にはルミオンが「俺はお前の花嫁姿を見るまでは死ねねぇぞ!」とグダを巻き、それに対してリシェーラが「あなたに死なれると困るので私は結婚しないでおきますね」と返すのがお決まりの流れとなっていた。
そんなルミオンと結婚なんて魔物のツノを水筒として持ち歩くくらい頭がおかしくならないと到底無理な話である。
「ルミオンとはそのような関係ではございませんので」
そう返答をし、謁見室を後にしたリシェーラではあったが、そろそろ身の振り方を考えなければならないと思案するキッカケにはなった。
だがそうはいっても、具体的に何をすればいいかは皆目見当がつかない。
なにせディートリッヒが去った時点でリシェーラは恋をすることを諦めていたし、家族ももう長年仕事にしか興味を見出せない娘を無理に家に押し込めるのは酷だと思い、彼女の結婚を諦めていた。
幸い彼女には2人の兄と1人の姉、そして弟と妹が1人ずつ、計5人もの兄弟がいた。そしてそのいずれも結婚し家庭を築いているため、一人ぐらいは……と思っていたし、仲のいい兄弟たちはもしリシェーラが実家に帰って来たら我が家の隣に新しく家を建てて住まわせようとさえ言ってくれた。
将来的には兄弟の言葉に甘えるかもしれないと考えていたリシェーラではあったが、彼女の立てた予定よりも随分早すぎる。
「どうすればいいですかね?」
困ったリシェーラは渦中の人で酒飲み友達でもあるルミオンに相談することにした。
正確には何か困っているらしいリシェーラに酒を飲ませて、酔ったところをルミオンが聞き出したのだが。
「なら俺がいい相手を紹介してやろう」
「ええ!? いいですよ、あなたの紹介なんて嫌な予感しかしませんよ」
「いや、本当にいい奴だから。リシェーラも絶対に気にいるから」
そう言われれば言われるほどにリシェーラの中で不安が渦を巻いていく。
確かにルミオンの紹介で悪い人が来たことはない。大抵騎士団に所属している、身元がしっかりとした、未来ある青年である。
だがそれがリシェーラと、彼女を知っている青年には都合が悪いのだ。
ルミオンは先の戦いにおいて英雄の座を副団長であったディートリッヒに譲りこそしたものの、騎士団に所属している者からの信頼と羨望の眼差しをその背中に注がれているのだ。そんな人から会って欲しいと言われた相手が仕事の鬼と呼ばれるリシェーラだったとする。すると相手は断れず、またリシェーラは居た堪れない雰囲気の中で過ごさなければならない。
とどのつまり、ルミオンの連れてくる相手というのは結婚相手はおろか交際相手にすらなれないというわけだ。
「やっぱり家から見合い写真でも送ってもらうことにします」
リシェーラはそんなありきたりな文句でこの話題を無理矢理終わらせた。
その日こそ「そうか?」と引いたルミオンではあったが、その日を境に事あるごとにいい人がいると紹介しようとしてくるようになった。
それがまた意外にしつこい。初めは酒の席だけだったというのについには日常会話に盛り込まれるようにもなった。
そこまでくると嫌気がさすよりも疑問が湧いてきたリシェーラはもしやルミオンも陛下から同じような言葉をかけられているのではないかと思い、直接彼に聞くことにした。
それも包み隠すことなくド直球に。
「ルミオン、あなたもしかして陛下に私と結婚するようにでも言われましたか?」
もう陽が落ちてから数時間と経ち、今はちょうどリシェーラとルミオン、この2人しか居ないのだ。
聞くなら今しかないだろうとルミオンの瞳から思考を読み取るように彼の目をじいっと覗いた。
するとしばらく視線を泳がせていたルミオンは観念したようにはぁとため息を吐く。
「……バレたか」
「こんなあからさまでバレないとでも思いましたか? まぁ、私も陛下からルミオンはどうだと言われたっていうのもありますけど」
「リシェーラは断らなかったのかよ……」
「断りましたよ!」
恨みがましく、逆さ方向に座った椅子の背もたれに顎を乗せ、子どものようにガタガタと揺らすルミオンを思い切り睨みつけた。
そんなリシェーラに付き合いの長いルミオンが怯えるわけもなかった。
「リシェーラはいい奴だけどさ、嫁さんにしたくはねぇんだよな……」
「私も同意見です。ルミオンは尊敬できますが、夫としては絶対に無理です」
「だよなぁ」
2人揃ってあんまりな評価ではあるが、これはお互いがお互いのことをよく知っているからこそ言える言葉でもある。
それは現在2人が過ごす、宰相補佐官室にも片鱗を覗くことができる。
仕事の鬼と呼ばれるリシェーラのデスクと、応接用のテーブルと椅子を除いた場所以外には書類や資料が散乱している。彼女はいわゆる掃除の出来ないタイプである。
ちなみに彼女の部屋も同じ状態で、無事な場所がデスクからベッドにすげ変わっただけだ。
城に勤めている以上、自室はともかく宰相補佐官室だけならば使用人に掃除を頼めば綺麗な状態で保つことが可能である。だがそれはあくまで頼めば、の話である。リシェーラは掃除をすることを良しとはしない。片付けられること、それは配置が変更されることを意味する。ただでさえほとんど休みがないというのに、書類の配置を変えられでもしたら数日間はリシェーラの顔から表情が消えて無くなる事だろう。
そしてルミオンの方はといえば、先の戦いの褒賞にと陛下からいただいた一戸建ての家を有給を消化すると同時にゴミ屋敷に変えた。
その現状をまざまざと見せつけられた部下曰く、ルミオンは片付けるということを知らないのだ。
その上、彼は気を許した相手以外は自分のテリトリーに入らせない。つまり掃除婦や使用人を雇うことも出来ない。
あの日ばかりは掃除が苦手なリシェーラが駆り出され、家の中の物体全て分別して捨てたほどだ。
それ以来、あの屋敷には何も残って居ない。家具すらもリシェーラによって捨てられてしまったのだから。
リシェーラは一応確認を取ってから捨てていたため、何を聞いても「いらない」と答えたルミオンもルミオンなのだが、2人が何も全部を捨てなくても良かったなと冷静になるまで数日間を要した。
ルミオンとリシェーラは良き友ではあるが、夫婦になるには向いて居ないのだ。
互いに相手と結婚したとしても数日と結婚生活が持たないことを十分に理解している。
「俺は結婚諦めてるけど、お前の娘は抱きたいと思ってる! 高い高いも肩車もしたい!なんならルミオンおじちゃんと呼ばせてくれて構わない」
「だから私は結婚する相手すらいないんですってば」
「だから相手は俺が紹介する。せめて会うだけ会ってくれないか?」
結局はその流れに持ち込まれ、会ったらあちら側が断りを入れるだろうと面倒臭くなったリシェーラはついにそのことを承諾してしまったのだった。