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1.

「この戦いから帰ってきたら聞いて欲しい話があります」

 ディートリッヒは一日中剣を振るう右手を胸の前で固く握り締めながらそう告げた。彼が指す戦いというのは今から騎士団員のほぼ全員が駆り出される魔物退治のことだ。

 

 王都の周りを囲むようにして建てられている城壁によって未だ王都への侵入こそ許していないものの、城壁の外の被害はもう目を背けたいくらい悲惨なものとなっている。

 実際に城壁の外の住民はすでに城壁内への避難を完了させてある。家や畑、家畜と己の財産を置き去りにして逃げられるものかと声を高々に主張する声もあったが、それもすぐに小さくなり、そしていつの間にか無くなった。


 過去に魔物を見る機会があったのは騎士団や魔物を狩ることを生業とする狩人、そして魔物の生息地のすぐ近くに居を構える一部の先住民と言われる人々だけで、オルフィー王国のほとんどの民がその見た目すらもよく知らなかった。

 だからこそ彼らは被害が出たと城壁内に避難するようにと勧告があってもなおそれを拒否し続けていたのだ。

 各地に派遣された騎士団員は老人だけで暮らす世帯や大黒柱となるものが不在の世帯といった避難困難者を中心に巡り、そして彼らを避難させていった。

 当然、避難を拒むものたちへの元へ回る余裕などない。

 彼らは頑なに居住地を去ることを拒み、批難の声を上げ続け、そして見てしまったのだ。

 

 魔物を。

 

 目の前では家畜が、家が壊されていく。ウサギほどの大きさしかない、彼らにとっての未知の生命体によって。その生命体の破壊行動を止めようとしたものたちは返り討ちにあった。


 たった一撃、鉱石のようにも見えるツノで一突きされたものは動かなくなった。


 一人、また一人と挑んでいったものは動きをやめ、そして魔物はそれを邪魔だとばかりに首を振って遠くへと投げ飛ばしていった。残されたものたちは震え、そして逃げ出した。


 一心不乱に足を動かし続ける彼らの頭に浮かぶのは数ヶ月前に己の手でくしゃくしゃに丸めた、国からの手紙。

 そこには魔物がいかに危険な生物か、そして城壁の性能の高さが記載されていた。だが必死で逃げる彼らの頭にはそんな小難しい文章は残っていない。


 ただ一つ『城壁内は安全です』と紙の真ん中に、他の言葉よりもひときわ大きく書かれた言葉がチカチカとシグナルのように点灯していた。

 


 その頃、王都では城壁の東西南北、その一つずつに設置してある門の全てを閉じていた。

 城壁の性能は国民に発表した通り、魔物の攻撃に耐えうるものであった。そして何より、国王や宮廷魔道士たちは魔物の攻撃が長くは続かないことを知っていたのだ。


 魔物たちの混乱を引き起こした原因となっている龍の産卵期さえ終わってしまえば魔物のほとんどは大人しく住処へと帰っていくのだ。中にはそこに居着いてしまう魔物もいるがそれらは国民を城壁の外へ出す前に、騎士団、魔道士、狩人の力を結集させて狩っていけばよかった。

 数百年前にもやってきた龍の産卵期にしたことと同じことをすればいいだけ。

 その頃とは違い、国民全てを収容できるだけのシェルターとなる城壁も、彼らのための食料も全て確保してある。

 あとは時間が解決してくれるのを待つだけだった。

 

 だが彼らが王都へとやってきた――避難をしなかった、魔物の脅威を目の当たりにした人たちが。

  逃げてきた彼らを拒むことはせずに、門で待機をしていた騎士団員は他の人たちと同じように王都にある避難場所の一つに彼らを案内した。


 それが間違いだった。


 城壁の中に入ってもなお魔物に襲われるという恐怖から解放されないでいる彼らは避難場の隅に固まった。頭を抱え、身体を縮こまらせて震える姿は他の避難者の目を引いた。

 そして避難者の中にはもちろん震えるものと同郷のものもいた。

 逃げることを拒んだ、勇敢であった彼らの変わり果てた姿にこの一ヶ月もの間に何があったのかと心配した。

 そして聞いてしまったのだ。

 震えるものたちがうわ言のようにつぶやき続ける言葉を。

 

『助けて』

 

『殺さないでくれ』

 

『逃げろ』

 

 中には家族の名前を繰り返していたものもいた。震える彼らの姿は国からの手紙よりも如実に魔物の恐ろしさを示していた。

 すると頭の中によぎるのはやはり『城壁内は安全』という文字。

 

 本当にこの城壁内は安全なのだろうか。

 

 なぜ国は自分たちを城壁内に逃げ込ませたのに何も対策を取らないのか。

 

 魔物がここまでやってくるのではないか。

 

 安心しきっていた国民たちの間に一抹の不安がよぎる。そしてその不安は伝播する。

 

 

 それを沈めたのは戦いから帰省したオルフィー王国第一騎士団副団長、ディートリッヒ=オラバサルだった。

 ディートリッヒは老若男女問わず息を呑んでしまうほど美しいその容姿と、幼少期に父から叩きこまれた人心掌握術を駆使し、1週間とかけずに各シェルターを回り、彼らに詳しい状況説明を行った。

 そしてディートリッヒと王国騎士、宮廷魔導士、狩人はそれから2年間、王国全土で魔物を退治して回った。


 王都へと帰ってきたディートリッヒは身体中に怪我を負っていたが、治療よりもまず先にシェルターで怯える国民に魔物討伐の完了を告げて歩いた。


 そしてその日からディートリッヒは全国民から『英雄』と呼ばれるようになった。




 今まで仕事一辺倒だったリシェーラが初めて惚れた相手こそ騎士団副団長、ディートリッヒだった。

 

 大事な話、それが何かわからないほど子どもではない。

 リシェーラはディートリッヒからも好意を向けられていることは薄々感じていた。そして何より彼女自身、彼のことを好いていた。

 だからこそリシェーラはディートリッヒの言葉を快く承諾し、彼の帰りを待った。

 


 魔物退治は予想以上に難航し、死人こそ出なかったものの負傷者はたくさん出た。ディートリッヒも例外ではない。けれど彼は自分の足でしっかりと歩いていた。それを見たリシェーラはひどく安心し、彼が約束どおり宰相室の隣に付けられた宰相補佐官室にやってくるだろうと部屋に戻り待機した。


 ずっと何もせずに待っているというのも真面目な彼女にとっては気が落ち着かず、ひたすらに報告書に目を通し続けた。すると彼女の上司に当たる宰相・ハザールにもう休むようにと勧められた。簡易的なものがほとんどで、本格的なものは恐らく翌日以降に提出されるためだろう。

 だがリシェーラはその勧めをやんわりと断り、目を通すことをやめなかった。ハザールはそんな彼女を相変わらずの真面目だと称した。

「ワーカーホリックと名高いあなたほどではありませんよ」と微笑むと彼もその自覚があるからか「ほどほどにしなさい」とだけ言って明日以降に備え、休息を貯めておくためにその場を立ち去った。

 本来ならばリシェーラもそうしなければいけないのだが、あと少しあと少しと自分に言い訳をしながらディートリッヒを待ち続けた。



 だがそれらを全て読み終わっても彼は一向にやってこなかった。窓からは宴会場の光が遠目に見える。きっと副団長のディートリッヒは抜け出せなかったのだろうと判断したリシェーラはその日、彼を待つことを諦め、そそくさとベッドへと入り込んで仕事詰めになるであろう明日へと備えて休息をとった。



 けれど翌日もその次も、待てども暮らせども宰相室にディートリッヒがやって来ることはなかった。

 それでも待ち続けるリシェーラの頭にはふと一つの不安がよぎった。


 ディートリッヒは負傷して寝込んでいるのではないか――と。


 リシェーラの頭の中に彼が約束を放棄したなんて理由は浮かびもしない。真面目な彼がそんなことをするわけがないからだ。

 すぐに医務室に向かい、リシェーラは顔見知りの薬師・ルギウスを半ば脅すような形で使用者名簿を見せてもらうとそこにはディートリッヒの名前が確かに記入されていた。それも一度ではなく何度も。

 

 やはり彼は怪我をしていたのか……。

 ならば見舞いにでも行った方がいいかと考えがよぎったものの、それでは話の内容を催促しているようにも思え、止めた。


 あと一週間待とう。


 それでもディートリッヒの体調が良くならないようであったら自分から気持ちを告げに行こうとリシェーラは固く心に決めた。

 

 そして一週間後、城はおろか王都にさえもディートリッヒの姿はなかった。


 ルギウスに、騎士団長であるルミオンに、ディートリッヒは実家に帰ったのだと告げられた。

 

 彼は約束を守らずしてリシェーラの前から消えてしまったのだった。


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