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3 死者の世界との狭間へ

 ホールにピアノの音色が響き渡る。


 クレッシェンド、それにセンティメンターレ(感傷的に)

 もはや楽譜に書かれていた記号を意識しなくても自然に曲が歌い出す。俺の手から生み出された音たちがホールの隅々にまで染み渡っているのを感じる。

 曲が流れ盛り上がるにつれて、頭の中に懐かし故郷のイメージが溢れ出してきた。流行病はやりやまいの後、閉鎖され訪れることも叶わない故郷。まだそこに俺の住んでいた家は、遊んでいた広場はあるのだろうか……

 故郷のことを考えていると、目尻にじんわりと涙が溜まってきているのを感じる。決してそれが溢れることのないよう、目に力を込め曲を弾き続ける。そして曲のフィナーレ、優しいのにどこか寂し気なメロディを思いのままに奏でた。


 終わった……


 最後の和音が静かにホールの壁へと消えてゆく。静寂に包まれるホール。次の瞬間、割れんばかりの拍手に俺は包まれていた。

 力尽きて倒れそうな身体に檄を飛ばし、客席へしっかりと礼をする。そして明るい舞台から、仄暗い舞台袖へと戻った。


※※※


 舞台袖を抜けて廊下に出ると、さっきは仄かに香る程度だった百合の花の香りが辺りに充満していた。きっと演奏を終えても未だ昂ったままの俺の五感が敏感なせいだろう。濃い百合の香りに包まれながら楽屋へと向かう。

 明日はこのホールでヴァイオリン部門の準決勝が行われる。全てのヴァイオリニストの演奏が終わった後は、いよいよ今日の結果発表だ。もうここには用は無い。さっさと家に帰り決勝の準備をしなくては……

 さっきまでの高揚感に別れを告げ、冷静になって今後のことを考えながら歩く。決勝で弾くのは課題曲と自由曲1曲ずつ。残された時間でどう練習するべきか…… 自分の楽屋の扉を開けながら考え続ける。


「そのまま進んだらぶつかんで」


 突然聞こえた見知らぬ声に驚き、足を止める。そして下に向けたままの顔を上げた。すると、そこは見知らぬ部屋だった。

 顔を上げた俺の目に3人の人物が映る。中央の丸テーブルの奥に座るさっき声をかけてきたやつ。金色に近い茶色の髪を後ろで結んでいる。髪と同じ色の瞳がこちらを見て笑っている。片方の目にある泣きぼくろが印象に残る。

 部屋の隅には狐の仮面で顔の上半分を隠した執事のような服装の長身の男。それと中央奥の暖炉近くには、鮮やかなオレンジ色の百合の花束を胸に抱いた白いワンピースの長い黒髪の少女だ。彼女の持っている百合の香りがこの本だらけの部屋を覆っている。さっきまでいた廊下と同じ香りのようだ。


「ここ……」


 見渡してもここが全く知らない場所だということは変わらない。俺の楽屋とは違う部屋の扉を開けてしまったのだろうか?

 一瞬そんな考えがよぎるがすぐに打ち消す。あのホールには何度も来ているがこんな部屋は無かった。ならば一体ここは……

 戸惑っていると先程と同じ茶髪の男が再び話しかけてきた。


「突然こんなとこ来たら戸惑うのも当然やんな。説明するから座ってや」


 笑顔でどうぞ、と自分の向かい側のソファーに座るよう促してくる。口元は笑っているが、薄い茶色の瞳は探るようにこちらを見つめている。

 ふと部屋の奥へと目を向ける。仮面の男は本棚から何冊かの本を出したり入れたりしている。よく分からないが、先程から仮面の奥からちらりとこちらを見ているような気がする。

 少女の方は暖炉の上にある棚へ身体を向けている。手に持っているオレンジの百合の花を棚の上に置かれた花瓶へと活けている最中だ。花を活けることに夢中のようで、こちらを見もしない。


 怪しい…… どう考えてもこの状況は怪しすぎる。


 こんな怪しい場所に長居は無用と判断すると、後ろへと目を向ける。今俺のいる位置からはソファーへと向かうより、後ろの扉の方へ行くほうが近い。


 よし、帰ろう。


 直立していた足を後ろへとずらす。その瞬間、花を活けていた少女が視線は花に向けたまま声をかけてきた。


「申し訳ありませんが、契約が終わるまでその扉は開きませんよ」


 そう言って百合の花を全て活けたのを確認すると、やっとこちらへと顔を向けてきた。顔の動きに合わせて長い黒髪がさらさらと流れる。顔にかかった髪を耳にかけながら、少女は少し申し訳なさそうに微笑んだ。綺麗な黒い瞳がこちらを見ている。恐ろしいぐらいに整っているその顔は、瞳の下の濃い隈のせいか、どこか不健康そうに見える。それでも、その微笑みが美しいことに変わりはない。


「なんなら試してみてもええで」


 思わず少女の微笑みを見つめていた俺に挑発的な声がかけられた。見れば目の前の茶髪の男が扉を指差してにやりと笑っていた。

 決して挑発に乗る訳ではない。しかし、開かないなんて言われてもそれを素直に信じるつもりはないので早速試してみる。

 ノブに手をかけガチャガチャと乱暴に回す。にも関わらず、腹立たしいことに扉は不動のままだ。さっきは簡単に開いたくせに…… 恨みのこもった目で扉を見つめた。すると、背中から明らかに面白がっている声がかけられた。


「な。悪いようにはせえへんから座ってや、サンダーソンさん」


 何で俺の名前知ってんだ。振り向いて目の前の茶髪を睨む。すると、そいつはますます笑みを深めた。


「さすが氷の眼差し言われてるだけあるな。その冷たい眼差しにファンが急増中って言われてるらしいやん」

「そんなの一部の人間が言ってるだけだ」

「普段から周囲にそんな態度やからあんなキャッチコピー付けられるんとちゃう?」

「お前…… 随分と俺のこと調べてるんだな」


 さっきから人をおちょくってくる態度ばかりとってくる相手に怒りが湧いてくる。一見笑っているようだが、その奥でこちらを冷たく見つめてくるその眼差しを正面から受け止める。


「スタチスいい加減にしてください。交渉中の君らしくもない」


 いつまで続くかと思われた俺とそいつの睨み合いは狐の男によって中断された。俺とそいつの間に立って厳しい口調でたしなめる。そして今度は黒髪の少女の方へと同じく窘めるように声をかけた。


「お嬢様も見ていないで止めてください」

「スタチスも考えあってのことですから……」


 少女はそう言うと困ったようにスタチスと呼ばれた茶髪の男を見る。それに対し狐面の男は「それでも限度があります」とハッキリ言い、俺の方を向いた。


「突然このような場所に連れて来たのはこちらだというに失礼いたしました。誠に申し訳ございません」


 深々と謝罪される。なんとも完璧なお辞儀だ。この人には何のとがもない。それなのにこんなに申し訳なさそうに謝られると、俺の方まで何だか申し訳ない気持ちになってくる。


「いや、俺も売り言葉に買い言葉っていうか……」

「いえ、お客様が謝ることはありません。スタチス」


 男は鋭い声でそいつの名を呼ぶ。すると、そいつは俺の方をちらりと見ると椅子から立ち上がった。そのままぶっきらぼうに


「挑発ばっかして悪かったわ」


 とぶすっと言った。おい、お前は謝罪の仕方を知らないのか。そう思ったが、ここで引かねば俺の方がガキみたいになる。


「別に……」


 俺がそう言った時だった。さっきはびくともしなかった扉ガチャリと開く音がした。急いで後ろを見れば、手袋をした目つきの悪い、いや俺も人のこと言えないか…… まあ、俺と同じような目つきの黒髪の少年が紅茶を手に扉の前にいる。少年は驚いたように部屋の中を見渡すと呟いた。


「チース何で立ってんだ」


 そのまま「え、どういう状況?」と呟いて部屋をキョロキョロと見ている。新たに増えた人物を呆然と見ていると、後ろから大きなため息が聞こえた。


「なんや気抜けたわ。サンダーソンさん、紅茶も来たし契約の話進めよか。さっきまではほんま悪かったわ」


 先程とは打って変わり、険のとれた顔でソファーに座りながらそいつは言う。身体全体をソファーに(うず)めると、俺も座るようにと視線で促してきた。今度は俺も素直に座った。

 俺たち2人が座ったのを見て、さっきの少年が目の前のテーブルに紅茶をセットし始める。狐面の男と黒髪の少女はいつの間にか部屋の隅へと戻っていた。


「契約ってなんだ?」


 そう問うと、何とも爽やかな笑顔でそいつは言った。


「カマーバンドの中にお守りでコイン入れとるやろ」


 そう指摘され、思わず腰に巻いているカマーバンドを触る。確かにの腰に巻いた布の中にはコインが入っている。コインと言ってもこの国の物ではない。幼い頃、亡き両親がキャンプへと向かう俺に持たせてくれたものだ。記憶以外で唯一残っている故郷の物だ。


「それと交換にあんさんの願いが何でも叶うんだ」

「そう言われても……」


 これは簡単に手放せるものではない。そんな俺の気持ちを見透かしたように、そいつは畳みかけてくる。


「それが大切なもんなんは知っとう。でもな、何でも願いが叶うんやで」

「何でも……」


 腰に当てた手に力を込める。もし、本当に願いが叶うなら俺の長年の夢が叶う。グッと力強くこぶしを握ると、目の前の相手を見つめた。


「本当に何でも、なんだな」

「あなたが望むことならなんでも」


 部屋の奥から少女が静かに言ってくる。見れば、暖炉の側からこちらをじっと見つめていた。彼女の言葉を確かめるように目の前の相手を再度見る。すると真剣な顔で頷かれた。


 夢で終わるかもしれなかった俺の願い。もしそれが叶うのならこの大切なコインをも差し出せる。目を閉じ、故郷を思い出す。覚悟なんてとうの昔に決まっている、足りなかったのは確証だけだ。俺はこの不思議な場所でそれを得てみせる。


 瞳をゆっくりと開くと、俺の決意を部屋にいる全員に伝えるようにはっきりと言った。


「その契約乗った」


 そして、続けて彼らに俺の長年の夢を伝えたのだった。

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