第二話 ①禅寺院 伽藍 依頼
冬の終わりの夕暮れ前。
連日降り続いている雪のおかげで、今年最低気温を観測したらしい。私は降り積もった雪を見るために事務所の外に目を写したが、窓についた結露の為に眺める事は出来なかった。これでは、看板の代わりにペンキで書いた『探偵事務所』の文字も大変読みづらくなっているはずだ。ここ数日客が一人も来ないのは、おそらくそのためであろう。
それでは、去年の夏に三週間仕事が無かった理由は? 簡単だ、あんな猛暑じゃ誰も上を向いて歩いたりなどしない。特に、ボロビルの三階、個人学習塾の上の、そのまたカードショップの上の探偵事務所なら尚更のはずだ。じゃあ、秋頃にも仕事が無かった理由は?
ドアがノックされる音で、私は思考の沼から引きずり出された。もしかしたら半分寝ていたのかもしれない。手に持っていた推理小説を閉じて、事務机の一番下の引き出しに放り込む。その、引き出しの中は途中まで読みかけた推理小説の墓場となっていた。どうりで最近、内容は知ってるがオチを覚えていない小説が増えた訳だ。読み返そうにも栞を挟んでいないし、登場人物をもう一度整理するのが億劫で再び手が出す気にはなりそうにない。どの小説も、探偵役が出しゃばり始めるまでは面白いという事は覚えているのだが。
「空いている」
少し考えた結果、タフガイぶって言ってみた。何年もこの仕事をしているのに、客に対して入るように促す定型文を持っていないといことは職務怠慢もいいとこだろう。
次の問題は、どういった顔で客を迎え入れるかだ。
警察なら困った顔、ヤクザなら無表情、桜島さんの使いっぱしりなら蔑んだ顔、主婦なら営業スマイルだ。ただ、営業スマイルを持っていないという職務怠慢も存在するのだが。
「あの……、失礼します……」
入ってきたのは私よりも一回り程若い少女であった。ベージュのコートに耳まで覆ったチェックのマフラー、短いスカート。これは私の記憶が正しければ、女子高生という奴に違いない。最も、このしみったれた探偵事務所に相応しく無い人種だ。
私は女子高生に向ける顔を用意していなかった為、普段の眉間に皺の寄った表情で少女を招き入れるしかなかった。
「えっと、渡辺探偵事務所って書いてあるのを見たもので……。そのぉ、渡辺さんですか?」
「いや……、とにかく私はここの探偵事務所の者だ」
私は、狭い事務所に客を拒むバリケードのように置いてある来客用のベンチを進めた。
少女はおずおずと事務所に入りベンチに座わると、私も向かいに座り飛ばないように灰皿の下に敷いてあった名刺を渡す。少女が『探偵 禅寺院伽藍』と書いたマヌケな名刺を見ている間、客が来ない理由が結露で屋号が分からないという理由じゃないという事実に対して深く思考を巡らせた。
「すいません、下から渡辺って書いてあるのを見たので……」
「気にする必要は無い、渡辺は私の本名だ。それで、要件は?」
少女は言いづらそうに目を泳がせた。女子高生が探偵に依頼する内容は想像に容易く無いが、どんなものだろうと、先々月の息子がクリスマスに欲しいものを探ってくれという以来よりは遥かにマシだろう。考えあぐねた結果、その子に直接欲しい物を聞くという英雄的行為の代償は、全校集会で取り上げられるという結果に終わった。
「もし彼氏の浮気を疑っているのなら金の無駄だ、やめておけ。女が浮気と疑った時は十中八九そいつは浮気している」
「ち、違います! 私は、その、いなくなった友人を探して欲しいんです」
「ほう、友人……」
私は少女に話を続けるように顎で促すと、上着のポケットから両切りのブラックデビルをとりだし、先月大量にもらった風俗の宣伝マッチで火をつけた。煙と共に人工甘味料の匂いが部屋中に広がる。
「先週の水曜のことなんですけど、私の親友の絵理、あっ、姫城絵理が急にいなくなっちゃったんです。絵理、バレーボールやってて、部活終わったあと家に帰らなかったんです。それで、次の日大騒ぎになって絵理のお父さんも警察に連絡したんですけど、少し調査しただけで終わっちゃって……」
なるほど、少女が感情的に筋道を立てずに話してくれたおかげで大体のことは掴めた。簡単に言うと女子高生がある日突然帰ってこなくなった、それだけだ。せっかく来てくれた彼女には申し訳ないが、普遍的によくある話だ。バカな娘に限らず、真面目で勤勉だった娘がある日突然帰ってこなくなったなんて飽きるほど聞いたことがある。
私のそんな考えを見破ったのか、少女は勢いづけてまくし立てる。
「絵理ってぜったい変な男につかまるような子じゃないし、家出するようなバカなことしないです! だって、ツイッターにも返事ないしライン送っても既読すらつかないんですよ! ありえないです!」
ラインに既読がつかない事はありえない事なのか。どうやら、私と若い子の間には相当な価値観の違いが存在するようだ。
少女が大事そうに持っていた写真を受け取ると、可愛らしい少女と目があった。肩まで伸びたセミロングの黒い髪に、驚いたように見開かれた大きな眼。きっと、依頼に来た少女が急に撮ったのだろう。少し、頬骨が出ている気もするがそれは愛嬌と言えなくもない。
なるほど、普通の少女だ。友達と遊んで、部活して、ある日突然いなくなるような普通の。
「だいたい状況は分かった。だが、あえて言うならば私に依頼は止めておけ。こういった場合、男か友人の家に上がり込んでいるのが常だが、そうじゃないんならあまり良い結果にはならない」
「それってどういう意味ですか!」
少女は激高して挑みかかってくる。私は、いくつか言葉を間違えたようだ。
「まず、この娘が失踪したのは君に責任は無い。本当に君が言うようにそんな娘じゃないなら、この娘の親が既に手を打っているはずだ。それに、私はボランティアじゃない。それなりの金額はいただく。捜査に失敗した場合も初期費用として――」
「そんなの、分かってます! ちゃんと、用意できる分は用意するつもりです。それに、親友がいなくなったのを心配しちゃいけないって言うんですか!」
「……心配なのはわかるが、君は何をそんなに焦ってるんだ? 今の君は少し感情的になりすぎているようだ。一旦落ち着いて――」
ダンッと少女は立ち上がると蔑んだ視線を私に送り、
「こんなとこに来たのが間違いでした。他をあたります」
と告げて、呼び止める間も無く事務所のドアを思いっきり叩きつけて出て行ってしまった。私と姫城絵理という少女の写真だけを残して。写真の少女は未だに目を見開いている。置いて行かれたことに驚いているのか?
しかし、どうも最近の若者は、最後まで話を聞かないらしい。
私はため息をつくと、タバコをもみ消して次の一本をとりだした。どうやら、これが最後の一本のようだ。私は喫煙者の鑑よろしく、最後の一本がなくなる前に次の箱を買い足す為、出かける準備を始めた。
皺の寄った黒いロングコートに、メモ帳、それにテープレコーダー。
そう、買い物の準備のはずだ。ただ、コンビニに行って帰ってくるだけの。
私は愛車である腐りかけの国産セダンの鍵をとると、これからの捜査の順序を考えながら事務所を後にした。




