婚約者の友人に恋した
ある朝、私は婚約者が住んでいると言う隣町の屋敷に向かっていた。
平民の私が貴族と結婚出来るのは夢のようではある。
しかし、会ったこともない人に、気に入られるだろうか、不安でたまらない。
ようやく目的の場所に到着し、馬車から降りようとした際、慣れないドレスと踵の高い靴を着たせいか足をひっかけてしまった。
「きゃ…」
「おっと」
身なりの良さそうな男性が、がっしりと私を抱き止めてくれたお陰で、私はドレスを汚さずに済んだ。
自分で体勢を建て直そうとすると不意に柔らかな手触りの白い襟巻きが手に触れた。
「もうしわけありません!」
頭を下げてからその場を去ろうとした。
しかし、男性に腕を掴まれてしまう。
よく見ると白い綿毛のようなものを首に巻いた裕福そうな格好をしている。
「かなり強い衝撃だったのだけれど、どこか痛めていないかい?」
男性は心配そうに私を見ている。
「ええ、貴方のお陰で怪我はありません。ありがとうございました」
そうお礼を言うと、男性は嬉しそうに微笑んだ。
一目見ただけで素敵な方だと思った。
私には婚約者がいるのに、そんな罪悪感に襲われた。
ようやく婚約相手の屋敷に着いた。
「貴女がクレーナさんですね。お待ちしていました」
ストーツ伯爵がどっかりと椅子に座り、私を出迎えている。
彼がいずれ私の夫になる人なのか、と認識はした。
伯爵の彼との婚約を維持して、結婚までたどり着けば義理の両親もきっと喜んでくれるだろう。
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彼と話をしたのだが、内容があまり頭に入って来なかった。
口を開けば自分が貴族であること、お金のこと、骨董品の話題ばかりで、私とは無縁の話だったからで
特にストーツの見せてきた‘有名な職人が作ったという自慢の壺’は本当に意味がわからなくて、申し訳ないが愛想笑いしかできなかったのだ。
これにどうして高いお金を出せるのかわからないデザインなのである。
「あれ、また会ったねお嬢さん」
屋敷から出て来たところで思わぬ人物と再開した。
「先程はどうも」
またこの方に会えるとは思わなかった。
私はなぜだか嬉しくなってくる。
「ああ、名乗るのが遅れて悪いね。俺はサテラノイト、気軽にテライと呼んでくれ」
テライという男性は貴族にしては珍しく、気安い態度で接している。
「この屋敷に用があったのかい?」
「はい…貴方もですか?」
本当は初対面の男性にそんな事を聞いてはいけないのだろう。
会ったばかりの得体の知れない人間に教える者もいるはずない。
でも彼なら気にせず答えてくれるのでは、と直感した。
「ああ、友人の屋敷でね。今日の午後、約束があったんだ」
なんという事だろう。彼がストーツ伯爵の友人だったなんて……。
「テライ」
屋敷からストーツ伯爵が歩いて来た。
「ストーツ、約束の通り時間ピッタリに来たよ、どうかしたのか?」
「すまん。急に両親の呼び出しがかかったんだ」
ストーツ伯爵は、砕けた話し方になる。
「そうなのか…それは残念だ。ところでこちらのお嬢さんはどういう用で?」
「ああ、両親が婚約者という事で…」
婚約者として紹介されてしまった。
今更どうにもならないとは言え、複雑な気持ちになった。
両親に呼ばれたというストーツは、馬車に乗って屋敷を後にした。
残された私とテライさんは先程とうって変わって話が続かなくなる。
「…残念だった」
そうつぶやき、落胆するテライさんは約束をキャンセルされたことがそんなにショックなんだろうか。
別々に暮らしている両親に呼び出されたということは危篤だとか、なにか大事な事だろうし
親しい友人となれば貴族同士なのだろうから
都合がつかないことも普段、あっても変ではないと思う。
「ストーツの事をどう思う?」
「よくわかりません。会ったばかりですから…」
正直に言うと興味がなかったが友人の彼に言うのは失礼なので黙っておく。
「俺の事はどう思ったか聞いてもいいかい?」
「素敵な方だと思いました」
無意識にあの時思ったことをそのまま答えていた。
「そうか、俺も君を素敵な人だと思ったよ」
それは、どういう意味で言っているのだろう。
「君は、俺が君を好きだと言ったら困るかい?」
「いいえ」
もし彼が私の事を好きなら困る筈もなく、嬉しい。
たった一度会っただけで、人を好きになれるはずがないと思っていたのに
テライさんをすぐに意識した。
きっとあの時私を助けたのが彼だったからだろう。
「正直に言いますと貴方が婚約者ならよかったと思いました」
「なら…俺の恋人になってほしい」
そう願ってもみない事を言われて、涙が溢れた。
好きになった相手が、テライさんが結婚出来る人だったらよかった。
けれど、私には婚約者のストーツがいる。
平民の私には伯爵家の縁談を断る事が出来ない。
どうしたらいいんだろう。
「まだいたのか」
「ストーツ!」
たった数分ほど話していただけなのに早くもストーツ伯爵が帰って来た。
「早いんな」
「近くの屋敷だからだろう」
すぐそこに屋敷がある。てっきり遠くにあるものと勘違いしていた。
「それより丁度よかった」
「私ですか?」
ご両親に何かあったのか、ストーツ伯爵は慌てている。
「婚約は手違いだった」
「え?」
目を見開く私と同様、テライさんも驚いている。
「私の婚約相手は君の義理の姉の方なんだ」
「ならストーツ、彼女は俺がもらっていくよ」
今度はストーツ伯爵が面喰らっている。
わけがわからないといった表情の彼を置いて、私達はその場を後にした。
「最悪、殴り合いになるのも覚悟していたんだが…」
貴族の男性でもそんなことをするのか、とはいえまさか争いも起きずに婚約がなかった事に出来るとは思わなかったので拍子抜けしてしまった。
「そういえば、君の名前も知らなかった」
「クレーナです」
名前をきかれたので答える。
「いい名だね」
「ありがとうございます…」
名前を誉められたことがないからか、彼に言われたことだから嬉しいのか、わからないけれど。
彼が隣にいることが、幸せだからそれが答えでいい。
三日ほど前に出だしを作ってようやく形にできました
別主人公の話も今日浮かびましたのでいつか書けたらと思っています