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はじまりのはじまり

自室のベッドでうつ伏せに転がって漫画を読んでいたら、枕にぽたりと、右目から一粒の涙が零れた。「うん?」慌てて右手で目を押さえる。すると掌に水の感触が伝わってきた。

「・・・は」

 当然隠しきれることなく、ポタポタとベッドに涙が落ちてしまう。駄目だ、このままじゃ。ベッドから降りて机の上に手を伸ばし、偶々置いてあったタオルを引き寄せて顔に押し付ける。涙は溢れ堕ちることはなかったものの、しかし収まることを知らない。いつの間にか鼻腔を通り鼻にまで降りてきて、鼻水と共に体から排出されてタオルへと吸収される。

 いきなりだったため原因がわからない。突然右目から涙が流れたのだ。左目は何ともない。しばらく押さえつけていると、鼻の奥の感覚が戻ってきた。収まったと思いタオルを顔から話すと、鼻水が鼻から糸を引いていた。そしてその色は赤い。

「鼻血か?」

 部屋を出て右折、そのまま直進すると洗面所がある。堂々と開け放たれていたため小走りで辿り着くとそこには先客がいた。

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 お互いに見つめ合ったまま硬直。俺の視線の先には露出した肌から湯気が立ち上り平凡な(ツラ)で茹で上がった髪をタオルで拭いていた少女が一人。栗色の瞳で地毛ではなくわざわざ灰色に染めた髪を靡かせている。その少女身長は約160cm。俺より10cm以上小さいくせに体重はまるで変わらないのはその胸部に宿った莫大なメロンが原因だろう。決して俺が以上に痩せているからではない。そう思いたい。

「・・・で?」

 少女がどす黒い声色で俺の反応を伺ってくる。世間一般的には普通と分類されるであろう顔立ちは冥界の王・閻魔大王を凌駕するほどの殺気と狂気が巣食っているように見えた。しかしそんなことは今どうでもいい。俺は今鼻血の対処を急がなければならない。

「ちょっとそこ借りるぞ」

 そう言って俺は洗面台まで駆け寄る。赤い液体が顔を侵食する前に洗い流さなければならない。慌てて蛇口を捻ろうと手を伸ばしたら少女に手首をつかまれてそのまま俺の手が180度捻られた。おい、今ゴキッて鈍い音したぞ!

(いて)ぇ! 何すんだ!」

不意を突かれて肘や体軸ごと180度回転してしまう。完全に固められている状態だ。右手の甲が背中に当たる感触が何とも言えないほどに痛い。

「出てけぇぇ――――っ!」

「ごはっ!?」

 怒号と共に渾身の力を込めた全力全開の蹴りを背中に喰らい、俺はドアの外へと押し出された。いや、押し出されたというより吹っ飛んだ。そのまま受け身も取れず頭から廊下の床に叩き付けられる。

「だからぁ、何すんだ!」

瀕死の状態ながらも全身に力を入れて仰向けに起き上がると、肩から下を丸ごとタオルで包んだ少女が洗面所の戸を閉めるところだった。

「こっちの台詞よ! どっか行け、変態!」

 ピシャリと戸を閉め、放置される俺。いやいやいや! 鼻血!

「ちょいちょいちょい! 頼む何でもいいから理由も聞かずにこのドアを開けてくれ!」

「開けるかバカぁ! そこで一生土下座でもしてろこのロリコン変態!」

 俺はロリコンじゃねぇ! いいから開けろ、開けてくれ!

「おおお、俺の顔が侵食されていく・・・っ! 頼む、我が妹よ。ドアを開けて我を救ってくれ・・・っ! 汝以外に我を救える者はいないんだ・・・っ!」

 今の俺が持てる知識をフル稼働して絞り出した台詞を、少女は全力で否定する。

「何厨二臭いこと言ってんのよ!? つーか誰があんたの妹よ! 阿保なこと言ってないで、いいから終わるまで外にいてよねっ!?」

 無残にも俺の願いは少女には届かず、俺は廊下に寝転んで天井を仰ぐことを強いられた。だって涙は止まったけど鼻血止まらねぇんだもん。さっき顔面から床にダイブしたせいだろうな。どうすりゃいいんだよ、これ。激突の衝撃で顔の感覚がほとんどなかった。そして全身の脱力感が俺を襲った。脳震盪か何かだろうか。顔面からダイブは危ないな。脳内メモにちゃんと記しておこう。

「おい」

 訳の分からない物思いに耽っていたら未だにさっきのことを引き摺っているかのような疑心暗鬼をむき出しにした調子の声が俺の足元から聞こえた。まだ怒ってんのかよ・・・

「洗面台使うんじゃなかったの?」

 ボーっとしていたからどれぐらい時間が経ったのかはわからないが、恐らくすぐ出てきてくれたのだろう。頭を少女の方へ向けると、私服姿の彼女の頭からまだ湯気が昇っていた。

「おう」

 軋む体を無理やり起こして立ち上がる。関節から悲鳴が聞こえるようだった。

「なんかすごい顔になってるわよ」

 少女はそう言って俺を一瞥して自分の部屋へと去って行った。どんだけ俺のことを信用してないんだよ。一緒に住んでるんだからもうちょっと信用していいもんじゃないのかと思ってしまう。

 しかしそんなことではなかった。なんとか洗面台に辿り着いて鏡に映った自分の顔を見てみると、そこには顔の下半分が赤く塗りつぶされた修羅のお面のような何かが見えた。

 家中に俺の悲鳴は轟いたが、それに答えてくれたのはあいつの「うるせい!」の一言だけだった。


「という夢を見た」

そんな春休み最後の日に見た夢は全く現実味がなかった。俺に一緒に暮らしている女なんていない。仮にそんなことを願うかと聞かれても俺は願わない。例え女が空から降ってきたとしても受け止めないし先頭体制になることもなければ、それが告白の真っ最中ということもない。そんな超どうでもいいことは何も起きず、時間だけが巻き戻されることなく突き進んでいく。海や渦すら目にくれず、その時々で色の有無が簡単に変りそうな夢だった。

「リア充爆発しろ」

俺の発言に逆恨みを込めた罵倒が俺を通り過ぎる。いや、夢だからリア充でもないんだがな。そして今日から高校二年生というまた面倒くさい立場の日々が俺を待っていた。普通春休み明けの初日って始業式だけだと思うじゃん? これがまた違うんだよ。確かに始業式はあった。だがしかし、午後は明日に控える入学式の準備に駆り出される羽目となった。生徒会なんてやるんじゃなかったと今更ながらに公開するが、なぜか問題児強制収容所となっている生徒会室から外に出られるなら幸福と言っても過言ではない。そんなどうでもいいことを適当に並べながら両手に抱えるパイプ椅子がガシャガシャとなる。 

「こら藤沢、ちんたら運んでじゃない。もっとキビキビ動け」

生徒会顧問ともあろうお方が体罰ギリギリなことを生徒に押し付けるのはどうかと思うぞ、と心の中でぼやく。「へいへい」と適当な相槌を打って躱すことにした。つーか遅くても一度に四つのパイプ椅子を運んでるんだから文句言うなよ。何もしないアンタよりマシだ。

「人に悪態ついてる暇あったら自分の悪態の罪を償えよ」

 まるで心を読んだかのような発言だった。正論を言ってるようでなんか違くね? と言いたくなる台詞だな、それ。しかし今そんなことはどうでもいい。この四つ運べばもう終わりだ。俺は部活になんて面倒なものには入っていないからこの後は完全にフリーとなる。

藤崎(ふじさき)くん」

 俺の名前を呼ばれたような気がしたが一文字違った。いい加減覚えて頂けませんかねぇと思いつつスルーしようとしたがその期待は打ち砕かれることになるので面と向かう。

藤沢(ふじさわ)です。これ何回目ですかね」

 絶対十回は超えてる。今日だけで、だ。朝の始業式の前に四回、藤皿だの藤鞘だの間違えられて昼休みの予算会議で委員長や部長など公衆の面前で五回目に間違えられてから数得るのを放棄した。全力で恥ずかしい。何その羞恥プレイ、俺Mじゃないから褒美にすらなんねぇよ。

「今日この後、空いてるかな」

 俺もライトノベルやアニメをよく見てきたクチだからよくわかるが、普通女生徒会長という役職は主人公から羨望を浴びたり羨ましがられたりし、読者からも高評価を得るキャラクターだろう。だいたいの場合、才色兼備や眉目収斂と言った容姿、才能の持ち主だったり可愛いは正義の代表格だったりする。だが、俺がこの生徒会長に魅せられる感想は――最悪最凶の一言のみだ。どんなに見た目が良くとも、それで許されることは限度がある。黒髪長髪に長身、表向きは清楚かつ天然な性格を持つこの会長。一部信者には聖者として崇められそうだがどんなロリコンでもこの会長の本音を聞けば萎えてしまうだろう。

「いや、この後実家の飲食店で手伝いすることになってて・・・」

 もちろん嘘だ。飲食店どころか何かしらの店をやっているわけでもなく、両親ともに普通のサラリーマンだ。

「そうなんだ。じゃあ遊びに行ってみていい?」

 更に訳の分からない台詞が俺を昏倒させる。

「いや、俺の実家結構遠いんで・・・」

「えー、そんなこと言わないでさぁ。藤坂(ふじさか)君のウェイター姿見たいなぁ」

「そんな姿見たって何も得にならないスよ?」

藤定(ふじさだ)君を辱めたいだけだよ?」

 簡単に言うと自分以外の人間を下僕のように扱うのが趣味の超ドSな人格破綻者なのだが、もはや苗字じゃなくて名前になってんじゃねかという突っ込みは俺の気力ごと削られ無残にも霧散した。

 ・・・洒落じゃねーぞ。


 そんな生徒会長と遠出するのは、しかし随分と懐かしいものでもあった。最後に二人で出かけたのは去年のクリスマスイヴの前日だったか。翌日に生徒会の連中でバカ騒ぎすることとなったその前日、プレゼント交換の買い出しに付き合わされた。会長が選定する分のプレゼントを選んだのも俺。そのプレゼントを買ったのも俺。そのプレゼントが当たったのも俺。なんでだよ、意味ねぇじゃん。しかもバカ騒ぎ当日、俺が選定したプレゼントが当たったのは会長。何の因果か、これは。生徒会の連中は俺以外が全員女だったこともあって中性的なものを選ばなきゃいけない訳じゃなくて助かった。・・・誰だ今「ハーレムじゃん」って言ったやつ。面貸せ。人外4人を相手にしなきゃならん俺の苦労を考えてくれ、マジで。

「何か言った?」

「・・・何でもないっす」

 時にエスパー並みの直感を発揮する会長はただの暴君でしかない。

 高校を出て県道をずっと南に下っていくと、他の県道と交差する十字路がある。俺の目線の先にはこれまた度デカい競馬場が聳え立っている。そこの偶然の赤信号で待機する羽目となった。

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 当然この二人で会話が弾むことはない。一方はアニメや漫画、ゲームなど趣味嗜好で日常を使い果たしているインドアスペシャリストで、もう一方は豪邸に住まう天然ドSお嬢様だ。話が弾んだら弾んだらで一体どんな会話をしているのか、分かったものではない。しかしそんな会話ゼロの時間はわずか数秒で打ち切られた。というか自転車に乗っている時に会話が弾むのはいろいろと可笑しい。会長が何かに気づいて声をかける。

「あ、菜々美ちゃんだ」

「・・・・・・・・・・・・」

 十字路の向かいでうちの高校の制服を着た誰か歩道を駆けていくのが見えた。だがこの距離で相手の顔なんか見えない。この会長は視力一体いくつなんだろうか。どっかの部族みたいに、興味本位で測定して7.0なんて訳の分からない結果が返ってきそうで怖い。

しかしなんでこういう時に限って春休み中会ってなかった生徒会連中が次々に集うんだよ。そしてよりによって、なんで会長より面倒くさい奴に会うかな。面倒臭さが二倍・・・二乗か? どっちでもいい。というよりどうでもいい。ただ俺の精神力の消耗速度が二倍か二乗になる程度だ。いまさら気にすることでもない。とっくに手遅れだ。

 会長が「菜々美ちゃーん」と叫びながら全力で腕を掲げて振り回す。周囲の喧騒を物ともせず菜々美と呼ばれた生徒が俺らに気付くと同時に信号が青に代わり、会長が右左右後ろの確認をせずに横断歩道を全力で突っ切った。危ねぇ。ここの十字路はほぼ毎日と言っていいほど事故が多いと聞く。もうちょっと注意してもらいたい。

「会長・・・と、なんだ藤沢か。どうしたんですかこんなところで」

 少女は俺を一瞥して嘆息しながらも隣の会長に向き直る。おい、なんだその嘆息は。

「えっとねー、藤鞘(ふじさや)くんとー、デートなの!」

 ブフッと、俺が吹く。しかしこの安藤(あんどう)菜々美(ななみ)は会長の台詞を真に受けることなく呆れ顔を貫いている。いや、俺だって真に受けてはいないが、流石に外見が中々の美少女にそんなこと言われたら・・・ねぇ? 気恥ずかしいというか、照れてしまう。でも名前を間違えたままなのが心残りだ。

「なんだ、駄犬の散歩か」

 安藤の要らない一言が俺の気分を害する。こいつはいつも一言多いんだよ。人の神経を逆撫でしやがって。俺の見た目も大概だが、こいつは言動容姿全てが人を逆撫でする。整った顔立ちで僅かに茶色く染まる髪は肩までで揃えられている。身長は会長より10cm位低い。小悪魔じみだ言動で学校の女どもからは嫉妬全開。以前は告白されることが日常茶飯事だったらしいがその場で振り、更にその態度が相当な性悪らしく、心砕かれた男子も後を絶たないという。そもそも安藤の趣味も相当アレなものだからどうしようもない。

「てめぇの報われない恋程じゃないがな」

 つい口走ってしまった一言が、安藤の額に十字の血脈を浮き上がらせることになった。

「あ? なんつった今? おいこっち向け」

 安藤が般若の能面を凌駕する程の圧気で俺に向く。しかし俺は絶対目を合わせない。喰われる。全身から汗が吹き出し闘争ならぬ逃走本能が脳を支配する。今すぐにでもこの場を離れたかったが、会長の存在がそれを許さなかった。

「ほらほら、喧嘩しないで」

 俺のピンチを察した会長が安藤を押さえてくれている。た、助かった。

「か、会長がそう言うなら・・・」

 分かりやすい構図だな、おい。一息ついた安藤が会長に向き直った。

「それで、どこか行くんですか? 駅行くなら方向違いますよね?」

 高校から最寄りの駅に行くのであれば裏門から出て県道を沿って行く必要もなく、正門から出て桜並木道を通り、教習所まで出て線路に沿って坂を上れば良い。

「違うよー? 向こうのショッピングモールだよ?」

会長はそう言いながら、南東の方角を指さした。ここから南東の方角にあるショッピングモールと言ったら一つしかない。

「ああ、最近できたところですよね? 前から興味があったんですけど行ったことないんですよね……」

 安藤はそういうと、物難しい顔をして何か考え込んでしまった。もしかして一緒に行くつもりだろうか。俺は構わないが、会長がどういう度に出るかがわからない。とりあえずそっとしておこう。


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