変わるということ 三題噺(ロータリー、リンゴ飴、水着)
「ああ、やっと停められる」
僕はようやく見つけた駅前ロータリーの駐車スペースに車を止める。回ること二十二分と少し。ここから二つ先の街で夏祭りがあるがゆえに、こんな田舎の駅前でもかなり混雑している。
「わざわざ来てもらってごめんね」
「気にしないで、どうせ仕事の帰りだし」
車を止めて数分、時刻にして十時四十七分、予定通りの時間に彼女は駅から吐き出されてきた。降りる人も多く、古いロボットのような彼女のぎこちない歩きは、僕の胸を不安で締め付ける。人波にもまれながらもなんとか僕の車にたどりついた彼女は、汗ばんだ額を隠すように拭い、助手席に滑り込む。
「浴衣、似合っているね」
「ありがとう。着るのは高校以来だけど、今でも着られてよかった」
はにかむ彼女。素直に綺麗だと思う。こんなことを言ったら怒られるかもしれないが、高校時代に見たときよりも、ずっと綺麗だ。
「今日はどうだった?」
「すごく楽しかった。久しぶりに外で遊んだよ。かおりもゆみも、全然変わってなかった」
「そ、よかった。とりあえず出ようか。いつまでもここにいても、周りの人に迷惑だし」
「そうだね。よろしく」
彼女は玉を転がすように笑う。そんな彼女の笑顔を横目で確認し、僕はゆっくりと車を発進させる。
道中でも彼女ははしゃいでいた。今日の記録を再生するように、彼女は全身を使って楽しさを再現する。出来のいい戯曲を見ているようで、彼女の一日を僕は知ることができた。
「あ、お土産があるんだった」
再生は一時停止、彼女は首から下げたポーチから、ある物を取り出す。よく見知ったそれは、僕の心を躍らせるのに十分なものだった。
「りんご飴?」
「そう、りんご飴」
「懐かしいね、昔よく食べたなあ」
「そうだねえ。小さい頃は半分こで十分だったのに。今じゃこんなに小さく見える」
彼女が取り出した一本のりんご飴。見るのはいつ振りだろうか。セピアの思い出が、色を付けて戻ってくる。
「半分こして食べたっけ。全部食べれるもんっていうくせに、もうお腹いっぱいだからいらないって、残りを僕に押し付けていたような」
「う、それは、ごめん」
山椒のような少しの意地悪に、彼女はりんご飴のように真っ赤になる。
「でも、僕もりんご飴は好きだったし、嬉しかったよ。お土産ありがとう」
「いえいえ。じゃあさ、久しぶりに半分こしない」
「いいけどさ、それ僕へのお土産じゃなかったの?」
「そうだけど、私もあんまりご飯食べてないからお腹減ったんだもん。人が多くて座れなかったし」
彼女は拗ねたように顔を伏せる。こんな所は昔と変わらない。少し可笑しくなった僕は、小さく空気を吐いて笑う。
「いいよ、先食べて。僕は家に着いたら食べるから」
「……うん、ありがとう」
彼女は包装を解き、一口かじる。しゃくり、という懐かしい祭りの音。思い出を咀嚼し、喉の奥に送り込む。
「味、昔と一緒だ」
「そっか」
また一口、しゃくり。今度は屋台の音。
「いいものは、変わらないのかな」
一口、しゃくり。花火の音。
「いいものでも、変わったら悪くなるものもたくさんあるよね」
しゃくり。太鼓の音。
「私、変わっちゃった」
しゃくり。喧騒の音。
「足、片っぽだけになっちゃった」
しゃくり。鉄板の音。
「頑張って昔の浴衣着てはしゃいで」
しゃくり。囃子の音。
「でも、皆憐れむみたいに、貴方は変わらないねって言うんだ」
しゃくり。踊りの音。
「みんな、私のこと、空元気だって思ってる」
しゃくり。涙の音。
「私、どうしたらいいのかな」
ぽたり。涙の音。
車内が無音に支配される。こういうことは、今まで何度かあった。今日こそは変わるんだと言って、おしゃれして街に飛び出して、泣きながら帰ってくる。心ある友達に、心を傷つけられて。
これまで、僕は黙って手を握ることぐらいしかできなかった。ごめんね、また明日から頑張らなきゃと言う彼女を、見守ることしかできなかった。
でも、それじゃダメだ。彼女が変わろうと願うなら、僕も変わらなくてはいけない。それがいいことか悪いことかわからないけれど、前に進めるか後ろに下がってしまうかはわからないけれど、僕たちは一歩を踏み出さなくてはならない。
隣で静かに涙を落とす彼女に、僕は精一杯言葉を紡ぎ出す。
「変わるものでも、いいものはたくさんあるよ」
ぽたり。涙の音。
「でも、変わらないまま悪いものもある」
しゃくり。涙の音。
「君は確かに変わった」
しゃくり。踊りの音。
「多分、一般的には悪い変わり方だと思う」
しゃくり。囃子の音。
「でも君は頑張って外に出ている」
しゃくり。鉄板の音。
「君は変わったけど、もう一度変わろうとしている」
しゃくり。喧騒の音。
「空元気じゃない。君は元気の出し方を忘れているだけだ」
しゃくり。太鼓の音。
「一緒に探そう、君の元気を」
しゃくり。花火の音。
「大丈夫。困難かもしれないけれど、探し続ければきっと見つかる」
しゃくり。屋台の音。
「変わっていこう、僕も一緒だ」
しゃくり。祭りの音。
とぎれとぎれで不格好でも、僕は僕の言葉を伝えられた。彼女がどう受け取るかはわからないけれど、ここから何かが変わっていく。そんな気がした。
そこからは無言。彼女は自宅に着くまで、一言も発さず涙を流していた。しゃくり上げ、鼻をすすりながら。時折、思い出したかのようにりんご飴をかじりながら。
「家、着いたよ」
「うん」
彼女は濡れた頬を隠すように拭う。何度もこすったからだろうか、頬が赤く染まっている。
僕の言葉は届いたのだろうか。僕は心の満ちた不安を隠して、笑顔を彼女に向ける。
「明日、暇?」
雨粒が落ちるように、彼女は呟く。
「うん、昼からなら」
答える僕の声も小さい。狭い車内で、木々のざわめきのような会話は続く。
「買い物、付き合って」
「いいよ。何を買うの」
「んー、と」
彼女も怯えている。自分の選択で、これからの変化の方向が決まるとわかっているのだろう。僕は何も言わず、彼女の視線に視線をぶつける。何度も揺れながらも、彼女は目を閉じ大きく深呼吸をする。
そして目を開き、再び僕に目を合わせる。強い意志を持った視線。唇を震わせながら、彼女は言葉を絞り出す。
「水着」
「水着?」
「そう、水着」
余程の決意を込めていたのか。彼女は強く言い切った後、放心してしまう。立ち上がることなく助手席のシートに体を沈めた。
「なんで、水着?」
「着たいと思える日が、いつか来るから」
そこでやっと僕は彼女の意図を察する。思わず笑みがこぼれた。不器用な彼女は、確かに今、変化への一歩を踏み出している。
「今年は無理。来年も多分無理。再来年も厳しいかもしれない。けど、いつか、水着を着て海に行きたいと思える日が来るから。その為に、新しい水着が欲しいの」
「わかった。明日、買いに行こう」
「うん!」
彼女が笑う。器から水が溢れるように。
「水着が着られるようになったら、あなたに傍にいてほしいな」
「勿論だよ。こちらこそよろしく」
二人の笑い声が合わさり、大きなものとなる。二人の手が合わさり、温かいものとなる。彼女の顔は真っ赤。多分僕の顔も同じ色になっているだろう。それもまた、心地よい変化だった。
「それじゃ、明日。家まで迎えに行くよ」
「ありがとう。また明日ね」
彼女は笑いながら助手席から降りる。そして背筋を真っ直ぐに伸ばし、若干足をかばいながらも堂々と歩く。
そのまま彼女は家に帰るかと思ったが、なぜか運転席側に回った。そして窓をノックし、窓を下げろと要求している。
なんだろうか。彼女は口角を上げ、いたずらっ子のような表情を浮かべている。とりあえず、彼女の指示に従い窓を下げる。
「どうしたの?」
「もうお腹いっぱいだからいらない!あげる!」
僕の手に、彼女は何か棒状のものを握らせた。そして、いたずらっ子の笑顔のまま僕にウインクをして家へと入っていった。
数秒経っただろうか。僕はようやく呆然とした意識を揺り戻し、手渡されたものに注意を向ける。
「これって……」
リンゴを飴でコーティングした棒状のもの。つまり、リンゴ飴。包みを外すと、懐かしい甘い匂いが鼻腔をくすぐる。彼女が全て食べてしまったかと思っていいたけれど、もうひとつ持っていたのか。
明日が楽しみだ、と思いつつ、僕はりんご飴にかぶりつく。
しゃくり、と変化の音が聞こえた。
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