兵士たち
それは本当に異様な光景だった。30匹以上のチンパンジーやアジアの猿が、中国の僧侶の服を着て、しなやかな動きで武術の訓練をしていたからだ。
「これは、曲芸や動物を使った見せ物などではありません。」と、ライナーという男はマスコミ慣れしたような口調で言った。
「軍用犬や軍象などと同じように、実用的な意味を持った兵器として訓練されているのです。」
一番近くの猿がパンチを出す時の「ヒュッ」という音が、それがかなりのスピードに達していることと示していた。
孫悟空、という中国の伝説を元にした映画を思い出した。
いくら見ても、冗談で作られた映像や、変な夢を見ている気分だった。
ピーターは、理由を知るためではなく、意識が正常であり続けるための呪文として「なんで?」と小さく声に出した。
ライナーは前に進み出て、一匹のチンパンジーを「マイケル」と呼んだ。するとマイケルは動きを止めて、拳をもう一方の手で包んで顔の前に掲げる、昔の中国の兵士のような挨拶をしてライナーの前に立った。
ピーターは、本来そうではないもの、元々の姿を離れたものが感じさせる強い違和感を感じ、中国人が真似して作った変なミッキーマウスと、誰もいなくなってマンションのテラスに大きな木が何本も生えたチェルノブイリの光景を同時に思い出した。
「ナイファンチー」とライナーが言うと、猿は手を体の前面で組んで、武術のシークエンス、型を始めた。
パンチやキック、そして大きく姿勢を変えるとき、猿は唇を突き出して遠くの蝋燭の火をを消すように強く息を吐いた。
「このプロジェクトは1984年に始まりました。」と、ライナーはプロジェクトの説明を始めた。猿は舞っている。
「動物学者であり、空手の達人でもあったロシア人、ピョートル・スコロビッチ氏の研究所で起きた偶然の出来事が発端です。」
猿は舞っている。次々に攻撃や防御、移動の動作をしながら。
「一匹のチンパンジーが、スコロビッチ氏の空手の動きを真似し、同種の猿を一撃で倒すまでに上達したのです。」
「彼は気づきました。猿に軍事的な訓練を施し、兵力として使うことができると。」
いつの間にか猿は動きを止め、先ほどの挨拶の姿勢に戻っている。
ライナーは練習に戻るよう促し、マイケルは猿たちの列に再び加わった。
ピーターはまだ判断がつかない。このことを、どんな文脈で、どんな視点で報道すれば良いのか。
ただ、これは不思議で奇妙なだけで、事実だった。
「動物の訓練に武道を取り入れる研究をしている学者がいるらしい」というだけの情報でハワイまで取材に来たピーターは、あまりの異様さにジャーナリストとしての情報収集能力を低下させてしまっていた。
人間が動物のようになったり、動物が人間のようになったりすることを、許せないと感じる感覚があった。たぶん普遍的なものだ。人間が動物のようにむさぼり食べたり、動物がにんげんのような服を来て芸をする分には問題はない。しかし、人間が動物のように思考ができなくなったり、動物が人間のように思考したりするのは許せない。そういうことがあってはならない。ならないはずだ。
動物が、体型的なプログラムである武術を習得するのは?どっちだろう?
わからない。
ライナーは、プログラムの目的や経緯、どんな企業や組織の援助を受けているかまで詳しく話した。そのテーブルにコーヒーとお菓子を持ってきたのも猿だった。猿はコーヒーと紅茶のカードを示し、ピーターに選ぶよう促しさえした。
コーヒーを指してさるがキッチンに去ったとき、ピーターは「あなたは頭がおかしい」そう言ってしまいたい衝動にかられ続けた。
コーヒーは美味しかった。
お菓子も猿が作ったのか聞きたかったがやめた。
ライナーは、奇妙なことをしている割には、とても丁寧で人当たりの良い、そんな人間だった。まともな仕事をしていたら、友人になりたいと思ったかもしれない。
帰りの車の中で、ピーターオフィスの誰もが自分の報告を狂った人を見る顔で聞くだろうと思いうなだれつづけた。