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外の世界  作者:
無限ホール
9/75

狂った世界 (クルッタ セカイ)2


 

 「博士……博士が…」

 「鈴、しっかりするんだ!」

 おびただしい量の血。椅子が乱雑に転がっている。中央にあるのは博士の頭。そこには、身体がなかった。

 目の前で何が繰り広げられているのか理解できているつもりだ。しかし言葉には表せない、胸にのしかかってくる何かがある。息苦しい。近くにいるにもかかわらず、僕を呼ぶクリスの声はあまり聞き取れなかった。

 「はは……。アハハっ」

 これは明らかに自然死なんかじゃない。博士は誰かに殺されたんだ。誰かに殺されて―――。

 「どうかしたの?」

 透き通るような声。僕ははっとして振り返った。そこには玲がいた。彼女は不思議そうに首を傾げていた。

 僕が言葉を発する前にクリスが言った。「博士が何者かに殺されたんだ」

 「ふうん」

 その瞬間、背筋がぞくりとした。彼女は何も分かっていない……。あれだけ博士の事を慕っていたのに。人が死ぬということを―――殺されるという異常性を―――どうして理解できない?!

 僕の知る姉はもういない。彼女レイは僕の姉じゃない。僕の姉さんは―――。




 「リン





 姉さんが僕を呼ぶ。「こんなところにいたのね」

 その頃の僕は博士にちょっかいを出すのが好きで、いたずらをしては博士に怒られるという日々を面白おかしく過ごしていた。

 「こんなところにいたのね」

 「姉さん、静かにしててよ。今、博士とうさんから逃げているんだ」

 すると姉さんは困ったように微笑む。

 「またいたずらしたの? 鈴。それに、前も言ったよね? 私たちは双子なんだから、姉さんって呼ばなくてもいいよって」

 僕たちはお互いを見て、笑い合った。

 「うん。分かってるよ、レイ









 「お父さんっ」

 レイは父の姿を見つけると、一目散に駆けて行った。

 父は小さな町工場で働いていて、そこでは人員が少ないせいか中々休みが取れない。僕らが父と遊べる機会は限りなく少なかった。

 「今日も元気がいいな。レイリン

 父は当時5歳だったレイを抱き上げ―――もちろん、僕もその時5歳だったんだけど―――、楽しそうに笑った。

 レイリン

 普通に書くと、鈴と鈴。……漢字が同じでややこしい。どうして父は同じ漢字にしてしまったんだろう。今でこそ思うが、まあその時は5歳だったしね、あんまり気にしてなかった。

 そしてまもなく父は死んだ。

 過労死だったらしい。僕たちはそう母さんに告げられた。元々身体が弱かった父には不向きな仕事だったのだろう。

 父に懐いていたレイは棺桶の中に眠る父を見て、泣いた。父が小さな白い塊になっても泣き続けた。僕と母にはどうすることもできなかった。

 「レイ」

 僕は彼女の手を握った。

 「父さんは、きっと僕たちのことを見守ってくれているよ」

 彼女にとって、その言葉は残酷なものだったかもしれない。だが、僕は気付かなかった。それでも君は、きょとんとした顔をして困ったように微笑んでくれた。

 「うん」

 僕には君のことが分からなかった。君がとても遠くにいるような気がする。それは、君が人形のようだからなのではなかった。なぜなら、






 僕は父の死を悲しむことができなかった。





 あれほど良くしてもらったと言うのに、その事実を突き付けられてなお、涙の一つも出てこない。

 彼女が人形なのではない。本当に人形だったのは―――。

 博士ハカセと出会った日のことを今でも覚えている。

 あれはまだ僕らが5歳の時だったかな。確証はない。自分が今いくつかなんて覚えてないや。歳なんて、数えるだけ虚しいものだよ。

 子供の言う台詞じゃない、って? でも、僕はそう思っているんだから放っといてよね。

 まあそんなことはとにかく、僕ら姉弟は母に連れられて博士の家に来たんだ―――。









 それは唐突に鳴り響いた。

 「来客か」

 キリエは博士の異様な死を知っているにも関わらず、何事もなかったかのように玄関へと向かった。パニックに陥っていたスズも今は落ち着いている。

 「ねえ、まだ誰か来るの?」

 玲は迷惑そうに顔を顰めた。覚悟していたことだが、どうやら僕たちは彼女から歓迎されていないらしい。メグリヤもそれを感じ取ったようで、僕を見て苦笑していた。

 「きっと、私たちの仲間が来たのよ」

 メグリヤが言う。ちょうどその時、キリエが彼らを連れて戻ってきた。

 「御覧の通り、ちょっとした惨事が起きているのだよ」

 彼女はさも面白くないと言うかのように肩を竦めて見せた。ウィリアムさんは―――さっき来た仲間の一人で、背の高い奴だ―――ざっと食堂を覗くと、吐き捨てるように言った。「他はどうした?」

 「他? 何のことだ」

 キリエが言う。

 「本人を見たわけではないから断定はできないが、あれはきっと博士なんだろうな。だが、頭部しかない。身体はどこに行ってしまったんだ?」

 「さあ、どこにあるんだろうね。実は私たちもさっき博士の死体を発見したばかりなんだ」

 『死体』と言うべきなのか、それとも『頭部』と言うべきなのか。僕は暫しの間考えた。身体がない死体を果たして『死体』と呼んでいいものなのだろうか?

 「ふん。あんたたちも随分と間の悪い時に来たもんだ」

 キリエは突き放すように言った。僕には、「あんたらが来たからこんなことになったんだ」と言っているようにも聞こえた。

 「どうするんだ、クリス?」

 ウィリアムさんが尋ねた。「博士がいなくなってしまったのだから、もうここにいる意味もないんじゃないか?」

 結果、僕たちは何もできていない。博士を訪ねに来たということだけだ。

 「でも、陛下にどう説明すればいいの?」

 メグリヤは泣きそうな顔でウィリアムさんを見た。ウィリアムさんは一拍置いてから、言った。

 「事実を報告すればいい」









 私は秩序を愛す。ただ、それだけだ。

 何だってできる。あの日失ったものを取り戻すためなら、何だって―――。

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