動き始めた時間 (ウゴキハジメタ ジカン)
メグリヤ・メグミは閉じられた扉に顔を向けた。何だか家の中が騒がしい。
「きっと大したことないよ。内輪もめでもしているんじゃない?」
クリスチアナ・ブランフォードは、興味がないと言うかのように左手をひらひら振って言った。そして、にやりと笑う。「部外者が来たせいでね」
彼はこの状況を、どこか楽しんでいるように見えた。
メグリヤは長く彼と一緒に行動しているおかげで、彼があまり自分の感情を表に出さないタイプだと分かるようになった。そんなクリスが今、生き生きとした表情を自分に見せている。一時はどうなるかとハラハラしていたが、この分なら大丈夫そうだ。
「他のみんなはもう来ているの?」
ここで合流しようと言いだしたのはクリスだ。
「いいや。多分、もうすぐ到着するだろうね」
メグリヤたちがこの閉鎖的な家―――豪邸、と言い表した方が正しいのかもしれない―――にやって来たのには理由があった。
この世界は現在二つの国で成り立っている。東にあるのが『光の楽園』。西にあるのが『イハウェル王国』だ。数十年前まではもっとたくさんの国が存在していたのだが、度重なる戦争の結果、この二国以外は滅びたのだ。
「この戦争はもうじき終わる。沢山の犠牲を下敷きにして、どちらか片方の国が生き残る。国が一つになればきっと、絶対王政が始まってしまう」
国を一つにしてはならない。それが彼らの任務内容だった。
クリスは光の楽園の兵士だったが、訳あってイハウェル王国を支援している。肩書きこそ『光の楽園 兵士』だが、本当のところでは『イハウェル王国 兵士』と言ってもいい。
イハウェル王国では数年前に革命が起こり、王が変わった。帝国主義から平和主義へと変わった。クリスたちは平和主義のイハウェル国王からの命で、光の楽園にバレないよう動いているのだ。
「彼女の話を聞いている限り、この家の人たちは西の国が平和主義になったことを知らなかったようだ」
この戦争を止めるには、李博士の協力が必要だった。だから彼らはここに来ている。
光の楽園。僕の母国。だが、僕がこの国にいることは滅多にない。なぜなら、僕は国際スパイだからだ。正式に言えば違うのだけれど、簡単に言ってしまえばそういうことになる。
滅多に帰ることができない母国に、僕は帰って来た。三年間現地で任務を行っていたため、暫く任務は回ってこないだろう。その予想通り、長期休暇を得ることができた。と言っても、実際に休日を満喫できるのは一週間ぐらいだ。残りは大体、この三年間に溜まった雑務をこなすことになる。
正直、故郷へ帰るのは憂鬱だった。『幻想の星空』出身、『過去の荒波』育ち。それが僕だ。
『過去の荒波』は国内で一番貧しい村であり、今はもう滅びてしまった集落―――タタンの国―――の民の多くが生活している。そう言えば聞こえは良いが、悪く言ってしまえば、『過去の荒波』は光の楽園の植民地だ。それと正反対に位置するのが『幻想の星空』。全てが金色に包まれている帝都で、夜には満天の星空が広がり、誰もが住むことが可能なところだ。しかし、あまりにも維持費がかかるので、結果的に金持ちしか住むことができない街。そんなところからやってきた余所者が、『過去の荒波』で歓迎されるはずもない。多分僕は、わずかな休日でさえ、城に残してきた雑務をこなすことになるだろう。
「やあ。久しぶりだね」
同僚のアーサー・ローリングが声をかけてきた。彼は皇帝の王妃―――フローラ―――直属の配下であり、この国の大尉でもある。
「三年ぶりだよ。君は未だに残酷な女神様に忠実なのかい?」
残酷な女神様。それは僕たちが仲間内で呼んでいる、王妃の別称である。
すると、アーサーは苦笑した。
「その言葉、ぼくにも使わせてくれ。君は未だにクリスチャンなのかい?」
僕は肩を竦めてみせた。
「んー、どうだろ。自分ではクリスチャンだとは思ってないけど、案外そうかもしれないね」
先に断っておくが、僕は元々クリスチャンではない。彼らが勝手に思いこんでいるだけで。
「そういえば、チャールズが君を探していたよ」
彼は苦笑を浮かべて言った。その苦笑は、ジョークの類ではなかった。
「ふうん。一体何の用事なんだろうね」
「さあ、そこまでは言っていなかったよ」
アーサーは気の良い奴だ。けれど、あまりにも誠実すぎる。彼は明らかに戦士には不向きだった。その優しさは時として、残酷な結果を導くことさえある。
これはあんまりなバッド・ニュースじゃないか。
チャールズ・コルファー。ややがっしりした体格の持ち主で、彼を言葉で表すとするのなら、傲慢で計算高いというのが一番当てはまるだろう。そして残虐な精神の持ち主でもある。
僕がこの世で一番嫌いな人物。この国の皇太子。