夢の終わり
「アリス様、少し休まれてはいかがでしょうか」
フリードリヒが言った。私は全然疲れていなかったが、彼はゼイゼイと苦しそうに呼吸をしていた。彼が休んだ方が良いのではないかと思った。
「そうね。そうするわ」
フリードリヒが先頭を歩くクリスに声をかけに行った。私は自分の境遇を呪い、深く溜息をつく。
「あなたは何を悩んでいるの」
突然声がかかった。ふと見ると、双子のどちらか―――肩に怪我をしているから、この子は『玲』なのかしら? ―――が私を見上げていた。
「悩んでなんか、いないわよ」
思ってもみないことを私は口にする。正直言えば、悩みまくりなのだが。
玲は無表情のまま「そう」と呟くように言った。彼女はそれで納得したようで、それ以上何も追求してこなかった。これが鈴だったら、きっと誤魔化しきれなかっただろう。何しろ彼らは性格が正反対だから。顔は似ているのに。
「一人で悩むのは良くないわ」
玲が唐突に言った。私はどきりとした。図星だったからだ。
「だから、そんなことないって言っているでしょ?」
「嘘」玲は冷たく言い放った。
――― 前言撤回。鋭いところは玲も鈴も同じだった。
「……確かにそうかもしれないけど。あなたに関係ないでしょ、放っといて」
「それは無理な話ね」
「どうしてよ」
「私たちはあなたを守る義務がある。あなたを完璧に守るには、あなたが悩んでいることを話してくれることが絶対条件なのよ。一人で解決できないことはみんなに相談する、それが一番の解決方法」
何もかも、彼女には見透かされているのだ。私は観念して、事の発端を話し始めた―――。
「アリスさん、ですね?」
私が振り返ると、そこにはスーツ姿の男が五、六人いた。彼らは私を取り囲むようにして立っていた。全員サングラスをかけている。私は訝しげに思いながらも頷いた。
「そうよ」
すると、彼らは納得したようにお互い顔を見合わせて「モデルに興味はありませんか?」と訊いてきた。
「はあ?」
突然のスカウトである。確かに、綺麗だねとか可愛いねとか言われたことはあるけれど……。あまりにも突然すぎやしないか?
彼らは「突然申し訳ございません」と頭を下げ、名刺を出してきた。会社名の欄には、『LEC』と書かれていた。そのような会社を私は聞いたことがなかった。
「お断りするわ」
彼らのうちの一人がロールスロイスの中から真っ黒のケースを取りだして来た。ふたを開ける。中には、信じられないほどの大金が詰め込まれていた。
「これで、引き受けてはもらえませんでしょうか」
どれだけ働いても、一生手にすることのない金額だった。だから私は悪魔の囁きに乗ってしまったのだと思う。
……それから何十年も経った後だ、真の悪夢が待ち受けていたのは。
「申し訳ございませんが、契約時のお金を返していただけませんでしょうか」
再び彼らがやって来た。もちろん私は彼らの要求を拒んだ。話が違う、と。
討論を繰り返した結果、彼らは渋々引き下がった。
「……分かりました。ですが、それならこちらにも考えがあります」
嫌な予感がした。全てを失ってしまいそうな、とてつもなく嫌な予感が……。
―――そして、その予感は見事に当たった。ある日私が帰宅すると、家が燃えていたのだ。
「アリス様っ!!」
フリードリヒは煤だらけの格好で私の方に駆け寄ってきた。持てるだけの荷物を取りに、私の屋敷に戻っていたのだ。
「フリードリヒっ、これは一体どういうことなの?!」
彼は分からないというように首を横に振り、「多分、あ奴らの仕業でございます」と言った。その言葉で思い出したのは、『LEC』という奴らのことだった。
「実はですね、アリス様……。これがポストに入っておりました」
フリードリヒが一枚の紙を渡す。そこにはこう書かれていた。
『親愛なるアリス様。
弊社との契約破棄を心からお悔やみ申し上げます。
誠に勝手ながら邸宅をお邪魔させていただきましたところ、貴殿が契約金の一部
を損失していることが発覚いたしました。残りの一部を回収するべく、お迎えに参
ります。
LEC』
「何よこれ!? ふざけてるわ!!」
私はすぐに通知書を破り捨てた。『損失した』? 馬鹿なことを言わないでちょうだい!!
通知書に書かれていた『損失した金額』とは、実際に損失したのではなく、私が使った分なのだ。
「奴らはすぐに私が残りのお金を持っていないことに気付いたわ。それから私は『LEC』から命を狙われるようになったのよ……」
アリスは目の前にそびえ立つ『LEC』本社ビルを睨んだ。
「私の人生をめちゃくちゃにしたこと、絶対に許さない……!!」