動かない時間(ウゴカナイ ジカン)
『光の楽園』。それが私たちの国だ。
光の楽園という国は傍から見ると、とても裕福そうに見える。帝都『幻想の星空』はどこを見渡しても黄金の建物が立ち並んでいた。これは全て皇帝の趣味だ。黄金が好きな皇帝が国民の税を使い、街を黄金一色にしている。
李博士の邸宅も『幻想の星空』にあるのだ。
この国に愛想を尽かし、様々な国を渡り歩いたが、どこも同じなのかと絶望した。平和主義なんて、とうの昔に終わっている。
医師だった私が李博士と出会ったのはいつの頃だったか。長年続けている研究を手伝ってくれと言われ、彼の邸宅に住みこむことになってから、すでに十年は経っている。その時、私は本当の名を捨てたのだ。
私はあの双子と出会った日のことを、今でも鮮明に覚えている―――。
雨が降っていた。キリエは雨が嫌いだった。だから、その日はとても憂鬱だった。
キリエの両親はもういない。兄弟もいないし親戚もいない。キリエは天涯孤独だった。『家族』という言葉を見ると、幸せそうな家族を見ると、羨ましくてどうしようもなかった。その気持ちは次第に形を変え、キリエを苦しめることになった。
当時、キリエは李博士に子供がいることを知らなかった。だから彼らを見た時、彼女はこう思ったのだ。「全てを滅ぼしてしまいたい」と。
その時のキリエにとって家族というものは、存在そのものが自らに苦痛を与えるものになっていた。彼らの幸せを願うどころか、呪いさえした。
だが、キリエは彼女の言葉を今でも覚えている。
「あなたを苦しめるのは、あなた自身なのよ」
自分を見上げる幼い子供。たかが子供、と侮っていた。
キリエは彼の言葉を今でも覚えている。
「君は、笑うことを忘れているんだね」
玄関のチャイムが鳴った。珍しいことだ。
来訪があるのは分かったが、だからと言って何をするわけでもない。博士か、もしくはキリエさんが何とかしてくれるだろう。
外の世界にまったく憧れていないのかと言われれば、嘘になる。しかしだからと言って、玲のようにたえず窓の傍にいるということもない。大体、外の人間に接触することは博士が許してくれないし。
その時、キリエさんの怒鳴り声が聞こえた。
「ここにはお前らを泊める場所なんてない!! さっさと帰れ!」
僕は少なからず驚いた。彼女が声を張り上げるところなんて、見たことないからだ。予想外な展開に、興味が湧いてきた。
後から博士に怒られるだろうな。……そう思いつつ、僕はこっそりと現場を覗きに行った。
不意の来客は二人。片方は男で、もう片方は女だ。
女は怯えて男の背に隠れ、涙さえ浮かべていたが、男はキリエさんの迫力に気圧されることなく飄々としていた。
……遠くて聞こえなかったけど、何らかの形で丸く収まったらしい。キリエさんは納得のいかない表情をしていたが。
「私の一存では決めれない。博士に了承を得ないと」
そして、こちらを見て言った。
「鈴、そこにいるんだろう? 客人を応接間に案内しなさい」
バレていた……。っていうか、この家に応接間なんてものが存在しているなんて知らなかった。
「い、いつ僕がいるって分かったの?」
「始めからだ」
まったく、キリエさんには敵わない。っていうか、この家に応接間なんてものが存在しているなんて知らなかった……。
「でも、いいの? 博士が怒るよ」
「構わない。それとも、お前が博士に了承を得に行くか?」
いいよ、こいつらを案内するよ。博士と顔を合わせるよりマシだ。
僕が承諾したことが分かったのか、キリエさんは軽く頷いて博士のところへと向かった。
「ち、ちっちゃい……。可愛いっ!」
失礼な女だ。
「メグリヤ、それは彼に失礼だよ。それにしても仕事で来たからとは言え、やっぱりここはあまり好きになれないなぁ」
あんたも十分、失礼だ。
「そんなこと言っちゃ駄目よ、クリス。そうだ、あなたの名前は何ていうの?」
メグリヤと呼ばれた女はやや首を傾げて尋ねてきた。
「リン」
早く応接間につかないだろうか。
「『リン』? でも、彼女―――キリエさん、だっけ?―――は君のことを『スズ』と呼んでいたよね」
今度はクリスという男が訊いてくる。……ああ、鬱陶しい。
「『鈴』はニックネームだよ。本当の名前は『鈴』」
「そういえば、さっき博士がどうとか言っていたけど……。いいの?」
「そう思うなら、ここに来ないでよね。迷惑するのは僕らなんだから」
「ははっ、可愛げのない子供だな」
「あのさぁ、僕を子供扱いしないでくれる?」
「ごめんごめん。気をつけるよ」
クリスは快活に笑って言った。