無限ホール(ムゲン hole)
「メグリヤっ!!」
真っ先に動いたのはクリスだった。
彼らは何とかメグリヤの死体を引き下ろすと、礼拝堂の床へそっと寝かせた。
大抵の死体は恐ろしい形相をしているが、彼女はまるで眠っているかのように安らかな表情をしていた。
「どうしてこんなことになるんだ!! 僕たちが何をしたって言うんだ?!」
クリスは喚いた。その様子は、半狂乱に近かった。彼がこんなに取り乱した姿を、ライトたちは見たことがなかった。
「落ち着くんだ」ウィリアムがクリスの肩をたたく。
「ですがっ!」
クリスはキッとウィリアムを睨む。ウィリアムはコーヒーを片手に、静かにこう言った。
「博士が亡くなった時、お前が鈴に言った言葉だ」
クリスははっとして口をつぐんだ。
「………すみません」
「構わない。仲間が殺されたんだ、取り乱しても仕方がないだろう」
あの、とアレンはおずおず話を切り出した。「クリスさんとメグリヤさんは、恋人同士だったんですよね」
クリスは自傷気味に笑った。「そうだよ。隠していたつもりだったんだけどね」
「フン。先ほどのお前の様子を見れば誰にだって分かることだ」
ライトはどうでもいい、というように肩を竦めた。
「今の心境は?」
「彼女を殺した奴をぶっ殺してやりたいよ」
クリスは暗く瞳を輝かせた。
「まるで昔のお前を見ているようだな」ウィリアムは苦笑する。
それから三日過ぎた。現状は何も変わらない。変わったことがあるとするならば、それは死体が増えたということだ。
ウィリアムさんが死んだ。もちろん自然死なんかじゃない。肋骨を全て折られ、手足はありえない方向へと曲がっていた。彼は明らかに殺されていた。
もう一つは、メグリヤとウィリアムさんが殺されたということに怯えたアレンが部屋から出てこなくなったことだ。アレンは少なからず彼女に好意を持っていたし、ウィリアムさんを尊敬していた。その二人が殺されたという事実は彼にとって相当大きなショックだったに違いない。
「お前は案外平気なんだな」
ライトが僕に言った。
「平気なわけないじゃないか。いつ殺されるかも分からないんだからさ」
「彼らの遺体はどこに?」
「礼拝堂だ。あんな死に方をしたら、彼らも報われない。せめて天国では幸せになってほしいよ」
「意外だな」
ライトは特に声のトーンを変えることもなく言った。
「え?」
「お前は、自分以外の全てを信じていない奴なんだと思っていたが」
「まさか。僕だって、信じたいものはあるよ」
僕たちは笑った。久しぶりに心の底から笑った気がする。ところで、とライトは言った。
「あの双子は今どこに?」
「ああ、あの子たちか。あの子たちは今寝ているよ。疲れたんだろう」
「なあ、クリス」
ライトは僕の視線をしっかりと捉えた。これがジョークなどではなく、真剣な話であることは言われなくても分かる。
「何だ?」
「おかしいと思わないか」
「何が」
僕はあえてとぼけて見せた。
「あいつ―――アレン―――は殺人犯じゃない。あの怯え様を見れば明らかだ。―――もしも、だ。仮に私とお前が犯人ではないのなら、この事件を起こした犯人は一体誰だ?」
「……消去法でいくなら、玲か鈴だね」
「そうだな。だが、彼らはまだ未熟な子供だ。博士やキリエには油断があったから仕方がないとしても、ウィリアムは鍛え上げられた戦士だぞ? 何の訓練もしていない非力な子供が奴を殺せるとは思えん」
ライトの言うことは的を得ていた。あの双子のどちらかが犯人だったとしても、それならどうやって殺すことができた?
「睡眠薬―――は、考えられないかな?」
「睡眠薬?」
「ああ。ウィリアムさんは死ぬ前にコーヒーを飲んでいた。もしその中に睡眠薬が混入されていたとしたら、いくら彼でも無防備になるしかない」
「しかし……。骨を折られたら、いくらなんでも目が覚めるだろ」
「そうだったね。悪い、今の話は忘れてくれ」
「―――とにかく、単独行動は危険だ。どうにかしてアレンを説得し、みんなで行動するんだ」
その頃。
「死体が消えた?」
アレンは怪訝そうに眉を顰めた。
玲は頷き、「メグリヤさんの死体が消えたの」と言った。
「とにかく、来てくれる?」
「私をどこに連れて行くつもりだ、鈴?」
ライトは隣を歩く鈴に尋ねた。少し目線を下げなければ、鈴を見ることができない。
「応接間。よく考えたら、君たちに何のおもてなしもしていなかったんだよね」
博士がいなくなってた今は、もう必要ないかもしれないけれど。鈴はそう付け足した。
「実は、この事件を起こした犯人が分かったんだ」
「何っ?! おい、一体そいつは誰だ?!」
彼女は鈴の胸倉を掴む。切羽詰まっていた。狂気が満ちているこの屋敷からさっさと立ち去りたいのだ。
「苦しい」
ライトははっとして手を放した。「すまない」
「気にしていないから大丈夫。真相は、応接間に着いたら教えてあげる。みんなが揃っていないと披露のし甲斐がないでしょう?」
それから沈黙が続いた。階段を登る。窓は全て閉め切られていた。換気がされていないためか、蒸し暑い。鈴は応接間の両開きの扉をゆっくりと開いた。
「これは……!!」
ライトは眼下に広がる光景に、声が出なかった。
「アレンっ、クリス!!」
二人は中央で蹲っていた。おびただしい量の血が彼らを中心に広がっている。ライトは彼らの元へ駆け寄った。
「しっかりしろ、アレン! クリス!!」
「………ライト?」
クリスだ。彼の額からは血が伝っていた。
「クリス!! 一体何があった?!」
「ははっ、不覚だったよ……。まさか本当に襲われるなんてね……」
「動けるか?」
クリスは首を横に振った。
「無理だよ、足の骨が折られている。―――そうだ、アレンは?」
「死んでいる」
ライトは悔しさを噛み殺すように、声を押し殺して言った。応接間の床をレッドカーペットのような赤に変えたのは、アレンの血だったのだ。
「そうか……。―――ライトっ、危ない!!」
クリスが叫んだ。鈴が彼女の背後から斧を振り上げてきたのだ。ライトはそれに反応する間も与えられず、あっけなく殺された。どさりと倒れた彼女の身体には、首から上がなかった。
切り落とされた彼女の頭部は血をばら撒きながら鈴の足元へと転がる。
「やっぱり、『君たち』が犯人だったんだね……」
クリスは朦朧とする意識の中、呟くように言った―――。
僕たちは救われない。仮にここから出たとしても、きっと僕らに未来はない。
私たちは救われるの。外に出ることができたなら、きっと私たちは救われた。
外に出ても、いいことなんてないよ。
出てみなければ分からないじゃない。
僕(私)たちは永遠に抜けられない。
誰か助けてください。どうか、ここから僕たちを助けてください。
抜けられない、出ることができない、この
狂気から。