狂った世界(クルッタ セカイ)6
「博士」
博士は自分を呼ぶ声を聞いた気がして振り返った。しかし、そこには誰もいない。
「こっちですよ、博士」
はっと気づくと、自分の背後に鈴がいる。
鈴はにこっと笑って言った。目が笑っていない。「実は、博士に用があって」
「用?」
「ええ。とっても大事な用事です」
鈴はそう言うと、先を歩いて行ってしまう。自然と、博士は彼を追いかけることになってしまった。彼は一体どこに行こうと、そして自分に何の用があるのだろうと博士は思った。彼が自分に声をかけたのは初めてなのだ。
「どこに行くつもりだ?」
すると、鈴はアハハっと乾いた笑い声を上げた。
「さあ、どこでしょうね」
「ふざけるのは大概にしろ。私には暇がないんだ」
「暇? 暇がないのはボクも同じです。ボクには時間がない」
「何を言っているんだ。お前にとって時間は有り余るほどあるだろう」
「いいえ、無いんですよ。―――あ、到着しました」
そこは食堂だった。三日月が室内を照らす。
なぜここに来なければならないのか分からない博士を置いて、鈴は食堂の窓を開け始めた。室内の淀んだ空気が一掃される。
「博士」
鈴が再び呼んだ。
「ここで、死んでください」
僕は博士の首を目掛けてナイフを突き立てた。だが、博士が腕で庇ったせいでとどめを刺すことはできなかった。博士はがくっと膝をつく。
「何のつもりだ」
博士はギョロリと僕を睨んだ。
「なぜこんなことをした。こんなもので私を殺せると思ったのか?」
「思いましたね」
「お前の目的は何だ?」
「目的?」
一瞬、博士の言う言葉の意味が解らなかった。目的? そんなことに拘ってどうするんだ。所詮、博士も人間ダネ。
「殺したかったから」
僕ハ悩ンダ挙句、思ッタコトヲ言ッタ。
「生きているから殺す。そこにいるから殺す。それじゃ駄目? それとも、小説に出てくる殺人犯みたいな言い訳をした方がいい? 誰かを助けてあげたいだとか、他に手は無かっただとか……。そういう理由らしい理由って、必要なのかな」
「どうだろうな」
「……強がるフリはやめた方が身のためだよ」
そう言って、僕は博士の足にナイフを突き立てる。博士は苦悶の表情を浮かべた。僕は当たり前な疑問を口にする。
「どうして逃げないの?」
怪我をしたのは腕なんだから、逃げることは可能だったはずだ。
「答えてよ、博士」
博士の身体は真っ赤に染まっていく。床にだらだらと赤いものが流れていく。それでも博士は助けを呼ぼうとはしなかった。
「僕は虐めるの、好きじゃないんだよね」
ナイフで同じ箇所を再び刺す。刺して、抜いて、刺して、抜いて。僕はそれを繰り返した。その時、何かが切れるような変な音がした。博士は絶叫する。アキレス腱が切れたらしい。ついに博士は、本当に逃げることができなくなった。
博士は止めてくれと懇願した。僕はそれでも止めなかった。頼み事なんて、彼らしくもない。
「アハハッ、無様ダネ」
人間ハ簡単ニ壊レテシマウンダカラ。
「ドウシテ逃ゲナカッタノ?」
動かなくなった博士に僕ハ尋ネタ。