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胸が、痛い

「──あいつが神隠しに遭わせろと?」



男──福田左門の屋敷に招じ入れられ、新之助は事の次第を話した。



「ああ、あんたが以前俺に依頼したようにね。奥方様は自分を消せと言ってきたんですよ──ただし5日の期限つきだが」



じっと考え込む素振りを見せた男に、新之助は続ける。



「亭主の意を汲んで自ら姿を消そうってんですかね」


「そのような殊勝な女に見えるか?」



いいや、ちらりとも。肩をすくめてみせると、男は手を叩き女中を呼びつけた。



「りくはおるか」


「奥方様は本日、ご実家においでになりまして、まだお戻りではありません。ひょっとしてお泊まりであろうかと、先ほど問い合わせに行かせたところでございます」



りく、というのが女の名前なのだろう。すると、廊下をバタバタと走る音が近づいてきた。



「旦那様、失礼いたします、旦那様!」



新之助からすると背中側にあたる廊下に、男が膝をついたのがわかった。



「松田か。何事じゃ」


「は、ただいま奥方様のご実家に参ったのでございますが、本日はおいでになっていないとの由」


「ほう」


「利吉が供をしておったのですが、奴の行方も知れません。何事かに巻き込まれたのではないかと…役人を呼びに参るお許しをくださりませ」



新之助の目に、左門がニヤリと口の端を上げたのが見えた。



「いや待て。今夜ひと晩は様子を見よう。届けを出すのは明日でよい」


「そのような悠長を──む! おぬし…!」



松田と呼ばれた男が新之助に気づき、声を挙げる。振り向くと、それは先ほどみつを連れて来た男だった。おそらく、新之助を背後から襲ったのも。飛びかかりたくなるのを、拳をグッと握ってこらえる。



「儂の客人になんぞあるか」


「は? あ、いえ…」



動揺する男に、左門は面倒そうにひらひらと手を振る。



「とにかく、今夜は下がれ。明日の夕方まで待っても戻らなければ、探索の願いを出そうぞ。どこぞで男と逢い引きでもしておるのなら、騒ぎ立てては帰りづらくなるであろうからの」


「な、何をおっしゃいます。奥方様に限ってそのような──」


「聞こえなんだか? 下がれ」



ピシャリと言われ、男は渋々と去っていく。そして。



「どうやらおぬしの言ったことは正しいようだ。さて、どうしたものかの」


「行方知れずになったと知れば、あなたが喜んで届けを出すと奥方は踏んだのでしょうが」


「おぬしの話を聞く前ならそうしたであろうな。しかしおそらく……“奥方行方知れず”を公にしたときが、奴らが動き出す機なのであろう」



左門はしばし考え込むと、何かに思い至ったようにニヤリとした。立ち上がり、新之助に告げる。



「明日の夜、また来い。おぬしの知りたい答えがわかるだろうよ」


「どういうことだ?」


「あやつの企み、読めた」


「!そいつは……」



とにかく明日だ、と追い払われ、新之助は仕方なくたけやに戻る。みつを思えばできるだけ早く片を付けたかったが、しかし、中途半端なことをしては片付くものも片付かない。みつに危害は加えられないだろう、という竹次の読みを信じるしかない。



……今夜、みつは大丈夫だろうか。今ごろ泣いてやしないだろうか。



新之助の胸は、たまらなく痛む。



=====


みつが連れて行かれたのは、一軒の民家だった。一緒にいたのは、新之助を訪ねてきた“百合の花”と、初めて見る若い男。夜なのに町は明るく、見たことのない景観に、みつはキョロキョロとしてしまう。



みつは当然、そこが150年後の江戸だということは知らなかった。みつだけではない。企てた張本人──福田左門の妻・りくもまた、ただ異世界としか知らなかったため、少なからず動揺をしていた。もちろん、おくびにも出しはしなかったが。



みつは、しかし怖い、とは思わなかった。若い男がそっと「無事にお返ししますから」と囁いてくれたし、家主の老夫婦はとてもいい人たちだった。男との再会を喜び、みつたちを「姉と妹」だとした見え透いた説明も、疑わないほどに。



用意された布団に寝転がり、天井をじっと見る。みつが気になっているのはそこではなかった。



──初めてではない、と、思う。ひずみに落ちる瞬間の、あのぐらりと来る感じを、遥か昔に経験したことがあるような気がする。けれどそこでたどり着いた先はまったく記憶になくて。



(ここは、どこなんだろう)



前にも来たことがあるのだろうか。思い出せない。ただ──いつか迷子になったことは覚えていて。お父っつぁんがひどく心配していて、そして──。



目を閉じる。



お父っつぁんは心配してやしないかしら。

新さんは、怒ってやしないかしら。

よくわからないけれど、あたしはきっと騙されていて、それで新さんのジャマをして、あんな目に遭わせて。馬鹿だ、あたし。怒ってるかしら、新さん……愛想尽かされたかしら。



胸が、ギュッと痛い。



=====

翌日。夜まで何もせずにいられなかった新之助は、勘右衛門を訪ねていた。左門とのやりとりを説明する。もちろん、みつのことは伏せたままだ。時のひずみのことは、最後まで明かさずにいたい。



話を聞いた勘右衛門は、自分も福田の屋敷に出向くと言ってくれた。福田家から、内儀の行方知れずの届けを受け取り次第、駆けつけてくれるという。



何が起きるかはわからない。しかし、何かあったときには自分の身を守らねば。新之助の他に、みつを迎えに行ってやれる者はいないのだ。



そして、夕方になっても戻らぬ妻を、ついに左門は役人に届け出た。探索が始まる。しかし夜通し待機するわけではない。夜更けには灯りが消え、屋敷の主人は寝静まった。



カタリ、と、よほど耳を澄まさなければ聞こえないほどの音がして、天井裏から人影が降りる。左門の寝ている布団に近づき、胸のあたりをしのばせていた凶器でひと息に突く──が。



「──!」



想像していたのとは違う感触に、布団をめくる。そこにいるのが布切れを丸めた人形だと気づく寸前、背後からピタリと刃物を当てられた。



「動くな」



同時に部屋の戸がスパンと開き、勘右衛門が手下を従えて新之助と共に乗り込む。侵入者に刀を突きつけていたのは、屋敷の主・左門だ。



「誰の指図だ?」


「……」


「まあ聞かずともわかるが」



刀が背から首筋に移る。



「…雇われだ。首謀者は知らぬ」



フン、と鼻で笑うと、刀はそのままに、今度は勘右衛門に声をかけた。



「あとは預ける。調べれば必ずりくにつながるはずだ。直接の指図は松田であろう」



勘右衛門は侵入者を引き取り、縄をかける。それを引っ立てながら、



「念のため、数名を残して置きます。ご用心を」


「あの女にしては考えたが、所詮、浅知恵だ。何重にもは仕掛けておるまい」



勘右衛門を見送り、新之助は改めて左門に問う。



「つまり──奥方のねらいはアンタの命だったと?」



フン、と再び嘲笑をもらす。



「夫が殺されようと、神隠しの最中では疑いはかからぬからな。そのために己の身を隠したのであろうよ。数日後に記憶でも無くして戻れば、悲劇の妻の出来上がりというわけだ」


「冗談じゃねえ。やっぱりただの悪質な夫婦げんかじゃねえか。そんなもんに他人巻き込みやがって」



女の企みが潰れたのであれば、迷うことはない。すぐにみつを迎えに行かねば。しかし、踵を返した新之助を左門は呼び止めた。



「まあ待て。どこへ行く?」


「聞くまでもねえ。迎えに行くんだよ。アンタの嫁が俺の妹分を無理やり連れてったんだ」



ふり返りもせず吐き捨てる新之助の背中に、一筋の違和感。……?



ゆっくりふり向くと、薄い笑みを浮かべた左門が刀を掲げていて。その刃には、赤い血。



「行かせぬわ。どこに隠したか知らぬが、このままあの女を戻すでない」



刀が振り下ろされる。咄嗟にかわす。



「…ッ!」



無理な体勢を取った瞬間、背中に激痛が走り、斬られたのだと気づく。左門の攻撃は容赦なく続き、新之助は外へ飛び出す。傷をかばう余裕はなかった。



今倒れるわけにはいかない──ただその一心で裏口から逃げ出すと、勘右衛門が見張りにと残していった手下がギョッとして近寄ってくる。



「おい、あんた…!」


「勘さんに、引田様に伝えてくれ。左門に斬られた。俺はあの女のところへ行く」



返事も聞かずに駆け出し、じゃまをされないところまで行くと、荒い息を整える間もなく、手をかざし、ひずみを作った。



みつのところへ!

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