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きみのところへ

新之助が子どもの頃に通っていた道場で、当時子どもたちに剣術を指導していたのが竹次だった。



新之助が8歳のときのこと。その日、他の生徒たちは皆帰宅したあとで、たまたま道場には新之助と竹次の二人きりだった。



「先生、お願いします!」


「お前もしぶといな。じゃあこれで最後だぞ」


「はい!」



打っても打っても何度となく立ち向かってくる。そんな新之助の根性が気に入ったのが半分、幼さゆえの無鉄砲をやりこめたい気持ちが半分。竹次は最後のひと太刀をいささか強めに打った。



交わしきれず吹き飛ばされた新之助が、倒れる寸前に後ろ手に手をつこうとし、



(受け身をもう一度指導しなきゃならねえな)



そう竹次が思った瞬間。



「な……!?」



新之助の体が、地面にスッと消えて行った。



「こいつぁ、一体……」



呆然とその場に固まる。数秒、数分経った頃だろうか。



「先生…」



後ろから呼びかけられ、ギョッとして振り向くと、



「新坊…」



新之助が立っていた。



「お前、一体何をしたんだ? いま何があった」


「先生ごめんなさい…」



親にも言ったことがない。誰にも言えず今までずっと隠してきたのだと、新之助は泣きながら話し始めた。



いつからかわからない。



手をかざすと、壁に床に穴が開き、見知らぬ場所に落ちてしまうようになった。自分の意志で開けたことはない。転んだときや高い所から落ちたとき、今のようにとっさに受け身を取った瞬間に、開く。



「どこに…その穴をくぐってどこに行くって?」


「わかりません。怖くて、いつもすぐに戻ってくるんです。帰りたい!って思って穴を開けると、ちゃんと帰って来られるんですけど、いっつも、今度こそ帰れなかったらどうしようって怖くて怖くて」



泣きじゃくり出した新之助を抱きしめ、なだめるように背中を叩く。竹次のその手も震えていた。



「その場所ってのは…一体どんなところだ。地獄か?」



ふるふると首をふる。



「人が住んでおります。顔立ちも言葉も文字も、私たちと変わりありません。けれど身なりがまったく違います。建物も、町並みも」


「俺はてっきりお前が神隠しにでも遭ったものかと思ったが…そいつは神隠しに遭った者が行く先、ってわけか。いや、しかし…」



つぶやきは、最後はひとりごとになる。



「先生、私はどうすればよいのでしょうか?」


「俺にもよくわからねえが…手、だな? 手をつくと穴が開いちまうんだな?」



泣きながら頷く。竹次は腰をかがめ、新之助と目線を合わせて言い聞かせた。



「なら俺が受け身を教えてやる。その力は今後一切封印することだ。これからは、どうすっ転んでも決して手をつくんじゃねえぞ、いいな?」



はい、と涙声で新之助が応じ、この日の出来事は二人だけの秘密となった。



二人はまだ知らなかった。その穴の行く先の正体を。それが、時空を超えた未来の日本だということを。




=====

時のひずみ、というものがある。



それは何かの弾みで生まれ、また消えてゆく。ひずみにうっかり落ちてしまうと、その場から忽然と姿が消え、「神隠しに遭った」などと言われることになる。



一方で、自らの意志でひずみを作り出せる能力者というものもいて──新之助がそれだった。もちろん自覚はない。偶発的に起きる現象だと思っていた。ひずみをくぐった先がどこなのかもわからない。まさか、そのひずみが時を超えるものだなんて、到底思いもしなかった。



ただ怖くて、誰にも言えなくて。だから竹次がひとつの策を示してくれたことは、それだけで光明だった。



それからの新之助は、竹次の言いつけを守り、つまずいても転んでも決して手を突かなかった。奇妙な現象はパッタリ止んだ。その後、竹次が女房の実家の料理屋を継ぐために道場を辞めていき、新之助の中でその記憶はどんどんと薄れていった。



まるで、あんな出来事などなかったかのように。



=====

「新…! 頼む、助けてくれ」


「先生!」



竹次が道場を辞めてから5年が経っていた。久しぶりに会ったその姿は、髪を振り乱し、汗だくで。



「先生、どうされたんですか」


「みつが…娘が、神隠しにあった」


「なんですって!?」



2年前の竹次の女房の野辺送りで見たのが最後だが、あのとき三つだと言っていたから、今は五つになるはずだった。



「頼む…お前にしか頼れねえ。お前のあの力を貸してくれ。封印しろと言ったのは俺なのに、すまねえが、だが、みつを…あいつまでいなくなっちまったら俺ぁ…」



こんなに取り乱した竹次を見るのは初めてだった。是非もない。もちろん協力を惜しむつもりはなかったが。



「先生、もちろん私も一緒に探します。けれどあの力を、とは、どういうことですか」



「単純に迷子になったってわけじゃねえ、みつは俺が見てる目の前でスッと姿を消したんだ。いつか新坊が道場で見せたのと同じだったんだよ。お前は戻って来れたろう? だからみつを、連れ戻してくれ。お前しかいねえんだ」



膝をつき、両手をあわせて拝むようにされる。かつての師匠を見下ろすわけには行かず、新之助も慌てて膝をついた。



「先生、あの現象はあれ以来一度も起きていません。もとより自分の意志で起こしたことなどないのです」



承知の上だ、となおも頭を下げ続ける竹次の姿に、ともかくやれるだけのことはやらねばと、新之助は立ち上がった。人気のないのを確かめ、手近な壁に向かう。



…どうすればいいのだろう。あの奇妙な現象が起きるのはいつも、身を守ろうと咄嗟に手を突いたときで。勢いよく突けばよいのだろうか。塀の上からでも落ちてみるか──。



壁に向かい考え込む新之助の背中に、竹次が声をかけた。



「新坊、こっちから行くのは偶然だったとしても、帰ってくるときは自分の意志だったんだろう?」



ハッとした。そうだ。いつもどうしていた? ただひたすら帰りたい、帰りたい、と家を念じて夢中で手を突いていた。ではどうすれば? 記憶にうっすら残るあちらを念じてみればよいだろうか。いや、それよりも──。



新之助は竹次を振り向いた。



「先生、やってみます」



再び壁に向き合い、両手をかざす。目をつぶり、一心に念じた。



(おみっちゃんのところへ!)



タン! と壁を突く。その手応えは一瞬で消え、そっと目を開けると、そこには大きな穴が──壁に開いていたわけではない。その手前、空間にぽっかりと、穴が大きく開いていた。



「せ、先生…!」



動けぬまま竹次を呼ぶと、すぐに駆け寄ってきた。



「新、お前を危険な目に遭わせて申し訳ねえが、みつを見つけたら戻ってこなきゃならねえ。一緒に来てくれるか」



は、はい! と答える声は、少し上擦っていたかもしれない。しかしただただ怖がっていたあの頃よりも、5年分大人になっていた。今は恐怖よりも、みつを探さねばという気持ちのほうが強い。緊張はしていたけれども──はぐれないよう互いの腕をつかみ合って、二人はひずみをくぐった。



=====

たどり着いた場所は公園だった。もちろん二人にはそんな呼び名はわからなかったが。



木々があり、椅子があり、地面は見慣れぬ石のようなもので覆われて平らになっているが、植え込みの奥は土が見えている。日が傾き始めたこの時間、公園内を歩く人は多くない。竹次にはそれほどの違和感が感じられなかった。



「みつ! どこにいんだ!」


「おみっちゃーん!」



広い公園内を二人で探し回る。ときおりすれ違う人がその姿を見るや、ギョッとして小走りに去って行く。さすがに竹次も、何度目かでそれらの視線に気づいた。



いつか新之助が言っていた。こちらの人々は見た目も言葉も我々と同じ。ただ身なりが違う、と。確かに皆、見慣れない格好をしている。



「先生?」


「いや…」



立ち止まった竹次を新之助がふり返る。そのとき、薄暗くなり始めた公園内の街灯が灯った。その明るさに竹次はギョッとする。今までみつを探すのに夢中だったが、確かにここは江戸とは違う。一体ここは──。



「お前さんたち」



ハッと二人がふり返ると、植え込みの奥から初老の男性が出てきた。薄汚れた服を重ね着し、髪もヒゲも伸び放題。しかしそんな人は江戸の町にもいる。二人にとっては却って違和感が小さかった。



「ひょっとして女の子を探しているのか」


「みつを…娘を知っているのか!?」



血相を変えて詰め寄る竹次に、男性は、みつ、とつぶやいた。



「たけや、みつ、五歳。迷子札にはそうあった」


「間違いねえ、うちの娘です!」


「……」



男性は一瞬何かを言いたげな様子を見せたが、ついてきな、と二人に顎をしゃくってみせた。



=====

二人が連れて行かれたのは、公園の片隅。段ボールが並ぶ一角に、男性は案内した。シートに覆われた中を覗くと、薄い布団の上でみつがすやすやと寝息を立てている。



「みつ…!」



駆け寄って胸に抱き上げる。竹次の男泣きに、新之助もまた目を赤くした。



「ありがとうございます。ありがとうございます!」



何度も頭を下げる竹次をおさめ、それよりも、と男性は考える様子を見せた。



「お前さんたちは、江戸から来たんだよな?」



新之助がハッとする。



「何か、何かご存じなんですね!? 教えてください、ここは一体どこなんですか!」



しかし、それには男性のほうが驚いた。



「それも知らないで来てるってのか。しかしあんたたちは…いや、このお嬢ちゃんのように江戸から迷い込んで来た奴らは時々見かけるんだよ。だがあんたたちのように、それを迎えに来た奴ってのぁ初めてだ。迎えに来たってことはあっちに帰れるってことだろう。あんたたちは好き勝手に行き来できるのか?」



そこまで一気に話してから、いや、と男性は新之助の返答を遮る仕草を見せた。



「互いに質問しあってたらキリがねえな。いいだろう、まずは俺の知ってることを話そうじゃないか」

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