その判断が甘くとも
みつに見送られ、男──新之助は、ある場所を目指し歩いていた。ゆるんでいた頬を引き締める。
人目につかない場所で、落ち着きなく佇んでいる侍を見つけ、声をかけた。
「八の紹介ってのはお前様かい?」
「お、おぬしは?」
「たけやの出前さ。裏のまかない品を届けに来た」
「信用できるのだろうな?」
「そいつぁ信じてもらうしかないが…人に知られたくないのはお互い様だ。少なくとも口の堅さは安心してくれ」
しからば、と意を決したように侍は口を開いた。
「女をひとり探してもらいたい」
「女、を?」
「三日ほど前に姿を消した」
「ひととおりの探索はされたんですか」
「内々にはしたが見つからぬ。表には出せぬ者ゆえ、届け出るわけにもまいらん」
「なるほど…」
つまりは囲い者、妻には知られたくない女なのだろう。新之助は袖の中で腕を組んだ。
「…ひとつ確認しますが、その者が自らの意志で身を隠しているという可能性は?」
「ない」
「ほう?」
「あやつは、儂の目の前で姿を消したのじゃ」
「目の前で?」
侍は、うむ、と頷くと、そのときを思い出すかのように目を細めた。
「女の家を訪ねた日のことじゃ。酒のお代わりを持ってくると言って立ち上がった女が、敷居でつまずいた。アッという声がして振り返ると──もうそこには誰もおらなんだ」
「……神隠し、というわけですか」
「神隠しに遭ったものを何人も連れ戻した者がいる、と聞いてたけやに行ったのだ。おぬし、確かに探し出せるのであろうな」
「何人かは確かに連れ戻しましたがね」
新之助は懐から二枚の紙を取り出した。一枚を侍に示し、読み上げる。
「お代は成功報酬。五日で見つからなければお代は不要だし、探索も打ち切る。その他諸々ご納得いただけたならこちらにお名前を。こちらの紙には、お探しする方の人相風体をできるだけ詳しく記してください」
てきぱきと慣れた様子に圧倒されながらも、侍が紙を受け取る。ああそうだ、と新之助は付け足した。
「私のことは他言無用に願いますよ。それが条件です」
=====
──そして夜。
客足の途絶えた夜更けのたけやに、新之助の姿があった。
「それで?」
首尾を問う竹次に新之助が応じる。
「無事解決。あちらに着くなりすぐに見つかったよ。いつもの通り爺さんが保護してくれてた」
「本人は?」
「…かなり取り乱していた。無理もねえがな、忘れたがってるようだったから、あちらのことをペラペラと言いふらす心配はなさそうだ」
「そうか」
「それよりこっちは? 変わりなかったか?」
何も、と言いかけて、竹次は口に運びかけた酒を止める。
「そういや、おみつが」
「何かあったのか!」
「お前が帰って来ねえって心配してたぞ。すっかり大人しくなっちまって。いやおかげさんで今晩は静かに過ごせた、ありがてえ」
ちぇ、と困ったような顔をして、新之助は酒をあおった。
明日の朝は、いつも以上に手厳しく起こされるのだろうか。いや、でも──おかしなものだ。まだ数日しかこの家で過ごしていないというのに、みつの説教がなければ一日が始まらないような気さえするのだから。
=====
翌朝。いつものように店の掃除を終え、ひと息ついたみつに、竹次が声をかけた。
「おう、いい加減あいつを起こしてきな」
「新さん帰って来てるの!?」
「二階で寝てたろうが。気がつかなかったか」
知らない!とみつは怒りにまかせてドスドスと二階へ上る。その足音は、新之助の二日酔いの頭にも響いていた──そら来た。
「ちょっと浪人さん!」
「…だからその呼び方は…」
「うわ酒くさい! ひとをさんざ心配させといてどういう料簡よ」
「へえ、心配してくれてたのか。そいつぁ光栄だね」
ごろりと寝そべったまま肘をつき、みつを見上げる。
「心配なんかしてない!」
言い放って階段を降りて行くみつの姿が愉快でならない。一方のみつは家の外に出ると、さらにもうひと言。
「心配なんて、誰がするかってんだ」
するとそこへ、
「これ、そこの娘」
突然呼びかけられ、飛び上がる。
「はい! いらっしゃいまし。お店でしたらもう少しで準備が…」
振り返った先にいたのは侍。と、その後ろには駕籠。ちょっとした身分の人物が乗っていて、この侍はきっと使いの者だということは見てとれた。しかしたけやは、そんな人が来るような店ではない。案の定、侍はみつに向かってひらひらと手を振った。
「店に用はない。この家に浪人崩れの男はおるか」
「え…」
そんなの一人しかいない。けど。みつの目は、駕籠から降りてきた女性に釘付けになった。返事をしないみつに、侍が苛立ちを見せる。
「なぜ答えぬ!」
「これ、大きな声を出すでない」
女性の声に、振り返った侍が「奥方様」と膝をつく。
「あ…あの、新さんなら二階に」
「そうか。ならば上がらせてもらうぞ。案内は不要じゃ。そなたも下がっておれ」
ははッと控える侍の声を聞きながら、女性の背中をぼんやりと見送る。その姿は、15のみつには逆立ちしたって届かない艶にあふれていて。「立てば芍薬」の見本のような──階段を上っていく姿は差し詰め百合の花か。新さんにあんな知り合いがいたなんて。
凝視するみつをどう受け取ったのか、侍がみつを諭してきた。
「これ娘、あの方はやんごとなきご身分の御方ぞ。詮索するでない」
カチン。
「…その浪人、今起こしてきたところなんですけど、狭い部屋にまだ布団も敷きっぱなしで。あんなきれいな方が足を踏み入れて大丈夫でしょうか…私のような子どもですら、不用意に部屋に入ると何をされるかわからないと注意されているものですから、心配になりまして」
もっともらしく眉根を寄せながら、侍に小声で告げてやった。「な、なんと…!」とオロオロと二階の様子を伺い始める姿を尻目に、くるりと背中を向け、べ、と舌を出す。
冗談じゃない。やんごとなき方だかなんだか知らないけど、勝手にひとん家に上がっといて何様だ。だいたい新さんも新さんよ。女の人に会うなら外でやれってんだ。
(新さんの好みの女の人って、あんな感じかしら…)
ああ、イライラするったら!
=====
先ほどとは打って変わって楚々と階段を上ってくる足音に、新之助は「おや?」と二日酔いの頭を持ち上げた。白粉の匂いがする。
「……どちらさんで?」
身を起こして対峙する。姿を見せたのは、この狭くむさ苦しい部屋には似つかわしくない美女。しっとりとした色香を放っている。にこりと婉然と微笑んだ口元、ちらりと見えた歯が黒いことからどうやら人妻のようだ。しかし全体のやわらかい雰囲気の中で目だけが笑ってない様子は、新之助に緊張感を持たせた。
「注文じゃ。そなたに頼みがあって来た」
「……この浪人に何をお頼みなさるってんです?」
「たけや、とやらを通すのも面倒でな。実際の“仕事”はそなたがしているのであろう?」
仕事の注文はたけやで竹次が受ける。実際の仕事は新之助がする。それは事実だ。しかし新之助の存在は、実際に仕事を依頼した者しか知らないはず。その“力”が悪用されるのを防ぐため、直接接触されないよう竹次が緩衝材となってきたのだ。
「…何をご存じか知りませんがね」
「しらばっくれずともよい。そなたが隠したがっていることどもの大体は知っておる」
用心はしながらも、しらを切り通すのは難しそうだと判断する。
「耳敏くていらっしゃるってわけですか」
新之助の反応が満足だったのか、女は、ほ、と笑ってみせた。
「そなた、人さがしを生業としているそうだの」
新之助の沈黙を諾と受け取り、女は続ける。
「探し物が得意な者は、隠し物も得意であろうな?」
「さてね」
「そなたに人を隠してもらいたい」
新之助は、じ、と女を観察する。女の表情は変わらない。微笑んだままだ。
「こないだもそんな注文をしてきたのがいましてね。断ったばかりですよ」
「ほう? 理由を聞きたいのう」
「…美人の頼みは断れねえやな。他言無用に願いますよ?」
負けず劣らずの食えない笑顔で、新之助もまた、表面上は和やかに対峙する。
「俺ができるのは神隠しに遭った人を探し出すことだ。人を神隠しに遭わせる力があるわけじゃない」
「その手には乗らぬ」
「…と言うと?」
「そなた、神隠しに遭った者が集まる場へ迎えに行き、連れ戻してくるそうだな。つまり自らの意志で行き来できるということ。ならば人を連れて行くことも造作ないはずじゃ」
さすがに眉をひそめる。この女、どこまで知っている──? 新之助が持つ力を。竹次が隠し、守ってきた、その特殊な能力を。
「先日注文してきた男というのは、自分の妻を消せと言ってきたのであろう?」
「……!」
「その妻は私じゃ」
なるほど、それでこの女の情報網に合点が行く。夫のほうの従者に密告者でもいるのだろう。その行動は筒抜けというわけだ。
「…つまりアンタは夫を消せって言いに来たわけか。犬も食わねえ夫婦喧嘩にひとを巻き込もうってのはいかがなもんですかね」
「さ、夫婦喧嘩と呼ぶのかどうか…しかし私が消してほしいものはあの男ではない」
「では?」
「私じゃ。私をここから消せ」
「なんだって!?」
ほほ、と口に手をあて、女は愉快げに笑う。
「そなたは断れまいよ。おおかた犯罪まがいの注文を断ったことで、あの男からの口封じを恐れてここで用心棒をしているのであろう?」
「ほんとに…どこまで耳敏い…」
「下で案内をしてくれたあのかわいいお嬢ちゃんなんぞ、年頃だから心配であろうの?」
……断れば、みつに危害を加えるというわけか。
「しょうがねえな。さっきも言ったろう? 俺ァ美人の頼みは断れねんだ。詳しく聞かせてくんな」
この女の言う通り、新之助がここで居候を始めたのは竹次とみつを守るためだ。人さがしが商売のはずの新之助のもとに、「人を隠せ」と依頼してきた男。新之助は当然断ったが、男の背後にはカタギではない世界が見え隠れした。口封じや報復の可能性が無いとは言えない。目の前のこの女は、さらに上手を行くようだ。いやしかし──うまくすればこの件、まとめてカタを付けられるかもしれない。
それは甘い判断だったかもしれない。けれどたけやの父娘をこれ以上危険にさらすことは、新之助にはもっとも避けたいことであった。