第62話:ヒュブリスの死
帝国の第一皇子ヒュブリスの死が報じられたのは、王都ノリリスクの気温が最も下がる1月のことだった。
北極線より300km北に位置し、永久凍土地帯に存在するノリリスクは、1年のうち240日以上は氷点下の気温である。
ヒュブリスは城内の自室から出ない日々が続く中、不審な死を遂げた。
「殿下、お食事をお持ちしました」
その日、いつものように朝食を運んできた侍女が扉をノックしても、ヒュブリスが応えることは無かった。
母アンゼリカが行方不明になって以来、彼は自室に引き篭っている。
もはや帝位争いを続ける余裕は無いが、ヒュブリスはそれでも帝位継承権を放棄しなかった。
「まだお休み中でしょうか? こちらの保温ボックスに入れておきますね」
密偵が侍女に化けて侵入することを警戒して、ヒュブリスは室内への侍女の立ち入りを禁じている。
そのため、侍女が扉を開けて室内を確認することは無かった。
侍女は持ってきた食事を、扉の横にある保温ボックスに収納して立ち去った。
それから5時間後、侍女が昼食を運んできたとき、保温ボックスに手つかずの朝食が残っていることに気づく。
最近のヒュブリスは食欲が落ちており、朝食を残すことはよくある。
侍女は保温ボックスから朝食を取り出して、持ってきた昼食と入れ替えた。
「殿下、もしや御病気ではありませんか?」
侍女が異変を感じたのは、夕食を運んできたときだった。
昼食も手つかずで残されている。
ノックして呼びかけても朝から全く反応が無い。
急病で意識を失っている可能性を考えて、侍女は胸元のボタンに仕込まれた防犯ブザーを押した。
「ナニカ異常ガアリマシタカ?」
「室内の映像を見せて」
「了解デス」
すぐに駆け付けたアンドロイド警備兵に、侍女はヒュブリスの部屋の中を見せるよう求める。
普段は勝手に見ることはできないが、防犯ブザーによる警報が発令したときのみ、室内を映してもらうことができた。
侍女に命じられたアンドロイドが片手で空中を撫でる仕草をすると、そこに四分割されたスクリーンのような映像が現れた。
ヒュブリスは寝室のベッドに仰向けに寝ていて、普通の就寝と同じように掛布団も被っている。
防犯カメラは部屋の四隅に設置されており、全体が映し出されているが、不審者や不審物は見当たらなかった。
「ヒュブリス様のお顔を映して」
「了解デス」
朝からずっと寝たままなのだろうか?
不審に思った侍女は、アンドロイド警備兵にヒュブリスの顔を映すよう命じた。
四方向からの映像の一つがヒュブリスの顔へとズームインする。
映し出されたヒュブリスの顔は、目や口が開いたまま硬直した苦悶の表情を浮かべていた。
「! すぐにバイタルチェックして!」
「チェック完了。心肺停止状態デス。救命処置開始。主治医ニ連絡シマシタ」
アンドロイドからの緊急連絡を受けて、白衣を着た男が医療鞄を手に走ってくる。
けれどヒュブリスの蘇生には至らず、死亡が告げられた。
「肺の中は水でいっぱいでした。溺死状態ですが、衣服や身体は濡れていません」
ヒュブリスの死因について、主治医はそう語る。
部屋から一歩も出なかったヒュブリスが、何故溺死したのか。
争った形跡も無いことが、更に謎を深めた。
王族の部屋は帝国の最新技術による防犯設備に護られているが、ヴォルグが放った密偵の侵入を防げなかったため、ヒュブリスは日本製の最新型防犯設備も買い付けて設置している。
それすらも全く役に立たなかったことに、シュタルク城の侍従や侍女は慄いた。




