第42話:定期航路
夜明け前のまだ暗い時間、アナスタシアは王都を離れ、サハリン島南部のコルサコフ地方に来ていた。
アンゼリカに妊娠を気付かれたと察してから10時間ほど経過している。
時間が経てば経つほど逃亡が難しくなるだろう。
アナスタシアは帝国首都ノリリスクからサハリン島まで超高速鉄道に乗り、移動中の列車内で食事を済ませた。
アイヌ語で【大きな港】と呼ばれたコルサコフには、サハリンの玄関と言われる港湾都市がある。
宗谷海峡を挟んだサハリン島と北海道稚内市との距離はわずか43キロ。
コルサコフ市と稚内市は古代より姉妹都市提携しており、船で行き来することができた。
21世紀頃はロシアによるウクライナへの軍事侵攻の影響で交流は途絶え定期航路も閉鎖されていたが、シュタルク帝国となってからは再び行き来できるようになっている。
(立ち止まっている暇は無いわ。1分でも1秒でも早くこの国から逃げなくては……)
アンゼリカが放つ間諜が身内を探っている間に、アナスタシアは国外逃亡を図る。
帝国内にいたら、お腹の子だけでなく自分の命も危うい。
エリザヴェータの店で購入したコートタイプのウィンドブレーカーに身を包み、アナスタシアは稚内行きの高速船に乗り込んだ。
アナスタシアを含む多くの人々を運ぶのは、未明にコルサコフを出て早朝に稚内に着く高速船。
移動中の海上で素晴らしい朝焼けを見ることができる。
観光客に大人気の時間帯であり、空席があったのは幸いというところだ。
(お願い、早く着いて)
船内の自由席の端に腰かけながら、アナスタシアは願う。
窓から見える空が、少しずつ白み始めている。
目指す地は見えているけれど、まだ安心はできない。
やがて姿を現した朝日が、空と海を茜色に染める。
観光客たちは甲板に上がり、その美しさと雄大さに感嘆の声を上げた。
アナスタシアも船室から出たが、彼女の場合は着いたら真っ先に下船するのが目的である。
(確か、この近くの村にいつも空いている宿があるって誰かがSNSで書いていたわね)
港でタクシーを拾い、SNSで見た宿のことを話すと、すぐに分かってくれた。
多くの裕福な帝国民と同じく、アナスタシアも日本語が堪能である。
以前見たSNSを運転手に見せられないので、話すだけで分かってくれたのは助かった。
アナスタシアは自分の携帯用通信機を城の自室に置いてきた。
そんなものを持ち歩いていたら、GPSで居場所を報せるようなものだ。
「ここで間違いないですか?」
「はい、SNSで見た外観と同じだから、合ってると思います」
タクシーの運転手に問われ、アナスタシアは答える。
来るのは初めてだが、SNSで「予約なしで泊れる宿」と紹介された民宿の看板があるので間違いないだろう。
その宿を選んだことは、アナスタシアにとって幸運であり、不運でもあった。




