19:衛生調査員ヘルヘルト・スリッカー
フィオナとバルカスの間へ割って入ったヘルヘルトは、バインダーに留められた書類を捲ると、それを神経質にもピシッと整え直し、改めて口を開いた。
「先の続きから、よろしいですか? このように各種の問題がありました――これが三日前の時点です」
「……!?」
空気の変化を感じ取り、誰もが息を呑む。
「その後、改善猶予期間内である昨日の内にメルルゥ・アンブローシアさんから要請を受け、再審査を行いました。その結果が、こちらです」
彼が「複写/控え用」と書かれた用紙を取り出し、何名かに配る。
「重欠点、なし。軽欠点、なし。書類不備、なし。改善提案、1……ただし、これは店舗がダンジョン内にあることを鑑みて、ハーフ・アルラウネであるメルルゥさんに定期的な日光浴を勧める物ですので、店舗そのものの運営とは無関係です。つまり――」
僅かな間を置き、ヘルヘルトが言い切る。
「何の問題もありません」
「ちょっと待ちたまえぇぇぇッ!!」
大声でバルカスが割り込む。
「へ、ヘルヘルト君……キミは自分の立場が……やるべきコトが分かっているのかネ!? ここ、ダンジョン・ステイのフードコート運営は、そのまま冒険者ギルド支部の設立条件に関わっている。つまり、即ち……分かるだろう!?」
唾を飛ばし、汗を撒き散らし、身を乗り出す。
それらを鬱陶しそうにバインダーの裏で弾くと、ヘルヘルトは真っ直ぐに立ったまま、表情一つ変えずに言った。
「私は衛生調査員。飲食の安全と安心を維持することが私の使命であり、やるべきこと。私利私欲の為、監査結果を偽るような真似は、業務内容に含まれておりません」
「なァ……っ!?」
顔色を変え、バルカスが大きくよろめく。
だが驚いていたのは彼だけではない。
フィオナもまた目を大きく見開き、息を呑み立ち尽くしていた。
そんな中でヘルヘルトはバインダーの用紙を淡々と捲り、総括に移っていた。
「小端洞ダンジョン内という立地は極めて不衛生になりやすい為、監査は厳しめで行いました。結果、一度目は複数のポイントで不備が見つかりましたが……責任者のメルルゥさんは監査に極めて協力的で、食の安全への配慮は十分に感じられました」
テオの背後から顔だけを出したメルルゥが「当たり前です!」と息を巻く。
「そして二度目の監査では、短期間にも拘わらず全ての点において改善が見られ、完璧ではないにしろ何れもクリアの基準に達しています。特に、現在は使用されていない第四坑を用いた換気システムは素晴らしく、ダンジョンという環境を逆手に取った見事な采配と感じられます」
ゆっくり、粛々と、ヘルヘルトの総括は続く。
その文言はどれも事務的ではあったが、食の安全と安心を守るとの言葉に沿った、極めて誠実で真摯な物に感じられた。
「――レビューは以上となります。何か……ご質問は?」
バインダー上で捲っていたページを元に戻し、ヘルヘルトが尋ねる。
すると怖ず怖ずと手を上げたメルルゥが、震える声で聞いた。
「あの、じゃあ……フードコートは、営業して構わない……ということですか?」
その質問に痩せた背の高い衛生調査員は、大きく頷き返す。
「ええ、その通りです……頑張りましたね」
その一言で不安気であったメルルゥの表情がパッと明るくなり、テオへ、そしてフィオナへとキラキラの視線を投げる。
「良くやったな、メル! やりきったな!!」
「何よ、やれば出来るじゃない。心配して損したわ……流石ね、メルルゥ」
「はい! やりました!!」
三人の歓喜は周囲にも広がり、成り行きを見守っていたポーターたちが、冒険者たちが、表情を綻ばせて安堵の吐息を漏らす。
これで三つ目の条件を全て達成し、無事に冒険者ギルド小端洞支部は設立を認められた。
誰もが、そう思った。
しかし――。
「ククク……なるほどネ。そちら側につくか、ヘルヘルト君……だがキミは、判断を誤った」
歓喜の輪の中にあって唯一、喜びを湛えていない者。バルカスはゆっくりと顔を上げると指輪のギッシリと付いた手を握り締め、ヘルヘルトを――そしてフィオナを、黒い意思の籠もった視線で睨み付ける。
「本よ、冒険者ギルドの役割について書かれたページを開け」
そして魔法の本へ命じ、比較的前の方にある基本的規定についてのページを広げさせた。
「――冒険者ギルド管理規定、第十二条、統括管理。大陸全土における未踏域およびダンジョンの探索、資材調達、ならびにそれに付随する一切の管理運営権は、本ギルドが独占的に有するものとする」
「ば、バルカスさん!? それは、まさか……」
ヘルヘルトが慌てた声を上げ、一歩を踏み出す。
しかし彼に構わずバルカスは読み上げを続ける。
「第十三条、活動認可。ダンジョン内およびその周辺の指定管理区域において、本ギルドの許可なく営利目的の役務を提供し、または工作物を設置することは禁ずる」
辺りがザワつき、不穏な空気が満ちる。
冒険者たちが、そしてダンジョン内に店を出す道具屋や武器屋の店主たちが固唾を飲み、バルカスを見やる。
「第十四条、権益の帰属。本ギルドが管理するダンジョン内において、運営上の利便に供するために考案された制度、施設、および付帯する全ての権益は、その発案者に関わらず、管理主体である本ギルドに帰属するものとする――」
そこまでを言い切って肥満体の外務監査官は指輪をカチャカチャと鳴らしながら、テオ、メルルゥ、そしてフィオナとヘルヘルトをゆっくりと見回した。
「キミたち、この意味が分かるかネ? つまり――」
ネットリとした笑みを浮かべ、彼は続けた。
「このダンジョンにあるモノは全て、何もかも――私たち、冒険者ギルドのモノという意味だヨ!!」
「……っ!!」
大声で叫ぶ。
その声には大量のネバ付く汗と共に、勝者としての喜びが滲み出ていた。
「ハハハ! どうかネ、必死の努力が全て水の泡になる気分は? 最後の最後でひっくり返される気分は? 口惜しかろう? 無力だろう? ハハハっ! これが現実だ!!」
「お待ちなさい、バルカスさん! これは……あまりにも下劣だ、目に余る! 外務監査とは本来――」
「黙れ、裏切り者め!!」
声を上げるヘルヘルトだが、バルカスの大声がそれを遮る。
「勘違いするなヘルヘルト!! 外務監査とは組織の為にあるモノ! 斯様なハーフエルフを追い出し、組織の安定を図る――その為の行為がコレだ! 清廉ぶって手を汚す覚悟がないなら、職を辞せ!!」
「なぁ……っ!」
絶句のヘルヘルト。とても信じられず、受容れ難い……あんぐりと開いた口が、彼の気持ちを雄弁に示す。
だが、そんな中――。
「内輪揉めは、もう終わったかしら」
男たちの間へと割り込む淑女――フィオナだ。
「その冒険者ギルドの規定は、未踏域およびダンジョンと周辺の指定管理区域にのみ及ぶ物……それで間違いないかしら」
「あぁン? なんだハーフエルフの小娘如きがしゃしゃり出おって。その通りだが、関係あるまい。ここは小端洞の第一層、どのように設備を整え取り繕ったところで、その事実に変わりは……?」
地金の出始めたバルカスの言葉を遮るように、その眼前へと突き出される一枚の書類。
「これは小端洞の第一層を、商業特区として認める認定証。各ギルドの規制を受けず商業活動を行うことを許すと、国が認めた、その証書よ」
「……!?」
勝ち誇るバルカスの表情が石のように固まる。
「無学なアナタにも分かるように、噛み砕いて説明してあげる。この認定を受けたことで小端洞第一層は商業特区になった。つまり書類上ダンジョンではないから、冒険者ギルドの規定は及ばない。管理規定、第十二条から第十四条は無関係ね」
「う……ァ……ば、バカな。そ、それは……そうか、偽物だろう!?」
脂汗をダラダラと流しながらバルカスが指を突きつける。
「し、知っているぞ! そのような認定、数日前までは無かったハズ! しかも一昨日からは嵐のような豪雨が続いていた! 仮に認定を受けようと動いていたとして、嵐の中、こんな山中にまで書状が届けられるハズがない!!」
確かにバルカスの言う通り、一昨日からの雨と風は非常に激しく、それ故に自身も到着を遅らせた。
普通に移動するだけでも大変な山中の移動を、暴風雨の中で行うなど普通では考えられない。
だが――。
「いいえ、届いたわ。彼が、届けてくれた」
フィオナは一歩も退かず、揺るがず、ポーターたちの一団を――その端に立つ、丸刈り頭で小柄な若いポーターを示した。
「届いたのは昨日の深夜。真っ暗な豪雨の山道を全力で走って、ボロボロになりながら届けてくれたわ!」
それは、フィオナの采配だった。
ダンジョンの管理権が冒険者ギルドにあると分かった時、テオは小端洞第一層の商業特区申請を行った。そしてギリギリのタイミングで認定は出たのだが、外は豪雨。ポーターに走って貰うにしても、間に合うかどうかは五分五分の状況だった。
テオは当初、安定感のあるベテランのプレゾに走って貰おうと考えていた。
しかしフィオナは言った。「ポーターの中で最も足の速い彼にお願いしよう」と。
これに一番驚いたのは、指名を受けた若いポーターだった。
彼はフィオナに食ってかかるポーターの筆頭で、未だに彼女を認めていない。それはフィオナの方も分かっている筈。それなのに、冒険者ギルド支部とダンジョン・ステイの存亡が掛かるこんな大事な役目を任せるだなんて。
「――わざと遅れて到着するかもしれないぜ」
「やりもしないことを言わないで頂戴……頼んだわよ。貴男に任せる」
そう行って、彼を送り出した。
そして若いポーターは、雨に打たれ、風に嬲られながら、全速力で駆け抜けた。片時も休まず、歯を食いしばって――フィオナの信頼に応える為に。
「俺はポーターなんだ、届けるのは当たり前だろ」
「ふふっ……そうね、ありがとう。信じてたわ」
微笑むフィオナ。それは孤独であった姫が、信頼に足る仲間を得た……その微笑みだった。
「グっ……う、うぐぐゥ……!!」
「分かったでしょ、バルカス。もうアナタがどんな風にルールをこじつけても無駄よ……最後の最後でひっくり返される気分は如何?」
フィオナが嘲笑と共に呷る――と、バルカスがドシン! とテーブルを叩く!
「認めん! 私は認めないィ!! か、斯様なハーフエルフ如きがッ! 私を出し抜くなど……アァァァッ!!」
手にした魔法の本を振り上げるバルカス! それを勢い良く振り下ろす先に立つのはフィオナだ!
「ナメめるな、亜人種の小娘がァっ!!」
「きゃ……!」
突然の暴虐に身を竦めるフィオナ。そして硬い本が彼女の額を割る――その直前。
「フィオに手ぇ出すんじゃねぇ!」
「……テオ!」
身を挺し、テオがフィオナを庇う。
「文句があるなら聞いてやるぜ! この商業特区の責任者は……この俺だ!!」




