21.長い夢の終わり
セシリアと呼ばれた女性は、ウィッテに近づいて行った。彼の頬を撫でる。顔に、鋭い傷が刻まれた。
ウィッテは傷口を手で押さえる。手には血がべっとりと張り付いていた。彼女は微笑む。
「ウィッテ。もう、終わりにしましょう。どうせ戻らないんだもの。全ては失われ、過去も、未来も、一つになるんだわ」
そう言った彼女の微笑みは、いたずらをする稚児の、無邪気な笑顔へと変わっていた。
そしてそれは、徐々に醜悪なものへと変化していく。あるいは、それは人の形を失ってゆく。歪み、捻じれ、砕け散る。光子が精霊となって舞い、再び集合する。やがて、元の肉体は消え去り、オロチがその姿を現した。
正体をあらわした竜は、ウィッテをその爪で切り裂いた。
彼は倒れる。オロチはリディアを睨んだ。睨みながら、自身が封じられていた、忌まわしき過去を思い出したかのように呻く。それから、オロチの顔に笑みが浮かぶ。
リディアの身は危機に瀕している。ウィッテは掠れる声で、セシリアとつぶやいた。
その声に呼応するかのように、タリスの腰下で剣が輝き、オロチの頭上に光を呼んだ。空からの光に照らされると、オロチは苦しみだした。
その叫びは空を震わせ、あまりの巨大さに、聞き取る事すら難しかった。しばらくして光が収まると、竜はもう、今にも崩れてしまいそうに見えた。
最後の力を振り絞って魔界へと帰っていく。闇が溢れる出る中で、一つの脅威が去ったのだ。
オロチが見えなくなると、リディアはウィッテに駆け寄った。彼の前に座り、傷ついた頬を撫でる。
ウィッテが、小さく彼女の名を呼んだ。その声はリディアの耳に届かない。だが、聞こえずとも伝わっていた。それは口の動きからだったかもしれない。
けれど、力強い穏やかさと共に、彼女は返事をした。ウィッテは仰向けのままで片手を持ち上げた。リディアの顔に触れようとしたのだ。だが、目が見えないのか、彼の手は宙に浮いたまま彷徨っている。
それをリディアが優しく導いた。
「セシリア……」
ウィッテはそこで黙ってしまった。
彼の体は足先から崩れ始めていた。
「ウィッテ、私は、あなたに再び会えて、とても嬉しいわ。でも、あなたはもう……それなのに、その気持ちは変わらない。あなたも、同じ気持ちだったらって、そう思ってしまうの。……ごめんね、何を言っているのか、分からないわよね。今、私がここにいるのも、あなたがいてくれたからなのよ……」
リディアがそれを言っている間にも、ウィッテの体は崩れていった。もしかすると、もうそこに彼はいないのかもしれない。けれど、聖剣が彼の想いを叶えたのだとすれば、肉体は朽ちても、最後に、感謝の言葉だけは聞こえたはずだ。そうタリスは思った。リディアは、今はセシリアなのだとも。
長い間、誰も何も言わなかった。やがて、リディアは立ち上がった。立ち上がって、タリスの方を見た。
その時、まるで機会を窺っていたかのように、チクチャンが現れた。




